藤原愛子の日常茶飯事

前稲城市議・藤原愛子のもろもろな日々

そして、これからも

2015年03月13日 | 日々の活動
 

 前回 「議員の見分け方」をお話ししましたが、稲城市に限った話ではない、とのメールをいただきました。

 まったくもって、残念で腹立たしい話ですね。


 
 三月も半ばになりました。

 三月十日は、東京大空襲のあった日です。今年90になる母が、新宿で燃える電車を放心状態で見た日。

 三月十一日は、東日本大震災。

 三月十二日は、私たち夫婦の結婚記念日。 ちょっと関係ないですね。

 でも、だからこそ思うのです。 夫が花束を持って帰ってくる幸せを。共にごはんを食べられる幸せを。



 三月七日の日に、3.11をわすれてはいけない という集まりがありました。

 そこに楢葉町の住職さんがいらして下さって、まちの状況・原発のひどさを語ってくださいました。

 ずっと、福島に原子力発電所ができるという時から、反対運動をされていた。

 「絶対安全です」と言う大きな力にねじ伏せられるように、原発ができた。

 「いつか絶対事故がおきる」と思っていたことが、現実になってしまった。


 ふり絞るように語る早川さんに、「その運動継続の力はどこから来るのですか。お寺の仕事も続けておいでですか」と、質問された方がいました。

 早川さんは、

 「テレビでお笑いや落語、音楽を聴くと、無性にはらが立つ。笑えないのです。これも原発の事故、震災を経験してしまったから」

 そして
 
 「逃げた方が唯一お位牌を持って・・・」  そこまでおっしゃって、続かなくなってしまいました。

 肩を震わせ、下をむかれたままの住職さん。  長い沈黙・・・。


 
 しばらくしてようやく顔をあげられて「ですから、寺の仕事はできてません」とおっしゃいました。


 
 まだまだ、心に受けた深い傷はそのままなのだと、改めて感じました。

 そして今だから、やっと話せるようになったこともおありなんだと思いました。

 
 私は、確かに日常はテレビを見て笑い、今は自分のことで動いています。でも。


 ちゃんと覚えている。 忘れない。  これから先、自分ができることをやる。 と決めています。

 それを自分に課していかないと、いけないと思うのです。

 決していいかっこしい、ではないつもりです。


 震災にあった方だけではなく、すぐ近くにたとえば事故にあった人、なにかで困っている人、悲しんでいる人がおられたら。

 何か力になれないか。 少しでも痛む心に沿えないかと、きっと皆さんも思っておられますよね。
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