逞しきリベラリストとその批判者たち―井上達夫の法哲学 | |
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●現役を遠ざかった人々の口から迸る言葉に“真実”を見る
以下の東京新聞・共同通信の元最高裁長官・山口繁氏の集団的自衛権行使容認は、明らかに憲法違反と云う発言には、高村副総裁の我田引水、唯我独尊な屁理屈を看破しているのは痛快だ。しかし、この意見は、あくまでリタイアした最高裁長官の意見であり、それ以上でも以下でもない。アメリカが戦力の補完的役割を、自衛隊に請け負わせる“集団的自衛権”が、今後、最高裁判所において、どのような判断がなされるかは、それは別の話である。ただ、元最高裁長官が、合憲の根拠に引っ張り出した“砂川事件最高裁判決”と集団的自衛権容認問題は、まったく別世界のものだ、と言った点に、異論が挟めるのは、安倍官邸とアメリカ戦争屋たちだけだろう。
≪ 安保法案、元最高裁長官「違憲」 政府説明「論理的矛盾」
元最高裁長官の山口繁氏(82)が3日、共同通信の取材に応じ、安全保障関連法案について「集団的自衛権の行使を認める立法は憲法違反と言わざる を得ない」と述べた。政府、与党が、砂川事件の最高裁判決や1972年の政府見解を法案の合憲性の根拠にしていることも「論理的に矛盾する。ナンセンス だ」と厳しく批判した。
「憲法の番人」である最高裁の元長官がこうした意見を表明するのは初めて。自民党の高村正彦副総裁は、憲法学者から法案が違憲だと指摘され「憲法の番人は最高裁であり、憲法学者ではない」と強調したが、その元トップが違憲と明言したことは、波紋を広げそうだ。 ≫(東京新聞・共同)
しかし、人間と云うものは、面白いものである。元最高裁長官である山口繁氏が、仮の話、現役の最高裁長官であれば、無論こういう発言はないし、辞職後数年であれば、利害損得も多岐にわたるので、容易にこう云う発言は出来なかったろう。4代も前の長官であり、桐花大綬章も授与された当年82歳の元最高裁長官だ。つまり、何が言いたいかと云うと、山口繁氏にケチをつけているわけではなく、人間とは、解脱するまで、本当のことを口にすることが難しい生きものなのだと云うことだ。
筆者は、主に戦後のことしか判らないが、日本社会で、政治行政や財界において、エリート街道を歩むためには、第一にイデオロギーが反米でないこと、これが重要だ。次に、民主主義者であることが必要になる(本当の民主主義であるかは問わない)。次に、霞が関が構築した中央集権的管理社会のプラットフォームのシキタリを遵守することである。在野の経済人であれ、言論人であれ、報道人であれ、親米民主主義を容認する人間であることを表明した上で、残った部分で、特色を出さなければならない。これは、概ね不文律と言っても差支えないだろう。
まあ、逆張りの人生を選択することも可能であるが、エリート街道を歩む資格がありながら、逆張り人生を歩む人は稀で、エリートキャリアの5千人に一人くらいしか輩出しない。どうして、そのような事になるか、特に説明の必要はない。世の中のプラットフォームが、それを求めるからである。日本のエリートの多くは、自分を殺すと云う人生を送る。多くの人の場合、その行為の連続は、習い性のようなもので、詭弁であっても、自己防衛本能が働いて、自己抑制が、自らの選択であったかのように、自己暗示から、確信に変化してゆく。
しかし、時折、自分の中で、忘れることなく燻るように、自己の良識や徳を生き残らせていた人々は、利害損得の枠からはみ出して時点から、自分の生まれながらに持ち続けていた、自我を発露することがある。山口元最高裁長官も、そのような人であったろうし、解脱した小泉純一郎や細川護熙も、そのたぐいだ。小沢一郎や亀井静香などにも、その傾向はみられる。古賀茂明のような人物は稀な存在で、筆者などは希少価値があると思っている。
いずれにしても、日本エリートプラットフォームから逸脱しても、もう自分の人生に影響がないと思えた時から、良識や徳を持ち合わせていた人たちは、自分が見聞きしたことを含めて、「真実」を語るものである。小泉や細川は、解毒剤でも飲むように、これからの日本の方向性を語ろうとしている。悪徳な生き方をしてしまった人ほど、「真実」を語りたくなる傾向がある。中曽根康弘なども、もう少し、ボケてていいから、「真実」を語るべきだが、いまだに利害得失があるのだろう。そもそも、徳がない場合もあるのだが(笑)。松下幸之助、稲盛和夫、瀬戸内寂聴、五木寛之、水上勉、黒岩重吾、菅原文太、宝田明……皆さんも思いつく人が色々いるのだと思う。
ただ、我々が「真実」に出遭おうとするなら、解脱した人や解毒剤を飲むように、過去を否定する人々の、言説には、一定の尊敬を持って受け入れるべきなのだろう。受け入れるまでは行かなくとも、そういう事実もあるのかと云う知識教養くらいは身につけたいものだ。おそらく、これからの日本と云う国は、対米依存、対米隷属と云うジレンマと、どのように対峙していくかが、21世紀最大のテーマなのだと思う。筆者は、無理を承知の上でも、対米自立の道を模索する“蛮勇ある”政治家の抬頭を希求する。滅びゆくマンモスの悪足掻きにつき合っていても、先はない。先細りが確実な日本の生きる道は、欧米的価値観ではなく、東洋の国、太平洋に浮かぶ島国と云う立ち位置から、次の世代に世紀を渡すのが本道だと考える。
それがどのようなものか、そう云う議論の前に、対米依存で生きてはいけなくなる、と云う真実を、先ずは確認することだろう。人種差別や人身売買等々の人権に神経を尖らせる、アメリカンデモクラシーは、そのような事実が、自分たちの足元で厳然と存在し、永遠に解を見出せないジレンマだと白状しているようなものだ。島国、偏西風、東洋人、以上の三つの要素が、アメリカが不要な原爆を投下した、動かしがたい事実である。特に、原爆投下による被害云々の話ではなく、島国、偏西風、東洋人、以上の三つの要素は日本人が欧米社会とつき合っていく上で、肝に銘じておくべき、根底的本質論だと、筆者は残念ながら考えている。
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