藤原愛子の日常茶飯事

前稲城市議・藤原愛子のもろもろな日々

じゃがらもがら

2016年07月18日 | 日々の活動


 いま、東京は都知事選の真っ最中。

 
 テレビでは、主な立候補者三名の選挙戦情報一色ですが、たまには他の立候補者のことも取り上げるべきでは?と思っています。



 話はかわりますが、先週は所属委員会で視察研修に行って来ました。


 稲城市議会の視察は、世の中で喧伝されているような、お金(税金)を多額に遣った半分遊び、のようなものではなく、まあ質素なホテルにごはんです。もちろん、それで十分なんですよ。


 視察の内容は「介護と医療の連携」なのですが、いわゆる<在宅で身体介護だけではなく、医療サービスも>というシステムづくりです。

 我が家の母のケースもそうですが、どうにかこうにか診療所に連れていって診てもらえるうちは、がんばって車やタクシーで通ってます。

 でも、もうキツイ。介護度4や5では病院や診療所に行くのは困難になってきます。


 そこで、昔でいえば「往診」でしょうか。かかりつけのドクターが家に定期的に来てくれる。

 さらに、地域の包括支援センター・介護の事業所・薬剤師・内科だけでない、歯科や口腔科、あるいは神経科。そして病院が連携して一人の人を支援するシステムです。



 今回、福井県の坂井地区(あわら市と坂井市の連合)と、名古屋医師会に学ばせてもらいました。


 そこでわかったことは、人口に関係なく、「在宅医の確保」と「患者さんの情報管理システム」が課題、ということでした。

 12万人の坂井地区も、230万の名古屋市も、そして8万8千の稲城市も。


 もちろん、介護される本人と家族の生活全般をいかに豊かなものにするか、という大きな課題はありますが、今後も高齢化が進めば、在宅医療と在宅での看取りは欠かせないものとなりますから、介護と医療の連携システムの確立は急がれるところです。


 と、そう思っている私ですが、ふと、もっと先のことを想像してしまいました。

 
 今すでに、高齢の方の一人住まいが増えています。

 これから先、結婚しない人が増えてその人が高齢になる。 一人暮らしになる可能性が高いです。

 介護を受ける状況になって、在宅で医療も受ける。

 でも、家で看取る家族はいない・・。


 そうなると、自分の意思に反して病院で最後を迎えることになるケースが、また増加せざるを得ない、という将来が来てしまうのでは?と。

 グループホームのような所が多数必要になるか、あるいは富山方式のようなところで、血のつながりの無い人たちに温かく見守られながら最後を迎えるか・・・。


 現在の課題である、在宅医と多職種の情報連携がうまくまわるようになると、また、次の課題が早晩でるのでは?と感じております。



 先日、中学校の同期会があった時に、「私たちの老後はどうなるか」という話題になりました(もうそんな年に!)

 もう、介護保険はいっぱいいっぱいになって、新しい制度ができるかも、と言う話に。


 「姥捨て山」制度。


 ある年齢になると、一見豪華なバスか何かにみんな乗って、すごい景色の良い崖っぷちに連れて来られる。


 そして・・・。


 山形県にある、昔の姥捨て山「じゃがらもがら」に行ったことがあります。

 正確には、行こうと思って途中まで行ったのですが。

 山道を車で登っていくにつれて、夫も私も息が苦しくなってきて、途中で断念したことがありました。


 いくら高齢になっても、意志に反して途中で命を絶たれるのは理不尽なことです。


 そのようなことが無い、最後までその人らしく生きることが出来る支援を考えることが、私の仕事なのです。



 
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