藤原愛子の日常茶飯事

稲城市議・藤原愛子の議員活動報告

かとうさんへ どうも

2009年04月28日 | 日々の活動
 「かとうさん」という方が、コメントを下さってくれています。きっと、お忙しい中、下さっていると思います。ありがとうございます。
 私が四期も市議をやっておるなら、もっと前からやるべきとかのご意見や、緑の割合が多いんだぞ、とか、ご意見くださいますが、きっと、「かとさん」は、このブログで私のことを知ってくださったんでしょう。ですから、今になってやっていると思われても仕方ありませんが、正直、南山を守る会の立ち上げをやった人間です。今、代表がコモンズ案を<市民案>とされていますが、その前の、なんとか保全しようという目的で、立ち上げたのです。(コモンズという言葉が突然出始めて、脱会しました。)
 ここで詳細を書くのは、今は控えますが、とにかく最近のんきに言い始めたと思わないでいただきたい。
 そう、組合の<話し合い>に何故出なかったんだ、にお答えしておきます。確かに会派の部屋に組合の理事さん達がおいでになって、「懇談したい。」とおっしゃってくださいました。「会派の代表の出席を」と、お手紙を渡して下さったので、代表の荒井議員は、「是非、出席致します。」と口頭で、返事をさせてもらいました。ところが・・・
 その手紙を開けて、文を見ると、「反対運動をしている議員がいる。それについて話をしたい」(正確な文は今手元にないので、後でキチンといれますが、)という内容で、事業に関しての意見交換のセッテイではなかったのです。そこで、荒井代表は、<このような設定では無く、事業について、率直に意見交換したいので、この会には欠席させていただきます。>の主旨の手紙を組合事務所に持参しました。また、改めて話し合いを持ちたいとお願いもいたしました。
 しかし、組合の通信には、少々違う書き方になっていましたね。

 それから、緑のことですが、「環境影響評価書」を読めば、一目瞭然、今の緑は無くなります。再生緑地の話ではありません。現在生息している動物や植物が受けるダメージも大きいです。私は、人間だけの<緑>を言っているのでも無いし、キレイな公園のことを言っているのでも有りません。農家の方ともお話させてもらっていますが、存続が困難になるケースもあります。
 とにかく、軽いタッチのブログではありますが、そりゃ、キチンと調べて文にしているつもりです。前にも書きましたが、顔が見えないところでやりとりするのは、好きではありません。「かとうさん」、どうぞ私の文の断片との<会話>ではなく、一度お会いいたしませんか。
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8 コメント

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Unknown (かとう)
2009-04-28 13:04:24
なるほど、意見交換会についての立場については了解しました。

>一目瞭然、今の緑は無くなります

もともと「今の緑」そのものが大した歴史を持っていない植生ではないかと思うのですが。あまり現状の植生を特権視しないで良いのではないでしょうか。

歴史的に言えば多摩丘陵の植生はシラカシを中心とした広葉常緑樹林が何万年も続き、次いで農用林として落葉広葉樹へと変化。しかしながら江戸期の絵図を見ると、江戸時代には既に過剰利用によってアカマツがぱらぱらと生えている程度の殆ど禿げ山のような場所になっていたように判断出来ます(江戸期の里山が南山に限らず禿げ山に近いアカマツ林ばかりだったことは、絵図や文献史料の研究からかなり有力な説になっています)。

現在の南山の植生は燃料革命後に放置されて育ちすぎた落葉広葉樹、そしてアズマネザサの藪の類で、遠くから見れば確かに緑がこんもりと繁っていて良い感じですが、歴史的に言えば日本列島の里山が「落葉広葉樹を中心としたこんもりと繁った緑」であったのは過去40年ほどのことであって、南山の歴史上で見れば、殆ど一瞬のことでしょう。

白神山地のような原生林と、長年にわたって過剰使用されてきた農用林の植生は分けて考えるべきかと思います。

>現在生息している動物や植物が受けるダメージも大きいです。

それは確かに残念なことではありますが、それもまた上に述べたような歴史の流れの中にある一つの通過点に過ぎません。

また、近年新しく出てきた住宅設計思想(環境共生住宅)やその実践例を見ると、必ずしも住宅地が生態系と共存出来ないとは言い切れないのではないかと考えます。例えば宮本常一が『私の日本地図 多摩・武蔵野』で描写しておりますが、燃料革命以前の武蔵野の家々は、森(屋敷森)の中に家屋が点在しているような状態であったと言いますし、そうした「住宅地」が里山的生態系の中に共存してあったことは否定しようがありません。

住宅の周囲に小さな森を創り、その森の周囲に生まれるミクロな気候を利用することで、真夏でもエアコンが不要な住宅の施工例も既に存在しています。もちろん南山にそういった先進的かつ温故知新的住宅街が出来るかどうか現在では未定ですが、少なくとも頭から「住宅街が出来れば『人間だけの<緑>』になる」という、あれかこれかの二項対立的議論が既に役に立たない段階に来ている以上、そうした住宅地が生まれる可能性を広げるよう努力している現在の「守る会」の活動の方が私には妥当なものに思えます。

>「かとうさん」、どうぞ私の文の断片との<会話>ではなく、一度お会いいたしませんか

そうですね、近いうちにそうした機会はあると思います。
Unknown (かとう)
2009-04-28 17:16:46
>農家の方ともお話させてもらっていますが、存続が困難になるケースもあります。

もう少し詳しく具体的に教えていただきたいのですが。存続が困難になるとは、何の存続が困難になるのですか? 現在南山に農地を持っている方で、引き続き営農を希望されているけれども、換地の結果、営農が困難になるということですか?

もしそうなのであれば、区画整理事業が実施された後も営農が引き続き可能となるような対策を取っていただきたいものですね。
農、環境 (おっさん)
2009-04-28 21:53:09
きょう、、
多摩ニュータウンタイムズの社長さん横倉舜三さんに会ってきました。
横倉さんは多摩市の町会議員や多摩ニュータウン開発の推進派で知られてました。
平成狸合戦の高畑さんが多摩の情報の発信地は横倉さんでした。
横倉さんがジブリのあのアニメに協力した経緯は詳しくは知りませんが、やはり多摩丘陵の開発への反省もあったと思うのです。
俺の父が亡くなったとき横倉さんが筆舌で書いている。

http://www.tamatimes.co.jp/article/date/2002/12
[ 筆舌 ] 2002.12.01
農への叫びが聞こえるようだ
今年も様々な出来事があって間もなく2002年の幕が降りようとしている。
 多摩ニュータウンの開発に反対を表明してきた方として知られている堀之内の酪農家、鈴木昇さんが10月31日に亡くなった。
 いや反対と言うより、都市にも農業は必要だという主張を言い続けてきた人である。
 11月3日の葬儀に参列し、戻ってきて喪服を着替え食事をしながら孫の前でポツット弱音を吐いてしまった。「このニュータウン開発は失敗だった」と一言漏らしたのだった。開発に反対の急先鋒であった鈴木さんが亡くなって、推進してきた者として戦いは終わったように思われるが、鈴木さんの意思は息子さんにちゃんと引き継がれている。
 私も多摩の農家に生まれ育ったので鈴木さんの気持も理解でき、反省させられた一日となった。
 鈴木さん宅の周囲に今も残る豊かで静かな自然を目の当たりにして、私は「開発によって自然に恵まれた生活の全てを失ってしまった」かのような思いになっていた。
 現在の多摩は緑が再生し、自然が蘇ったように思うかもしれないが、私たちは開発前の過去の自然の生活が今でも脳裏から離れないでいる。それは私一人の思いではないだろう、多くの農家の思いでもあるだろう。
 それに引き替え鈴木さんは、開発に抵抗して農を守り抜いてきた。その力強い意思は決して自分のためだけではなかったように思えてならない。
多摩センター地区でも東部区画整理の審議委員として、また農業委員など長い間にわたって開発に役割を果たしてきた小林正治さん(80) も十月二十四日に亡くなった。多摩ニュータウンも今次の世代に移り変わろうとしているのだろう。
 多摩丘陵のスプロール化を防いで、道路や鉄道を開通させ、計画的で便利な街づくりには成功したもののソフトの面では長い伝統ある人々の繋がりを断ち切り、しきたりや習わしまでも壊してしまって再生出来ないところまで来ている。
投稿時刻:04:19 | カテゴリー:筆舌 | コメント(0)


誰にも反省という言葉に出会うことがある。
あれだけ多摩ニュータウンを推進してきた方が現実に進められて街づくりについて
疑問を持ち始め自分たちの町に問いかける行動は当たり前だと思う。

きょう、、
これからの多摩丘陵の町はどうあるべきかと問いかけたときに横倉さんも、、、
もう、区画整理のような開発は考えるべきで町にとって良いことは起こらない
だろうと同じ気持ちだった。
俺は、区画整理の細かなことで論じるつもりはない。もう、、
町の自然をいかに継続的に保全できるかを論じたい。
多摩丘陵の残り少ない自然は私たちの住むものにとってとても大切な
財産であり環境と感じるからだ。
賛成、反対というよりも、、、もう、、町のあり方を考え直そうよ、、、
これは未来にとって大切な財産なんだから、、、
みんなのものなんだから。

横倉さんは自分にとっておやじです。
Unknown (かとう)
2009-04-30 13:32:07
>賛成、反対というよりも、、、もう、、町のあり方を考え直そうよ

鈴木さん、南山東部地区区画整理事業を巡る議論の論点は「賛成、反対」という二者択一ではないはずですよ。

藤原さんにしたところで「私は、みなみやまに関して、ひとっことも反対と書いていないですよ。」とおっしゃっておられるわけですし、私も事業に賛成というわけではありません。私は、みなみやまに関して、ひとっことも賛成と書いていないですよ。

私が問題視しているのは事実に基づかない曖昧で情緒的で非科学的で非現実的な議論によって市民の間に感情的な亀裂が広がることです。ですから藤原さんにはまともな査読誌に論文を投稿されてはいかがですかとお薦めしているわけですし、現実的で具体的な対案を独自に練り上げて組合に提示されてはとご提案しているのです。

つまり、私が問題視しているのは、不適切な議論の進め方と、その悪い影響としてのコミュニティの分断なのであって、実際のところ南山東部地区区画整理事業の是非は私は全く論じておりません。
おっさんへ (宇野)
2009-05-01 11:33:21
藤原さん 
人様のブログで個人的な会話をお許し下さいね。

横倉さんは僕も良く知っています。多摩ニュータウンでコーポラティブ住宅の参加者を募集していた頃、「多摩ニュータウンタイムズ」に定価よりも随分安く募集案内広告を載せてくれたり、竣工したとき記事にしてくれました。

引用された横倉さんのコラムは僕も読みましたが、お年を召されて感傷的になられている気持ちは伝わってきても、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。

新住宅市街地開発事業にしろ区画整理事業にしろ、農業を生活手段として生きてこられた地権者の方々がニュータウン開発によってどのような恩恵を受け、そして何を失ったのか僕は不勉強で正確には知りませんが、多くの地権者が提供してくださった礎の上に今僕たち21万人の人間の暮らしが成り立っています。その中には当然地権者の方々も含まれている。

横倉さんが指摘されている「長い伝統ある人々のつながり、しきたりや習わしが壊れてしまった」というのは分からないでもありませんが、それって何がまずかったのかな?

コラムの行間には「責任は農業を捨てさせ土地を奪い去ったニュータウン開発にある」という言葉が隠されているような気がしますが、横倉さんが最後に含みを持たせている「再生できないところまできている」と言う評価は、そのまま「どうやって再生するか」という問いに置き換えられ、それに答えていくのが地権者をはじめ21万人のテーマであると伝えたかったのだと思います。

開発を通じて現金と御殿を手に入れた地権者の方々が時代の大きなうねりに翻弄され時代から取り残されていると言う指摘は僕の関知するところではありませんが、人間は生きていくために工夫を重ねていかざるを得ない。現に時代に翻弄されながらも地域で成功している人もいます。

>俺は、区画整理の細かなことで論じるつもりはない。もう、、
町の自然をいかに継続的に保全できるかを論じたい。
多摩丘陵の残り少ない自然は私たちの住むものにとってとても大切な
財産であり環境と感じるからだ。

つまりおっさんは区画整理ではない方法で自然を保全したい。その方法論について論じたいと言われているわけですね。それを実現するのは、何度も恐縮ですが、多くの地権者の理解が得られる実現可能性のある方法が不可欠です。南山に土地をお持ちの方々が皆さん裕福で、あの山はあと10年、20年放って置いても(これまで納税した320億にさらに10億払い続けても)痛くも痒くもない。良い方法があったらじっくり考えてよというのならまた話は別ですが、おそらくそれはほとんどないでしょう。

おっさんだけではなく、自然保護を訴えられる人はよく、自分たちの経験や非常に限られた認識に縛られていることに全く気がつかないまま、自分の価値観をスタンダードだとして、周りの全ての生き物と人間に押し付けようとすることが多いのですが、そうじゃないと思っている人もまた現実にいるということにも思いを馳せないと、単なるエゴの押し付けになってしまう。人間って基本的に自己中心的な生き物ですから自由なんですが、そういう思いが行き過ぎるとどうなるかはこれまでの歴史が証明しています。誤解されると困るんですが、自然なんかなくても良いということを言っているのではありません。

あと、忘れてはならないのは、横倉さんが指摘されているまさに「ソフト」です。保全された自然を管理運営していく仕組みです。これを抜きに現代における都市近郊の里山の保全は語れない。もう一度里山からの恵みで生計が成り立つような時代に逆戻りするなら別ですがそれは人間の暮らし方そのものを激変させない限りありえません。

あと、これまでの街づくりに決定的に欠けていたのは「地域経営」と言う視点です。まさに横倉さんが指摘されている多摩ニュータウンに欠けていたことですね。誰かが何とかしてくれるだろうではなく、自分たちの街は自分たちで守り育てるという視点です。上手くいっているところはまだまだ少なくこれからですが、十羽一絡げの地域サービスではなく、その地域にしかない個性を磨き、外部経済を上手に使いながら経済の内部循環を促す地域経営を目指そう。南山ではこのような企業体の組織化について地権者の方々が主体となって検討をしていこうとしています。
仲良くやりましょうよ。 (taro)
2009-05-01 22:02:46
少なくともコモンズ案は突然出た案ではないと記憶しています。

2001年7月に守る会を立ち上げてから、名前の通り反対色が強いイメージがありますが、地権者、新住民(守る会)が対立する方向は避けよう、反対だけは何も生み出す事はできないと考え、2001年10月から各専門家を招いて学習会を実施したことはご存知だと思います。その流れから開発か保全かの二項対立的な捉え方から脱出できる案としてコモンズ案が生まれたと記憶しています。

評論家のように外部から区画整理を眺めて裁断することは可能ですが、誰もが本当は外部にいたわけでないということに悩んでいました。区画整理によってできた街に住んでいる自分・社会はそのことに対してすでに同意を与えてきたはずです。区画整理は強引な面があると思いますが、区画整理の法律やら決め事が悪法なら国に直訴するべきではないでしょうか。

現在プランナーの方が既存のフレームなかで何ができるかと悩んでいます。
場合によってはフレームを壊すかもしれません。並大抵なことじゃないと思います。

「開発の中で緑の保全」は非常に分かりづらいことは事実です。
自分の中の自然保護の概念が足場から崩れてしまう恐怖もあるかと思います。
ですから「開発の中で緑の保全」なんてありえないコモンズ案なんて訳がわからんと
思考停止して辞めていくことや批判することも自由なことだと思います。
先日もある方から、「自然を守る」は偽りだから肩書きを外せと言われましたが、
「開発の中で緑の保全」は「あり」だと思いますし、思考停止せず絶対に考えていかなければならいと思っていますので、いやだと答えました。
その後殴り合いのケンカになりました。(冗談)

私も市民連絡の立ち上げの頃参加していましたが、コモンズ案について訪ねたら、A議員がよく通る声でそんな案を議論すると参加している人達が混乱するからやめてくれと一蹴された記憶があります。みなさんがどんな風に考えているか知りたかったのですが。。

まだ南山の運動しているんだ?とかある議員さんは「南山ばっかしやってられないよ」とか「その話は振らないでほしい」とか「あの工事はやっても地獄、止めても地獄だよ」など勝手に自滅すれば?みなたいな頃が今となっては懐かしいですね。

コモンズ案は完成(完璧)されたアイデアではありません、常に試行錯誤して状況に合わせて進化(改訂)していくものだと思いますので、昔と言っていることが違うじゃんと思われることがあるかもしれません。

「開発の中で緑の保全」は「あり」だと思います。光と影は、対立するものではなく、私たちの立ち位置によって変化し反転する、ひとつのものの両面である。とんでもない考えですかねぇ。。

ちなみにコメントは守る会のコメントでなく私個人の考えです。


今、生きてる (おっさん)
2009-05-04 03:30:14
>横倉さんが指摘されている「長い伝統ある人々のつながり、しきたりや習わしが壊れてしまった」というのは分からないでもありませんが、それって何がまずかったのかな?

自分が多摩ニュータウン学会で一番思うことです。
市民は皆、同じ立場です。
しかし、多くの新住民が参加されてる学会で多くの地権者である既存の人達の悩みや取り組みを本当に理解していかない限り、、ここ多摩ニュータウン周辺の人のかかわりがうまく重なりより良い街づくりは期待できない気持ちにいつもなります。
特に、NPOの富永さんと関わることや楽しくやっていくことができたのは、、この点だと思っています。
自分にとって、宇野さんとのかかり方の違いや
街づくりの大変さはわかりますが、街づくりの基本が変わることを自分は常に思いながら、、
南山で楽しく関わってる高校生や自然を愛する
人の応援をしたいだけです。

Unknown (かとう)
2009-05-04 17:26:01
>多くの新住民が参加されてる学会で多くの地権者である既存の人達の悩みや取り組みを本当に理解していかない限り、、ここ多摩ニュータウン周辺の人のかかわりがうまく重なりより良い街づくりは期待できない

私も多摩ニュータウン学会会員ですし、鈴木さんがおっしゃる意味もわかります。そもそも鈴木さんご自身が誰に文句の言われようもない素晴らしい街作りの実績をお持ちなわけで、

>南山で楽しく関わってる高校生や自然を愛する人の応援をしたい

と考えられたのならば、むしろそうした方々が「地権者である既存の人達の悩みや取り組みを本当に理解」する方向に向かう最良の導き手にもなれるのではないかと思うのですが・・・

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