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「仰臥漫録―解説」その4 嵐山 光三郎

2014年10月06日 00時02分51秒 | 雑学知識
 「仰臥漫録(ぎょうがまんろく)」 正岡子規 著  角川ソフィア文庫 平成21年

 「仰臥漫録―解説」その4 嵐山 光三郎

 この一文を書いているとき、『仰臥漫録』には記載がない。二巻では「7月28日、曇り、左千夫番、午前10時35分」とあり、そこで止まっている。体調がいっそう悪化して、碧梧桐(へきごとう)、虚子、鼠骨、左千夫らが日がわりで看病にきていた。『病牀六尺』の原稿を書くことで子規は手いっぱいであった。新聞社が子規の体を心配して休載の日をつくると、子規は、
「僕の今日の生命は『病牀六尺』にあるのです。毎朝寝起きには死ぬる程苦しいのです。その中で新聞をあけて病牀六尺を見ると僅かに甦るのです。今朝新聞を見た時の苦しさ。病牀六尺が無いので泣き出しました。どーもたまりません。・・・・・」
 と訴えた。『病牀六尺』は死を直前にした子規の生きる支えであった。体力を維持するために食いに食った。食えば悶絶の苦しみを体験する。子規の体をむしばんだ結核は、食べて栄養を補給することが重要な養生法という実情があるものの、子規のあさましいほどの食欲は、絶食の対極にある地獄である。食って苦しみ、自分の正体を捜そうとする修行僧のような強い意志に支えられている。「死ぬことが悟りではなく、いかなるときも平気で生きていることが悟りだ」という地点に到達した子規にとって、母や妹律が粗食に耐えていることなどは問題ではない。ひたすら草花を写生し、自分の飢餓を実況中継する。
 「仰臥」とはうつ伏すことができず、あおむけに寝ることで、仰臥像は死者の像である。
『仰臥漫録』とは「死者漫談」というほどの意味である。とすると、公表するつもりがなかったこの日録は、子規の意識の中で、「いつの日にか公表される」という覚悟があったのかもしれない。一度書いたものは、死後公表される運命にあることを子規が知らないはずがない。日録に『仰臥漫録』というタイトルをつけたところに「作品」の意図が見える。

 後略