民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「日本の闇は濃かったのだ」 斉藤 隆介 

2012年09月05日 11時40分50秒 | 民話の背景(民俗)
 我らの<童話革命>を-----日本の闇は濃かったのだ 斉藤隆介 1969年 斉藤隆介全集 第三巻

 「はなし」が生まれ、語られた頃、日本の闇は濃かったのだ。それをこの頃、私は思う。
「はなし」は、「おとぎ話」などと呼ばれ、やがて「民話」などとも呼ばれるなって、それが語られた頃の、もろもろのものを失った。
 中略
 語るのはばばで、しらがはギラギラとほだ火のてりかえしに銀色に輝き、しわだらけの頬がペラペラ時々まっ赤に染まったりした。菜種油は高いから、貧しい雪深い村の農家では、夜はそんなのもは使わず、
いろりのほだ火のあかりをあかりにしたのだ。
 外はべったりと漆を塗りこめたような闇で、それこそ真の闇だったろう。もの提灯などの灯が動いてくれば、それがもう不気味なはなしになったり、なつかしいなつかしいはなしになったりしたろう。
 雪が降ったり積もったりしていたら、夜の地上だけ明るいふしぎさはまた別のはなしを生んだのだ。
 中略
 私は秋田に十年ほど住んだが、山奥の農家に行った時、そこの表戸をあけて驚いた。入り口から広い土間を横切って、長々と太い木の幹が横たわっていたのだ。燃えるにしたがって引き上げるのだ。
 電灯は消してあった。おそらくあまりつけることはなさそうに思われた。それでも結構用は足りた。ほだ火のてりかえしの中でばさまは茶を入れてくれ、じさまはどぶろくを出してくれた。
 ただし人の影は壁から天井に大きく折れ曲がってうつり、こちらが動くたんびにおどろおどろしくあちこちした。下から火を受けた顔は、下まぶたが明るく上まぶたが暗くて、まるで狐つきのように見えた。おそらくわたしの顔もそう見えたろう。
 ああいう明かりの中で「はなし」は語られたのだ。

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