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「書く力は、読む力」 その1 鈴木 信一

2017年01月17日 22時59分39秒 | 文章読本(作法)
 「書く力は、読む力」 その1 鈴木 信一(1962年生まれ、公立高等学校に勤務) 祥伝社新書 2014年

 文は必ず「何かが足りない形」をとります。そして、「その足りない何かを埋める」ために次の一文は書き足されるのです。P-95

 こう書いた以上は、次にこう書かなきゃまずいんじゃないか?――そういう論理のささやきに耳を澄ましながら、私たちは書くことをなかば自動的に進めていく。これが書くことのメカニズムです。P-98

 書くことに必要な力があるとすれば、それはまず、前の文(書いてしまったこと)との整合性を保ちながら、文をつないでいく力だということになります。P-99

 不足を見きわめ、それを埋める文を追いかける。これが「読み手」の基本操作ですが、不足は埋められながら、一方でどんどん増えてもいきます。そのいくつもの不足の中で、一番に追うべきものはどれか。それが文章における「主題」です。その主題への見きわめがないと、「読み」は散漫なものになってしまうのです。
 もっとも、「読み」に無自覚な人はいて、そういう人はいつだって漫然と文字を追います。印象に残った言葉だけを野放図に頭に放り込んでいくというやり方です。当然、「主題」への気づきは鈍くなります。
 何よりも問題なのは、そういった「読み」をしているかぎり、けっして書ける人にはなれないということです。どういうことでしょうか。
 不足を追う習慣のある読み手が心に刻むのは、「印象に残った言葉」ではありません。「来てもらわなければ困る言葉」です。こう書いてある以上は、次にこう書いてもらわなければ困る。そうやって「来てもらわなければ困る言葉」を待ち構えるわけです。これは、書き手の「こう書いた以上は、次にこう書かなきゃまずいよな」と思って文をつないでいく意識と同じものです。
 つまり、すぐれた読み手というのは、読みながらにして同時に書いてもいるということです。したがって、いざこの小説の続きを書けといわれても、さほど困ることはありません。ここまでこう書いてある。だったらこの次はこう書くのが自然だろう。いやそう書くべきだ。そうやって、書かれてあることの中から書くべきことを引き出せるものだからです。P-108