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「大往生したけりゃ医療とかかわるな」 中村 仁一 その1

2013年10月20日 00時21分51秒 | 健康・老いについて
 「大往生したけりゃ医療とかかわるな」自然死のすすめ  中村 仁一著  幻冬社新書 2012年1月

 はじめに

 前略

 がんでさえも、何の手出しもしなければ全く痛まず、穏やかに死んでいきます。
以前から「死ぬのはがんに限る」と思っていましたが、年寄りのがんの自然死、60~70例を経験した今は、確信に変わりました。

 繁殖を終えた年寄りには、「がん死」が一番のお勧めです。
ただし、「手遅れの幸せ」満喫するためには、「がん検診」や「人間ドッグ」などは受けてはいけません。

 病院通いの年寄りが多いのは、私たちの同業者が、「健やかに老いなければいけない」
と脅し続けてきたせいもあります。
健康食品やサプリメントの売れ行きの凄さが、それを物語っているように思えます。

 本来、年寄りは、どこか具合の悪いのが正常なのです。
不具合のほとんどは老化がらみですから、医者にかかって薬を飲んだところで、
すっかりよくなるわけはありません。
昔の年寄りのように、年をとればこんなものと諦めることが必要なのです。

 ところが、「年のせい」を認めようとせず、「老い」と「病」にすり替えます。
なぜなら、「老い」は一方通行で、その先には、「死」がありますが、病気なら回復が期待できますから。

 人間は、生きものである以上、老いて死ぬという運命は免れません。
最先端医療といい、再生医療といい、所詮、「老いて死ぬ」という枠内での話です。
年寄りは、あまり近づかない方がいいと思います。

 あまり医療に依存しすぎず、老いには寄り添い、病には連れ添う、
これが年寄りの楽に生きる王道だと思います。

 年寄りの最後の大事な役割は、できるだけ自然に「死んでみせる」ことです。

 中略

 少し体調がすぐれなければ、すぐ「医者よ、薬よ、病院よ」と大騒ぎする人には、
「自然死」は高望みだということになります。

 後略