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「書く力は、読む力」 その4 鈴木 信一

2017年01月23日 00時06分18秒 | 文章読本(作法)
 「書く力は、読む力」 その4 鈴木 信一(1962年生まれ、公立高等学校に勤務) 祥伝社新書 2014年

 人は誰でも固有の因果律を持っています。発想のパターンが一人ひとり違うのです。別の言い方をすれば、人は身の丈に合った発想しかできないということです。
 ところが、その因果律は破られるときがあります。他者に触れたときです。たとえば、予期せぬ言葉を友人から投げられ、私たちは発想のくびきからふいに解放されたりします。
 ものを読むときも同じです。表現こそは他者なのであって、その他者としての表現に接したとき、私たちはかえって発想の自由を得ます。ちなみに、ここでいう「自由」とは、何でもありの自由ではありません。「固定的な発想から抜け出る」という意味での自由です。(中略)
 私たちは「読み」を自分に都合よくおこないがちです。わかるところだけわかればいい。共感できるところだけ拾えばいい。しかし、これでは自身の因果律を破ることはできません。読書による成長は見込めません。「書きたいことを書くのではない」ということはすでに述べました。「読み」も同じです。読みたいことを読むのではないのです。P-166

 誰かに読んでもらいたい。気づいたことをいってほしい。しかし、その誰かが、しかも他人がちゃんと読んでくれるかはわかりませんし、読んでくれたとしても、正直なことはいってくれません。
 つまらない。日本語がそもそも変だ。そう心では思っても、本音は、二、三の褒め言葉に包んで遠慮がちに届けられるだけです。
 自分の文章は、やはり自分で読むしかないのです。
 純然たる「読者の目」を差し入れることはできないにしても、書いたものを精査することはできます。P-169