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プレカリアートのルポ西成

2018年11月28日 16時29分03秒 | 一人も自殺者の出ない世の中を

ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活
クリエーター情報なし
彩図社

遂に思い切って買いました。国友公司・著「ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活」(彩図社・刊)税込¥1,620。

この本は、国立大学を留年卒業して就職活動に失敗した東京のライターが、出版社の勧めで78日間、大阪・西成のあいりん地区で、飯場暮らしやドヤのフロント業務を体験した手記です。そこでは数々のエピソードが紹介されています。あいりんセンターの求人の中でも健康保険付きで比較的マシだと思い応募した日雇い人夫の仕事が、美味かったのは飯場の飯だけで、労働条件は最悪だった事。何も経験がないので、ひたすら解体現場の粉塵や泥を水で洗い流す作業や、廃材の袋をユンボ(重機)のショベルに引っ掛ける作業をやらされた事。ヤンキーやポン中(薬物中毒患者)がユンボを運転し、ユンボのショベルの先でクイックイッと次の動作を指示。しかも、同じショベルの動きでも、昨日は「早く来い、このボケ!」だったのが、今日は「誰が来いと言った?邪魔やからどけ言うとんじゃ!このカス!」と、もう無茶苦茶…そんな話が一杯書き綴られています。

そうして、ようやく飯場の契約期間が終わり、今度はドヤ(簡易宿泊所)のフロント係に採用され、仕事は日雇い人夫よりはるかに楽だったものの、日給わずか5,600円で、一癖も二癖もある宿泊者や同僚に翻弄され続けた話が後半に出てきます。筆者が採用されたドヤは、日雇い労務者や生活保護受給者だけでなく、出張のサラリーマンや外国人観光客も泊まる、あいりん地区の中では比較的マシな旅館でしたが、それでも、宿泊者がいきなり薬物中毒の禁断症状で泡を吹き廊下で卒倒した話や、宿泊者が退去した部屋から大量の注射器が出てきた話が書き綴られていました。

いずれも、一般世間の人にとっては、もう別世界のような話です。非正規雇用になる前の私も、今から思えばそんな状態でした。しかし、今はもう、そんなに特殊で異常な世界の話だとは思えなくなりました。私の今住んでいるホテルや勤めているバイト先でも、ここまで酷くはなくても、これに類する話は決して珍しくはないのですから。

 

 

私の住んでるホテルも、本に登場するドヤと大差はありません。日雇い労務者や生活保護受給者だけでなく、出張のサラリーマンや外国人観光客も泊まる(今はむしろ後者が主体)、あいりん地区の中では比較的マシな旅館である事も同じです。女性のみ宿泊可能な階もあります。敷金も保証金も不要で、家賃も水光熱費込みで4万円余と比較的安価。設備も近代的で昔のドヤ街のイメージは微塵もありません。入居申込当日から利用でき、駅のすぐ横にあるので、朝が早い仕事に就いている私にとっては正に願ったり叶ったりの好条件でした。だから、実家を飛び出して直ぐに、ここに転がり込むように住む事になりました。

しかし、部屋は三畳一間で水道・トイレ・バスは共用。今住んでいる階の部屋には冷蔵庫もないので、食事は全て外食。その中で、朝早くから仕事なので、朝食だけは起きて直ぐに食べられる様に、近くのドンキで電気ケトルを買って、室内でコーヒーを沸かして、買い置きのパンを食べる様にしています。幸い部屋の近くには共用のパウダールーム(洗面所)もあります。トイレは男女別になったセパレート式の物が各階にあります。そしてバスは男性用が最上階に展望大浴場が、一階に女性用の浴室があります。浴場の横にはそれぞれコインランドリーが2台ずつ備わっています。

その私のホテルでも、以前こんな出来事がありました。仕事から帰って来て、最上階の展望浴場に入ろうとした時の事。浴場からいきなり3人の大学生と思しき人達が飛び出して来ました。私のホテルには外国人観光客だけでなく、試合合宿の運動部員と思しき学生も宿泊する事があります。その学生達が何やら慌てふためいて外に飛び出して来たのです。

そして、浴室からは、2人組の男が「ワレ、いつまでカランで体洗っているんじゃ!お前ら絞め殺したろか!ここは西成やねんど!」と喚く声が聞こえて来ました。この2人組は入れ墨をしていました。一応、ホテルの宿泊約款には暴力団関係者や風紀を乱す者の利用を拒絶できる規定がありますが、細かい部分までは目が行き届かないのでしょう。一旦入居させてしまったら、そう簡単に追い出す事は出来ないのです。

どんなカラン(水道の蛇口)の使い方していたが知りませんが、カランは浴槽の前に左右4つづつの計8つもあるのです。3人の学生がたとえカランを占拠していたとしても、まだ5つのカランが空いているのです。確かにカラン同士の間は狭く、全員が一斉に使えば芋を洗う様な状態になってしまいますが、それはお互い様だから仕方ありません。そんな事に一々腹を立てていて一体どうするのでしょうか?

私はそう思いましたが、何しろ相手は入れ墨をしたヤクザまがいの男です。正論が通じる相手ではありません。かと言って、下手に学生と一緒になって逃げ出そうものなら、「お前もこいつらのお仲間か」と思われて、何されるか堪ったものではありません。どうしようか迷った挙句に、もう覚悟を決めて、何事もなかったかの如く、悠然と入浴する事にしました。

しかし、幾ら悠然と入浴するふりをしても、心の中は気が気ではありません。そそくさと体を洗い、丸い大型浴槽にチャプンと浸かると、もう直ぐに出て着替えて部屋に戻りました。浴槽の中では2人組が、如何にも勝ち誇った様に「ガハハハ」と高笑いしていました。このホテルに来て、これが今までの中で一番怖かった思い出です。

そうかと思えば、浴槽の中で素っ裸で新聞広げて読んでいる人もいました。新聞と言っても多分スポーツ新聞なのでしょう。余りの物珍しさに、「一体何を読んでいるのですか?」と声かけようとしましたが、下手に近づいて飛沫(しぶき)が新聞にかかり、紙面を汚してしまう恐れがあるので止めました。そんな事になって又前のヤクザみたいに絡まれては堪りません。その人は、私が風呂から上がっても、まだ一心不乱に新聞を読んでいました。

それほど特異な事例でなくても、私が今住んでいるホテルでも、廊下に人糞(?)と思しき汚物が落ちていた事がありましたし、トイレの大便器に誰かがトイレットペーパーを思いっきり詰め込んで水浸しにしてしまった事も数回ありました。

 

私のホテルでの体験談はそれぐらいにして、この本には昔シャブ(薬物)の密売所として摘発された「ママリンゴ」というドヤの話が出てきます。その「ママリンゴ」は今も阪堺線の通称「小便ガード」横に健在です。但し、今は経営者も変わり、一階には介護施設が入居しています。

この本に登場する、ヤンキーやポン中患者がユンボを運転していた話や、そのユンボのショベルが誤って下で廃材を袋に詰め込んでいた日雇い人夫の首をはねてしまい、首だけがショベルにぶら下がっていた話、ケガして働けなくなった労務者を、面倒は御免だと、そのままダム湖に放り投げてしまった話なども、以前なら及びも付かなかった内容です。

しかし、今の勤務先の会社でも、ここまで酷くはないものの、私もちょうど10年前に、これとよく似た体験をしました。たまに来る派遣社員にいきなり胸ぐらを掴まれ、無人の休憩室に連れ込まれて羽交い締めにされたのです(当時のブログ記事)。騒ぎを聞きつけた他のバイトが仲介に入ってくれたお陰で、幸い怪我もせずに済みましたが、下手すれば私もそいつに殺されていたかも知れません。勿論、私に思い当たる節なぞあろう筈がありません。そいつは散々暴れた末に、その日の内に辞めて行きました。

私は、この事態に全く納得が行かず、勤務先に申し出て、そいつの所属する派遣会社の担当者を呼びつけて謝罪させました。その時も、当時所長だった上司から「そいつは多分シャブをやっていたのではないか?もう、そうとしか考えられない。そんな奴にはもう二度と関わるな」と諭されました。そういう事がありましたから、この本に登場する話も、私にとっては、決して別世界の出来事だとは、とても思えませんでした。

無論、今はもうこんな事はありません。しかし、ポン中はさすがにいないものの、計算が出来ないバイトや現首相の名前も言えないバイトが会社には今も少なからずいるじゃないですか。彼らも「どうせ使い捨てなんだから誰でも良い」とばかりに雇われた人々です。彼らと「兄ちゃん、仕事あるで」と一つ返事で雇われた西成の労務者と、一体どこが違うのでしょうか?

そういう意味では、この本も、所詮は裏モノ系ライターが、たった78日間あいりん地区に住み、日雇い労働に就労した体験を綴っただけの本が、予想外に人気を呼び、図書館で半年先まで貸し出し予約で一杯で借りられなくなっただけでした。そのあいりん地区(釜ヶ崎)が階級支配の道具として人為的に作られて来た事への言及は一切ありません。

釜ヶ崎や飛田新地には昔はネギ畠しかありませんでした。当時のスラムは今の日本橋の電気屋街あたりにありました。当時の遊郭も今の難波あたりにありました。それが、難波新地が火事で焼け、当時広がりつつあった廃娼(売春廃止)運動を鎮め、日本橋のスラムも一等国には相応しくないと、1903年(明治36年)の第5回内国勧業博覧会開催を機に、当時は大阪市外だった今宮村の釜ヶ崎、飛田に強制移転させられたのです。今も通称として使用される釜ヶ崎や飛田は、いずれも当時存在した、今は無き小字(こあざ=区域)名です。

スラムを無くすのではなく、あくまでも市域の外の目につかない所に追いやるだけ。何の事はありません。そのスラムや日雇い労働が、今のブラック企業や派遣労働、外国人労働のパワハラ、セクハラ、人権侵害に置き換わっただけではないですか。

かつて麻薬取引が白昼公然と路上で行われ、毎年の様に暴動が起こった釜ヶ崎も、以前と比べたら遥かに小綺麗になり、かつて暴動で暴れ回った日雇い労働者もすっかり高齢化し、生活保護を受けて「福祉住宅」という名のドヤに住むようになりました。新今宮駅裏の遊休地には高級ホテルの星野リゾート進出の話が浮上しています。かつてのドヤ街も、外国人観光客目当てのホテルに様変わりしてしまいました。そして今や、東京行き高速バス乗り場や韓国ソフトクリームの店も出来、バインミー(ベトナムのサンドイッチ)の店まで近々オープンするまでになりました。

 

しかし、その同じホテルには今も少なくない人達が、朝早くから日雇い労働に出かけ、あるいは月わずか13万円程度の生活保護給付金から福祉住宅の家賃を4万円も引かれ、残りわずか9万円の生活費で、毎日カップラーメンやスーパー玉出の弁当で食いつなぐ暮らしを余儀なくされています。私のホテルでも、夜は1階にあるポットのお湯をカップラーメンに入れて、エレベーターで自分の住んでいる階まで持って上がる人達が大勢います。これではまるで室内ホームレスです。生活保護受給者がギャンブルにのめり込むのも、彼らにはそれしか楽しみがないからです。

幾ら裏モノ系と言えども、仮にもライターの端くれなら、その現状こそもっと書くべきではないでしょうか。ポン中が運転するユンボや魔窟だったママリンゴ、オカマバーの実態を暴くのも良いですが、それを書くなら、暴力手配師によるピンハネ搾取と闘う中から、アブレ手当(日雇い労働者の失業手当)や特別清掃事業(失業対策として始められた清掃事業)を勝ち取ってきた釜ヶ崎労働者の闘いや、貧困問題に取り組むNPOの存在にも、もっとスポットを当てるべきではないでしょうか?

今、日産ゴーンの逮捕劇や移民法案(入管法改正法案)のニュースが、世間を賑わしています。ゴーンもケリーも日産社長の西川(さいかわ)も、一緒になって数万人規模の派遣切りを強行しておいて、ゴーンが逮捕された途端に、まるで自分達は被害者であるかのように装う西川の厚顔無恥には、もう呆れて物が言えません。そのゴーンにしたって、森友・加計で国家財政を私物化してきた安倍晋三に比べれば、まだ可愛いものです。ところが、マスコミはゴーンだけを叩き、西川や安倍には何も言えないではないですか。

移民法案のごり押しにしても同じです。かつての日雇い労働者の低賃金や無権利状態が、今の外国人労働者の低賃金や無権利状態に置き換えられただけではないか?何故、生活保護受給者がカップラーメンだけで命を食つなぐような暮らしを強いられているのか?何故、私がダブルワークまでしなければならないのか?それ以前に、「外国人材」という表現自体に、物凄い怒りを感じます。労働者は人間ではなく単なるモノなのか!どうせ日本人の私も、同じように扱われているのでしょう。どうせ書くなら、ポン中や日雇い人夫の実態を興味本位に取り上げるだけでなく、そこまで書いてこそ、初めて「魔窟」の実態が暴かれるのではないでしょうか。

ルポ ニッポン絶望工場 (講談社+α新書)
クリエーター情報なし
講談社

 

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