蒼穹のぺうげおっと

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マクロスF 第25話 「アナタノオト」 感想

2008-09-29 01:47:59 | マクロスF
マクロス・フロンティアも最終回。

もう感無量。

アルト・ランカ・シェリルの絶体絶命のみならず、人類・バジュラともに絶対絶命の危機からの大逆転、そしてこれまで作品全体を支えてきた「歌」の力、そしてその解放、二人の歌姫の最後のステージを飾るに相応しい、超銀河コンサートでした。

素晴らしかったです。

もう感想書く必要もないんじゃない?と思うくらい。
#既にこの時点で5回も見返してしまったし、きっとまだ見るでしょう。

やっぱりこのマクロス・フロンティアを支え続けた二人の歌姫、シェリルとランカには最大限の拍手を送りたいですね。
#そして全編を通じてその楽曲を提供し続けた菅野よう子さんにも最大限の拍手ですね。

あっと言う間の半年間。
2クールって短いというか、もっと観ていたいと思いましたよ。

そんな矢先に「劇場版マクロス・フロンティア」の告知。

これはまたどんな展開になるのか、本当に楽しみです。

もう感無量状態なんで、何か感想を書くのもおこがましいのですが、作品への感謝の気持ちを込めて。

■シェリル・ランカ・アルト

アルトが死んだ、と思った更なる絶望の淵から、アルトが生きていて、そして歌ってくれと切望される。
そのときに歌の力というか、シェリルの生きる力というか、それが充填されていくかのように広がって、フォームチェンジ。

そこでかかる「ノーザン・クロス」。

かっこよすぎ。

つか、あまりにかっこよすぎて泣けた。・゜・(ノД`)・゜・。

今までエンディングやタイトルそのものだった「ノーザン・クロス」よりも。このタイミングでかかった「ノーザン・クロス」は何よりもかっこよくて激しくて、本当のラストバトルを飾るにこれ以上相応しい曲は無いと思いましたよ。
「ノーザン・クロス」はこのシーンのための曲なんだ、とそう思えるくらいに。

これにあわせて、アルトが自分の愛機「VF-25F」に乗り込むシーンは、主人公の出撃シーンとしてもクライマックス。

父親の言葉を胸に、その意味を理解し(つまりここでアルトの抱える家に対するいろんなわだかまりが彼の中である程度受け入れられた瞬間でもあった)、周りの環境に流されることなく、そして役者として期待された役を演じるのではなく、自分の気持ちのままに飛ぶ、というアルト自身もいろんな鎖を引きちぎってテイクオフ。


めちゃめちゃかっこいい。


つか、あまりにかっこよすぎて泣けた。・゜・(ノД`)・゜・。
#何気にクランがミシェルのVF-25Gに搭乗しているのがまた泣ける。


そしてアルトの声とシェリルの歌がランカの心に届いて、ランカが目を覚ます。
なんかもうかなり感極まってしまいそうでした。


でもそのタイミングでバジュラクィーンと接合を果たすグレイス。
プロトコルを解析したグレイスの前に、バジュラが支配下に置かれてここで再び大ピンチに。

しかもシェリルがそこで力尽きて倒れてしまう。
ここまでも、病気の体を押しての大熱唱。
「ノーザン・クロス」もアルトからの気合で歌いきったようなもの。

うぎゃー、どうなるのー!!というところで、再びランカの歌声。

ここで倒れたシェリルに呼びかけるランカ。
そして弱音を吐こうとするシェリルを平手打ち。
美星学園の屋上で、もう歌えないと弱音を吐いたランカをしっかりしなさいと平手打ちしたシェリルへのアンサーシーン。
もうランカも完全対等です。

このシーンというのは、マクロス・フロンティアの最高の見せ場のひとつでもあったりするし、シェリルが渡したノーム家に伝わるイヤリングを介してアルトもこの意識体に参加するという、ある意味、グレイスが成そうとしていたリアルタイム・ネットワークを形成しちゃってるんですよね。

ここでランカが成したのは、シェリルに巣食っていたバジュラの細胞?を共生タイプへ変換して、脳まで達していたものを腸で共生できるようにしたんですよね。
バジュラ自身が上位命令によって、その意思を変更(というよりオーバーライト?)できるのならば、リトル・クィーンからの願いにより、シェリルの体内にいた細胞もその使命を宿主の破壊から、共生へと切り替えた、ということでしょうかね。

つか、そんな設定うんぬんよりも、やはりこのマクロス・フロンティアという作品をここまで歌で全面的に引っ張ってきたシェリルへのボーナスがあったとしても、全く不思議じゃない、と思うわけですよ。
つか、むしろありがとう!!というレベルで。


そして完全復活するシェリルとともにランカが歌うのは、待ちに待っていた「ライオン」。


めちゃめちゃかっこいい。


つか、あまりにかっこよすぎて泣けた。・゜・(ノД`)・゜・。


「ノーザン・クロス」で立った鳥肌が、さらにこの「ライオン」でクライマックスへ。

すげーな、ほんと。

マクロスってのは本当に凄いよ。

これがマクロス。

だから大好きなんだ。


で、ランカを救出するときにシェリルが歌う曲は「私の彼はパイロット」でしょ。

もう分かってるなー、って感じですよ。


ここで、ランカから語られるバジュラとは?みたいなシーンもまた凄く良くてね。

激しい戦場の中なんだけれども、アルトとランカの乗るVF-25Fだけが、静かにゆっくりと帰還していく。
凄く印象的なシーン。
これは良かったなぁ。


バジュラは人類とはあまりに違う思考や生態系を持っているから、人間のことを理解できなかった。
だから人類で(当時)唯一フォールド波を発生して意思疎通を可能とするランカを助けにきていた。
#ランカの歌がバジュラを呼んだ、というのは正しくもあり、またバジュラサイドからしたら単純に同胞を助ける行為でもあったわけですね。

でも、シェリルが死を覚悟しながらも選んだ道が、結果的に人類の未来を切り開くことになったわけですよ。

過酷な運命を背負った二人の歌姫が歌い続けたからこそ、バジュラという生命体は、人類という生命体と自分たちが全く違うものであるということを理解することができた。

グレイスはその歌姫二人を道具として利用しようとしたのだけれども、結果的には二人の生き残りたいという力や、ランシェ・メイ(が産み落とした力)や、マオ・ノーム(が渡したイヤリング)がグレイスの野望を打ち砕いた、という形になっているじゃないですか。


泣けた。

。・゜・(ノД`)・゜・。
。・゜・(ノД`)・゜・。
。・゜・(ノД`)・゜・。


もう個人的にはシェリルがマオ・ノームの孫だった、ということが分かっただけで僕は感無量なんだけれども。
#彼女にもちゃんと家族がいて、ちゃんと彼女のことを愛していたんですよ。
#そしてそれが何よりあのマオ・ノームで、彼女がその孫だった、というのも運命的だ。・゜・(ノД`)・゜・。


ようやく、というか、作品開始以来ずっと待っていた、二人の歌姫によるステージの開始。

「星間飛行」で始まるライブ、そして、それに二人の歌姫に敬礼を送るバルキリー=アルト。
かっこいいねー。ほんとに。

いやー、ここからの二人のライブは本当にしびれました。
最高だよなー。ほんとに。
マクロス最高。


で、大攻勢か!?と思えば、バトル・ギャラクシーの攻撃で再び大ピンチ。

うわー、と思っているところに、カナリアのケーニッヒ・モンスターが登場!!

初代ファンとしては、モンスターみたいなバトロイドが活躍するのってマジで嬉しい。
ここにきて最後の大仕事!!みたいな。

そしてそれを皮切りに、マクロス・クォーターによる「マクロス・アタック」。
というか、それは初代「ダイダロス・アタック」!!

デストロイタイプのバトロイドによる一斉ミサイル射撃、これはしびれた。
まじでしびれた。

あれだ。
初代マクロスを観たときに受けた衝撃のひとつだ、この映像は、と思いましたよ。


ここから再び「ライオン」に乗せた反撃が本当に最高で。


燃えた。

この一言に尽きますね。


ライオンの「私眠らない~」からインフィニティの「眠らない思い~」とのつなぎなんて、素晴らしいよね。
ランカとシェリルの歌声がイヤリングを通じてアルトの命を救った、あのときのように。


最後の突撃シーンでは、親友ミシェルのライフルを抱いて、そしてライバルだったブレラとともに突入。

その突撃をオーラのようにサポートするのは二人の歌姫。


アーマードを乗りこなすアルト。

目線でロックオンしながら、ミサイル全弾発射。

これだ、これが観たかったんだ!!といわんばかりのバトルシーン。
#つか、最終話のバトルシーンはおそらく今後語り継がれるであろうくらい、すっごい気合の入りまくったものだったと思う。
#もちろん歌とのシンクロ度がぶっちぎっていたことも言うまでもないことですよね。

最後はミシェルのライフルで一撃。

最期にみせるグレイスの皮肉な笑み(というか、ここまでか、と観念したような笑み?)を残しつつバトルエンド。


で、ラスト。

この三角関係での結末は描かなかったわけだけれども、僕としてはこの終わり方でよかったなぁ。

そしてラストを飾ってくれた歌がシェリルとランカによる「トライアングラー」というのも素敵過ぎる。
#アルトが降下してくるときに太陽の光が三角形になっているところも、演出的に細かい(笑)。


いやー、ほんと、感無量です。

素晴らしかった。


上記、ほとんど感想の体を成していませんが、まじで素晴らしかったです。それしか言えない。


世の中いろんな作品があって、昨今のアニメ作品について言えば、テーマがなくちゃいけない、作品が大人向けなんだから考えさせなきゃいけない、みたいなところがどこかしらにあったんじゃないか?なんて思ったりするんですが、このマクロス・フロンティアについて言えば、そういう難しいテーマなんかもあるのかもしれないけれども、理屈抜きでアニメーションという媒体で作り上げられた最良のエンターテイメント作品だと素直に思いますよ。

やっぱり面白いってのがベースなんですよね。
理屈じゃなくて、本能的に面白い。感動する。

歌っていうのも、エモーショナルに直接心に訴えかけてくるものじゃないですか。

初代マクロスだって、もともとはラブコメをベースで展開する予定だった。
色々方向修正はかかった、と聞いているけれども、それでも、歌の力で戦争が終わりを告げて、新しい時代の可能性を切り開いていった、そういう中で純粋に恋愛があって、三角関係があって、ラストまでずっと見させてしまった初代マクロスは、当時小学生だった僕には本当に大きな存在となって今に至っています。
凄い衝撃でした。

やっぱりこれなんだよなぁ。

小難しいこと抜きに、面白かった、感動した。
これなんですよね。

いや、ほんと良かったです。

この最終話はもうこの感想をここまで書くまでに6回観てるけれども、それでもまだまだ観てしまうと思います。

制作スタッフの皆様、お疲れさまでした。
そしてこんなに凄い作品作ってくれてありがとうございました。

感無量です。


■あと色々と

プロトカルチャーが恐れたのがバジュラ、という設定も面白いと思ったんですよね。
サラ・ノームやマオ・ノーム、そしてシン・工藤が遭遇して乗っていたプロトカルチャー由来の兵器も、バジュラを連想させる節はありますよね。

そういう意味で「マクロス・ゼロ」はやはり必見だと思うなぁ。

うわさではブルーレイ版の「マクロス・ゼロ」ではシェリルのイヤリングが代々ノーム家に伝わるものらしい、という描写があるらしいですし。
#こちらは我が家にブルーレイレコーダーが来た日には必ずBOX買いすることを誓っています。自分に。


あと、改めて思うのは、やっぱりこのエンディングというのはシェリルとランカがいなければ到達しえなかったエンディングなんですよね(そりゃヒロインなんだから当たり前なんだけどね)。

というのも、あの時途中でランカが歌うことをやめていたら?また目を覚まさなかったら?とか、もっと言えば、ランシェ・メイがV型感染症にかかっていなかったら(つまり先天的にバジュラと共生できる人類が生まれていなかったら)?という可能性や、シェリルにしても、(シェリルのV型感染症はマオ・ノームに対するグレイスの意趣返しに近い形で感染、実験体にされたのかもしれないけれども)V型感染症になっていなかったら?また、その絶望の中で死んでしまっていたら?とか、絶望の中でも歌うことを諦めていたら?

など、二人の歌姫が死を覚悟するくらいの勢いで、ラストのライブステージに到達できたからこそ、バジュラとの共存の道が開けたと思うと、やはりこの二人の歌姫の生きる力に拍手を送りたくなります。
#そして当然、その歌唱力と素晴らしい楽曲でこの物語をひっぱってくれたことも大感謝です。
#歌が本当に感動的だったからこそ、このレベルまで到達したんだと素直に思います。

そして、その二人の歌姫を最後の最後まで歌い続けるように支えてきたのは紛れもなく主人公のアルトなわけだから、やはり彼にも拍手なんだよね。
たいしたもんです。鈍感だけど(笑)。


前回の感想で書こうかどうしようか悩んで書かなかったのがヴィルラ氏の目的。

メガロード-01を探してるんじゃないか?と思っていたんですよね。
それが、銀河をつなぐ目的じゃないか?なんて。

そして本編。

ヴィルラ氏が開いたペンダントにはあのリン・ミンメイの写真が・・・。

なんかめちゃ嬉しくなりましたね。

これで消息不明になってしまったメガロード-01と、本編の接点ができた。

まだまだつながっていくんじゃないか?という期待感、これは凄く嬉しかったですね。

マオ・ノームの孫としてシェリル・ノームの登場。

一条輝や未沙たちの子孫も登場するかもしれない・・・。
#マクロス7ではマックスとミリィの子供だって登場したのだから。

そんなマクロスシリーズに対する夢を膨らませてくれるワンカットでした。


改めてマクロス、ありがとう。

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10月8日発売!!もう予約しちゃいました。

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コードギアス 反逆のルルーシュR2 第24話『ダモクレス の 空』

2008-09-26 00:12:40 | コードギアスR2
エンタメ的にも、これまで積み重ねてきたお話の集大成という意味でも、非常に熱かったラスト直前の「ダモクレスの空」。

思えばシュナイゼル、というキャラクターに集約された記号というか、作中のメッセージは凄く面白い、というのがここ数話の僕の感想。

ルルーシュもシュナイゼルも基本は同じ。
他人の気持ちを理解したり共感したりすることは(ほぼ)無く、他人とはチェスの駒と同じで、こういう情報を与えればこう動く、こう動くからこう手を差し伸べてやれば良い、そうすれば結果的に思い通りに動いてくれる、という気持ちの双方向理解どころか、思いっきり一方通行なキャラとして記号化されていたわけです。

詰まるところ、シュナイゼル的世界というのは、自分の中で完結してしまった世界で、他者を必要としない、非常に狭い世界になってしまっているわけです。
この狭い世界の中、つまり自分の世界の中では思うとおりに事が進む、自分の世界なのだからその世界は優しい、という感じに。

しかしながら、コードギアスの世界というのは、(日常生活においても)世界というものは基本的に厳しいものなんだ、というところからスタートしていて、自由意志を奪うという万能の能力を有するはずのルルーシュでさえままならないことばかりが続く。

だからその(実は世界は厳しいもので、その世界が広がれば広がるほど厳しいものなんだという)ギャップを乗り越えていかないといけない、というのがルルーシュに課せられた宿題、というか宿命のようなものになっていると思うんです。

それってつまりは、中学生から高校生くらいにかけて、また社会人になって、接する世界が広がって、実は自分が想像していた世界(自分の中で完結していた世界)と、現実世界はギャップがあって、いろんな人と交わりながら、そういう厳しい中で生きていかないといけない、ということに気がついて成長していく、ということと同義なんじゃないの?という感じなんですよね。

作中で、唯一ナナリーだけが、最初からハンデを負っていて、世界とはかくも厳しいものだから、独りで生きていくことはできない、だから助けてくれた人にはせめてもの笑顔で返そう、という独りゴールに最初からいる大人キャラだった、という凄い設定なんだよね。たぶん。
#だから優しい世界、というのは他人に優しくなれる世界、のことなんだよね。


ルルーシュ的にはそういうままならない世界の中で、それでももがき続けて、抑圧された中から本当のブレイクスルーに至る、というのを体現した、というのがエンタメ的要素としても非常に熱かった、と思うわけです。

それがシュナイゼルに対して、論理で初めて勝った、というところにつながったんじゃないかなぁ。

過去、現在を求めたシャルルとシュナイゼル。

対して、ベースは彼らと同じところにあったルルーシュだけれども、結果としていろんな世界を経験して、ままならない苦い思いを積み重ねてきた結果、未来を渇望するようになった(生来、彼は未来を渇望していたのかもしれない)。

それが自分の世界のための未来ではなく、これまで関わってきた人たちの未来も含むようになった=ルルーシュの世界が広がって、厳しい世界の中でももがき続けた、というところがこの物語の肝になったんじゃないかと思います。


たとえ万人に嫌われたとしても、俺はこの道を通す、というような抑圧とプレッシャーの中からのブレイクスルーというのも、この作品の大事にしていた部分だったと思うので、その辺は最後にゼロレクイエムという形で結実するんじゃないか、と思っています。


あとは、ルルーシュ、スザク、ナナリー、C.C.というこの四人で、最終話を飾って欲しいところです。
どんな結末になるのか、これはもう終末=週末を待つしかないでしょう。

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マクロスF 第24話 「ラスト・フロンティア」 感想

2008-09-21 08:44:52 | マクロスF
マクロス・フロンティアも完全にクライマックス。

グレイスの本当の狙い、11年前の真実、シェリルの出生の秘密、等次々と明かされていく謎。
アルト、シェリル、ランカの置かれた状況も本当にクライマックスへ。

既に感無量状態に陥りつつあるので、感想を書けないくらいの状態です。


■グレイスの本当の狙い

グレイスが作中で複数の人格とネットワーク上で交信し、優先権等について会話をしていた内容と、バジュラが自分たちのネットワークを持っていて、並列化がなされているというのは、意図的に似せるようにこれまで表現されてきたけれども、グレイスの研究の本当の狙いは、バジュラの生態系にヒントを得た全人類のネットワーク化、しかも並列化&各ノードに対する優先権を設定することによって、配下のノードの自由意志を奪い(これは既にブレラがこの状態にある)、グレイスは自分自身の理論の正当性を主張したいという願望から自分が女王になる、銀河の女王になるというところまで行き着いてしまった、ということなのか・・・。

バジュラをコントロールする鍵=ランカを手に入れたことで、というか、プロトコル解析が進んでいるということは、次はランカを介さなくてもグレイスはバジュラをコントロールできる、ということになるのでは?

名実ともにそれでグレイスが銀河の女王になる、ということなのかもしれないですね。
#逆に言うと、ランカが離脱するのもそのタイミングになるのか?
#個人的にはブレラが自由意志を一瞬でもいいから回復する、とかそういうイベントでランカを解放して欲しいけれども。

全人類並列化理論。

この自由意志を剥奪する理論に、当時ランシェ・メイやマオ・ノームは反対したんでしょうね。
受け入れられない、と。

グレイスの行動原理は、その理論を否定されたことと、バジュラによって得たヒントではあるけれども、自分の体や研究を灰にしたバジュラを許さない、という実はものすごく個人的動機に由来しているかも。

今回の二人の歌姫が双方を代表する戦の歌姫として歌の代理戦争でもしているかのように見えるのは、ランシェ・メイの血(ランカ)とマオ・ノームの血(シェリル)を争わせるという、グレイスにとっての意趣返しにもつながっているのではないかとさえ思えるところです。
#作中で何かそう明言した気がするし。
#当然、グレイスはシェリルの出生の秘密を知っていたことになるし、マオ・ノームに対する恨みからシェリルをV型感染症に感染させて実験体にした、ということまで可能性としては考えられてしまう(シェリルを孤児にしたのも・・・とかね)。
#ランシェへの恨みの返しとしては、全人類をその娘が敵に回す、という現在進行形で継続中・・・と。

ただし、この作品名に何故「フロンティア」と冠されているのか?

それは作中前半から提示されていたインプラントやサイボーグというモラルハザード、バイオハザードに対する警鐘を鳴らしていたわけだけれども、人間が持つ生きていたいという生存本能、開拓者であるという矜持、誰かを愛していたいという想いは、並列化ネットワークなんかでは不要のものとされてしまう。

けれども、それって本当に人間らしいことなんだろうか?

今回奇しくも、キャシーがオズマに語ったように、人の営みというのは、宇宙に出ても変わらない、生きる力ってのは強いものなんだ、ということ。

そういった並列化された世界では無用とされる力こそが、実は人類が持つ一番大きな力で、それらを体現してきたのが「フロンティア・スピリット」なんじゃないのか、と。

それが「ギャラクシー」の対極に位置する「フロンティア」の位置づけなんじゃないのかな。

今回、最後に無傷の「ギャラクシー」が登場して並列化世界の頂点に達しようとしているけれども、対する「フロンティア」、人類が持つ最後の希望=生きていたい、誰かを愛していたい、という生存欲求が勝つか、という「ギャラクシー」対「フロンティア」のイデオロギー対決が最終話のもうひとつの見所なのかもしれないですね。


■シェリルの出生の秘密

。・゜・(ノД`)・゜・。

やっぱりマオ・ノームの血縁関係者、しかも孫だったんだ。・゜・(ノД`)・゜・。

ドクター・マオとして、マオ・ノームの話が出たときからそうだったらいいのにな、とさえ思っていたことがここで判明。

孤児だと、親の顔すら知らないと思われていた天涯孤独の身だったシェリルにも、両親がいて、そのまた両親がいて、あのイヤリングは代々ノーム家に受け継がれてきたものだったんだ・・・。

なんかそれだけでちょっと嬉しかった。

・・・マオはやはりシンと結婚したんだろうか?
でも、ノーム姓名乗ってるから、離婚したのかな・・・。

ともあれ、サラとマオに宿る血は人類が持つ血とは違うので、その設定は使われるかどうかわからないけれども、彼女たちは「巫女」としての力を持っているのだから、やはり現在も戦う者たちを戦歌で送り出す「巫女」的存在となっているシェリルは、紛れも無いノーム家の娘だった、ということですよ。

親が子を思う気持ち、これがどれだけ強いか。
これは親になって是非経験して頂きたいところですが、ランシェにしても、マオにしても、きっと同じだったに違いない。

今は二人の娘と孫がグレイスに良いように利用されている。

けれども、やはりラストではそんな二人を縛るグレイスの恨みから、彼女たち二人の生きる力で是非、飛び立って欲しいところでしょう。

シェリルが燃え尽きる前に、こっちが燃え尽きそうです。

シェリルのステージは絶対にもう一回、見せ場があると踏んでます。
というか、期待しています。



そしてアルト。

彼がこの戦いの最後にどんな答えを出すのか。

それは最後の最後までとっておきたいと思います。

今回のラストでランカに抱かれるように撃墜されてしまったアルト。

けれども、VF-171Exという仮の機体ではなく、VF-25という本当の愛機に乗るとき、これが彼の本当のクライマックスでしょう。


ああ、本当にあと1話で終わってしまう・・・。
これまでかなりの密度で楽しませてもらったこの作品。

今回も、そういう意味では劇場版マクロスの主題歌である「愛・おぼえていますか」を敵側の巫女であるランカが歌い、それに挑んでいく人類というのは、初代マクロスを超えようとするスタッフの意気込み、それこそ「フロンティア(という作品の)・スピリット(魂)」の現れなんじゃないのか?とさえ思えました。

僕は初代を見て心を奪われたタイプの人間だけれども、このフロンティアも、大好きな作品になったことは間違いありません。

最終話、楽しみにしています。

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これも購入確実。今から楽しみです。

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コードギアス 反逆のルルーシュR2 第23話『シュナイゼル の 仮面』

2008-09-20 01:11:26 | コードギアスR2
シュナイゼルはルルーシュの鏡のような存在、というのが僕が思ってきたことだったんだけど、ルルーシュが嘘をつくための装置としてゼロという物理的にも記号的にも仮面を使ったのに対して、シュナイゼル自身もやはり仮面をかぶっていて、ただしそれは物理的な装置など必要なく、シュナイゼルはシュナイゼルのままで嘘をつくことができる、仮面使いとしてはルルーシュよりも上にいる、という存在でした。

ルルーシュに代表されるように、コードギアスに登場するキャラクターたちは基本的に気持ちの一方通行化、つまり他人の気持ちよりも自分の気持ちを優先する(そういう風に極端に振ることで事象を分かりやすくする=記号化している)ようにできていて、その傾向がもっとも強く描かれているのが、ルルーシュとシュナイゼル、という形になっているんじゃないかな。

ルルーシュの仮面も分かりやすかったけれども、シュナイゼルの仮面もある意味分かりやすくて、二人とも他人はチェスの駒と同じように、こう動かせば、こう動く、だからこういう情報を与えてあげよう、というように、他人の気持ちがどうあれ、こうやればこう動くであろうという、自分の世界の想定のもとで駒を動かしている、気持ち的には一歩通行の人たちです。

それが今回シュナイゼルが言った、人はどうしようもなく理解しあえない、だから感情なんかいらない、システムで支配してあげることが一番平和的解決なんだ、という持論に行き着くわけです。

それはあくまでシュナイゼルの中だけの世界なんじゃないですか?
実はその世界は独りだけの世界であって、凄く小さい世界なんじゃないですか?
それってナナリーの言う、みんなが(他人に)優しい世界、とは対極にあって、相容れないものですよね?

という展開を期待したいところですが、対するルルーシュも基本的には同じところがあるので、ゼロレクイエムが何か?というのも気になるのですが、シュナイゼル的世界と同じ方向性でルルーシュが動くのか、それとも、何かが起こって違う方向性へ進むのか?というのがラストの見所なのかもしれないです。

その予兆としては、C.C.との会話で、もうナナリーのためだけに戦うわけにはいかなくなってしまった、とか、(おそらくフレイアに対する切り札になるであろう)ニーナに対する接し方なんかがヒントになるんじゃないかな、とも思うわけです(その辺はシュナイゼルとの違いとして描かれるかもしれない・・・)。


作風的にはたとえ万人から嫌われようとも、抑圧された世界から打ち破って外へ出ようとするブレイクスルー的なパワーみたいなのは凄く大事にしているような気がしているので、万人に嫌われる覚悟を持ってゼロレクイエムを敢行しようとするルルーシュとスザク、この二人をどういう風にラストまで描いていくのか、というのが僕的な見所ですかね。

ルルーシュに関してもそうですが、スザクに関してももう一段何か深堀的イベントが欲しいところなので、もう何回かピンチがあって、本当のブレイクスルーを迎える、という展開を期待したいなぁ。
#多分、ルルーシュとスザクという二人の関係性の物語として最後を描いてくれても僕的には嬉しいので。


それにしてもコーネリアさま。・゜・(ノД`)・゜・。
#コーネリアファンの僕としては泣ける。
#もう一花、咲かせてください。

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マクロスF 第23話 「トゥルー・ビギン」 感想

2008-09-18 00:45:26 | マクロスF
今週も週遅れになる前に手短に。

クライマックスへ向けて全ての謎が終結していくように、そしてアルト、ランカ、シェリルの三角関係もまたラストへ向けて盛り上がっていく、そんな切ないような終わりの予感を感じさせる「トゥルー・ビギン」。

ただ、個人的には、先週SMSが離脱したように、それぞれが自分の道を切り拓くために歩み始めた前回の「ノーザン・クロス」こそが「トゥルー・ビギン」で、アルトの気持ち、シェリルの気持ちが明確になった今週こそが「ノーザン・クロス」だったんじゃないか、とさえ思えてしまいました。

というのも、「ノーザン・クロス」という歌はシェリルという北極星のように輝く、というか輝くことを宿命付けられた星が、命尽きることを覚悟で歌い上げる片思いの曲なんだ、というのが今回を見ていてよく分かったような気がしたので。

自分の気持ちはアルトへは現時点では届いていない。
そして自分に残された時間は短い。

たとえそれが同情であったとしても、今はそれにすがりつきたい。
自分が生きる希望や理由はそこにあって、やはり誰かを愛していたい。
それがただ生きていたい、と思うように。

そういう覚悟や切なさが「ノーザン・クロス」にはあるような気がして、今回のエンディングなんかを聞いていて、アルトの本当の気持ちをシェリルが聞いてしまう、そんな切なさと、そしてそれを知ったとしても、やはり残された時間が短い自分には、その命を賭して自分の好きな人の傍にいたい、そしてやはり自分は北極星のように、歌うことを宿命付けられているのだから、最期の最期まで歌いたい、という気持ちが溢れてきているような気がして、凄く切なかったです。
だから、僕個人としては今回はシェリルのためにタイトルは「ノーザン・クロス」が相応しいかもしれない、なんて思ったわけです。


アルトはアルトで、ランカを自分の手で解放する=殺すことが愛のひとつの形だ、と悟ってしまっているようですが、やはりここは、そんなんじゃねー!!くらいの勢いで誰かにぶっ飛ばされて欲しいところです。

この二人のヒロインはそんなに弱くない、と思いたいところです。


グレイスの描く理論とバジュラの生態系は非常に似ているところがあるのですが、そこも、そんなんじゃねー!!くらいの勢いでぶっ飛ばして欲しいところです。
ここはあえて離脱していったSMSのメンバーに期待したいですね。
ランシェ、ドクター・マオ、とグレイスの確執みたいなところからスタートがあったんじゃないか?というのは、ここ数話でもイメージできそうなところ。

残り話数が少ないですが、ここから一気にクライマックス。

役者としてその場の流れを演じてしまうアルトが、本当の意味で解放されるときがくるのか?
やっぱりそれはVF-171Exではなく、本当の愛機であるVF-25に搭乗して、突き破って欲しいと思うなぁ。

マクロスFO.S.T.2 「娘トラ。」
これも購入確実。今から楽しみです。

ライオン

買っちゃいました!現在ヘビロテ中。

マクロスF(フロンティア) 2(blu-ray Disc)


DX超合金 マクロスF(フロンティア) VF-25Fメサイア(アルト機)

やばい、これは買ってしまいそう。2008年11月発売だそうです。

コードギアス 反逆のルルーシュR2 第22話『皇帝 ルルーシュ』

2008-09-13 18:22:44 | コードギアスR2
今週ほとんど大阪に出張していたので、感想がほぼ1週遅れに。
内容としては、ほとんど最後の引きの1コマに持っていかれたので、今回は簡潔に。

それにしても、最後にナナリーが再登場してきたのにはビックリ。
#つか、公式HPも微妙なことしなければいいのに・・・と素直に思ったよ。

しかしながら、ナナリーが担っている作中での意義は凄く大きいので、やはりここでの再登場はクライマックスへ向けて必定というところでしょう。

気持ちの一方通行が登場人物の大半を占めるなか(現在生存しているキャラでは)ほぼ唯一他者を思いやり、世界とはそもそも優しくなく厳しいものだと(だから他人に優しくなれる世界が必要だと)知っているナナリーというのはある意味最強キャラです。

対してルルーシュは、皇帝ポジションになって、これまで比べてより「世界が優しくないのならば(自分の思い通りにならないのなら)その世界ごと作り変える、そのためには既存の世界を壊しても構わない」という色をより強めた、という感じに見えます。
#おそらくこれはスザクも同調した考え。

つまりは気持ちの一方通行化に拍車がかかった形になっており、超合衆国との和解?についても、他者とどう通じ合うか?という方向性ではなく、他者はこう考えてこう動くであろうから、こう仕掛ければ望んだ結果が得られるだろう、という自分の世界を貫いています。

反面、ユフィのことも思っており、自分の悪名が轟けばユフィの虐殺皇女という汚名もいずれは薄れ行くだろう、という優しさも併せ持つ。
#ナナリー、ユフィ、シャーリーだけが現在のルルーシュが心を開いていたから、とも言えるかも。
#近い存在としては、大事ゆえに遠ざけているカレンがいるかもしれない。そういう意味ではリヴァル、ミレイあたりもそうなんだろうな。

ここでラスボスとして対峙するのはシュナイゼルですが、彼もまたルルーシュと同じく一方通行の人なので、他人の気持ちがどうであろうと、彼の誘導術によって、その人が望んでいるであろうものを用意し、誘導することで選択肢を狭めてあたかも自分が決断したかのように落とす。

やっていることはルルーシュと同じなわけで、先週の感想にも書いたとおり、やはり彼はルルーシュの鏡的存在。
ゆえに、ルルーシュが対峙しないといけないのは自分なのかもしれない。

ちなみにシュナイゼルの上手いところは、自分が主張しているのではなく、周囲の皆がそう思っているので私はそれを代弁しているに過ぎない、と自分が前に出て主張することを避けるところにあります。
#今回の皇帝にふさわしいのはナナリーというところにもそれが現れています。
#こういう手法は普通に会社で物事を進めていくときに非常に有効です。
#(サービス提供を渋る社内の部署に対して)私が言っているのではありません、お客様のご要望なんです。あなたはいったい誰から給料をもらっているのですか?会社が給料を払ってくれているのではないのですよ(お客様ですよ)?という会話は結構日常的にあったりなかったり・・・。


脱線しましたが、ルルーシュはナナリーを通してしか、今のところ他者の気持ちを考えるすべを知らない。
そんなナナリーを敵に回して、ルルーシュそしてスザクはどう抗えば良いのか?

・世界は自分が思っているほど優しくはなく、基本的に厳しいものである。

・自分ひとりの世界に閉じていれば世界は優しいかもしれない。
 が、現実には独りの世界なんて有り得ない。

・そんな世界の中で気持ちの一方通行の人間がいかに万能の能力を有していても、自分の世界の王にしかなれない。

というルルーシュを現す一方で、

・抑圧された中からこそ、本当の気持ちが突き破ってくる。

・反逆精神の中に光るものが現れる。

・本物のブレイクスルーはそうした中から生まれる。

というような点についても、作中是として扱っていると思うので、人は支配されたがっていると思っているシュナイゼルはこの作品では(例え居心地が良い世界であっても)抑圧としての存在かもしれないし、ルルーシュはその抑圧の中で思い通りにならない力を溜め込んで、本当のブレイクスルーまでつなげることができるかどうか?という戦いなのかもしれない。

当然、こういう流れなのだから、世界は厳しい(ナナリーはハンデがあるからこそ最初から自分ひとりでは生きられないという世界の厳しさをしっていた)というなかで、他人に優しくなれる世界、つまり自分だけの世界じゃなくて、他者の世界をも受け入れて相手を思っていける世界という方向へ行かなくてはならない、と思う(たぶん)ので、ルルーシュのブレイクスルーがあるとすればそこなのかもしれない・・・、なんて思ったり思わなかったり。

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マクロスF 第22話 「ノーザン・クロス」 感想

2008-09-07 09:12:12 | マクロスF
やっぱりいつの世も女性には適いません。
ランカが自分の道を決めて歩き始め、そしてもうひとりのヒロインであるシェリルもまた、自分の命を削りながら歌を歌うという選択をして前に進む。

絶望を見て、そして今なお死に近づいているからこその境地なのか、シェリル自身もまた一歩前へ進んだシェリルとなり、作中でもミーナたちオペレータが言ったように、新しい境地を拓いていく。
しびれます。

ここ数回のランカの歌が流れてバジュラとの戦闘に入るときは、これはこのままでいいのか?とか間違った方向へ行ってないか?という後ろめたさ?的なところが続いたけれども、皮肉にも仲間同士での戦いとなった今回、そこに流れるシェリルの「ノーザン・クロス」は次週のタイトルである「トゥルー・ビギン」という名のように、新しい方向へ向かって進む、停滞感を払拭していくような力強さを感じました。

そしてラストシーンはビッグサプライズ。
バジュラの母星はなんと、地球に似た星だった!みたいな。

ランカの逃亡がグレイスの意図したものかどうかは分からないけれども、結果的にギャラクシーが考えていたことというのは、そういうことだったのか、という結構な驚きでした。

安住の地を探すための旅。

なぜバジュラが人類を襲うのか?

もうすぐこの理由がひとつになりそうな気配です。


■シェリルとアルト

シェリルには是非「ダイアモンド・クレバス」に続くバラード調の曲を歌って欲しいと思っていただけに、今回初お目見えとなった「妖精」は個人的にぐっときました。
きっとサントラ2にも収録されるだろうから、これはもう今から楽しみなのです。

それにしても、自分の死刑宣告から前を向いて歌いだすシェリルは素敵過ぎる。

レオン三島がどうとか、バジュラがどうとか関係ない、今、自分の歌を必要としてくれている人がいて、その人たちのためなら自分は歌うことができる。
たとえ自分の命が残り少なくても、いや、残り少ないからこそ、最期の最期まで歌っていたい。

星はどうやっても輝くものなんです。
ましてや彼女は北極星のように不動の輝きなんですよ。

なら最期までみんなのために歌う。
自分には歌しかないのだから。

やっぱりいつの世も女性には適いません。


それでも、そんな強いシェリルでも、やはり人として支えや勇気が必要で、それがシェリルとしてはいつもシェリルであろうと気を張っていたけれども、唯一素のシェリルを見せることができるアルトという存在に行き当たるというのは至極当然なんですよね。

また、アルトとしては、儚く散ってしまうのではないかという際にいるシェリルに、若くして亡くなった自分の母親の姿を重ねてしまったのかもしれない。

そこでアルトがシェリルに対して、最後までお前のそばにいる、というのも至極当然なのかもしれない。
#もうこれ以上失いたくない、という気持ちもあるんだよね。きっと。

オズマがアルトに問いかけた言葉。

その場の状況や感情に流されてないか?

ここも非常に難しい。

アルトとルカは、ある意味、自分の好きな女性を意図せずとも人質に取られているようなものだから、SMS組にすぐに参加することができない。
#けれどもカナリアはそういう危険性をも超えて参加している。自分の家族を本当に守るためにはどうすべきか?と考えたんでしょうね。
#そういう意味でも女性には適わないなと思うわけですよ。

ランカ・シェリル、この二人に対する思いを巡って、もう一度アルトは飛び立たないといけない、という展開が残り数話として訪れて、きっとそれはこの物語の真のクライマックスになるんじゃないかな。
#もちろんルカにも同じタイミングがきっとくるんだろうな。

アルト自身もパイロットとしての腕は上がっていて、オズマの最新鋭VF-25Sに、VF-171Exで多少なりとも手傷を負わせたのだから、愛機であるVF-25を手にしたとき(=それはSMSに戻るときだと思うんだけど)、アルトも真の力を発揮するのかも?しれないですね。


■ギャラクシーの目的

今回のラストシーンは結構驚きました。

バジュラの母星が地球と同じ感じの惑星だったなんて。

これで何となくギャラクシーの目的と、何故バジュラが人類を攻撃するのか?の意味が分かってきた気がします。

ギャラクシーは最初からバジュラの母星は地球と同じような条件であることが研究から分かっていて、フロンティアをおとりにして、バジュラの母星への航路を探していたと見るべきなのかな?

ギャラクシー船団自体はほぼ無傷で残っている感じもあったので、ここで最後の敵=本当の敵として登場するのは、モラルハザード、バイオハザードの陰をちらつかせる=人類の進化に対するモラルや歯止めを失ったものの象徴として描かれるギャラクシー、人類の敵は人類?という展開を見せても不思議ではなくなってきました。
#フロンティアではインプラントやサイボーグ化が法律で禁止されているけれども、ギャラクシーはそういうサイバネ技術を奨励していたし、グレイスたちにいたっては、ひとつのボディで複数の思考が併存するという、既に人類としての枠を超えてしまっているのかもしれないし、そういう表現は作中ネガティブとして扱われている気がします。

対してバジュラは、以前にカムジンのそっくりさんのテムジンが言ったように、宇宙は二種類の生物が生きられるほど広くはない、という言葉があったように、バジュラ自身(は生体兵器という扱いかもしれないので、バジュラのクイーン?)も、人類と同じく生き残りたいだけなのかもしれない。

バジュラはそういう外敵に対する自動的な防御手段で、生き残る手段なのかもしれない。

母星にもっとも近づいたのがギャラクシーの調査船団だったから、攻撃したとか。

それとも、もっと色々絡んでいて、ランカの記憶が喪失している部分=11年前、シェリルがV型感染症に感染したのが10年前という数字の符号を考えていくと、その前からバジュラに対する研究は、ランシェ博士、マオ・ノーム博士、グレイスとともに、そのもっと前からなされていたと見るべきで、ランシェ博士とグレイスの方向性とかがそのあたりで違ってしまったのかもしれない。

共存か殲滅か?

という2者択一になっている状況を考えると、ランカを巡って(いや、シェリルもその輪に入るのかもしれない)最後のクライマックス突入ということなんだろうな。

ランカは11年前の出来事と向き合わなければいけないし、シェリル自身も死を前にしてグレイスとの対峙は避けられないと思うし、つまるところこの姉妹のような歌姫二人は、グレイスを基点として対峙して乗り越えていかないといけないのかもしれないですね。

シェリルの名づけ親は本当にマオ・ノームなのかもしれない・・・とか思っちゃいますよね。
#あのフォールド・クォーツの送り主も。

この姉妹のような二人のデュエット、しかもそれが「ライオン」で、是非いろんな閉塞感を打ち破って欲しいところです。

やっぱり女性には適わないなぁ。

マクロスFO.S.T.2 「娘トラ。」
これも購入確実。今から楽しみです。

ライオン

買っちゃいました!現在ヘビロテ中。

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やばい、これは買ってしまいそう。2008年11月発売だそうです。

コードギアス 反逆のルルーシュR2 第21話『ラグナレク の 接続』

2008-09-04 01:15:01 | コードギアスR2
今回のお話の内容は、これまでの第1期から含めたコードギアスの中でも回答編に近い位置づけにあったんじゃないかと思うくらい、自分の中では何かが見えたようなそんな感じになりました。

コードギアスの法則・・・じゃないんだけど、真実に近づいたキャラは退場してしまったことを考えると、やっぱりそうか、という思いを強く持ってしまいました。

それは、ルルーシュが叫んだ「ナナリーの笑顔の意味を考えたことがあるか?」だったわけです。

ルルーシュという人物は、基本的に他人の心情に対して一方通行な人間なんですが、その彼がナナリーのことだけは違っていて、他人(ナナリー)のために行動しようとする。

そのルルーシュが叫んだ言葉。

これがこの物語の核心であって、答えだったんじゃないかと思いますよ。

これは後で別記事にしよう、しようと思って全然時間が取れなくてまだ書けてないんだけど(笑)、日経ビジネスオンラインで谷口監督のインタビューが掲載されているんですよね。

ものすごく端的に要約してしまうと、コードギアスという物語において、ルルーシュという人間性だけじゃなく、登場人物のほぼ全てが自分の気持ちに一方通行な人間になっていて、万能の能力を持つルルーシュは他人の気持ちを考えることはなく、チェスの駒のように、こうすればこいつはこう動くだろうという一方通行コミュニケーションになっている。
そんな万能能力を持つルルーシュでさえ、ままならない世界。
それは、この作品において、世界というものはそんなに優しいものではなく、厳しいものなんだというのを徹底的に描くためである、という感じになっているわけです。

気持ちの一方通行

というワードと

世界とは基本的に厳しいものである

というワード。

この2つが持つ意味というのはこのコードギアスという作品においては非常に大きいわけです。

だからこそ、この2つのワードが持つ意味が反転する部分、そこに答えがある、という気がしてならないんですよね。

世界というものは基本的に厳しいものであり、自分の思う世界とはギャップがあるのが当然で、人が成長する中でそのギャップに気づき、埋める努力をしていかないと人としての営みができるわけがない。

他人との接点が少なくなれば少なくなるほどその世界は極小化し、自分そのものが世界になっちゃう。

自分が世界になっちゃえば思い通り・・・なのか?

否。

世界は優しくない。

それは当たり前のことなんだから、それに早く気がついて、自分の考えや意思をしっかりと持たないといけない。

そして当然ながら気持ちの一方通行では世界は成り立たない。

相互理解をしながら、ぶつかり合いながら歩み寄っていかないとそのギャップを埋めていくことはできない。

そういう意味で、マリアンヌを殺害したV.V.の意思は作中では一方通行の世界を支持するV.V.がマリアンヌと知り合うことで変わっていくシャルルを許せなかった、自分の世界が小さくなって、独りになってしまうことを恐れた、作中悪を体現した、ということになるわけだ。


ナナリーという存在は、そういう意味で作中の究極回答になっていて、ナナリーだけがこの物語において、世界というものは基本的には厳しいもので、自分ひとりではできないことがたくさんあることを理解していた存在だったんですね。

だからこそ、ナナリーの笑顔はその助けてくれる人に対するせめてものお礼、優しさのお礼なんですよね。

ユフィやシャーリー、この二人のヒロインも基本的にはナナリーと同じ。

この気持ちの一方通行をあえて描いていくキャラの中で、この二人だけがルルーシュや他人を理解して受け入れるという選択、その境地まで達したヒロインだったんですよね。

だからこそ、ユフィ、シャーリー、ナナリーという既に散ってしまったヒロインたちの意味合いは非常に大きいな、と今回を見て痛感しました。

そしてロロ。

今回シャルルやマリアンヌが目指した世界は嘘の無い世界、意識の統合でした。
このギミックはSFでもよく取り扱われる素材で、グレッグ・ベアや最近でいけば僕の大好きな「交響詩篇エウレカセブン」でも意識の統一を取り扱った作品がありますね。

意識の統合による嘘のない世界。
シャルルとマリアンヌが言う優しい世界。

それって本当なの?

否。

優しい世界の意味が違う。

ナナリーの言っていたのは他人に優しくなれる世界のこと。

全てを本当に語ってしまうことが優しいことなのか?

それを体現したのがロロ。

嘘や仮面をかぶってでも、世界と向き合わないと駄目だったり、時にはそれが人を助けることもある。

相手を思って嘘をつくこともある。

良くも悪くもそれが現実なんだから、それを受け入れないといけない。

シャルルとマリアンヌの世界は、究極の逃避。

一方通行の最終形態。

これが皮肉にもC.C.の言葉として残っていて「お前たちは自分が一番好きなんだ」という言葉に集約される。

優しい世界というのは自分に優しい世界。

ナナリーの目指した、他人に優しい世界の対極。

これをルルーシュが受け入れるはずがない。


世界というものは基本的には厳しい。

だから独りだけで生きていけるわけでもない。

でも、もし他人を思いやる心が互いにあったならば、その厳しい世界の中にも、優しい世界というのは確かに存在する。

これが作中答えのような気がするなぁ。


この意味においては、ルルーシュはまだ一方通行の人間のまま。
スザクにおいても同じように感じる。

それは当然シュナイゼルも同じ。
彼もルルーシュと同じタイプの人間で、他人の意思は彼の前ではどうでも良くて(というか興味がなくて)、チェスのように、こういう風に情報を伝えれば、この人間はこういう風に受け取って、こういう行動を取るだろう、という人間なんですよね。

つまりルルーシュの鏡。

ルルーシュが最後に対峙しないといけないのは、鏡に映る自分自身ということなんじゃないかと考えると、ラスボスがシュナイゼルというのは納得なのかもしれないですね。

あとはC.C.。

彼女の憂うような表情はシャルルやマリアンヌを見て、ルルーシュに何かを投影してみてしまっているのかもしれない。

だからこそ、シュナイゼルという鏡にどう対峙するか、というのは大事だよね。

最後の最後はルルーシュとスザク、そしてC.C.という、第1期第1話に登場する3人で物語の締めに向かうんだろうか。

うーん、でも今回なんかこのコードギアスの目指すところがようやく1年分くらいかけて理解し始めることができた気がしてきた(遅すぎるくらいだ(笑))。

#アーニャがルルーシュの妹、と言う妄想は外れちゃったなぁ(笑)。
#また新たな妄想を考えることにします。

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