民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「知の職人たち」 紀田 順一郎 

2014年10月14日 00時28分17秒 | 雑学知識
 「知の職人たち」  紀田 順一郎 著  新潮社  1984年(昭和59年)発行

 「あとがき」

 書棚を眺めていると、ひときわ強烈な存在感を誇っている辞書がある。それらの編者はどのような人手、どのような経緯で企画され、どのような方法で編纂されたのだろうか。いつも気になっている数冊の辞書について、その成立のドラマを調べてみたのが本書である。
 最近のように、辞書の世界でもコンピューターを利用した共同編纂方式が一般化すると、なんとなく無味無臭、没個性的なものになりがちだが、戦前までの辞書には一人の個人の生き方が反映され、その編者(著者)の夢も希望も挫折も、すべて行間ににじみ出ていた。いまから見れば欠陥も多いが、魅力にも富んでいた。まさに辞書は<情報パック>や<システム>ではなく、<人格>だったのである。そうした辞書の輩出した明治から昭和戦前にかけてを、私は<辞書の英雄時代>と呼ぶことにしたい。
 多くの人々が、一生で最も重要な、そして気力も充実した時期に、大部の辞書を編纂し、未踏の地に爪跡を残していった。吉田東伍や斉藤秀三郎に代表されるように、それらの人々は天才ではあったけれども、生活者としては平凡な市井の人というに過ぎない。辞書編纂に必要な歳月や経費というものが膨大なものである以上、一生の賭けであったということは忘れてはなるまい。少なくとも、大勝負であった。近代にあっては、学界の事情や出版のあり方から、よい辞書の出現に知的英雄たちの跳躍力に期待しなければならない部分が多かったことは認めなくてはならないだろう。
 本書はそのような時代における、いかにも個性的な名辞書の系譜である。
 
 中略

 たまたま本書には、一つの黄金時代を過ぎた人たちが、淋しげな後ろ姿を見せて静かに退場して行く劇的な場面が二つほどあるが、執筆しながら、彼らの著書に、一層の愛着が生じるのを禁じ得なかった。読者に同じような体験をしていただければ、本書の目的はほぼ達せられたことになる。

 後略