下記は忌野清志郎のユーチューブ動画。上から順に「IMAGINE」「君が代」「あこがれの北朝鮮」。
前回のエントリーでソウル・フラワー・ユニオンに触れたついでに、つい最近亡くなったロック・ミュージシャンの、忌野清志郎(いまわの・きよしろう)の曲も幾つか聴きました。それまでは、清志郎の曲といえば「雨上がりの夜空に」しか知らなかった私ですが、上記の曲を聴き、改めて彼を見直しました。特に、最初の「IMAGINE」に込められたメッセージには感動しました。
しかし、最後の「あこがれの北朝鮮」については、人によって毀誉褒貶が大きく異なるだろうと思います。北朝鮮を徒にパロディー化、或いは美化するかの様な歌詞の部分に対しては、私も正直言って抵抗はあります。あこがれの対象を金正日体制と取る限り、確かにそのまま受け入れる事は出来ません。
しかし、そうではなく、対象を北朝鮮民衆と捉えるならば、「民衆同士ともに理解し合おう」という事で、何ら違和感はありません。確かに、前述のソウル・フラワーの「うたは自由をめざす!」よりは後退的な歌詞内容かも知れませんが、そういう見方もあって良いとは思います。
私は、それよりも、東京・青山での彼の「ロック葬」に、4万人以上のファンが詰め掛けたという点に、注目しています。最近の新入社員に対する意識調査でも、「上司の業務命令には、たとえそれが産地偽装や粉飾決算などの反社会的なものであっても、無条件で従う」という回答が4割以上も占めた様に(海舌さんのブログ記事参照)、この不況下で、単に右傾化・保守化というだけに止まらず、「社畜化・奴隷化」とも言うべき状況が広がっています。
しかし、その中でも、「蟹工船」ブームの底流とも響き合う、「社会の不正や不平等には簡単には従わない」という意識も、少なくとも、忌野清志郎のロック葬に集まったファンの中では、無意識のうちにも共有されていたのは、確かだろうと思います。「そう簡単に飼い馴らされて堪るか!」という民衆意志の表れとして。
いずれにしても、今は亡き故人を偲んで、黙祷。今日、例のソウル・フラワーのアルバム「シャローム・サラーム」も、ネットで注文しました。ああいうアルバムは、ツタヤ辺りには殆ど置いていない事も、初めて知りました。
―希望は本来有というものでもなく、無というものでもない。これこそ地上の道のように、初めから道があるのではないが、歩く人が多くなると初めて道が出来る。―(魯迅・作「故郷」より)
前回のエントリーでソウル・フラワー・ユニオンに触れたついでに、つい最近亡くなったロック・ミュージシャンの、忌野清志郎(いまわの・きよしろう)の曲も幾つか聴きました。それまでは、清志郎の曲といえば「雨上がりの夜空に」しか知らなかった私ですが、上記の曲を聴き、改めて彼を見直しました。特に、最初の「IMAGINE」に込められたメッセージには感動しました。
しかし、最後の「あこがれの北朝鮮」については、人によって毀誉褒貶が大きく異なるだろうと思います。北朝鮮を徒にパロディー化、或いは美化するかの様な歌詞の部分に対しては、私も正直言って抵抗はあります。あこがれの対象を金正日体制と取る限り、確かにそのまま受け入れる事は出来ません。
しかし、そうではなく、対象を北朝鮮民衆と捉えるならば、「民衆同士ともに理解し合おう」という事で、何ら違和感はありません。確かに、前述のソウル・フラワーの「うたは自由をめざす!」よりは後退的な歌詞内容かも知れませんが、そういう見方もあって良いとは思います。
私は、それよりも、東京・青山での彼の「ロック葬」に、4万人以上のファンが詰め掛けたという点に、注目しています。最近の新入社員に対する意識調査でも、「上司の業務命令には、たとえそれが産地偽装や粉飾決算などの反社会的なものであっても、無条件で従う」という回答が4割以上も占めた様に(海舌さんのブログ記事参照)、この不況下で、単に右傾化・保守化というだけに止まらず、「社畜化・奴隷化」とも言うべき状況が広がっています。
しかし、その中でも、「蟹工船」ブームの底流とも響き合う、「社会の不正や不平等には簡単には従わない」という意識も、少なくとも、忌野清志郎のロック葬に集まったファンの中では、無意識のうちにも共有されていたのは、確かだろうと思います。「そう簡単に飼い馴らされて堪るか!」という民衆意志の表れとして。
いずれにしても、今は亡き故人を偲んで、黙祷。今日、例のソウル・フラワーのアルバム「シャローム・サラーム」も、ネットで注文しました。ああいうアルバムは、ツタヤ辺りには殆ど置いていない事も、初めて知りました。
―希望は本来有というものでもなく、無というものでもない。これこそ地上の道のように、初めから道があるのではないが、歩く人が多くなると初めて道が出来る。―(魯迅・作「故郷」より)
あと、「あこがれの北朝鮮」あれはしゃれですよしゃれ。
あの時彼はタイマーズと言うバンドやってて、色んな時事ネタを笑い飛ばす歌が多かった。サリン事件直後、「ばらまけプリン」と言う歌を熱唱、観客は「ばらまけサリン」と大合唱したこともあったな。
左右を問わず、表層のモラルをせせら笑う軽やかさが彼にはあった。この道化師ぶりが、いわゆる「反体制ロッカー」と一味違う彼の魅力だったと思います
沢田健二さんの曲の感想で「わが窮状を救いたいの部分は意味が通らない」と書いてあった時も、いかにもプレカリアートさんらしい感想だと、ニンマリしてしまいました。あと、メイドカフェを考察するために訪問した話とか、あれは勉強のために行くようなとこじゃないと思う(笑
でもそこがプレカリアートさんの持ち味でいいところだもんね。職場のパワハラ男に「そのような態度が北朝鮮のような体制にもつながるのだ」と職場で(!)堂々と批判なされたエピソードには舌を巻きましたよ。私だったら、そんな真面目な言い方では批判しなかったと思う。
これからもプレカリアートさんらしいエントリーを期待しています。
新聞とかにある「風刺画」をみて、「いや、本質は・・・」って粋じゃないじゃないですか。
「おいおい、そのままでいいのかい?疑問はないのか?」くらいの問題提起だと思うと、あの調子もありなのかも、と思い始めています。
私の中の価値鑑定もまだまだしばらくかかりそうです。
どちらにしても、代わりのいない方であることは間違いなさそうですけど。
またいつもの癖で、今回もちょっとマジに捉えすぎちゃったみたいね。
ここでちょっと言い訳させてもらうと、以前に、2ちゃんねるか拉致板のどこかで、この北朝鮮の曲を捉まえて、キヨシローの事を、反日工作員だ何だと貶める書き込みがあったのを思い出して、それに対する反発・警戒みたいなものも、どこか頭の片隅にあった様な気がします。それで、ついつい、ああいう文章になってしまった、というのもあります。
しかし、そういう事も余り意識し過ぎると、変にこわばった内容の文章になってしまいますね。今後は、もう少し肩の力を抜いて書く事にします。
その意味でキヨシローは上手くやってましたね。
ちなみに君が代は"チャー"の方が早かったですよ。
エレキギターでのギンギンのプレイでした。