「今の青年の文章に見る三欠点」 幸田 露伴 「露伴全集 別巻 上」 1911年(明治44年)
近頃の青年の文章を読んで先ず感ずるのは、その文字がいかにも乏(とぼ)しいことである。これは何のためであるかというに、読書をしないからである。
文字が乏(とぼ)しくては、いかに思想はあふれるほど豊かでも、思いあまって筆ともなわずで、せっかくの思想を凱切(がいせつ)にいい表すことはできない。文字を多く知るには読書するしかない。
(明治44年、もう既に若者は本を読まなくなっていたのか→ブログ主の感想)
出典 「国語力をつける本」 轡田 隆史 三笠書房 2002年
近頃の青年の文章を読んで先ず感ずるのは、その文字がいかにも乏(とぼ)しいことである。これは何のためであるかというに、読書をしないからである。
文字が乏(とぼ)しくては、いかに思想はあふれるほど豊かでも、思いあまって筆ともなわずで、せっかくの思想を凱切(がいせつ)にいい表すことはできない。文字を多く知るには読書するしかない。
(明治44年、もう既に若者は本を読まなくなっていたのか→ブログ主の感想)
出典 「国語力をつける本」 轡田 隆史 三笠書房 2002年