民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「私の仰臥漫録」その1 吉村 昭

2014年10月16日 00時03分15秒 | エッセイ(模範)
 「わたしの普段着」(エッセイ集) 吉村 昭  新潮文庫 2008年(平成20年)

 「私の仰臥漫録」その1 P-96

 十代後半から二十代前半にかけて、文学全集におさめられた明治文学の小説を読みつづけた。初めの頃は、多分に読んでおかねばならぬという義務感に近いものであったが、いつの間にか読むことに没頭し、その文学世界の中に身を託していることに快さをおぼえていた。
 漢学の素養豊かな小説家の緊縮度の強い文章、和歌の影響を受けたにちがいないリズム感のある文章が次々に目の前に現れてきて、後者の文章を書く代表として山田美妙の小説に色彩と艶(つや)を感じたりした。
 そのような物語とも呼べる小説とかけはなれた所に、子規の諸作品が、岬の先端にある燈台のように弧然と立っているような気がした。弧然とはしていても、子規の存在が明治文学に奥行きの深さと豊潤さをあたえているようにも思えた。
 私は、子規の活力のある文章が好きで、つぎからつぎへと読んでいったが、その根底には私が子規と同じ病気にかかっていたことがあったと思う。
 中学二年生の時に私は肋膜炎という肺結核の初期の発症に見舞われ、五年生の夏に再発し、さらに中学校と卒業してから三年後に喀血して末期患者となった。幸いにして、多分に実験の趣きのあった手術を受けて死をまぬがれはしたが、体はただ生きているというだけの弱弱しさで、いつ再発するかもわからぬ不安にとりつかれていた。
 そうした私に、子規が病みおとろえた病床でつづった「病牀六尺」は、それまで読んだ活字本とは異なる衝撃を私にあたえた。
 病床の子規の日々は、絶対安静で寝たきりですごした日々の私そのままであり、虚脱したようにすごした私とは異なって生と死について思考し、芸術論を生きる支えとしている姿に感動した。
 死は確実に身近にせまっていて、それを十分に容認しながら朝を迎え、夜の中に身をゆだねる子規の勁(つよ)さに、自分もそうあらねばと思ったりした。