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「素読のすすめ」 その5 安達 忠夫

2017年01月09日 00時18分39秒 | 文章読本(作法)
 「素読のすすめ」 その5 安達 忠夫(1944年生まれ)  講談社現代新書 1986年

 「中村正直と明六社」 P-55

 徳川三百年の平和は、まがりなりにも儒教のイデオロギーによって支えられてきた。今やしかし,旧体制の崩壊に直面して、日本国民は指針を見失い、新時代をになうに足りる実践的な思想をもとめていた。

 福沢諭吉とならんで明治の青年たちに大きな影響を与えた中村正直(1832~91)の名は、スマイルズの『西国立志編』の翻訳者として以外、今日まであまり知られていないが、活発な文筆活動を通じてだけでなく、教育者として地道な足跡をのこした点でも両者は非常に似通っている。諭吉が文明開化の知的側面を推進する啓蒙思想家だとすれば、正直はその道徳的側面を代表する一人だといってよかろう。儒者であり、同時にすぐれた洋学者でもあった正直は、西洋文明の精髄をキリスト教に見いだし、儒教とキリスト教の一致点を真剣に模索して、ついには受洗するに至る。

 明治6年、アメリカから帰朝したばかりの森有礼の提唱で、啓蒙思想家の学術団体である「明六社」が結成された。初代社長の森有礼以下、福沢諭吉、西周、西村茂樹、津田真道など11名、中村正直もこれに参加している。その後、会員は30余名にふえるが、いずれも下級武士層の出身者であり、漢学の素養を土台として早くから外国語の知識を身につけた人々であるという点で共通している。

 翌年から『明六雑誌』を発刊、毎号20ページたらずの小冊子だが、日本の雑誌のはじまりといわれ、文明開化の象徴として指導的な役割を果たしていった。