アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

在野チベット人権運動の新たな広がり

2008年03月23日 22時55分22秒 | 北朝鮮・中国人権問題
 この間のチベット問題に関するニュースを見ても感じた事ですが、この問題も、ある意味においては北朝鮮・拉致問題と同様に、日本の政治やマスコミ論調の本質を炙り出す「合わせ鏡、試金石」として機能しているのかも知れません。

 まずマスコミ報道について。テレビでも新聞でも、確かに「中国政府によるチベットの民族抑圧」を批判はしています。中国側の公式発表ばかりではなく、ダライ・ラマやチベット亡命政府の見解も紹介はしています。その限りでは、公平・中立・客観的な報道姿勢であると、言えなくもありません。しかしその割には、暴徒の銀行・商店襲撃の映像ばかりを何度もテレビで垂れ流している様に感じてなりません。そして、今回の民族暴動の背景ともなったチベット動乱の歴史や、その他のウイグルなどの中国国内の少数民族問題については、殆ど取り上げられていません。
 それには、確かに中国側の情報操作の影響はあるでしょう。しかしそれでも、インドにはチベット亡命政府が存在し、チベットの人権問題に取り組むNGOも全世界で活動しているのですから、そこからきちんと取材していたら、こんな暴徒映像の垂れ流しにはならない筈です。これはイラク戦争に関するニュース報道でも感じる事ですが、一応はアルジャジーラの記事なども紹介して一見公平・中立を装っているかの様に取り繕いながら、実際に流すのは「テロと戦う米軍や中国政府の映像」ばかりで、後はタリバンやアルカイダによる公開処刑の話などでお茶を濁して、テロの歴史的な背景やそれを生み出す社会構造の矛盾については、殆ど報じられないか、お座なりにしか扱われません。これでは、ただ単に視聴率稼ぎのセンセーショナリズムに走っているだけではないですか。かつてのベトナム戦争報道と比べると、その報道姿勢の劣化ぶりは、もう覆うべくもありません。
 これでは、視聴者はせいぜい、「中国政府の言う事は如何にも嘘臭いが、デモも何だか凶暴で、これではどっちもどっち」「中国やチベットはまだまだ治安も民度も低い、それと比べるとまだ平和で自由な日本に住んでいてつくづく良かった」となるのがオチです。ひょっとして、それが政府・財界・マスコミの本当の狙いなのかも。それでなくとも、年金・後期高齢者医療制度・イージス艦衝突事故と不祥事続きで、福田・自民党政権の支持率がどんどん下がっている折りですから。中国とは今後もずっと「持ちつ持たれつ」の関係を保持していきたい。人権問題と言ったって、日本もずっと戦争責任に頬かむりして、海外から叩かれた時だけ上辺だけの謝罪で済ましてきた訳だし、国内の格差社会の広がりについても、「持ちつ持たれつ」で知らん顔して来たのはお互い様なのだから、と。

・チベット暴動、数百人を拘束か(TBS)
 http://news.tbs.co.jp/20080317/newseye/tbs_newseye3806262.html
・中国国営メディア、チベット暴動で24人を逮捕し四川省暴動で警察が発砲したと報道(FNN)
 http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00129400.html
・「中国はオープンに」 チベット問題で高村外相が苦言(産経新聞)
 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080318/plc0803181845013-n1.htm

 チベット・ウイグル・モンゴルなど中国周辺の少数民族は、周辺の中国・ロシアを始め、近代以降は欧米や日本も含めた大国同士の確執の中で、常に翻弄されてきました。ウイグルにおける東トルキスタン共和国の建国から滅亡に至る悲劇など、その代表的な例です。当該地域の中では唯一今も独立を保持しているモンゴルにしても、たまたま時の運や指導者の資質に恵まれたから今日に至っている訳で、ウイグルやチベットとの差は紙一重だったのではないでしょうか。そういう意味では、クルドやアルメニアの悲劇とも通じるものがあります。
 旧ソ連も中国も、共産党創立や革命当初の時点では民族自決権を承認していた筈です。何故なら、共産主義とは本来、資本家や帝国主義による搾取から、労働者や植民地の人民が解放される事を目指したものだからです。事実、ポーランドやフィンランドは、ロシア革命を契機に第一次大戦後に独立を勝ち取りました。しかし、実際にはソ連でも中国でも、革命以前の大ロシア民族主義や中華思想や、その他諸々の封建的・反民主的な思想が、革命後も形を変えて引継がれました。そうしてやがて旧ソ連も中国も、「被抑圧階級・民族解放」を掲げた革命当初の理想からは、次第にかけ離れたものに変質していきます。
 その中で、中国とチベットの関係も、かつての自由加盟・離脱自由を前提とした「民主自治邦」としての位置付けから、中国の政治的・経済的優位を前提にその枠内での民主化や民族自治を保障した「17ヵ条協定」の段階を経て、周辺チベット族居住地域(アムド地域=青海省、カム地域=旧西康省)の中国本土への併合や、チベット自治区内での中国同化政策の推進によって、その表向きの自治すら次第に切り縮められてきたのです。(尚、この辺りのより詳しい経緯については、下記リンク、取り分けウィキペディア「チベット」の中の、中国との歴史的関係の項目を参照の事。)
 そして、中国以外の大国も国際社会も、かつての日本のノモンハン事件の様に、自分たちが中国に代わってモンゴルを支配しようとした以外の他は、東トルキスタンやチベットの運命については一顧だにしませんでした。これら小国の運命なぞ、中国市場の巨大な魅力と比べれば、大国にとっては取るに足らないものだったからでしょう。この国際社会による無視については、アフリカ・ルワンダにおける部族対立の悲劇とも通じるものがあります。これが、今日に至るまでのチベット問題の、そもそもの背景なのです。

・チベット・サポート・ネットワーク・ジャパン(TSNJ)
 http://www.geocities.jp/t_s_n_j/index.html
・ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
 http://www.tibethouse.jp/home.html
・チベット(ウィキペディア)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88

 この問題については、はっきり言って日本共産党も、歯切れの悪い事この上ありません。共産党機関紙「赤旗」の扱いも、国際面での二段記事がせいぜいで、それも新華社からの配信記事とチベット亡命政府・人権NGOからのインタビュー記事との並列という形を取っています。日本共産党といえば、世界の共産党の中でも自主独立路線を鮮明にしてきた党の一つであり、かつての旧ソ連によるチェコ・スロバキア、アフガニスタンへの侵略や、中国の天安門事件についても、仮借なき批判を加えてきた筈です。少なくとも、こんな一見公平を装った「両論併記、どっちもどっち」の様な扱いはしなかった筈です。
 「中国側の情報操作もあって事実経過がはっきりしない」というのあれば、尚の事、情報公開や国際調査団の受け入れを中国側に要求すべきなのであって、こんな「両論併記」の言い訳にはならない筈です。若しこの「両論併記」の煮え切らない態度が、かつて文化大革命への評価や党内問題への干渉を巡って一時期鋭く対立してきた中国共産党との和解合意を優先したものだとするならば、共産党が掲げてきた自主独立路線も結局は、人権要求や搾取・抑圧廃絶の大義に基づいたものではなく、所詮は単なる自党本位のものに過ぎなかったというだけの事ではないでしょうか。
 内政不干渉や民族自決権の主張も、こと人権問題については「自党・自国の事ではないので関係ない」では済まされません。それは、基本的人権が、国家・民族の別を超えた、地球上の人間全てが享受すべき普遍的なものだからです。民族自決権もその基本的人権の中に含まれます。勿論、人権保障の具体的な形は、国によって様々であるべきです。米国や日本流の一方的な流儀が、そのままどこの国にも通用する訳ではありません。それを無理にごり押しすれば、イラク戦争みたいな事になります。しかし、誰が見ても明白な人権侵害については、それを国連の全加盟国によって承認された世界人権宣言の基準に照らし合わせて指摘する事自体は、内政干渉でも何でもありません。

・「死者は13人」/チベット自治区主席が発表(しんぶん赤旗)
 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-03-18/2008031807_03_0.html

 では右翼はどうか。チベットの人権問題に取り組んでいる人たちの流れは、国際人権団体アムネスティーの流れを汲むTSNJ(チベット・サポート・ネットワーク・ジャパン)などの人権NGOと、「チャンネル桜」「主権回復の会」「維新政党・新風」などの右翼系団体の二つに、大きく分かれます。但し末端の運動現場では、両者が互いに重なり合う部分も多々在ります。これら右翼系がチベット問題に取り組む事については、それが純粋にチベットの人権問題の前進に繋がる限りにおいては、私がとやかく言える事ではありません。しかし私個人について言えば、チベットの人権問題を支援する場合は、あくまでも前者の人権系NGOを通じてそれを行うつもりです。
 私から言わせると、かつての戦前日本による中国侵略や現代の米国によるイラク侵略を支持している彼ら右翼が、幾ら中国によるチベット侵略に抗議の声を上げた所で、それは少数民族の人権を本気で慮っての事ではなく、単に「敵の敵は味方」の論理で動いているにしか過ぎない事が、もう見え見えだからです。彼らも一応は人権を唱えますが、何かといえば、「国益」「国体護持」の為には個人の人権・人格なぞ犠牲になっても構わないと主張し、在日外国人の排斥を叫び立て、DV被害者救出運動さえも「古き良き家族制度の崩壊に繋がる」と妨害する様な人たちが、一体どの口でそれを叫ぶのかと思います。これは単なるイデオロギーの違いで済まされるものではありません。

・【ご報告】 「チベット人の独立・自由を支援する緊急抗議行動」に250名が参加!―「報道ワイド日本フライデー」(3月21日)にて放送!(チャンネル桜)
 http://www.ch-sakura.jp/topix/478.html

 そういう意味では、寧ろ私は、従来どちらかといえば左派系と目されてきた個人ブログ・サイトの中に、今の中国によるチベットの人権抑圧を非難する声が多く見られる事に、大きな希望を見出しつつあります。これは今や、共産党系や新左翼系や市民運動・ノンポリ左派系を問わず見られる現象である様な気がします。そして右派と目されるブログの中にも、「今の格差社会の中国には、中国共産党とは別の、真の共産党の出現が求められているのではないか」という、今までのネットウヨクとは一味違う意見が出てきている事にも注目しています。こういう流れが大きくなれば、今はチベット問題にはどちらかといえば及び腰の、共産党・社民党などの既成左翼も、やがてその姿勢を変えてくるのではないかと、密かに期待しているのですが。

・中国スターリン主義によるチベット人民虐殺を弾劾する(アッテンボローの雑記帳)
 http://rounin40.cocolog-nifty.com/attenborow/2008/03/post_d0f2.html
・少しずつチベットを知る(壊れる前に…)
 http://eunheui.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_2956.html
・中国、チベットで許されないことは、他のどこの国でも許されない(村野瀬玲奈の秘書課広報室)
 http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-658.html
・チベット自治区暴動への対応 中国政府の対応は誤り!(ポラリス-ある日本共産党支部のブログ)
 http://polarisjcpmetal.blog78.fc2.com/blog-entry-476.html
・チベット(荒木和博ブログ)
 http://araki.way-nifty.com/araki/2008/03/post_4b43.html
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マスコミも結構頑張ったのでは (三浦小太郎)
2008-03-25 07:58:09
今回、テレビに関してはプレカリアートさんの指摘は当たってると思います。ただ、わりと今回は、読売新聞、産経新聞当たりは頑張ってたと思う。勿論、特に後者には政治的立場からの思惑があることは否定しませんよ。ただ、かなりいい報道してました。

私は中国を批判したからいい報道だと言っているんではなくてね、読売は現地取材が出来ないから、例えば四川省成都の中国軍の写真を載せ、そこでの僧侶のインタビュー(決してチベット側一辺倒ではない趣旨のもの)を載せた。産経はペマ・ギャルポ氏に大きく頁を与え、現地取材が出来ないなら亡命者の声を伝えることでバランスをとろうとした。しかもペマ氏は(私はちょっと意見違うけど)中国政府を批判しつつも胡主席に立場をそれなりに理解するメッセージを発した。まあ、欧米メデイアと較べてどうこうは言えないけど、かなり今回新聞は頑張ったんじゃないかな。むしろ、こういう問題には映像メデイアよりむしろ勝次メデイアのほうが強いと言うことを明らかにしたんじゃないでしょうか。

TSNJについてもちょっと触れておきますと、ホームページを観ていただければ判ると思いますが、あそこは右から人権派まで、とにかくチベットを応援する団体ならはいってくださいという緩やかな組織なんですよ。だから、プレカリアートさんにはとても認められないような歴史観の人も入ってます。ただ、それは仲間うちの議論にとどめて外には出さない、外に向けてはチベット支援で統一する、と言うルールを各団体が守っているんです。そして、明確に自分達の主張を出したいときは自分達の団体や個人の責任でやる。全部がうまく言っているとは言いませんが、長いチベット支援運動の中での色々な矛盾を乗り越えて、そういう緩やかな連帯をつくれたのは良かったと思います。
返信する
Unknown (嶋ともうみ)
2008-03-25 22:52:11
>私から言わせると、かつての戦前日本による中国侵略や現代の米国によるイラク侵略を支持している彼ら右翼が、幾ら中国によるチベット侵略に抗議の声を上げた所で、それは少数民族の人権を本気で慮っての事ではなく、単に「敵の敵は味方」の論理で動いているにしか過ぎない事が、もう見え見えだからです。彼らも一応は人権を唱えますが、何かといえば、「国益」「国体護持」の為には個人の人権・人格なぞ犠牲になっても構わないと主張し、在日外国人の排斥を叫び立て、DV被害者救出運動さえも「古き良き家族制度の崩壊に繋がる」と妨害する様な人たちが、一体どの口でそれを叫ぶのかと思います。これは単なるイデオロギーの違いで済まされるものではありません。

 私もこれについてはあきれています。こういうのを右翼によるダブルスタンダードというのでしょうね。

 私のブログにも

>軍事大国のやったモン勝ちなのか?

などと書いてきた人がいますが、日本に軍事基地を置いているアメリカに対する抗議の気持ちは書かれてなかったですね。

~たしかな野党 支え続けて 上げ潮めざす!~
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何を以ってチベット解放とするか? (プレカリアート)
2008-03-25 23:17:50
 三浦さんどうも。TSNJの説明有難うございました。ところで登場ついでにお聞きするのですが、三浦さんは標題のテーマについてはどうお考えでしょうか?(尚これは別に三浦さんだけに限った質問ではないので、別に他の方が答えられても構いません)

 標題のテーマというのは、こういう事です。確かに中国共産党政府によるチベット進駐は真の解放ではありませんでしたが、では進駐以前のダライ・ラマの治世は人権が保障された民主的な社会だったのか?

 これはアフガンの例でも言える事ですが、「確かに米国のアフガン攻撃は侵略だ、しかしではそれ以前のタリバン体制をそのまま放置していたら良かったのか?」という問題があるでしょう。
 また、それに先立つ60年代当時のアフガンでも、既に旧態依然たる王制下で人民は困窮の度を深めつつあり、人民民主党などの反王制運動が広がりを見せていました。それらを背景に、70年代には共和制移行や左翼の政権掌握が為された訳ですが、これらも全て単なる「ソ連の傀儡」として片付けられるものでしょうか。
 私はそうじゃないと思います。問題は、それら土着の人民運動が、何故大衆に根付くまでに至らず、ソ連の介入やその後のイスラム原理主義の台頭に取って代わられてしまったのか?という事でしょう。

 チベットでも同じ構図が存在するのではないでしょうか。中国軍による「解放」以前にも、チベット社会には封建農奴制下の階級矛盾があったのでは。ダライラマの治世も、決して自由・平等・平和で民主的な社会だったと手放しで礼賛出来るものではなかった筈です。事実、プンツォク・ワンギェルなどによる土着の共産主義者たちの運動が、当時既に組織されていたのですから。
 問題は、それが何故真に実を結ぶ事無く、中国による武力制覇という形での「似非社会主義革命」に置き換えられてしまったのか。当然そこには中国による弾圧によるだけでなく、それを許してしまった土着共産主義者たちの未熟さもあるでしょう。それらが解明されてこそ、初めて「真の解放」への道が開けるのではないか。
 そういう問題意識を、私は持っています。勿論だからと言って、「ダライ・ラマはCIAの手先で、彼の言う人権・民主主義が全くのマヤカシだった」という気は更々ありません。ダライ・ラマがCIAからも援助を得ていたのは事実ですが、彼も彼なりに祖国チベットの解放(独立)と民主化を望んでいただろうし、その中で「猫の手も借りる」心境で米国からの援助を受け入れたのだと思う。
 しかし、「それが唯一の選択肢だったのかどうか」というのは、また別の問題です。ダライ・ラマの意図がたとえどうあれ、東西冷戦や中印国境紛争の当事者の一方につき従う事で、最後には大国に利用されてしまっただけではなかったのか。
 そういう事も、「平和主義者ダライラマvs悪の枢軸の中国」という単眼的な反共冷戦思考に囚われている限り、見えてこないのではないでしょうか。

 今この時期にこんな事を聞くと、人によっては直ぐ「お前は中国共産党の肩を持つのか?」と言われかねないご時世ですが、それでも重要な質問だと思うので、敢えてお聞きした次第です。

(関連資料)
・民族問題と共産主義について考える(アッテンボローの雑記帳)
 http://rounin40.cocolog-nifty.com/attenborow/2008/03/post_0eac.html
・[AML 18817] ダライ・ラマ14世に対する私の態度(AML)
 http://list.jca.apc.org/public/aml/2008-March/018331.html
・プンツォク・ワンギェルについて
 関連本「もうひとつのチベット現代史」の案内
 http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?isbn_cd=4750323179
 ブログ「北京趣聞博客」での記述
 http://fukushimak.iza.ne.jp/blog/entry/512649
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Unknown (三浦小太郎)
2008-03-26 16:58:16
ここはちょっと極論をいいますと、民主主義とか人権とかいうのは、アジアにおいては精々百数十年の歴史なんですよね。さらにいえば、人類史において、もう本当に最近出来たものと言ってもいいわけですよ。江戸時代は別に民主的ではないけれど平和でそれなりに安定していた(そうでなければ300年も続かないしね)のと同じように、チベットもチベット民族の伝統的価値観の中で暮らしてきたわけです。

その世界を物凄く美しく描いた本は、リンチェン・ハモ著「私のチベット」日中出版 です。これは本当にいい本でして、とにかく読んでいるとこんな牧歌的な世界が本当にあったんだなあと思いますよ。あと「智恵の遥かな頂」(角川書店)とか、チベット仏教の一番美しいものを感じます。ただ、こういう前近代社会は、人権とか自由とか言う近代的価値観とはある意味無縁な所があるんです。極論を言えばね。仏教的にいえば、ある意味人権なんて間違った傲慢な概念かもしれないから(ここは半分冗談と思ってね)他の方はわかりませんが、私はチベットはある意味中世社会であったと思うし、だからこそ近代社会にはない平和も信仰も続いたんだと思ってます。

そして、こういう風に自分達だけの価値観で、前近代的社会の中で生きていければそれはそれで私達とは全く違う幸福も調和もあるわけですよね。私達が幸福で、江戸時代の人は不幸だったとか言うのはかなり傲慢な考えで。ただ同時に、やっぱり19世紀から20世紀にかけて、地理的にも、そういう閉じた社会の中で生きていくことが世界情勢の中でチベットには許されなくなったわけですよ。日本もそうでね、江戸時代のままやって行くことはできず、攘夷で玉砕するより、開国と言うグローバリズムと近代を受け入れるしかなかった。そして、近代の自由とか人権とか個人の解放とか言う価値は、やっぱりそれを一度知ってしまえば、もう人類はそちらに行くしかないと思います。

そして、チベットは宗教的価値観が強固にあった社会だから、近代化を自分の文化伝統と合わせる形でゆっくりと行っていく道を取るのが一番幸福だったでしょうね。そして、私個人の意見ですが、仏教伝統に根ざさない社会改革って、あんまりチベットではうまく行かないと思うんですよ。プレカリアートさんたちが土着左派運動を評価するのはわかるんですよ。ただ、現実に民衆の共感はダライ・ラマ法王ほど得ることはできなかったと思う。

そして、民主主義や人権思想とチベット伝統との融合や、近代科学に触れて新しい視点で仏教を見直すことが出来るようになったのは、ダライ・ラマ法王を初め、インド、欧米に亡命する事によって目覚めていったのだと思います。そして欧米は欧米で、チベット仏教の思想に触れ、全く自分達の近代とは違う価値観があることを学んだんですよ。(まあ、勿論オウム真理教みたいな酷い誤解もあった事は認めますけどね)

そして、今のダライ・ラマ法王の平和路線というのは、これは中国制圧下で余りにも民衆が犠牲になった事と、あと、ゲリラ戦も辞さずと言う若いチベット人達の戦いが、結局アメリカ、時にはインド政府にも裏切られる形で犠牲が多すぎる事を経た上での、政治的に高度な選択の上のものだと思います。まあこの辺はね、私は以前別のところで文章かいてますからまあ気が向いたら読んでみてください。

あんまり答えにはなってないかな?
まあ、チベットについては、今でもこの本が一番スタンダードでいいと思う

雪の国からの亡命 ジョン・F・アベドン 地湧社

この本では、チベットゲリラの戦いと悲劇的挫折についても最もわかりやすくかかれてます。CIAとの関係もちゃんと書いてあって、しかも1971年にキッシンジャーが北京に行くと急に援助がきられた事、その後は悲劇的な運命が待ち受けていた事もちゃんと書いてあります。こういうスタンダードな本が中々入手しにくいんだろうなあ・・・
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Unknown (まこと)
2008-03-26 22:25:49
>[AML 18817] ダライ・ラマ14世に対する私の態度(AML)
>http://list.jca.apc.org/public/aml/2008-March/018331.html

については、同じくamlで「菩提」さんという方が反論を展開されていますね。

・[AML 18789] Re: ダライ・ラマのもう一つの顔
http://list.jca.apc.org/public/aml/2008-March/018303.html

私はこの「菩提」さんの意見に9割方は同感ですね。
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Unknown (todo)
2008-03-27 12:53:15
「革命のための哲学的武器」ならともかく、共産主義と基本的人権の整合性には無理があるのではないでしょうか。なんせすべては上部構造なんですから。
基本的人権はすぐれて法治主義的、ブルジョア民主主義的な概念でしょう。
オウエンの環境決定論なんかも人権どころか人格まで否定してしまうところがある。
地獄への道には善意が敷き詰められている・・とか。
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Unknown (todo)
2008-03-31 09:40:39
中国農民の耕地面積は日本のそれよりさらに少ないのだそうです。
 13億の人口圧力は相当なものでしょう。
具体的、文字どうりの意味で植民地を必要としてるのかもしれませんね。
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