戦場が見える島・沖縄 ?50年間の取材から | |
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●検証しない、責任を取らない社会 政府官僚の質は腐敗するばかり
“犬HK”はオリンピックの2年近く前から、ブラジルリオに自前の特設スタジオを開設、どんだけ経費が有り余っているか、世界中に知らしめているわけだ。現地報告をする“犬エイッチケー職員”は、ブラジル経済の落ち込みで、オリンピック会場の建設が遅れている、地下鉄、公衆トイレなどの設備の遅れも目立つ。なんとも愉しげに、ブラジルオリンピックが無事開催されるか、‥等と、したり顔で解説報道していた、ブラジル特設スタジオの男は、直ちに本国に戻り、競技場もエンブレムも、真っ新になってしまった、東京五輪の進捗状況を、世界に発信した方が、適時適切なのではないか?
リオの工事現場の杜撰さを報じる“犬エイッチケー職員”地球の裏側特派員手当まで含むと、年収は2000万くらいになるのだろう。経費節減と、日本の緻密で杜撰的行動計画を世界に報じる方が、余程価値ある公共放送の役割である。国際放送に力を入れると言っていただろう?それにしても、責任者は誰なんだ!五輪の組織委員長は誰だ?JOCの会長は誰だ?責任者は、責任を取れ!
東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の委員長は森喜朗元首相だ。森は“サメの脳味噌”で一世を風靡したジャパンが誇る“三馬鹿トリオ”の一人である。後のふたりはどうでも良いが、三本指の宇野宗佑、どぜう総理の野田佳彦。まあこの辺は、好みがあるので、ご自由に。森の場合には、三馬鹿トリオもさることながら、小渕総理が危篤状態で“あ~う~す~”の声を聞き、(森喜朗幹事長(森派)、青木幹雄内閣官房長官(小渕派)、村上正邦参院議員会長(江藤・亀井派)、野中広務幹事長代理(小渕派)、亀井静香政調会長(江藤・亀井派)の五人が雁首揃えて、小渕のいびきを聞き分けて、遺言を五人否誤認して、「あんたがやればいいじゃないか」との村上の発言により、後継総理に森喜朗が就任することが決まった。
しかし、非常に興味深いことは、青木幹雄、村上正邦、野中広務、亀井静香と永田町では、その後、幸運よりも不幸の方が多く襲った。一人、森は“サメの脳味噌”故に無傷で生き残り、安倍晋三にも一目置かれる存在になっている。青木幹雄、村上正邦、野中広務、亀井静香以上の四人には、それぞれに国士のニオイがあったが、森にだけは、何もなかった。ここが、彼が生き残るポインとだったのだろう。しかし、今度は、責任を取って貰いたいものだ。
次に控える責任者は、JOC(日本オリンピック委員会)の会長は竹田恆和だ。竹田恆和は、例の右巻き皇室の片割れと思われる自己陶酔型タレント右翼・竹田恒泰(自分のブログでは慶応大学卒)の父親だ。竹田恆和氏は、日本オリンピック委員会(JOC)会長(8期)も続けている、日本のオリンピックのドンのような存在であり、この人もこの一連の不祥事の責任を逃れられては堪ったものではない。今上天皇のはとこにあたるにも関わらず、父親恒徳王が皇籍離脱した後に生まれたため、皇族籍になったことはない。この悲運を慮った、何らかの政治的配慮だろうが、長期権力とは、何であれ副作用の強いもの、丁度辞めて貰うには、いい機会ではないか。
どこの誰が、責任者なのか、成功した時だけは、俺だ私だと云う発言が多くみられるが、線路の敷設工事も始まらない内から、基本設計図がコロコロ変わる。新国立競技場は、2012年の国際コンペで選ばれたザハ・ハディド案に決定したが、発表当初より、神宮外苑の意味をザガ氏が理解していたとは思えないUFOのようなものが選ばれ、ド肝を抜かれた国民も多かっただろう。この案は、建築可能なのか、金がかかり過ぎると、悪評判が立ち、安倍の政治利用も兼ねて、白紙撤回と相成った。週刊現代の取材では、当初最も有力だった計画に落ち着くとかなんだとか、いずれにしても宙に浮いている。そして、今回の馬鹿げた揚げ足取り競技会のように「ネット言論」に振り回され、白紙撤回だ。ブラジルの工事の遅れなど揶揄している暇はないだろう?犬エイッチケー職員諸君!
第二次世界大戦の、日本人による、日本人の責任論とか曖昧にしてきた性癖は、どの時代を輪切りにしても“金太郎あめ”のように、同じ構造が繰り返される。フクイチの事故でも責任が行政なのか、東電なのか、実に曖昧。この調子なら、政府・財務省・日銀の三馬鹿トリオが成就させる、日本経済の撃墜劇の責任者は誰一人裁かれず、どこの組織が、そこの誰が責任者なのか、判らず仕舞いになるのだろう。安保法制を国民の声よりも、アメリカ戦争屋の声の方が大切と、自衛隊員を差し出し、南スーダンやアフガンの平和維持活動と云う名の戦闘地域に派兵して、死傷者を出しても、誰にも責任がない体制作りだけは、堅固にしているのだ。
室町時代の以前からだろうが、天皇を取り巻く勢力が常に物事を決め、平民の多くは、政は別世界の話だとして、「お上」と云うものを認識する民族であり、文化が渡来した、中国や朝鮮半島も、同様の官吏による「お上」と「官吏」のための社会体制があったわけだが、その伝統文化も引き継いだ。その意味で、日中韓北朝鮮に住む人々は総体的に「お上」意識は強い。中韓は、様々な陸続きの支配と云う変遷を通じて、「お上」意識は消えてきているが、四方八方を海に囲まれた、我が国日本は、「お上」意識は今も厳然と残っている。お上と官吏、今の日本では、政府と官僚と云うかたちになる。この人々は、様々な施策や管理義務違反を冒しても、人事異動や権力の座から降りるだけで、だれも責任を取らないシステムが堅固に出来上がっている。
これでは、議論をすること、議論の末、出た結論、それらに対して、時限的責任を持っているだけで、その地位を離れれば、免責の世界だ。しかし、利権の方だけは、現役時代にも大いに使い、退陣や異動後も、その追及を止めないと云う、悪しき体質から一歩も出る気配がない。時折、個人や、民間企業から、裁かれる者、「魔女役」が登場して、マスコミを通じて、国民総出で袋叩きにする。その壮大な無責任の中で、些末な魔女を出すことで、大衆の溜飲を下げさせる。こういう、歴史を繰り返す限り、日本が、アメリカとの関係で、立場主義に徹し、責任者を出さない、責任の所在をハッキリさせ、緊張感のある、論理的で、合理的で、倫理的な為政その他を望むことは、無理なのだ。或る意味で、常に戦勝国アメリカの存在が隠れ蓑的な「モンスター魔女」として、都合よくも使われていると推量する。
報道危機の時代 報道の正義、社会の正義 PART 2 | |
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