藤原愛子の日常茶飯事

前稲城市議・藤原愛子のもろもろな日々

うわあ-,皆さん!

2009年05月02日 | 日々の活動
 まあ!私のつたないブログで、皆さんとの意見交換があって、ありがとうございます。色んな人がいろんな考えを述べ合う場に利用していただいて。なんだか<みなみやまコーナー>になってるけど、大きな問題なんで、うんざりしてる方がいらしたらゴメンなさいね。
 taroさん、コモンズ案は、確かに学習会を重ねて出たものかもしれませんが、会の中でもっと練ることが必要だったと、私は思ったのです。<市民の案>とするには、突然とうけた会員が多数いましたよね。詳しい経緯はここでは述べませんが、{コモンズ}という名称が一人歩きする可能性がありました。
 実際、はじめの案では、50ヘクタール以上の緑地保全案が出ました。今は奥畑谷戸のみか(5ヘクタール以下です)計画地区外でも、と大変な変わりようです。これは、風のウワサとかでも、私の想像でもない事ですよ。今後具体的に話合っていかれると聞いています。是非、このブログを利用して、具体案や組合との話し合いの状況をお伝えくださると嬉しいです。お願いいたします。あ、これはホントのお願いで、taroさんに喧嘩ふっかけているわけではないんですよ。
 私はおっしゃる通り、皆で意見と知恵を出しあって、南山のことなんとかしたい。いやいや、高く売る為の考えをお持ちの方ともお話したいけど、私はそっちには傾きませんけどね。地権者さんたちが痛手をこうむらない立場は取りたい。
 またこんな風にかくと、「いまさらノンキに言うな!」とおっしゃる方がいるかもしれませんが、でもちっとも遅くないと思います。第一期工事30ヘクタール分が、11日にスタートしても、まだ、みなみやまは現に私たちを黙って見下ろしています。
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4 コメント

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拝啓 藤原さんへ (宇野)
2009-05-02 19:43:02
時間がない中での情報発信、本当にご苦労様です。また、藤原さんの議員活動のツールとしてのブログを通じて、藤原さんにとっては議員活動の一部である南山問題に関して一方的な書き込みという失礼をどうかお許し下さい。
(もしお時間があれば私のブログにもご意見いただければ幸いです。「徒然まちづくりコラム」でヒットすると思います)

それにしても、やはりお互いに気をつけたいのは、曲がりなりにも不特定多数の人が誰でも閲覧できる媒体ですから、出来るだけ誤解を招かないような正確な情報発信に努めませんかということです。釈迦に説法ですが言葉は独り歩きしますからね。公人ならなおさらなのではないかなと思います。あっ、これはそのまま自分も戒めているつもりですので気を悪くなさらないでくださいね。

>正直、南山を守る会の立ち上げをやった人間です。今、代表がコモンズ案を<市民案>とされていますが、その前の、なんとか保全しようという目的で、立ち上げたのです。(コモンズという言葉が突然出始めて、脱会しました。)

南山の自然を守る会の活動履歴やコモンズ案の出自、藤原さんが過去に会員だったことは良く知っています。何故退会されたかについては、色々噂は聞いていますが本当のところはご本人のみぞ知る話で僕には分かりません。いずれにしても、かつてご一緒に活動されていた守る会の方々と藤原さんの行動原理の違いは、自然への思いやりと他者への思いやりの両者を、今生かされている社会の中でどう折り合いをつけ、どのように実戦的かつ具体的に問題解決しようとしているかという方法論の違いなのではないかなと思っています。

自然なんか不要と考えている人間なんかいるはずもなく、問題はどのようにすればより多くの自然を保全することができるのかなという方法論の問題と、どのような形で保全することが自然へのダメージを最小化できるかなという計画論の問題なのであり、10年以上も前から、それを可能とするのは区画整理事業以外にないだろうと組合員の皆さんは判断され、今事業が進められているわけです。

18%という公園緑地率を確保するための7割近い減歩負担は、僕のつたないキャリアに基づけば組合員の皆さんが譲歩できるぎりぎりのところであることは疑いの余地がありません。そうした努力をも、そんなのはまやかしで私たちが求めているのはそんな自然ではない、もっと市民的議論をというのは、余りに無責任なのではないかな?という疑問が拭えません。市民的議論の重要性は組合はじめ誰も否定している人はいませんから、市長がどうのこうのではなく、いいことなのですから、結果的に「反対集会」としてみられるような集会ではない、ニュートラルな市民的議論の場をつくることをみんなで考えませんか?

さて、誰もがより多くの自然を残したいと願っています。それは組合員の方々も南山の自然を守る会の方々も、市民も皆同じです。本当にしつこくて恐縮ですが、今問われているのは、どのようにすれば南山の自然はより多くの皆さんに納得してもらえて喜んでいただける形で保全が可能かという問題なのであり、区画整理しないで地権者の方々の経済的問題や都市計画的課題をクリアしながら自然を残す方法、あるいは区画整理の事業計画の内容をこうしてもらえませんか?という具体的提案です。その具体的な提案がないところで、ことさら人心の不安を煽り民意を2分するような「やり方」だけでは、全くもって問題解決には結びつかないと僕は思うんですね。

守る会が現在選択している活動方針は、これまで苦労されてきた地権者に敬意を表し、南山に生きている人の手で守り育てられてきた雑木林や動植物、そしてその雑木林の恩恵を享受してきた市民、さまざまな問題をかかえた南山を何とかしたいと頭を抱えてきた行政…、多くの関係者がどうしたら心を傷つけないで南山の自然を未来の子供たちに残せるのだろうか。恐らく自らが生きていることの意味を問うまで考えに考え抜かれた末に、今、継続的に活動を続けておられるのだと理解しています。誤解されている人がいると聞きますからあえて書きますが、守る会の方々は組合から一切の金銭的支援を受けていません。

ことさら争うことからは(ここのところは重要で、藤原さんは争っているつもりがなくても、市村さんが代表を努めている団体のブログを通じた発言や、マスコミを介した開発を一方的に社会悪と決め付けるやり方、あるいは具体的対案を示さないで、ことさら区画整理の問題点を論うばっかりでは、そう思ってしまう人もいるということです)、人心に深い傷を残すだけで、地権者をはじめ稲城の善良な一般市民のコミュニティを破壊しかねない。それは守る会として望むところではないということに気が付かれたんだと思います。

そして運動の方向を、組合、行政、企業とどのように協働が可能かということに見定め、区画整理事業の計画内容を、守る会が望んでいる姿に近づけようと日々努力を続けておられるわけです。いわば、表現は悪いんですが、敵陣に深く介入することを通じて、区画整理事業の計画内容の変更を試みているわけですね(注:これは個人的見解です)。その選択はまさに苦渋の決断、妥協の産物かもしれませんが、南山の自然を守る会の代表者→会員の方々は断腸の思いで今、事業に向き合っています。僕も一介のプランナーですが、その思いにどうやったら答えられるか組合と守る会の間に立って何ができるのか模索しているところです。

藤原さんが選択された活動方針として想定されるのは、「そんなやり方では生ぬるい、私はついていけない」、「今のまま何もしないでまま残すべきだ」、あるいはいつも言われている「私は反対とは1回も言ったことがない。もっと市民的議論を」ということではないかと思いますが(間違っていたらごめんなさい)、それはそれで立派な決断だと思いますし、議員として民意を糾合しながら開発を止め開発の在り方を変えようという方法論についても否定はしません。

ただし、繰り返しになりますが、現状に対する正しい理解と交渉相手をリスペクトした上で議論を進めていかないと、世の中は残念ながら藤原さんたちが望むような市民的議論を成立させないものなのです。むしろ「うるせー奴だなー」と反発を招くばかりで相手にしてもらえません。

南山東部土地区画整理事業は地権者の9割前後の総意に基づいて進められているいわば民間開発事業です。1割の方々が納得されていることも事実ですが、法的にも市民との合意形成に不味いところはあったのかもしれないけれど、現実的には合法的に進められている。その行為に異論があるのであれば、事業者である組合にたいして、「このようにすれば事業者も市民もWINWINになりませんか?」という具体的かつリアリティのある提案を持って「組合さん、何とかなりまへんか」と頭を下げお願いしなければ、会話は成立するはずもありません。さもなくば、藤原さんが市長にでもなって、南山一山を税金で購入することの是非を市民に問うかです。

ちなみにおっさんこと鈴木さんが堀之内で約10年かかって具体化にこぎつけた堀之内寺沢里山保全地域も結局は地権者の合意と東京都の土地の買取という覚悟(税金投入)が保全地域指定にいたる生命線でした。ここに至るまでの人為は計り知れないものがあり想像も付きませんが、間違いなく具体的かつリアリティのある方法論です。

余談になりますが、僕は八王子でマンション紛争にかかわり運良く和解に導いた経験や今もある場所でマンション紛争の真っ只中にいますが、紛争が泥沼化してしまう大きな原因の一つに、住民側の事業者側に対する態度があると考えています。要は、目の前で進められている合法的建築計画を進めようとしている事業者を犯罪者扱いしてしまうわけです。これではまともな会話が成立するはずがありませんし、問題が解決するわけがありません。

藤原さんたちは望んでいないと思いますが、マンション建設に反対していた住民たちがそうであったように、結果的には今そういうあまり良くない状況を自ら作り出してしまっている。マンション問題の場合、最終的に裁判にもつれ込み、旧住民とマンションに引っ越してこられる新住民との間に何となくギクシャクしたいびつなコミュニティが図らずも生まれてしまいます。裁判に負けた(ほとんど敗訴)旧住民は負の遺産を背負ったまま何となく気まずい思いを胸にしまったまま生きていかざるを得ません。南山の自然は大切にされなくてはなりません。しかし物言わぬ自然のためだけにあるのではなく、豊かな暮らしを望む市民、地権者、新しくお迎えする方々のためにあるのです。人間が生きていくうえで自然の存在は不可欠です。どのように残すかと言うことが問われるゆえんです。

自己中心的な自然保護論に依拠した運動だけでは、あの時は頑張ったけど結局駄目でしたね、でお終い。闘う相手を失った闘士は、その後の街づくりには一切見向きもせず「世の中がまだ自分の考えに追いついていない」と一刀両断し、また他の闘いの対象を探します。そこでまた誰も求めていないコンフリクトを、善良な市民を巻き添えにしながら巻き起こし、自己満足の世界に浸るという方が圧倒的に多い。常に敵を作ることによって自己実現をめざすというやっかいな生き方ですね。

僕が知っている限り、どんなことがあっても地元で身体を張って活動を続けている尊敬に足る人物はおっさんこと鈴木さんぐらいです。みんな一見かっこいい正義を語るだけで、形勢が不利になるといつかいなくなっちゃいます。これを無責任と言わずして何と言うのか僕には適当な言葉を知りませんが、僕たちが未来に残していかなきゃならないことは実はそんな吹けば飛ぶようなことではないはずです。

聞くところによるとまだ一度も一人で組合を訪問したことがないというではないですか。今からでも遅くはないので、早急に組合を訪問されることをお薦めします。実現可能性のある対案をお持ちであるならなおさらです。組合の事務局の方々はきっと親身になって藤原さんのお話を聞いてくれると思いますよ。
議員としての責任 (アライ)
2009-05-03 10:29:53
反対運動を炊きつけるのが
あなたなりの議員活動なのでしょうが
ごみをわざわざ地区内に持ち込んだり、
工事看板に落書きしたり、
壊したり、
無断で現場に入って撮影した映像を
ネットに流したり、
そういった度を越した行動をとる連中を
あなた方、議員さんたちが
注意しないというのはいかがなんでしょうか。
あなたは、
どこに善良な市民を導こうとしてるんですか。
犯罪者への道ですか。
そういったごみや看板の後始末は、
全て地主さんたちが
行わなければならないんですよ。
Unknown (かとう)
2009-05-03 14:56:21
>{コモンズ}という名称が一人歩きする可能性がありました。

それは具体的にはどういった状況をさして言っておられるのでしょうか? 

>はじめの案では、50ヘクタール以上の緑地保全案が出ました。今は奥畑谷戸のみか(5ヘクタール以下です)

藤原さん、緑地として18パーセントなら16ヘクタール弱ではないですか。奥畑谷戸公園の数字のみを出して比較するのは議論のやり方としておかしいですよ。

>でもちっとも遅くないと思います

思想や信条の自由がありますから、藤原さんが何を信じて何を思われようが全く問題無いと思います。

例えば私たちは「宇宙人が存在しないという証拠が見つかっていない以上、宇宙人はいると思う」と信じたり、発言したりする自由があります。

しかしながら、政治家が「宇宙人は存在すると思う」という個人的信条をもって「宇宙人との話し合いが済んでいないのだから、宇宙開発関連の予算を執行する前に宇宙人との宇宙的論議を」と主張して予算凍結の動議を出すとなると、それなりの批判は覚悟すべきですし、その信条の科学的な妥当性・蓋然性を巡る議論にはきちんと応じなければならないでしょう。
Unknown (かとう)
2009-05-04 22:49:10
>もっと市民的議論をというのは、余りに無責任

そもそも藤原さんやmixiの南山コミュニティの方々が求めている「市民的議論」というものが何なのか、もう少しはっきりさせる必要があるのではないでしょうか。

少なくとも2001年から、南山問題に関心のある方々によって「守る会」が組織されて組合さんとの議論を続けてこられたことは事実ですし、前回の市長選では南山問題が争点の一つになって公開討論会も開かれています。市議会では岡田さんや荒井さんや藤原さんが建設環境委員会や本会議で10時間近い質疑をされました。また「里山掲示板」やこちらのブログでも活発な議論が続いておりますし、各種の市民イベントも矢継ぎ早に開催されています。

これらを「市民的議論」と呼ばないのであれば、何をもって「市民的議論」と呼ぶのか。私は充分「市民的議論」が行われていると考えますが、もしも藤原さんや荒井さんや岡田さんがそうではないと考えるのなら、まずは「何がどうなったら市民的議論が行われたと自分たちは認めるのか」を明らかにしていただきたいと思います。

>まだ一度も一人で組合を訪問したことがない

藤原さんのような経験豊富な政治家には釈迦に説法かもしれませんが、私は政治家の仕事はネゴシエーション、つまり対立する意見・利害の調整だと思っています。ネゴシエーションをするには双方の意見を充分に聞かなければいけないし、妥協案を双方に呑んでいただくには双方からの信頼を得なければいけない。

失礼ながら組合さんの信頼を得られていないという時点で、政治家としての役割が果たせないわけですから、現状では藤原さんは些か努力不足なのではないかと感じます。アライさんが指摘しておられるように、無茶なことをされる反対運動参加者を諫めることもリーダーの一人である藤原さんのすべきことでしょうし、組合さんとの間に一定の信頼関係を樹立することも、藤原さんが本来すべきことではないでしょうか。

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