システム開発における最初のフェーズ、要件定義フェーズにおいては、お客様の業務にヒアリングを行い、マトリクスをつくり業務・担当に「漏れなく・ダブリなく」ヒアリングできているか、そしてそれをさらにマトリクス化して業務要件・機能要件・運用要件など分析軸を増やしつつ、段階的に進めていったりしますね。
つまり、網羅性を重視する、これが大事ですよね。
ここから業務フローを作成し、データモデリングを繰り返し行って、必要な機能、エンティティを抽出していったりするわけですね。
データモデリングだけでなく、ある程度の規模のデータ移行等になるとそのデータベース設計書とにらめっこ(主にER図)を繰り返し、僕の場合なんかだと、夢の中においても尚データベース設計してたりして、一向に解決しない問題を解こう、解こうとするんですが、目が覚めると何に悩んでいたかさえ忘れているという有様。
もちろんそんな日は寝た気がしません・・・。
むしろうなされて起きることもしばしばです。
* * *
「ひぐらしのなく頃に」の「暇潰し編」まで読了し、さっそく「目明し編」に入りたいと思っているのですが、ここで一旦立ち止まって、自分の仮説を持って「目明し編」に入りたいな、などと思ってしまったことがそもそもの間違いだったのかもしれない・・・。
自分の仮説を立てたものの、やはりモヤモヤとした思いが晴れず、なら根拠を作るしかないじゃないか!!と思って初めてしまったマトリクス作成。
・・・やめときゃよかった(笑)。
縦軸に登場人物を。
横軸にシナリオごとに状況、原因、結果、噂、勘違い、共通理解、考察などを追加していったら超・巨大マトリクスに(笑)。
ほんとはブログで公開しようかと思ったんですが、あまりに大きくなってしまったので、画像表示諦めました・・・。
ただ、ポイントは登場人物にレギュラーキャラだけじゃなくて、「雛見沢住人」というカテゴリを切ったり、御三家もそれぞれでカテゴリを切ったり、ある程度「抽象化」された「群集心理」、これを割り切りたい、ここを掴みたい、と思ったのがそもそもこのマトリクスを作ろうと思った発端です。
ちなみに、これをやった結果、人物相関図などデータモデリングの初歩から始めることとなり、マトリクスというシチューをぐつぐつ煮込んで料理していた結果、夢の中でも推理している、しかも答えは出ない、そしてうなされるというバッドサイクルを軽快に回しております(笑)。
ここ数日、うなされて起きてます(実話)。
さて、簡易ではありますが、僕なりの仮説を考えました。
「目明し編」を既に読了された皆様においては、僕が現時点で考えていることは滑稽に思えるところも多々あると思うのですが、笑って流して頂ければ幸いです。
#これまで予想は裏切られっ放しなんで、当たるとも思えないですが(笑)。
以下、多分にネタバレを含みますので、「暇潰し編」まで読まれていない方はご注意を。
* * *
「ひぐらしのなく頃に」という作品は、ファウストVol.5の竜騎士07さんのインタビューでも語られていたのですが、「犯人が誰か?」を考えるものではない、そこに至るシステムを考えて欲しい、と仰っていました。
僕はたまたまこの時期に「交響詩篇エウレカセブン」のサブテキストとして購入した「金枝篇」という19世紀に出版された民俗学・宗教学を体系だって解説した本を読んでいて、この竜騎士07さんの仰る「システム」について「金枝篇」でもしっかりと言及されている、実はそういう仕組みが雛見沢に限ったことでもあり、雛見沢に限ったことではない、こういう構造があるんじゃないかと思ったんです。
大局的な共通認識と、局所的な共通認識。
雛見沢という「共通認識」の中でおきた、事実、事故、勘違い、思い込み、嘘。
これらがビリヤードの玉のように複雑に動き合って、「偶然」9番がポケットに落ちた、しかし9番がポケットに落ちたということは「事実」として取り上げられる。
そう、全てが「玉突き的」に発生した悲劇だったんじゃないか、そう思っています。
はっきり言って僕は個々の事件の犯人って分からないんです。
5年目は「綿流し編」もあるんで、5年目に限って言えば誰が誰を殺した、という事実は分かります。
けれど、それ以前、4年目までの事件については犯人は全くわからない。
むしろ、僕は4年目までは全部偶発的に起きた事故だったんじゃないかとさえ思っています。
■祭りの日に人が死ぬ、という大局的な共通認識
「金枝篇」の第3巻によると、(世界的にみて)「祭り」の日に生贄を捧げる風習は、ヨーロッパを始め全世界的に共通の現象なんですよ。
梨花ちゃんが踊る奉納の舞の意味にしても、これも全く同じで、世界的にある祭りの踊りや儀式は、生贄を捧げる儀式を儀礼化したものだ、というのです。
つまり、「祭りの日に人が死ぬこと、行方不明になること」は昔においては通常のことだった、むしろそうしないと「豊穣」と「多産」が約束されず「飢饉」や「旱魃」など不幸を呼ぶと本気で信じられていたわけです。
「金枝篇」によれば、ヨーロッパでは麦の収穫時に最後に刈り取りをしている者は、麦の束に詰め込まれ、川に放り込まれて生贄とされた、という伝承、否、事実が各地に存在するそうです。
つまり、祭りの日に人が死んでもおかしくない、むしろそれは神を静めるためには必要な儀式で、それをするためなら人を殺しても許される、そういう「共通認識」が出来上がっているんじゃないかと思うのです。
だから僕はマトリクスのカテゴリに「雛見沢住人」を付け加え、これを重要視しました。
4年目までの犯人が分からない、そう思ったのはやはり「雛見沢住人」全員が犯人である可能性があって、何らかの指示が無くても、祭りの日には人を殺しても許される、そういう「共通認識」が出来上がっているからじゃないかと思っているから。
またそうしないと不吉なことに襲われるという強迫観念的な「共通認識」が出来上がっているんじゃないかと思うのです。
■局所的な共通認識
「祭りの日」に生贄を捧げるというのは世界的に見た人間としての大局的な共通認識だ、というのが上述の部分なんですが、さらに雛見沢というローカル、つまり「局所的な共通認識」もあるのかなと。
これって身近なところで行くとバイトとかの経験で、新人に優しいバイトと優しくないバイトってありませんか?
#もちろん仕事も同じですが。
人の回転が早い環境では、人が入ってくること前提なんで、ルールが明文化されていたり、マニュアル化されていたりしますよね。
それと対比して人が固定化される職場では、新規採用者に冷たい。
こういうルールなんだから気づけよ、みたいな。
ルール破ってるぞ、お前、ふざけんなよ、みたいな。
そして、それをやっている本人はまったく無自覚、みたいな。
「金枝篇」では第2巻でタブーにも触れられていて、何故タブーになっていくのか?タブーを破るとどういうことが起こると考えられているか?みたいなことにも言及されていて、こういう雛見沢のような極端に閉じた世界ではそのローカルルールたるや、新規参入組である主人公前原圭一にしてみれば、全く分からない、気付かない、そういう状況なんでしょうね。
そういうのは節々によーく見ると会話の中に隠されている感じですね。
■タブーと偶然?勘違い?
前原圭一がどうあっても殺されてしまう。
これは、タブーを犯したような気もするし、勘違いのような気もする。
祭具殿に忍び込んでも、忍び込まなくても、前原圭一は殺されてしまう・・・。
そういう意味では沙都子も祭具殿に忍び込んだ過去がある。
タブーを犯している。
だから殺されても仕方ない、そういう共通認識が出来上がってる。
しかしながらここは妙に引っかかるんですよ。
鷹野さんと富竹さんは、祭具殿に忍び込んだ後、すぐに消された。
これって、実は祭具殿侵入とは全く関係なかったんじゃないか?とも思えるのです。
鷹野さんと富竹さんは全く別件で、前々からマークされていたんじゃないか?というのが私見です。
だけれども祭具殿という聖域に侵入したという辻褄があってしまう、共通理解に合致してしまったから、そういうことになってしまったのかなと。
だから圭一が殺される理由、これは別にあったか、それとも偶然が重なって殺される羽目になったか、そんな感じがするんですよね。
祭具殿関連で消されるなら、すぐに消されたはずだから。
■強迫観念+アルファ
共通認識って便利であるとともに「恐怖」であったりもすると思うんですよね。
いわゆるタブーとはそういうものだと思うのです。
例えばオヤシロさまの祟りで、後ろに誰かいる感覚、これも最初は本当に誰かが監視してたのかもしれない。
雛見沢の住人は共通理解を持っているから、おかしなことがあれば、相互監視するような雰囲気ができているのかもしれない。
だから付けられている感覚、これは本当に最初は誰かが監視のためにつけていたかもしれなくて、それを意識し始めると「共通認識」や「タブー」を意識し始めて強迫観念にまで昇華されちゃう、みたいな。
この強迫観念は追い詰められた時に発生しているんで、何でも全てが脅迫されている感覚になるんじゃないかなぁ。
ぶっちゃけ智史を消したのはレナじゃないかと思ったりもしているくらいに。
園崎家と思わせておいて、実は同じオヤシロさまの祟りにあったレナが、オヤシロさまの祟りを実行しなくてはならない、みたいな強迫観念に駆られて、あの廃棄物置き場で智史を消した・・・とか。
一つの「共通理解」のもとに、全く関係無い現象が、玉突き的に起こって、結果として一つの「共通認識」に収まってしまった。
だらか誰もが納得し、またその「共通認識」に縛られる。
全くの偶然なのに。
これが「雛見沢システム」なんじゃないのか、と思ってるんですが・・・。
後は、内田康夫さんの「天河伝説殺人事件」のように、最後の一瞬までは全て人間の仕業で、ラストに神秘的な現象を織り交ぜるとか、そういうのもあるのかもしれない。
梨花ちゃんの存在とか、「暇潰し編」を見るにそういう解釈も取れる。
また旧日本軍のBC兵器研究。
こういうガスが実は微量に漏れていて、幻覚作用を促しているとか。
#レナは引っ越した時にそういう類のものを「宝物」として持っていっていたとか?
「祟殺し編」のラストはそれが大量発生してしまったとか。
ちょっとした+アルファが作用している、とも考えられるかなぁ。
■4年目までは偶然じゃないのか?
4年目までの現象は玉突きの偶然がかさなって「オヤシロさまの祟り」が出来上がったんじゃないかと思っています。
まず1年目。
これは激化する雛見沢住人との抗争で、精神的に追い詰められた主犯格が強迫観念に従って現場監督を殺せばその脅迫観念から解放される、と思って殺すに至ってしまった・・・とか。
ただ、主犯格の失踪は分からないなぁ・・・。
2年目。
北条家については完全に事故だった・・・とか。
しかもタイミングとしては完全に偶然だった・・・とか。
3年目。
ここがちょっと分からない。
ひょっとしたら2年連続続いてしまったから、3年目は雛見沢住人の心理に何かが作用してきてしまった・・・とか。
これは正直分からない。
4年目。
智史が叔母を殺害するに至ったのは、色んな偶然が重なった結果、必然になってしまったと思うんですが、その後失踪してしまったのは何故か?
これはレナのようにオヤシロさまの祟りにあった経験がある人たちから制裁を受けた、とかそういう可能性があるんじゃないかなぁと。
園崎家も末端までは手が及ばないんじゃないかなぁ。
だからどこか一箇所から命令が下って、それを実行した結果殺人が起きた、というのとは全く別なんじゃないかと思うんですね。
本当に別々に起きた事件。
だけれども「共通認識」や「強迫観念」によって、繋がっているように思えてしまう。
うーん、むしろそういう「共通認識」や「強迫観念」があったから、別々に起きてしまった、そういう感覚と言えば良いのかな・・・。
嘘や思い込み、勘違い、共通認識、強迫観念が何か偶然をきっかけとして相互作用してしまう、それが雛見沢という閉じた空間で発生する玉突き事故、それが雛見沢システムじゃないかなと。
■これでやっと「目明し編」へ
個別の殺人事件の犯人は全然わからないんだけど、全体としてはこういうギミックが働いているんじゃないかと思っています。
僕の勝手な妄想なんですけど。
つか、こうやって整理しないと、僕が強迫観念に囚われて毎晩うなされちゃうから(笑)。
■その他
「祟殺し編」の沙都子は野球のエピソードから考えても、圭一もしくはその他の誰かが叔父を殺害するように導いていたんじゃないかとかなり穿ったみかたをしていました。
野球で打てないふりをずっと続けていたから、そういう豹変があったらどうしようとか思ってドキドキでした。
また沙都子の叔父にあたる人は複数いた?
TIPSから考えてももう一人いる気がするんですが、男か女かそれもわからない。
ひょっとして風呂で1万数えろと言ったのは魅音だったのか・・・。
「祟殺し編」では、圭一が北条鉄平殺害後、自分が複数いる錯覚に陥りますが、あれはやはり村をあげてのアリバイ作りだったんじゃないかなぁ。
北条智史が叔母を殺害したとするならば、その時庇ってあげられなかったことを悔やんだ仲間が、今度は圭一が叔母を殺すのを止めない代わりに圭一に完全なアリバイを作ったとしたら?
魅音とレナがその後がっちり付き添ったのは、その辺をばらさないようにするため?
逆に入江先生は圭一のアリバイを崩すことになるから消された?それとも全く別件?
これも皆が共通認識に基づいて勝手に想像して、勝手に行動した結果じゃないのか?
北条鉄平の愛人の死は謎だ・・・。
あれは間違いなく園崎家だと思うんだが、あれってオヤシロさまとはまったく関係なかったりして。
まだまだ謎は多いですねぇ・・・。
以上、悩んでいたことは全部吐き出したつもり。
これでようやく「目明し編」に入ることができます。
ああ、今夜もまた眠れない・・・。
つまり、網羅性を重視する、これが大事ですよね。
ここから業務フローを作成し、データモデリングを繰り返し行って、必要な機能、エンティティを抽出していったりするわけですね。
データモデリングだけでなく、ある程度の規模のデータ移行等になるとそのデータベース設計書とにらめっこ(主にER図)を繰り返し、僕の場合なんかだと、夢の中においても尚データベース設計してたりして、一向に解決しない問題を解こう、解こうとするんですが、目が覚めると何に悩んでいたかさえ忘れているという有様。
もちろんそんな日は寝た気がしません・・・。
むしろうなされて起きることもしばしばです。
* * *
「ひぐらしのなく頃に」の「暇潰し編」まで読了し、さっそく「目明し編」に入りたいと思っているのですが、ここで一旦立ち止まって、自分の仮説を持って「目明し編」に入りたいな、などと思ってしまったことがそもそもの間違いだったのかもしれない・・・。
自分の仮説を立てたものの、やはりモヤモヤとした思いが晴れず、なら根拠を作るしかないじゃないか!!と思って初めてしまったマトリクス作成。
・・・やめときゃよかった(笑)。
縦軸に登場人物を。
横軸にシナリオごとに状況、原因、結果、噂、勘違い、共通理解、考察などを追加していったら超・巨大マトリクスに(笑)。
ほんとはブログで公開しようかと思ったんですが、あまりに大きくなってしまったので、画像表示諦めました・・・。
ただ、ポイントは登場人物にレギュラーキャラだけじゃなくて、「雛見沢住人」というカテゴリを切ったり、御三家もそれぞれでカテゴリを切ったり、ある程度「抽象化」された「群集心理」、これを割り切りたい、ここを掴みたい、と思ったのがそもそもこのマトリクスを作ろうと思った発端です。
ちなみに、これをやった結果、人物相関図などデータモデリングの初歩から始めることとなり、マトリクスというシチューをぐつぐつ煮込んで料理していた結果、夢の中でも推理している、しかも答えは出ない、そしてうなされるというバッドサイクルを軽快に回しております(笑)。
ここ数日、うなされて起きてます(実話)。
さて、簡易ではありますが、僕なりの仮説を考えました。
「目明し編」を既に読了された皆様においては、僕が現時点で考えていることは滑稽に思えるところも多々あると思うのですが、笑って流して頂ければ幸いです。
#これまで予想は裏切られっ放しなんで、当たるとも思えないですが(笑)。
以下、多分にネタバレを含みますので、「暇潰し編」まで読まれていない方はご注意を。
* * *
「ひぐらしのなく頃に」という作品は、ファウストVol.5の竜騎士07さんのインタビューでも語られていたのですが、「犯人が誰か?」を考えるものではない、そこに至るシステムを考えて欲しい、と仰っていました。
僕はたまたまこの時期に「交響詩篇エウレカセブン」のサブテキストとして購入した「金枝篇」という19世紀に出版された民俗学・宗教学を体系だって解説した本を読んでいて、この竜騎士07さんの仰る「システム」について「金枝篇」でもしっかりと言及されている、実はそういう仕組みが雛見沢に限ったことでもあり、雛見沢に限ったことではない、こういう構造があるんじゃないかと思ったんです。
大局的な共通認識と、局所的な共通認識。
雛見沢という「共通認識」の中でおきた、事実、事故、勘違い、思い込み、嘘。
これらがビリヤードの玉のように複雑に動き合って、「偶然」9番がポケットに落ちた、しかし9番がポケットに落ちたということは「事実」として取り上げられる。
そう、全てが「玉突き的」に発生した悲劇だったんじゃないか、そう思っています。
はっきり言って僕は個々の事件の犯人って分からないんです。
5年目は「綿流し編」もあるんで、5年目に限って言えば誰が誰を殺した、という事実は分かります。
けれど、それ以前、4年目までの事件については犯人は全くわからない。
むしろ、僕は4年目までは全部偶発的に起きた事故だったんじゃないかとさえ思っています。
■祭りの日に人が死ぬ、という大局的な共通認識
「金枝篇」の第3巻によると、(世界的にみて)「祭り」の日に生贄を捧げる風習は、ヨーロッパを始め全世界的に共通の現象なんですよ。
梨花ちゃんが踊る奉納の舞の意味にしても、これも全く同じで、世界的にある祭りの踊りや儀式は、生贄を捧げる儀式を儀礼化したものだ、というのです。
つまり、「祭りの日に人が死ぬこと、行方不明になること」は昔においては通常のことだった、むしろそうしないと「豊穣」と「多産」が約束されず「飢饉」や「旱魃」など不幸を呼ぶと本気で信じられていたわけです。
「金枝篇」によれば、ヨーロッパでは麦の収穫時に最後に刈り取りをしている者は、麦の束に詰め込まれ、川に放り込まれて生贄とされた、という伝承、否、事実が各地に存在するそうです。
つまり、祭りの日に人が死んでもおかしくない、むしろそれは神を静めるためには必要な儀式で、それをするためなら人を殺しても許される、そういう「共通認識」が出来上がっているんじゃないかと思うのです。
だから僕はマトリクスのカテゴリに「雛見沢住人」を付け加え、これを重要視しました。
4年目までの犯人が分からない、そう思ったのはやはり「雛見沢住人」全員が犯人である可能性があって、何らかの指示が無くても、祭りの日には人を殺しても許される、そういう「共通認識」が出来上がっているからじゃないかと思っているから。
またそうしないと不吉なことに襲われるという強迫観念的な「共通認識」が出来上がっているんじゃないかと思うのです。
■局所的な共通認識
「祭りの日」に生贄を捧げるというのは世界的に見た人間としての大局的な共通認識だ、というのが上述の部分なんですが、さらに雛見沢というローカル、つまり「局所的な共通認識」もあるのかなと。
これって身近なところで行くとバイトとかの経験で、新人に優しいバイトと優しくないバイトってありませんか?
#もちろん仕事も同じですが。
人の回転が早い環境では、人が入ってくること前提なんで、ルールが明文化されていたり、マニュアル化されていたりしますよね。
それと対比して人が固定化される職場では、新規採用者に冷たい。
こういうルールなんだから気づけよ、みたいな。
ルール破ってるぞ、お前、ふざけんなよ、みたいな。
そして、それをやっている本人はまったく無自覚、みたいな。
「金枝篇」では第2巻でタブーにも触れられていて、何故タブーになっていくのか?タブーを破るとどういうことが起こると考えられているか?みたいなことにも言及されていて、こういう雛見沢のような極端に閉じた世界ではそのローカルルールたるや、新規参入組である主人公前原圭一にしてみれば、全く分からない、気付かない、そういう状況なんでしょうね。
そういうのは節々によーく見ると会話の中に隠されている感じですね。
■タブーと偶然?勘違い?
前原圭一がどうあっても殺されてしまう。
これは、タブーを犯したような気もするし、勘違いのような気もする。
祭具殿に忍び込んでも、忍び込まなくても、前原圭一は殺されてしまう・・・。
そういう意味では沙都子も祭具殿に忍び込んだ過去がある。
タブーを犯している。
だから殺されても仕方ない、そういう共通認識が出来上がってる。
しかしながらここは妙に引っかかるんですよ。
鷹野さんと富竹さんは、祭具殿に忍び込んだ後、すぐに消された。
これって、実は祭具殿侵入とは全く関係なかったんじゃないか?とも思えるのです。
鷹野さんと富竹さんは全く別件で、前々からマークされていたんじゃないか?というのが私見です。
だけれども祭具殿という聖域に侵入したという辻褄があってしまう、共通理解に合致してしまったから、そういうことになってしまったのかなと。
だから圭一が殺される理由、これは別にあったか、それとも偶然が重なって殺される羽目になったか、そんな感じがするんですよね。
祭具殿関連で消されるなら、すぐに消されたはずだから。
■強迫観念+アルファ
共通認識って便利であるとともに「恐怖」であったりもすると思うんですよね。
いわゆるタブーとはそういうものだと思うのです。
例えばオヤシロさまの祟りで、後ろに誰かいる感覚、これも最初は本当に誰かが監視してたのかもしれない。
雛見沢の住人は共通理解を持っているから、おかしなことがあれば、相互監視するような雰囲気ができているのかもしれない。
だから付けられている感覚、これは本当に最初は誰かが監視のためにつけていたかもしれなくて、それを意識し始めると「共通認識」や「タブー」を意識し始めて強迫観念にまで昇華されちゃう、みたいな。
この強迫観念は追い詰められた時に発生しているんで、何でも全てが脅迫されている感覚になるんじゃないかなぁ。
ぶっちゃけ智史を消したのはレナじゃないかと思ったりもしているくらいに。
園崎家と思わせておいて、実は同じオヤシロさまの祟りにあったレナが、オヤシロさまの祟りを実行しなくてはならない、みたいな強迫観念に駆られて、あの廃棄物置き場で智史を消した・・・とか。
一つの「共通理解」のもとに、全く関係無い現象が、玉突き的に起こって、結果として一つの「共通認識」に収まってしまった。
だらか誰もが納得し、またその「共通認識」に縛られる。
全くの偶然なのに。
これが「雛見沢システム」なんじゃないのか、と思ってるんですが・・・。
後は、内田康夫さんの「天河伝説殺人事件」のように、最後の一瞬までは全て人間の仕業で、ラストに神秘的な現象を織り交ぜるとか、そういうのもあるのかもしれない。
梨花ちゃんの存在とか、「暇潰し編」を見るにそういう解釈も取れる。
また旧日本軍のBC兵器研究。
こういうガスが実は微量に漏れていて、幻覚作用を促しているとか。
#レナは引っ越した時にそういう類のものを「宝物」として持っていっていたとか?
「祟殺し編」のラストはそれが大量発生してしまったとか。
ちょっとした+アルファが作用している、とも考えられるかなぁ。
■4年目までは偶然じゃないのか?
4年目までの現象は玉突きの偶然がかさなって「オヤシロさまの祟り」が出来上がったんじゃないかと思っています。
まず1年目。
これは激化する雛見沢住人との抗争で、精神的に追い詰められた主犯格が強迫観念に従って現場監督を殺せばその脅迫観念から解放される、と思って殺すに至ってしまった・・・とか。
ただ、主犯格の失踪は分からないなぁ・・・。
2年目。
北条家については完全に事故だった・・・とか。
しかもタイミングとしては完全に偶然だった・・・とか。
3年目。
ここがちょっと分からない。
ひょっとしたら2年連続続いてしまったから、3年目は雛見沢住人の心理に何かが作用してきてしまった・・・とか。
これは正直分からない。
4年目。
智史が叔母を殺害するに至ったのは、色んな偶然が重なった結果、必然になってしまったと思うんですが、その後失踪してしまったのは何故か?
これはレナのようにオヤシロさまの祟りにあった経験がある人たちから制裁を受けた、とかそういう可能性があるんじゃないかなぁと。
園崎家も末端までは手が及ばないんじゃないかなぁ。
だからどこか一箇所から命令が下って、それを実行した結果殺人が起きた、というのとは全く別なんじゃないかと思うんですね。
本当に別々に起きた事件。
だけれども「共通認識」や「強迫観念」によって、繋がっているように思えてしまう。
うーん、むしろそういう「共通認識」や「強迫観念」があったから、別々に起きてしまった、そういう感覚と言えば良いのかな・・・。
嘘や思い込み、勘違い、共通認識、強迫観念が何か偶然をきっかけとして相互作用してしまう、それが雛見沢という閉じた空間で発生する玉突き事故、それが雛見沢システムじゃないかなと。
■これでやっと「目明し編」へ
個別の殺人事件の犯人は全然わからないんだけど、全体としてはこういうギミックが働いているんじゃないかと思っています。
僕の勝手な妄想なんですけど。
つか、こうやって整理しないと、僕が強迫観念に囚われて毎晩うなされちゃうから(笑)。
■その他
「祟殺し編」の沙都子は野球のエピソードから考えても、圭一もしくはその他の誰かが叔父を殺害するように導いていたんじゃないかとかなり穿ったみかたをしていました。
野球で打てないふりをずっと続けていたから、そういう豹変があったらどうしようとか思ってドキドキでした。
また沙都子の叔父にあたる人は複数いた?
TIPSから考えてももう一人いる気がするんですが、男か女かそれもわからない。
ひょっとして風呂で1万数えろと言ったのは魅音だったのか・・・。
「祟殺し編」では、圭一が北条鉄平殺害後、自分が複数いる錯覚に陥りますが、あれはやはり村をあげてのアリバイ作りだったんじゃないかなぁ。
北条智史が叔母を殺害したとするならば、その時庇ってあげられなかったことを悔やんだ仲間が、今度は圭一が叔母を殺すのを止めない代わりに圭一に完全なアリバイを作ったとしたら?
魅音とレナがその後がっちり付き添ったのは、その辺をばらさないようにするため?
逆に入江先生は圭一のアリバイを崩すことになるから消された?それとも全く別件?
これも皆が共通認識に基づいて勝手に想像して、勝手に行動した結果じゃないのか?
北条鉄平の愛人の死は謎だ・・・。
あれは間違いなく園崎家だと思うんだが、あれってオヤシロさまとはまったく関係なかったりして。
まだまだ謎は多いですねぇ・・・。
以上、悩んでいたことは全部吐き出したつもり。
これでようやく「目明し編」に入ることができます。
ああ、今夜もまた眠れない・・・。
関係?無いですよ(ぉ
ん~・・・小さい頃は僕も人並みにドキドキ恐怖感でお化け屋敷とか映画見てたんですが・・・いつからなのかそういう系統を見ても読んでもドキドキアドレナリンより前にイライラが来るんですね。
理不尽な世界に対して役に立たん正義感が稼動してしまう。よってホラー関連が全く楽しめず難儀です。パニックホラーでも最後に人間が勝たないモノは敬遠してしまうほど。特に呪怨やリングは幽霊の強さがオカルト学の限界を超大幅跳びなのでダメ、と救いようが無い。何故こんなひねくれた坊やになっちゃったのかしら。
ひぐらしは噂とアンソロ読んだ程度(アンソロの作家が好きでつい・・・)なのでかじった程度しか知らないわけで、前にも語ったとおりなかなか手が伸びないわけですが・・・
噂では村が閉鎖的で儀式云々と金田一耕助八墓村もビックリだとかどうだとか聞いたりしましたが、そういうのは苦手の最たるもので、イライラに耐えられるかしらと思考中。まあ最終的にプレイしないとわかりませんから、的が外れた悩みかもしれませんが
ワンピースの空島編で、村の儀式や生贄についての話があったのを思い出します。ノーランドでしたっけ、村の生贄儀式を邪魔して「これは侮辱だ!」と叫び、命がけで己の文化の病気の治療法を広めて。
他の感想サイトで、こういったことが『他の文化を己の主義で汚す権利があるのか、作中ではノーランドが正義として描かれたが、これは客観的な見方ではない』みたいな言い方がされていたのに対し、僕はそれがよく分からなかったんですよ。「人が救えて正しいならええやん」みたいな。
ノーランドの意見主張が素直に心に響いた身分としてはその感想は驚きで、理解が出来にくいところを考えると僕もまだ子供の部分が強いんだなぁと思ったり。
純粋に怖かった頃は色々紛らわしてましたねー。
某かまいたちとか弟切では名前入力で『○○とラオウ』なんてやっちゃったりして、
・・・・あっさり死ぬ事に変わりは無いんですが(笑
今度はマリ見てやひぐらしは見たことが無いので、「種運命におけるプロジェクトマネージメントについて」もお願いします。
デュランダル議長やタリア艦長、マリュー艦長、ジブリール、ユウナetc マネージメントを語るには面白い人材がたくさんいると思います(笑)キラ、アスラン、シンなどマネージメントをする上で難しい人たちもたくさんいて、燕さんの分析が見てみたいです。
(注:BGMは「男の勲章」でお願い致します)
「ひぐらし」は ちょうど燕。さんと同じ位のペースで読んでいます。その間 隣の住人には「夜中に蝉の鳴き声が聞こえませんか?」(ドキッ!)と言われたり・・・夜中に電話が鳴っても怖くて出れなかったり・・・友達に「嘘ついてないよね?」って聞かれると(ドキッ!)としたり・・・平和な日常が壊れかかっています(笑) このままでいいんでしょうか?(頑張れ!俺)
燕。さんの考察・感想を拝見している時の僕は「岡村くん・富田くん」ポジションで尊敬しながら読ませて貰ってます(亀田くんでも「可」)「男の友情」ネタが面白くて(笑)唯一 笑える所かも・・・
だから 「アンダンテ」の瑞希さんの件で 燕。さんが「にーにー」と呼ばれたのを確認した時・・(「おめでとう 燕。さん!」と グッ!と親指を立てながら)笑顔で頷いていた僕を想像して下さい(笑)
・・・ある意味 「任務・・・完了!」です(笑)
(正座同盟のゲリラ部隊ですから・・・)
作品ですが キャラクターの個性により 読む側が勝手に固定観念を持ってしまうのも この作品の「うまくて すごい」部分ですね あと主人公の置かれている状況・・・転校してきて まだ「ひと月も経っていない」んですよね その彼が「閉鎖された特殊な空間(村)」で まわりのことをどれだけ理解しているのか?というのもポイントかも・・・あとはネタバレになるかもしれないので止めます
・・・「ひぐらし」をプレイしてから(他人の自分に対する考えが気になり)みょ~に臆病(ある意味 疑心暗鬼)になっている「自分」が もどかしい・・・(ぽじてぶに頑張ろう!)
・・・それでは・・・また!
追伸
エウレカのコメントの感想をお願いいたします(まさか 「許してもらってないのでは・・・」とビクビクドキドキです(反省))自称:映画スターより(懲りてない・・・)
実は僕もパニックホラー系はそれほど好きじゃないですね。
#むしろギャグとして楽しむ感じですかね。
さて、ひぐらしがドミニアさん向きか?と問われると今僕が持っているドミニアさん情報から考えると避けた方がよいかなぁ・・・という感じ。
「鬼隠し編」の理不尽さは群を抜いてるし、その理不尽さもきっと理由があったり、原因があったりすると思うのですが、かなり打ちのめされる可能性は高いかも。
つか、僕は本当に夢の中でも気になってしかたなくて、うなされて起きたことが何度かありました(笑)。
ノーランドの件は今考えると正直難しい問題かもです。
僕はあの時「金枝篇」とか読んでなかったんで、あまりそういうこと考えずに素直に読んでしまったんですが、タブーとしてずっと信じていることをある日突然破壊するのは難しいかもしれないですね。
根気良くそれが科学で証明できるんだ、みたいなのを積み重ねて説得する必要はあるかもしれませんね。
ワンピの話に限らず僕らはそういう過程を経て現代に至っているから違和感が無いわけですが、これまで自分たちが信じていたものをいきなり否定されてもそれに付いて行くことは難しいかもですね。
まあ、感想は人それぞれですし、僕もドミニアさんに言われるまで何も考えてませんでしたし(笑)。
かまいたちは怖かったなぁ。
でもひぐらしはそういうのを飛び越えた怖さがありますよ。
>UnidentifiedProjectManagementさんへ
すごいHNだ。誰かすぐわかりますが(笑)。
いや、あれは設計じゃなくて、たぶんうなされているだけです。
移行設計とかまじでもうやりたくない・・・と思うほど頭の中でデータ項目のマッピングと変換ロジック考えてましたからねぇ。
いやほんともうやだ(笑)。
種運命はある意味ネタにするのが難しいんですよ。
つか、閃かない(笑)。
議長あたりでリスクマネジメントをやってみるのは面白かもしれませんね。
後はシンでコミュニケーションマネジメント反面教師編とかができるかな。
額に稲妻が走ったらやってみます(笑)。
>西郷さんへ
いろいろと友情の援護射撃ありがとうございました。
カレー対決の圭一を思い出しました(笑)。
#エウレカの感想、ごめんなさい。見事に返事した気になっていました。
#ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ってしつこい?
さて、ひぐらしは、作者も意図的に読者が固定観念を持つように誘導している部分があって、それを違う章をオーバーラップさせることで浮き彫りにさせていく、そういう手法を取ってる感じですね。
これは面白いなぁ、と素直に感心しながら読んでいます。
しかし、ですね、レナの
・・・嘘だ!!
は僕の中で相当トラウマになりそうです(笑)。
#いやだって怖いんだもん。
稲妻が走ることを期待してます(笑)
議長はかなり影響を受けました。
リアルであんな人がいたら、一生付いていきますなんて思っちゃうかも(笑)
いや、それぐらいすごいと思うんですよ。
彼が日本の首相になったら、某小○首相なんかよりも、ずっとよい政治をしそうです。
(Break The Worldされたら怖いですけど(笑))
あ、あれですか。ピキーーンとかいう効果音と共に出てくるやつでアムロとかクワトロがよく出すやつ。