蒼穹のぺうげおっと

-PEUGEOT in the AZURE- マンガ・小説・アニメの感想を書き流すファフナーとエウレカ好きのサイトです

ソ・ラ・ノ・ヲ・ト 第4話 「梅雨ノ空・玻璃ノ虹」 感想

2010-01-30 13:16:29 | ソ・ラ・ノ・ヲ・ト
今回も非常に美しく、丁寧で、そして静かに感動的でした。
『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』は静かに楽しみたい作品なのでした。

戦災孤児→戦車(軍人)→ガラス→ラッパ→青空、という流れが美しくて、カナタのラッパが青空に響いていくシーンはこの作品を象徴するような綺麗で丁寧なシーンで、これはまた良いものを見たなぁ、としみじみ。

フルスペックハイビジョンで是非観ていただきたい美しさ。
丁寧な仕事されてるなぁ、と毎回思いますよ。

今回フォーカスが当たるのは順番としてもノエルで、今まで一番何を考えているかが難しいキャラであったノエルの考え方、思いにスポットが当たったわけですが、どういうキャラだか分からなかったからこそ、そこでの心情吐露が印象に残るのでした。

この作品の大きなポイントとして予想するのは、カナタというキャラを通じて、これまでの1121小隊のメンバーが持っていた心のトラウマ的なもの、拘ってきてそれでも誰にも言えなかったこと、というのが、カナタが持つ雰囲気を通じてお互いに共有し合いながら、5つの音として共鳴していく、そういうところが一番の見所(特に前半はその仕掛けで、後半はその仕掛けが共鳴という効果を持ってクライマックス)になるんじゃないかなぁ。

多分、みんな家族に対して何らかの思うところがあり、1121小隊は女子だけの部隊だけど、今回も台詞としてあったように、お母さんのようだな、とか、家族的な雰囲気がとても溢れているんですよね。
きっと、過去にどこかで無くしたものや、気に病んでいたことがそれぞれにあって、この小隊を通じて過去と向き合って、心が融解・溶解していく感じがしますね。

カナタは味噌っかす、リオはおそらく父親との確執、クレハが最年少で部隊に参加している理由(おそらく家族の関係?家族がいないのかもしれない)、そして今回のノエル。

ノエルの戦災孤児からの反応と、彼女の博識ぶりからすると、ノエルの実家は軍人家系とかだったりするかもしれないですね(違うかもしれないけど(笑))。
もしくは戦争・軍人そういうワードで、過去に何かしら人を殺すのに関わってしまった、というようなそういう影が見えますよね。

ソ・ラ・ノ・ヲ・トは美しいながらもどこか哀しい。
それはそういう影がキャラにも、そして終末を迎えそうな世界にも見え隠れするからなんでしょうね。


そういう哀しさが見隠れする中で、カナタがノエルに、戦車や軍人という存在自体が悪いのではなく、自分がそれをどう捉えているかが問題なんだ、軍人だからとか、(ノエルが一生懸命修理している)戦車だからとか、そこを気にしなくても大丈夫、という、ついつい人の心情を吐露させてしまう雰囲気でノエル自身を落ち着かせてあげる、というシーンはソ・ラ・ノ・ヲ・ト序盤の象徴的なシーンだと感じます。

また、そこからは古き良き時代のジブリ作品のにおいがして、ガラス工房の職人さんたちはそういう温かい雰囲気がにじんでいるのが良いですね。

その中で、ラッパ手としてどんなに練習しても上手くラッパが吹けない悩めるカナタに、カールおじさんが、


俺がこういう形にしようとしてるんじゃねぇ

ガラスがな

こういう形になりたがってるんだ



と言って、ガラスを見せ、それにインスパイアされる形で、外に駆け出し、


素晴らしく蒼い空の下、


カナタが初めて「音楽」としてのラッパを吹く。


最高に美しいシーン。
ここは是非地デジで、フルハイビジョンで観て頂きたい。


このガラスのような透明感。

素晴らしく蒼い空。

そして鳴り響く音楽。


これがこの作品の持つ「色」であり「雰囲気」なんだな、と感じることができるシーンでした。

やっぱりカナタは良いですね。

周囲の緩衝材として、人の気持ちをやわらげる効果を持っています。


今回のタイトルのように、梅雨の空から、玻璃=ガラスの虹へと変わっていく、そういう美しさ。


各キャラにはまだ影の部分が残っていて、それが後半にもう一度それぞれにスポットがあたると思いますが、そこはきっとこの作品の谷となるのかクライマックスとなるのか、楽しみなところであります。

きっと5人の奏でる五重奏、美しいと思います。

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冲方丁 『天地明察』 感想

2010-01-22 00:09:30 | 小説 感想
【明察】
(1)その場の事態・事情などを明確に見抜くこと。また、その推察。
(2)相手の推察などを敬っていう語。賢察。


からん、ころん。


この本を読み終えて、そしてこの「からん、ころん。」という音に思いを馳せるとき、神秘的で厳かで、そして、人が傾ける真っ直ぐな情熱、受け継がれていく想いなど、様々なことが胸をよぎります。

そして清清しい思いでこの本を閉じたとき、何と言うか真理・神秘に触れたような、そんな感動にゆっくりと浸れるのでした。


『天地明察』


冲方丁が描く初の時代小説。
時代小説ながら、刀は文字通り無用の長物、剣戟、合戦、一騎打ちなど全くの無縁。

しかしながら、そこに繰り広げられたのは、まぎれもない真剣勝負。

22年の歳月を賭して辿り着く、人の叡智の頂。

そして無用と思われたものにも意味のある結末。


これは徳川幕府が家光から家綱へと将軍職が移り、そして綱吉へとつながっていく時代、戦国時代というひとつの時代が終わり、江戸文化が花開こうとする時代、そんな時代に生を受けた安井算哲=渋川春海が、命を懸けて挑む、日本初の「暦」を生み出す大事業のお話なのです。

ここはひとつ、騙されたと思って読んで頂きたい。

冲方丁ファンの人も、そうでない人も、人が傾ける情熱の美しさと、託されていく想いの美しさに、きっとご満足頂けるのではないかと思います。

たかが「暦」、されど「暦」。

この「暦」を巡る22年間の真剣勝負、とくとご覧あれ。


■かっこよくない主人公、渋川春海、でも大好きな主人公である。

碁打ちの家元でありながら、算術にその身を捧げるという、そもそも変わったところのある渋川春海ですが、この男が人から滅法愛される。

そして愛される人たちからよく叱られる(笑)。

そんな良く叱られる、かっこよくない主人公の渋川春海。

僕も大好きなのである。

彼が歩いた道のりは、決して平坦ではありません。
「改暦」という大事業へ向けて、若いときからただひたすらに、愚直に、真っ直ぐに、悩みながらも歩くことを決して辞めなかった、そんな春海の歩く姿、それを見るだけで、読むだけで、今はそれを思い出して泣ける、そして清清しい気持ちになれる。

このかっこよくないけど、人から本当に愛される男が打つ、一世一代の真剣勝負。

この純粋な想いが、会津の名君・保科正之、水戸の水戸光圀、その他大勢の人の支援を集めていき、そして常に託される。

託された想いに一途に応えようとする春海の姿に、涙と、清清しさを見ることができるんだろうなぁ。


■天・地・人

改暦という、ぱっと見ただけじゃどんな意味があるか良く分からない、生活するうえでどんなインパクトがあるのか分からない、そういう題材を扱ってなお、この『天地明察』という物語は、一級のミステリーであり、最高のエンターテイメント足りえた作品だと僕は思うんです。

『神様のパズル』や『博士の愛した数式』なんかを読まれた方には何となくその一級のミステリーであり、最高のエンターテイメントである、というニュアンス、分かって頂けますでしょうか?

紛れも無くこの作品は、そういった神様が残した難題に挑む、タブーに挑むような面白みがあるんです。

ハードカバー版の『神様のパズル』のあとがきだったと思うのですが、宇宙が何故できたのだろうか?とか宇宙を作れるのか?というような題材が読者に受けるのだろうか?(売れる要素の大きな部分を占める)エロスもバイオレンスもないそんな作品なんだけど、と作者が言うのに、解説を書いた人が、宇宙の真理を解き明かすという行為自体、神に挑むようなもので、それを明らかにしていくプロセスは紛れもなくエロスであり、バイオレンスだよ、という趣旨の回答をされていたんですよね。

そう、この時代小説。

剣戟など一切出ることなく、春海に至っては刀に振り回される生活をして、捨ててしまおうかと真剣に悩む始末。

しかしながら、この春海

天の誤りを解明し、

地の誤りを解明する

この間にあったのは、紛れもなく春海へと想いを託していった故人たちの想いと、それを託された春海の愚直なまでの努力、挫折、研鑽に他ならず、これを人の成し得たこと=「人」に相違なく、天地明察へ至る過程において、天・地・人が成り立っているという美しさ。

エロスもバイオレンスも直接的には描かれることなく、しかしながら、天・地・人を成り立たせて挑んだ真剣勝負は、まさにエロスであり、バイオレンスに相違ない、と僕は思うのです。

関孝和という日本において「和算」の祖、本因坊道策という囲碁の天才。

これらの才能溢れる者達に、叶わないと思いながら、憧れながらも、自分が託された道をひたすらに、かっこ悪くても、愚直に歩んでゆく姿はまるでネビル・シュートの『パイド・パイパー』のよう。

神に挑みながらも、清清しい涙を持って読了できるのは、やはり春海という人間が愛されるゆえんなのかもしれないですね。


■私はここにいる!から、その先へ

冲方丁さんと言えば、僕がこの先もずっと愛してやまないであろう作家さんということは、このブログを古くから読んで頂いている方には自明のことと思いますが(笑)、冲方さんの作品にはこれまである種の共通したメッセージが込められていました。

マルドゥック・スクランブル

蒼穹のファフナー

オイレン・シュピーゲル
スプライト・シュピーゲル
テスタメント・シュピーゲル

上記作品においては、十代の主人公たちが、過酷な運命を背負いながら、その過酷さの中で、

・NO WHERE=どこにもいない

自分の存在がどこにあるのか?自分は一体何なのか?何故自分なのか?という疑問に押しつぶされそうになりながら、

・NOW HERE=今、ここにいる!

という、自分の存在を証明する、自分が生きていることを証明していくメッセージを持っているんですよね。


ではこの主人公たる渋川春海。

本名を安井算哲、将軍の前で囲碁を打つことを許された名家の跡取りである。

けれども、先代算哲=父親の晩年の子供であり、実質的には養子である算知が継いでおり、自分が継ぐことはないと悟っている、寄る辺無き心情を抱え、自分自身で立脚せねばならぬ、それも碁打ちとしてではなく、それ以外の何か、ここ以外のどこかで、そんな漂白の心を持っていた主人公でもあるわけです。

ここまではNO WHERE=どこにもいない、というわけです。

しかしながら、安井算哲から渋川春海へと名前が変わり、いつしか渋川春海が本名となっていく過程において、彼はまさしくNOW HERE=今、ここにいる!になっていくわけです。

ただ、そこで終わらなかったのがこの天地明察であり、まさに冲方丁さんの新境地と言っても良いのではないかと思います。

「暦」とは約束。

戦国の時代が終わり、泰平の世に移行しようとする世の中の無言の誓い。

「明日も生きている」

「明日もこの世はある」

天地において為政者が、人と人とが、暗黙のうちに交わすそうした約束が暦。

9・11以降、世界の先行きが分からなくなり、明日の行方が亡羊としつつある現代において、「明日も生きている」「明日もこの世はある」という約束を、この「暦」と言う中にその道しるべを見出したのかもしれません。

NOW HERE!の「今」だけでなく、暦=「明日」を指したこの作品。

紛れもなく素晴らしい作品だと思います。


■コアな冲方ファンは

コアな冲方ファンは、どうしたんだ冲方さん!普通に書いてるじゃないですか!と怒りそうなところである(冲方ファンにしか理解できないと思う)。

特に冲方さんは狂気の淵で作品に向かい合っているようなところがあり、その瞬間=精神の血の一滴が流れ出る瞬間の文章にこそ中毒性があるわけですが、今回は文体がマイルドであることもあり、狂気の淵、という感じは見当たらない。

地球の周回が楕円であることを解明した瞬間などは、もっとバロットとアシュレイがブラックジャックで勝負したような、そんな狂気の淵であり、ぐっつぐつに煮込んだシチューのような、全てのものが溶け合うような、狂気を発露しても良いのではないか、とさえ思う。

そこに冲方丁のエロスがあり、バイオレンスがあると思うのだけれども、そこはこの天地明察、前述したとおり、神の所業に挑む姿勢、算術から何からをぐっつぐつに煮込んで、全ての人の思いを受け止めて、溶け合うような思いは、これも一つの狂気の発露であり、またそれが清清しいまでの狂気なのかもしれない、と僕は思うのでした。

最後に、この渋川春海は、たくさんの愛すべき人から「頼みましたよ」と言われ「頼まれました」と返しているのですが、この僕もこの感想を書くにあたり、ある人物から「頼みましたよ」と言われ、叱られているのである。

僕が読んだ『天地明察』(初版本)は、昨年末のオフ会で制限時間の残量観察のりょくさんから、プレゼント交換の品として頂いたものなのです。

りょくさん的には、冲方丁ファンを増やすべく持参した品であったのですが、何がどう回ったのか、暦がずれたのか、その品が僕の手元に届くことになってしまったのでした。

・・・、既に重度の冲方ファンに渡っちゃったよ、意味ないじゃん。

が、りょくさんの感想であったことは想像に難くない。

つまり、そこで僕はりょくさんから「頼みましたよ」と言われてしまったのである。

そして迂闊にも「頼まれました」と応えた結果が、この感想なのでした。

少しでも『天地明察』を気に入って頂ける人が増えれば、そして冲方丁さんの作品を気に入って頂ける人が増えれば、これに勝る喜びはないのでした。

つか、この面白さを文章で伝えるのは、難しいんだよ!
だから、皆さん、是非読んでくださいませ。

冲方丁『天地明察』




ソ・ラ・ノ・ヲ・ト 第3話 「隊ノ一日・梨旺走ル」 感想

2010-01-20 00:03:59 | ソ・ラ・ノ・ヲ・ト
やっぱりこの作品好きだなぁ、と改めて思った第3話。

ド派手なアクションや、奇想天外なストーリー展開を見せるわけではなく、静かに、美しく、そしてどことなく哀しい感じのある、それでいてどこか温かくて、とても丁寧な、そういう作品なんだよね。
世の中的なセールスとか、そういうのを抜きにして、個人的にはとても好きな良作だと思うんですよね。

第2話ではクレハの心の内側と、カナタが小隊に改めて迎え入れられるエピソードでしたが、今回は天真爛漫で楽観的のようなカナタだけれども、やっぱり新しい環境に馴染むためにどこか無理をしていたり、自分は「味噌っかす」だから、余計に頑張らないといけない、という社会人になって最初の新人さんが経験してしまう、少しだけ繊細で、それによって縮まる距離がある、そんなお話。

また、カナタという存在は多分、周りの人を巻き込んで、人の気持ちを素直にさせてしまう効果を持った存在なのかもしれないですね。
第2話のクレハ、第3話のリオ、どちらも図らずも自分が隠してきた胸の奥にある感情をアクシデントを通じながらも、いつの間にか吐露してしまう。

吐露することによって、何かを乗り越えて、少し気持ちが楽になる。

カナタという存在は、そういう緩衝材なのかもしれないですね。

リオの場合、おそらくお母さんを病気で亡くしていて、そのときの怪しげな宗教?に頼ったことで救えなかったという苦いトラウマのような経験があって、それがカナタの病状とかぶってフラッシュバックしちゃう。

それが教会のフォーチュンクッキーを嫌がるバックグラウンドだったわけだけど、目の前で苦しむカナタを救うには、そういうトラウマを乗り越えて、教会に助けを求める、というリオ自身の救いにもなっていた、そんなちょっと素敵なお話。

多分、みんなどこか哀しい過去を心に秘めているんだろうけど、それをカナタが加わった日常を通して、わだかまりが溶けていくのかもしれないですね。

また、リオの師匠とカナタがあこがれた人は同一人物だということが判明したわけですが、これもまた運命的。

リオが一番幸せだったときの記憶とそれに連なる音楽が「アメージング・グレイス」だったんでしょうね。

たぶんその師匠とのお話がまたキーポイントとして今後出てくるんでしょうけれども、それは楽しみに取っておきたいと思います。

あと、リオのお父さんのお話はまた後で出てくるんだろうなぁ。


「味噌っかす」というお話と、戦車小隊の各隊員の話、そして音楽。

これが「アメージング・グレイス」というリオ・カナタにとって想い出の曲として収斂するところが非常に美しい。
※また旧世代のテクノロジーを満載した動かない戦車が、今は高価なミュージック・プレイヤーとして存在しているところもポイント。


多分12~13話構成になると思うので、小隊の日常をノエルと小隊長まで含めて描いて、後半に転換点が来ると思いますが、その後半を考えるに、この日常描写はとても大事なんだろうなぁ、という予感。

河に眠る(おそらく)旧世代の遺物、超・破壊兵器?の復活を目論んで、隣国が国境に攻め込んでくる、という展開も考えられるので、そのとき、伝説のように火の乙女として5人が犠牲になるのか?それともその伝説を乗り越えていくのか?というような妄想も膨らむところです。

静かに、そして丁寧に描かれる物語。

ちょっと楽しみです。


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ソ・ラ・ノ・ヲ・ト 第2話 「初陣・椅子ノ話」 感想

2010-01-14 00:39:33 | ソ・ラ・ノ・ヲ・ト
たぶん僕はこういう静かな感じの作品が凄く好きなんだな、というのを改めて実感した第2話。

静かでちょっと物悲しい、そういう中に希望を見つけるような物語。
そういうのがどうも好きみたい。

ちょっと前でいくと『ノエイン』なんかがそれに近かった感じ。


静かで美しくて、そして丁寧で。


こういうのにぐっときます。


さて、お話はカナタの初陣?のお話なんですが、あとはサブタイトルにもなっている椅子にまつわるお話でした。

この椅子は凄く演出的にはポイント高くて、うんうん、上手いなぁ、なんて感じで観てました。

これまで四人でやってきた1121小隊に、カナタが配属されることによって、多少なりとも今までの生活や関係性が変化していくわけで、今回はカナタのことを小隊に改めて受け入れる、というのがポイントでした。

それを上手く演出していたのが椅子で、最初カナタの椅子はどうしても間に合わせになってしまうので、ひとりだけ違う形の椅子なんですよね。

そして最も年下の隊員であるクレハは、自分の定位置にカナタが座ってしまうことで、自分のポジションが変化しちゃう、最年少ゆえにお姉さんであり憧れのリオを独占したかった嫉妬や、そのポジションを奪われちゃうんじゃないか、みたいな不安まであるんだよね。

そこで今回の初陣。

この初陣の効果っていうのは、つり橋効果にも似ている(笑)のかもしれないけど、クレハはこの忘れ去られたような小隊(みんな)のことが大好きで、それをバカにされるのがたまらなく嫌で、それが彼女のプライドで、っていう感情が、つり橋効果のような恐怖体験とセットでカナタに感情を吐露しちゃう。

カミングアウト効果?

もちろんカナタの非常に前向きな姿勢がこういう態度を呼んだんだろうけども、一番のポイントは「椅子」を見つけるシーン。

ここは実はカナタはこの「椅子」を目撃してない。

クレハだけが見ていたんですよね。

この椅子がたまたま小隊の食堂で使う椅子と同じ形だから、後にクレハはこの椅子を修理してカナタのために準備してあげる=小隊の仲間として認めてあげる、という演出につながってて、この辺がニヤニヤしながらみてしまうところでした。


あとは小隊のシンボルでもあるフクロウ=シュコ。

小隊長のフィリシアは「この子もどこにも行く場所がない」と言うんだけれども、きっとこの小隊のメンバー誰もがそういう思いを密かに持ってるんだと感じさせるところ。

(今は)動かない戦車や、文明の後退で受け継がれなかった文字、壊れた校舎や現在の人口の少なさ。

どれも淋しさを感じさせるものなんですよね。

しかしながら、小さな希望を見つけ出していく、というのがこの物語の妙味なんじゃないかとも思います。

例えば、音楽はずっとなくならず、ともすれば音楽室でこの小隊のメンバーが学生をやっていた、なんてこともあったかもしれない。

色んなものが変わって、無くなっても、音楽は残り続けた。

「音」をタイトルに持ってきているのに、あえて静かな音楽。

だからこそ印象的なのかもね。

そういうのを今は音楽が下手くそなカナタが、少しずつ上手くなっていくとき、何かを一つずつ拾い上げていくのかもしれないなぁ、なんて漠然と思うんですよね。


そういう意味でこの第2話は第1話の神話の話と同じく、後々ああこういうことだったのか、という意味合いを持つのかもなぁ。
ノエルが何故戦車を修理しているのか?とかも。


きっと中盤以降の展開は過酷になるんじゃないか、という予想もしつつ、静かーに見て行きたいと思います。


蒼穹のファフナー HEAVEN AND EARTH アニメ化決定

2010-01-11 01:18:07 | 蒼穹のファフナー
昨年の12月24日にサプライズのように時限式で情報が流れた『蒼穹のファフナー』の新作『蒼穹のファフナー HEAVEN AND EARTH』の公式HPがついにオープンいたしましたね。

どうも2年後の話っぽいのですが、2年後と聞くと確か冲方さんが何かのインタビューで「その後もまだ戦いは続いていて、一騎なんかは後輩から責められるんですよ、俺たちならあんなに仲間を死なせやしない、みたいに」と語っていたのを思い出すのですが、残念ながらソースを忘却の彼方に置いてきてしまって・・・。
#うーん、メモリアルファンブックだったかなぁ?

個人的に一番気になったのは「夕日」&「赤」。

ファフナーと言えば、蒼穹作戦の名前のごとく(いやタイトルだろう)蒼穹=澄み切った空=蒼が特徴的だし、RIGHT OF LEFTのときはマリンスノー=海で、やはりこれも蒼だったんですよ。

特にRIGHT OF LEFTの時には公式HPで最初からマリンスノーとラストシーンをリンクさせる演出をさせていたことを考えると、どうしても今回のHEAVEN AND EARTHにも色の演出というのが絡んでいるんじゃないか?なんて妄想しちゃいますね。
あのマリンスノーは反則だった(涙)。

#あと、その後に出るTOPページは特定ファン層狙い撃ちなんですか(笑)。


それにしても、劇場版マルドゥック・スクランブルの製作が決定したり、ファフナー新作やっちゃったり、噂じゃあマルドゥック(スクランブルとヴェロシティも含めて)続編があると思うし、テスタメント・シュピーゲルも同時に書いてるし、『天地明察』も出したばかりで、一体どれだけ仕事してるんでしょうかね。
まじで体力的に心配しますよ。冲方さん。

つか、電車の中で『天地明察』のクライマックス読んでたら、不覚にも泣いてしまいました・・・。

もう1回通して読んで、感想書きますね。

冲方さんはまじで凄いわ。

マルドゥック・スクランブルが劇場アニメ化が決定らしい

2010-01-09 15:43:56 | アニメ 感想
僕の大好きな作家さんと言えば「冲方丁(うぶかたとう)」さん。

もう言わずもがな、です。

今もりょくさん経由で手に入れた冲方さんの新作『天地明察』をじわじわ泣きながら読んでたり、ほんの2週間前までは冲方さんの『テスタメント・シュピーゲル』を3回読み、それと同時に冲方さんの代表作でもある『マルドゥック・スクランブル』をもう何十回目だろうという感じで全3巻を再読していて、年末から年始にかけて、不思議と冲方さん熱が勝手に高まっていたんですよね。

そこにこのニュース。

どうもその冲方丁さんの代表作である『マルドゥック・スクランブル』が劇場版アニメ化されるらしいです。

劇場版 公式HP

まじっすか!!

一度アニメ化が決まり、そのまま流れてしまった経緯があるだけに、今度は本当に?という一抹の不安はあるものの、やはり『マルドゥック・スクランブル』は冲方さんの原点だと僕は思うし、銃弾を銃弾で撃ち落としまくる銃撃戦もしびれるけれども、何よりあのベル・ウィングとのルーレット勝負、アシュレイとのブラック・ジャック勝負が、その銃撃戦をも上回る緊張感と痺れる真剣勝負に、ここに珠玉のエンターテイメントを見た!という凄い感動を覚えた作品なんですよ。

これがどうやって映像化されるのか、本当に楽しみだし、逆に表現しきれるのだろうか?と不安にもなってしまうファン心理(笑)。

シュピーゲル・シリーズの涼月や鳳たち、もっと言えばファフナーの登場人物たちも、どこかマルドゥックのヒロイン=バロットに通じるところがあり、バロットは後の冲方さんが描いた十代の少年・少女の雛形だったんじゃないかと思うこともあるんですよ。
その雛形たるバロットが雛を意味するネーミングであるのはどことなく面白いところ。

・・・、でもマルドゥック・スクランブルって、綺麗に3部構成になっているから、どうせ劇場版でやるなら少なくとも2部構成、そしてやはり3部構成くらいでやって欲しい、というか、絶対に収まりきらないと思う。

まだ詳細は全然決まってないようですが、期待しております。

どうか「精神の血の一滴」を見ることができる作品になりますように。

■(参考感想記事)超個人的お勧め小説 第1位 『マルドゥック・スクランブル』

マルドゥック・スクランブル The First Compression 圧縮


マルドゥック・スクランブル The Second Combustion 燃焼


マルドゥック・スクランブル The Third Exhaust 排気



ソ・ラ・ノ・ヲ・ト 第1話 「響ク音・払暁ノ街」 感想

2010-01-05 23:46:36 | ソ・ラ・ノ・ヲ・ト
ここ久しくTVアニメの感想を書いていなかった気がして、既に書き方を忘れているような、いないような感覚なんですが、そういう中で第1話を観て興味を惹かれる作品があったので、ちょこちょこっと感想書こうかな、と。
基本的に原作付きアニメは観て楽しむ専門で、ここしばらく原作付きが多かったものだから、書き方忘れたんだな、きっと。

ということで、久しぶりにオリジナルアニメで好みな感じのがありまして、静かに期待しておこうかな、と思った『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』第1話です。



「響ク音・払暁ノ街」



第1話のサブタイトル、それが「響ク音・払暁ノ街」なのですが、これがとても良くてね。

第1話のラストシーンを観ながら、なるほどね、良いね、なんて思いながら観てました。


静かに始まって、静かに終わっていくのだけれども、とても丁寧に作ってあって、特に舞台設定であるとか、背景・美術セットなんかはかなり気合が入っているというか、真面目に、真剣に作ってるなと言う感じが伝わってきて、この物語の作風を予感させるようなつくりになってるのかな、なんて思いながら観てました。

透明感があって、丁寧で。
これがラストシーンと重なって、うん、良いね、という感じ。

#そういう意味では地デジでハイビジョンTVで観ることをお勧めします。格段に綺麗だし、アニメって特に差が出るよね。
#16:9で画面サイズも作ってあるし、絵の作りも今のところ凄く丁寧だから良い感じに観ることができます。

これが第1話の一番大きな感想なんですが、フィーリングというのは結構大事で、僕はこの静かだけど丁寧に始まった、こういう作りがやっぱり好きなんだなと改めて思ったところです。

少女5人による1121小隊のお話ですが、作中で語られる神話?昔話が印象的で、かつ、それがおそらく実話であったであろう遺産もあり、今またカナタたち5人が神話と同じ運命を辿るのか、また乗り越えていくのか?それらをつないでいくのがきっと「音」であり「絆」なんじゃないかな、と思う第1話。

少し楽しみにしたいと思います。


にしても、キャラがけいおんのメンバーに似てて、ニヤニヤしてしまう・・・。

あと、OP主題歌がKalafinaで、音楽が大島ミチルでって色々と豪華です。

久々のオリジナルアニメですし、制作メンバーの皆様には頑張って頂きたいな。
楽しみにしてます。


ソ・ラ・ノ・ヲ・ト 公式HP



2010年の抱負

2010-01-02 01:44:06 | Weblog
皆様、新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

年々更新数が減っていっているのですが、去年は顕著でしたねー(笑えねー)。

今年も僕は冲方丁アディクティッドな感じで行きますよー(意味不明)。
※いや、ファフナーの新作が楽しみ過ぎて、おかしくなってるのね。

ということで、今年の抱負をひとつ。


今年は「仕事」します。


いや、別に今無職とかそういうわけじゃないんですが(笑)、今年は色んな意味で勝負の年なので、ちょっと真剣に仕事に打ち込みます。

だから今まで以上にアニメや小説や漫画をたくさん読みます(意味不明過ぎ)。
※たぶん精神のバランスを取るという意味で。
※好意的に解釈すると。

そう、今年は「白鳥」のように仕事します。
まるで、シュピーゲルシリーズの鳳さんのように、です(嘘)。

ポイントはここです。
あまり「自分忙しいです!」オーラを出してると、「あの人余裕ないよね」と思われてしまうのが世の必定ですので、どんなに人間的な生活からかけ離れたような仕事量をこなしつつも、そこは水面下ではもがくように足をバタつかせながら、水上ではさも「自分余裕ですが、何か?」くらいの白鳥の風情を思わせるかのごとく、ばっちりやっちゃうもんねー、というのが今年の抱負です。

ちなみに鳳さんは、お姉さんタイプでしっかりものですが、基本ドジっ娘です。
あれれ。


最近の傾向でいくと、PCの前に座る時間よりも、携帯を使う時間の方が長くなりました。
パケホーダイプランにした、というのが大きいですが、携帯もSH-04Aに変えて、Twitterを使ってる時間が結構多いですね。
※このブログもかなりのアクセス数が携帯からになってます。
※ドコモのiメニュートップに検索画面が来たのは大きい&便利(携帯ではGoogleより検索精度が高い気がするし)。

なんというか、これも一つのパラダイムシフトのような気がします。

僕は丁度インターネットの黎明期からインターネットを使い始めた世代なので、こうやってネット社会が変化していくのをダイレクトに感じられることにある意味感動しつつ、自分の仕事でもダイレクト感をいかにお客さんに伝えていくか、またお客さんのダイレクト志向にどれだけ併走できるか?というのが、今の時代と向き合いながら感じるところでしょうか。

そういうダイレクトな世界に移行しつつも、ネットという環境は常に変化し続ける世界なので、これからまたどのような変化が訪れるかは分かりません。

でも2009年までで築いてきた人的ネットワークなんかは、こういったパラダイムシフトが起きても、ツールが変わるだけで本質的なところの変化はないのかもしれないな、と思う今日この頃です。


というわけで、実はもう一つの抱負として、オン・オフ関わらず、人的ネットワークを大切にしていく、というのが今年の裏テーマです。


では、皆様、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

燕。