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「移りゆく正月風景」 宮本 常一 

2013年10月02日 23時27分38秒 | 民話の背景(民俗)
 「移りゆく正月風景」 歳時習俗事典  宮本 常一  八坂書房 2011年発行

 人々の年齢を満何歳でかぞえるようになって、正月はしだいにさびれはじめたという。
もとはみな正月にいっせいに年をとったものである。
しかし満何歳ということになると、生年月日はそれぞれちがっているのであるから、年をとる日も
一人ひとりでちがってくる。それだけではない。
ちかごろは都会でクリスマスがはやるようになり門松やささ竹、しめかざりなど、
クリスマスのまえにたてるふうが生じて、正月にはささ竹など、もうしなびてしまっているのが多く、
かえって正月をうらぶれてさびしいものにしてしまった。

 とくに、正月にはどこでも凧をあげたものだったが、電線がはりめぐされるようになって、
冬空を色どるさまざまの凧の姿がきえてひさしい。

 そればかりではない。年のはじめのめでたいことばをとなえつつ家々を門付けしてあるいた芸能人も、
近ごろはめっきりへった。
九州博多の町で、いま五月三日から五日にかけて行われているドンタクの行事も、もとは正月五日に
行われていたのである。昔は松ばやしといわれていた。
一月十四日に行われていたモグラウチなども、いまはほとんど見かけなくなった。
棒の先に藁(わら)をくくりつけたもので土を打ちつつ、モグラウチのうたをうたったもんだが、
おとずれた家に若妻がいると、そのモグラ打ち棒で女のしりをたたいた。
そうすると妊娠すると考えられた。 

 中略

 だが、愛知県三河山中で行われる花祭りは、そこが不便な山間であるためであろうか、
いまも昔ながらに夜を徹して、頭屋(とうや)の家で数々の舞いが行われる。
神楽(かぐら)の一種なのである。

 それも昔とはだいぶ様子がかわってきた。
昨年(昭和36年)正月、私は久しぶりに御園(みその)というところまで見にいった。
その日は臨時のバスも何台も出た。
小さなひっそりとした山村に、それほどの人がはいりこめば、夜はさぞにぎわうであろうと思ったが、
夕飯がすんで、舞いがはじまっても、舞い人以外に見物人は二、三人にすぎぬさびしさだった。
見物の客はどこへいったのだろう。
もおてゃ宵の口からにぎわったものだがと思っていると、十二時すぎてぞろぞろ出てきて、
舞殿(まいどの)のあたりはあき地も道も人でいっぱいになった。
宵の口はコタツにあたりながらテレビを見ていたのだという。
テレビが古い行事をしだいに侵蝕しはじめたのである。
それでも、テレビの方は十二時をすぎればやむから、それからさきでも花祭りを見ることはできる。

 舞いはそれから朝日がのぼり、やがて昼になり、夕方まで続いたのだが、
私はその終わりまで見ないで昼下がりに山を下りた。
 「みな出稼ぎにゆくようになって、舞う人だんだん少なくなってきます」
と、村の長老はなげいていたが、たとえ残っていくにしても、
老人と子どもだけで行わなければならぬようなことになるのではなかろうか。

 後略