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ひぐらしのなく頃に 「皆殺し編」までを読み終えて

2006-09-07 00:35:05 | 小説 感想
出遅れてしまっていますが、そろそろ「ひぐらしのく頃に」の「祭囃し編」に入りたいと思います。

でも、その前にちょっとだけこれまでの考察を振り返ってみたいと思います。

端的に言うと、これまで考察してきた部分で本質的なところは意外と外すことなく、雛見沢システムという観点にフォーカスして考えることが出来たことと、梨花ちゃまに関する正体的なところ、この辺について考えることができたのは、正直自分でも出来すぎです。

やっぱり『ファウスト Vol.5』と『金枝篇』を読んでいたことが幸いした気がします。

以下、「皆殺し編」までのネタバレを含む文章となりますので未読の方はご注意を。



* * *



これまでの「ひぐらしのく頃に」に関する僕の考えというか、楽しみ方は、恐怖シーンや残虐シーンに囚われることなく、怖さの本質はどこにあるのか?それは誤解、勘違い、思い込みからくるすれ違い、そしてそれを生み出してしまう環境=舞台装置(というかそもそも雛見沢停留所という舞台劇をベースとしているのだからまさにその通りなのでしょう)、そこにポイントがある、と踏んで読み進めてきました。

その答えが示されたのが「皆殺し編」。
竜騎士07さんも回答編として用意した、と仰っていたように、怖さの本質部分、それを作り出していた仕掛けについて言及されていました。

それを確認して、僕が感じた一言は「相互理解」ならぬ「相互誤解」。

「相互誤解」とそれを生み出す「環境」。

ここから炙り出されたメッセージ、それこそ舞台装置が裏返って出現する「相互理解」ひいては「相互信頼」そしてそれを生み出すために必要なこと、それはとても普通でなんてことはなくて、けれども実戦するのは意外と難しいのかもしれない、でもそれを超えたところにそれはある、それを失ったからこそ気付くことができるのかもしれない、それこそが本来描きたかったテーマなんですよね。

「罪滅し編」を読み終わったとき、僕はそのテーマのあぶり出しに純粋に感動してしまったのだけれども、「罪滅し編」自体はあの当初、完全に賛否両論に分かれていましたね。
確かに賛否両論あるよなぁ、と僕も思います。
けれどもきっと賛否どちらの方も「皆殺し編」まで読んでみて、大分納得されたのではないかな(と僕が勝手に)思っています。

これが、僕がたぶん最初に『ファウスト Vol.5』の竜騎士07さんのインタビューを読んで気が付いた「舞台劇」で表現したいことであり、同じ役者が同じ舞台で違う脚本で演じる、それを繰り返すことで、徐々に真相が浮かび上がってくる、という手法なんだな、と。

雛見沢システムについて考察すると長くなるのですが、大分前に書いた記事から基本的に変わることがなかったので、良かったらそちらも参照してみてくれると嬉しいです。
#ところどころ妄想が暴走していますが(笑)。

ひぐらしのなく頃に 「鬼隠し編」~「暇潰し編」までの私的仮説


↑こっちの記事はやはり「解」を読んでいないこともあって粗いですね(笑)。
でもたぶん雛見沢システムについてはそれほど外れてないと思います。
#さすがにそのビリヤードの玉を突いたのが○○さんだった(人為的に連鎖を狙ったものだった、信じ込ませるものだった)、というのは本当に想像できませんでしたが。

ひぐらしのなく頃に 「目明し編」 感想

↑こっちの記事は「目明し編」は「解」の1番目を読んだ直後のものですけれども、これがあったことによって大分考えを整理することができました。
雛見沢システムについては、大分整理できたかな。
#さすがにそのビリヤードの玉を突いたのが○○さんだった(人為的に連鎖を狙ったものだった、信じ込ませるものだった)、というのは本当に想像できませんでしたが(2回目(笑))。
でも一応、富竹さんと鷹野さんは、祭具殿に忍び込んだこととは関係なく、別件で以前からマークされていた、というのはこの時点でだいたい合っていましたね(と、それは負け惜しみなのか(笑))。

あとは梨花ちゃまですね。

上のリンク記事で、こんなことを書いていて、

雛見沢で発生する惨劇のほとんどは人によるものだと思っているのですが、梨花ちゃんの豹変ぶり、これについてだけは神秘性の線を捨てきれないです。みぃー。
内田康夫さんの「天河伝説殺人事件」でも最後の最後に神秘的な現象が起こって美しいエンドを迎えるんですが、二重人格的に巫女に憑依がある、そういう設定があったも僕個人としては良いかなと思ったり。

梨花ちゃんはどうしても死んでしまう。
それは神秘性を持つ梨花ちゃんが未来予知していた、というのでも良いなぁ。

「暇潰し編」で見せる日常を裏切るような雨、サプライズの料理を待ちわびる気持ちとしては、いずれ死んでしまうことが義務付けられた存在ならば、やはりその因果律を断ち切るような「偶然」、それによる解放を期待していたんではないかと思ってしまいます。


個人的には「目明し編」の時点でこれを書けたことでもう満足です(えー!!)。

特に、

「暇潰し編」で見せる日常を裏切るような雨、サプライズの料理を待ちわびる気持ちとしては、いずれ死んでしまうことが義務付けられた存在ならば、やはりその因果律を断ち切るような「偶然」、それによる解放を期待していたんではないかと思ってしまいます。

の部分が合っていたのは本当に嬉しいです(梨花ちゃんの切実さと諦念が見え隠れしていただけに)。


後はおまけで、民俗学的見地から考える雛見沢システムということで、僕がエウレカセブン用に読んでいた『金枝篇』にみる習慣とタブーなんかの相似性をちらっと書きました。

「金枝篇(2)」からみる「交響詩篇 エウレカセブン」と「ひぐらしのなく頃に」の関連性


それにしても、○○さんが仕込みをかけていたというのは完全に分かりませんでした。
これは完全にやられました。


ということで、一応の気持ちの整理はできたので、これでようやく「祭囃し編」に入ることができます。

泣いても笑ってもこれで最後。

存分に楽しみたいと思います。


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