民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「まことの花」 梅若 六郎

2013年10月26日 00時05分36秒 | 雑学知識
 「まことの花」 五十六世 梅若 六郎(能楽師)著  世界文化社 2003年

 「祖父の稽古」P-10

 白州正子さんに「梅若 実 聞き書き」という著書があります。
祖父の芸談を聞き取って、随所に白州さんご自身の感想をはさみながら構成された本で、
刊行は昭和26年(1951年)。
祖父はこのとき73歳、私は3歳。
祖父は81歳まで生きましたが、私の知る祖父は、晩年の10年あまりですから、
その意味では祖父の人生の大半が知れるこの本は、私の初舞台がこの年だったこともあって、
とても興味深く、折に触れて親しんでいるものなのです。

 中略

 この項の終わりにあたり、「梅若 実 聞き書き」のなかでも、一番好きな一節があり、
その箇所に出会いたくて読むこともしばしばですので、ご紹介してみます。

 それは、いざ聞き書きを始めたものの、白洲さんの作業は「思ったほどすらすらと運ばな」かったようで、「その話は極めて断片的で漠然としてい、そこらの芸談にみるような闊達さはどこにも見られない。
そのかわりあの歯の浮くような名人らしい気取りもない。
まったく一介の隠居のおじいさんが語る昔話にすぎないのである」といった具合だったらしく、
思い余った白州さんは、世阿弥の「花伝書(風姿花伝)」を持って訪ね、
「先生、この本お読みになったことありますか。これこそほんとの芸術論というものです」
と問いかけられたのですが、それに対して祖父は、
「いえ、そういうけっこうな書物がある事は聞いておりましたが、未だ拝見したことはござんせん。
芸が出来上がるまで、決して見てはならないと父にかたく止められておりましたので。・・・・・
しかし、(ちょっと考えて)もういいかと思います。が、私なぞが拝見して解りますでしょうか」
と答えます。

 こういわれての白州さんの一行がまた、私は大好きなのです。
「私はいたく恥じいった。むろん本はそのまま持ち帰ったことはいうまでもない」

 祖父の「理屈より実践」を貫いたゆえの『芸』に対する揺るぎない自信と、
白州さんの『これぞ見識』としかいいようのない姿勢に、
私は読むたび、襟を正され、豊かな気持ちになるのです。