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「私の仰臥漫録」その2 吉村 昭

2014年10月18日 00時18分58秒 | エッセイ(模範)
 「わたしの普段着」(エッセイ集) 吉村 昭  新潮文庫 2008年(平成20年)

 「私の仰臥漫録」その2 P-96

 子規の俳句に対する論文が、私には興味深かった。
 「行脚俳人芭蕉」に、「まことや行脚は芭蕉の命にして俳句は行脚の魂なるべし」として、「吾れ日本二千余年間を見わたして詩人の資格を備ふること芭蕉が如きを見ず」と、芭蕉に最大限の賛辞を呈している。芭蕉には俳聖という文字が冠せられていて、そのような子規の観方を、私は当然のことと受けとめた。
 しかし、そのうちに神格化された芭蕉に対する批判がみられるようになり、それが次第に加速する。偶像破壊といった趣きのもので、その対比として蕪村が挙げられている。私にも意外で、それだけに興味深く、「俳人蕪村」を読んだ。
 「芭蕉は無比無類の俳人として認められ復(ま)た一人の之に匹敵する者あるを見ざるの有様なりき。芭蕉は実に敵手なきか。曰く否(いな)」として「蕪村の俳句は芭蕉に匹敵すべく、或いは之に凌駕する処あり」と、断じている。
 子規は、俳句の極度の客観美は絵画と同じで、蕪村はその点ですぐれ、芭蕉は劣っている、と記し、これが蕪村を賞讃する基本となっている。
 たしかに芭蕉には、
 荒海や 佐渡に横たふ 天の河
 という絵画を感じさせる句もあるが、画人でもあった蕪村の句には絵画的なものが甚だ多い。
 四五人に 月落ちかかる 踊かな
 鳥羽(とば)殿へ 五六騎いそぐ 野分かな
 夕風や 水青鷺(みずあおさぎ)の 脛(はぎ)を打つ
 と枚挙にいとまなく、
 五月雨(さみだれ)や 大河を前に 家二軒
 に至っては、絵画そのものの句である。
 このような芭蕉と蕪村の対比からみて、子規は視覚のすぐれた人間で、俳句を視覚によって判断しているのを知ることができる。私も強く自覚はしていなかったが、俳句に子規と同じ視点によって接していたのを感じ、共感をおぼえた。