民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「老いの悲しみ」 杉浦 明平

2015年07月11日 09時47分38秒 | 健康・老いについて
 偽「最後の晩餐」 杉浦 明平  筑摩書房 1992年

 「老いの悲しみ」 P-215

 年はとりたくないものだなあと、自分でもときどき思う。一むかし前モリエールの喜劇を読んだとき、登場する老人が、頭痛、腹痛、めまい、リュウマチなど体じゅうの苦痛を訴えるのを読んで、喜劇だから誇張して笑わせようとしているのだと思ったことを今でもおぼえている。が、自分が七十に近くなってみると、じっさいいつも体のどこかに故障がおこっていたり、痛みやかゆみに悩まされたりして、モリエールのじいさんがブツブツこぼしたのはお芝居ではなく、リアリズムそのものであると痛感しないわけにはゆかなかった。

 中略(体のあちこちにガタがきていることをたらたら・・・)

 それでもわたしは、医者の忠告に従って、坊さんのような精進生活をしようとは一度も思わなかったし、今も思わない。うまい酒を飲み、うまいものを食べられるなら、一晩や二晩、痒くて眠れなくてもけっこうというのが本音なのである。が、そのように、痒さを辛抱することによって、酒を飲み牛や豚や鳥を食べねばならぬということじしん、情けない話ではないか。年をとるということは、けっして安らかな老いを迎えるなどというのんきなことではなく、一種の残酷物語の主人公になることなのである。(83年5月)