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「中高年のための文章読本」その8 梅田 卓夫

2014年11月05日 00時10分02秒 | 文章読本(作法)
 「中高年のための文章読本」その8 梅田 卓夫 著  ちくま学芸文庫 書き下ろし 2003年

 「発想は断片的にあらわれる」 P-134

 <よい文章>が書かれる場合、作品を想定して最初に作者が頭のなかで考えることは、結果としてできあがった作品の叙述とは関係なく、イメージや発想が、ときには映像として、ときにはことばとして、断片的に、入り乱れて、浮かんでは消えることをくり返します。
この浮かんでは消える発想を、なによりもまず消え去るまえにすくい取り、<ことば>(文字=走り書き)として定着(対象化)することが必要です。
さらにすくい取ったものを貯え、選り分けることも必要でしょう。
そして、それらに秩序を与える・・・・・。
これらの作業をおこなうのは、メモ用紙の上です。
メモ用紙の上の<ことば>は、文章の部品として動かしたり、つなげたりして扱うことが可能です。
この作業が文章を次第に具体的なものとして作っていくのです。
準備などという軽いものではありません。
文章表現にともなうもっとも創造的な<思索>そのものです。
まだ原稿用紙をひろげるまえの話なのに、です。

 まず<思索する>ことが必要なのです。思い出したり、想像したり、推理したり、そういう作業を紙の上に、ときにはポツリポツリと、ときには走り書きで、記録し、消えていかないように蓄積するのが<メモ>です。
そうして見えてくるもの、これが当面のところ、あなたの<全財産>なのです。
そのなかに「他の人が書きそうもないこと」を見つけるのです。
この作業なしで、いきなり書き始めたりすれば、自然に「他人の考え」が忍び込んできてしまいます。
中高年の人は過去からの持ち合わせがあるから、いっそう足をすくわれやすいのです。

 <メモ>の作業は、文章の長短に関係なく必要です。

 原稿用紙をひろげる(ワープロ画面を開く)まえの、時間をかけた思索と、それを蓄積した<メモ>の存在こそ、<創造的な文章を>を生み出す基本です。