民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「ハァーレヤ」 野村 純一

2012年09月06日 00時21分09秒 | 民話(語り)について
 「昔話の語りと語り手」 野村 純一著作集 第四巻 清文堂 2011年
 「ハァーレヤ」前後-----昔話の合の手-----「月刊百科」№270 1985年(昭和60年)

 前略
 「オゥ」や「オットウ」はおそらくは、先に示した「朝まっこトーヤ」の「トーヤ」、つまり「尊い」「尊や」に直接、間接、連なる語彙であろう。「サァース」「サァーソ」は、いずれ「さ、候(そうろう)」の転訛(てんか)、変貌の一端であろうとの見当はつく。いはば「承って間違いありません」といった態(てい)の恭順、恐懼(きょうく)の意を表する語の筈である。しかし、「ハァーレヤ」はちょっと判らない。しかも語りの場に即していえば、この系統の言葉の場合、そこでは、全体の響きがいかにも軽くて、抑えがきかない。なかんずく「ハァーレヤ」の語は、それ自体がやや長い上に雰囲気が格別、華やかである。
 中略
 ところで、きのと媼(おうな)をいとも簡単に気さくで佳(よ)い語り手だと判断したのは、そこまでであった。それというのも、実際に昔話を語り始めると、もういけない。「ハァーレヤ」を早速に催促する。
当然の仕儀である。こちらもあらかじめ心得て準備していた言葉である。しかるに、その場に臨むと、案の定、どこでどう応えればよいのか、さっぱり見当がつかない。だいいち「オゥ」や「ウン」に比較して、これはなんとしても調子が長い。その頃、私は新潟県栃尾市の郷中に通っていた。其処での相槌は「サァーンスケ」である。それを想って、呼吸をはかりつつ「ハァーレヤ」をいうが、どうもうまくいかない。ぎごちない。媼(おうな)は「間合いが悪くて、よう語れん」といって、詰(なじ)る。そう言われても、文字通り、手の打ちようがない。自信をなくして、ついつい声が小さくなる。そうすると「しっかり言(ゆ)うてくれ」と媼(おうな)は要求する。こうなると、昔話を聴きに来たのか、叱られに来たのか判らなくなった。ほとほと往生しているところに、同家の若い嫁女が畑から帰ってきた。この人には早速、夕餉の支度がある筈である。それを承知で無理に頼み込んで座に加わってもらった。

 このときに、媼(おうな)は「拾うてくれや」と、声を掛けた。この言葉はいまに忘れられない。「拾うてくれ」のさり気ない一言は、正直いってその場の私にはひどくこたえた。媼(おうな)のこの表現の中には、一人の語り手としての要求と心情とが直截にこめたれていると理解した。そうか、きのと媼(おうな)の欲していた昔話の相槌とは、結局は彼女の発するひとつひとつの言葉をば、丹念、篤実に「拾って」あげることにあったのか。はじめてそれに気がついた。そして、そこでは、昔話の相槌の言葉とその在りようについて、かけがえのない収穫を得たように私は思った。

 そのあとは素晴らしかった。「むかし、あったぞぁな」と言い置くと、響いて「ハァーレヤ」が返ってくる。媼(おうな)はすっかり落ち着いて、次々と昔話を語ってくれた。私どもはその間、黙ってその在りように聞き入っていた。情景に見入っていたというべきかもしれない。すでに言ったが、それまでにも私は各地で特徴のある相槌の言葉を耳にしてきた。しかし、このときに元吉(地名)の海辺で巡り合った「ハァーレヤ」の語ほど際立って印象に残る例は、他にちょっとなかったとしてよい。
 後略

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