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冲方丁 『天地明察』 感想

2010-01-22 00:09:30 | 小説 感想
【明察】
(1)その場の事態・事情などを明確に見抜くこと。また、その推察。
(2)相手の推察などを敬っていう語。賢察。


からん、ころん。


この本を読み終えて、そしてこの「からん、ころん。」という音に思いを馳せるとき、神秘的で厳かで、そして、人が傾ける真っ直ぐな情熱、受け継がれていく想いなど、様々なことが胸をよぎります。

そして清清しい思いでこの本を閉じたとき、何と言うか真理・神秘に触れたような、そんな感動にゆっくりと浸れるのでした。


『天地明察』


冲方丁が描く初の時代小説。
時代小説ながら、刀は文字通り無用の長物、剣戟、合戦、一騎打ちなど全くの無縁。

しかしながら、そこに繰り広げられたのは、まぎれもない真剣勝負。

22年の歳月を賭して辿り着く、人の叡智の頂。

そして無用と思われたものにも意味のある結末。


これは徳川幕府が家光から家綱へと将軍職が移り、そして綱吉へとつながっていく時代、戦国時代というひとつの時代が終わり、江戸文化が花開こうとする時代、そんな時代に生を受けた安井算哲=渋川春海が、命を懸けて挑む、日本初の「暦」を生み出す大事業のお話なのです。

ここはひとつ、騙されたと思って読んで頂きたい。

冲方丁ファンの人も、そうでない人も、人が傾ける情熱の美しさと、託されていく想いの美しさに、きっとご満足頂けるのではないかと思います。

たかが「暦」、されど「暦」。

この「暦」を巡る22年間の真剣勝負、とくとご覧あれ。


■かっこよくない主人公、渋川春海、でも大好きな主人公である。

碁打ちの家元でありながら、算術にその身を捧げるという、そもそも変わったところのある渋川春海ですが、この男が人から滅法愛される。

そして愛される人たちからよく叱られる(笑)。

そんな良く叱られる、かっこよくない主人公の渋川春海。

僕も大好きなのである。

彼が歩いた道のりは、決して平坦ではありません。
「改暦」という大事業へ向けて、若いときからただひたすらに、愚直に、真っ直ぐに、悩みながらも歩くことを決して辞めなかった、そんな春海の歩く姿、それを見るだけで、読むだけで、今はそれを思い出して泣ける、そして清清しい気持ちになれる。

このかっこよくないけど、人から本当に愛される男が打つ、一世一代の真剣勝負。

この純粋な想いが、会津の名君・保科正之、水戸の水戸光圀、その他大勢の人の支援を集めていき、そして常に託される。

託された想いに一途に応えようとする春海の姿に、涙と、清清しさを見ることができるんだろうなぁ。


■天・地・人

改暦という、ぱっと見ただけじゃどんな意味があるか良く分からない、生活するうえでどんなインパクトがあるのか分からない、そういう題材を扱ってなお、この『天地明察』という物語は、一級のミステリーであり、最高のエンターテイメント足りえた作品だと僕は思うんです。

『神様のパズル』や『博士の愛した数式』なんかを読まれた方には何となくその一級のミステリーであり、最高のエンターテイメントである、というニュアンス、分かって頂けますでしょうか?

紛れも無くこの作品は、そういった神様が残した難題に挑む、タブーに挑むような面白みがあるんです。

ハードカバー版の『神様のパズル』のあとがきだったと思うのですが、宇宙が何故できたのだろうか?とか宇宙を作れるのか?というような題材が読者に受けるのだろうか?(売れる要素の大きな部分を占める)エロスもバイオレンスもないそんな作品なんだけど、と作者が言うのに、解説を書いた人が、宇宙の真理を解き明かすという行為自体、神に挑むようなもので、それを明らかにしていくプロセスは紛れもなくエロスであり、バイオレンスだよ、という趣旨の回答をされていたんですよね。

そう、この時代小説。

剣戟など一切出ることなく、春海に至っては刀に振り回される生活をして、捨ててしまおうかと真剣に悩む始末。

しかしながら、この春海

天の誤りを解明し、

地の誤りを解明する

この間にあったのは、紛れもなく春海へと想いを託していった故人たちの想いと、それを託された春海の愚直なまでの努力、挫折、研鑽に他ならず、これを人の成し得たこと=「人」に相違なく、天地明察へ至る過程において、天・地・人が成り立っているという美しさ。

エロスもバイオレンスも直接的には描かれることなく、しかしながら、天・地・人を成り立たせて挑んだ真剣勝負は、まさにエロスであり、バイオレンスに相違ない、と僕は思うのです。

関孝和という日本において「和算」の祖、本因坊道策という囲碁の天才。

これらの才能溢れる者達に、叶わないと思いながら、憧れながらも、自分が託された道をひたすらに、かっこ悪くても、愚直に歩んでゆく姿はまるでネビル・シュートの『パイド・パイパー』のよう。

神に挑みながらも、清清しい涙を持って読了できるのは、やはり春海という人間が愛されるゆえんなのかもしれないですね。


■私はここにいる!から、その先へ

冲方丁さんと言えば、僕がこの先もずっと愛してやまないであろう作家さんということは、このブログを古くから読んで頂いている方には自明のことと思いますが(笑)、冲方さんの作品にはこれまである種の共通したメッセージが込められていました。

マルドゥック・スクランブル

蒼穹のファフナー

オイレン・シュピーゲル
スプライト・シュピーゲル
テスタメント・シュピーゲル

上記作品においては、十代の主人公たちが、過酷な運命を背負いながら、その過酷さの中で、

・NO WHERE=どこにもいない

自分の存在がどこにあるのか?自分は一体何なのか?何故自分なのか?という疑問に押しつぶされそうになりながら、

・NOW HERE=今、ここにいる!

という、自分の存在を証明する、自分が生きていることを証明していくメッセージを持っているんですよね。


ではこの主人公たる渋川春海。

本名を安井算哲、将軍の前で囲碁を打つことを許された名家の跡取りである。

けれども、先代算哲=父親の晩年の子供であり、実質的には養子である算知が継いでおり、自分が継ぐことはないと悟っている、寄る辺無き心情を抱え、自分自身で立脚せねばならぬ、それも碁打ちとしてではなく、それ以外の何か、ここ以外のどこかで、そんな漂白の心を持っていた主人公でもあるわけです。

ここまではNO WHERE=どこにもいない、というわけです。

しかしながら、安井算哲から渋川春海へと名前が変わり、いつしか渋川春海が本名となっていく過程において、彼はまさしくNOW HERE=今、ここにいる!になっていくわけです。

ただ、そこで終わらなかったのがこの天地明察であり、まさに冲方丁さんの新境地と言っても良いのではないかと思います。

「暦」とは約束。

戦国の時代が終わり、泰平の世に移行しようとする世の中の無言の誓い。

「明日も生きている」

「明日もこの世はある」

天地において為政者が、人と人とが、暗黙のうちに交わすそうした約束が暦。

9・11以降、世界の先行きが分からなくなり、明日の行方が亡羊としつつある現代において、「明日も生きている」「明日もこの世はある」という約束を、この「暦」と言う中にその道しるべを見出したのかもしれません。

NOW HERE!の「今」だけでなく、暦=「明日」を指したこの作品。

紛れもなく素晴らしい作品だと思います。


■コアな冲方ファンは

コアな冲方ファンは、どうしたんだ冲方さん!普通に書いてるじゃないですか!と怒りそうなところである(冲方ファンにしか理解できないと思う)。

特に冲方さんは狂気の淵で作品に向かい合っているようなところがあり、その瞬間=精神の血の一滴が流れ出る瞬間の文章にこそ中毒性があるわけですが、今回は文体がマイルドであることもあり、狂気の淵、という感じは見当たらない。

地球の周回が楕円であることを解明した瞬間などは、もっとバロットとアシュレイがブラックジャックで勝負したような、そんな狂気の淵であり、ぐっつぐつに煮込んだシチューのような、全てのものが溶け合うような、狂気を発露しても良いのではないか、とさえ思う。

そこに冲方丁のエロスがあり、バイオレンスがあると思うのだけれども、そこはこの天地明察、前述したとおり、神の所業に挑む姿勢、算術から何からをぐっつぐつに煮込んで、全ての人の思いを受け止めて、溶け合うような思いは、これも一つの狂気の発露であり、またそれが清清しいまでの狂気なのかもしれない、と僕は思うのでした。

最後に、この渋川春海は、たくさんの愛すべき人から「頼みましたよ」と言われ「頼まれました」と返しているのですが、この僕もこの感想を書くにあたり、ある人物から「頼みましたよ」と言われ、叱られているのである。

僕が読んだ『天地明察』(初版本)は、昨年末のオフ会で制限時間の残量観察のりょくさんから、プレゼント交換の品として頂いたものなのです。

りょくさん的には、冲方丁ファンを増やすべく持参した品であったのですが、何がどう回ったのか、暦がずれたのか、その品が僕の手元に届くことになってしまったのでした。

・・・、既に重度の冲方ファンに渡っちゃったよ、意味ないじゃん。

が、りょくさんの感想であったことは想像に難くない。

つまり、そこで僕はりょくさんから「頼みましたよ」と言われてしまったのである。

そして迂闊にも「頼まれました」と応えた結果が、この感想なのでした。

少しでも『天地明察』を気に入って頂ける人が増えれば、そして冲方丁さんの作品を気に入って頂ける人が増えれば、これに勝る喜びはないのでした。

つか、この面白さを文章で伝えるのは、難しいんだよ!
だから、皆さん、是非読んでくださいませ。

冲方丁『天地明察』




戦闘妖精・雪風

2009-11-01 23:35:15 | 小説 感想
ここのところ、本を読むペースが上がっていて、たぶんこの2ヶ月くらいで20冊近く読んでるかもしれないですね。
本日の感想のタイトルである「戦闘妖精雪風」シリーズから始まり、伊坂幸太郎のギャングシリーズ、アニメ化されたシャングリ・ラの原作、官僚たちの夏、不毛地帯など、節操の無さが目立ちますねー。

その中から「戦闘妖精雪風」シリーズの感想です。

戦闘妖精雪風は、神林長平さんの代名詞とも言えるSF作品ですが、恥ずかしながらこれまで読む機会に恵まれず、偶然図書館で借りたのがきっかけでした。
初版は何と今から25年前(書き始めたのは1979年だから実際は30年前!)。

アニメ化もされている本作品、異星人と人類(超・高性能戦闘機・雪風とそのパイロット深井零)との戦いを描くと言えばそれまでですが、そこに含まれているテーマだとか、まさにSFと言わんばかりの設定と展開、最新作であり3巻目にあたる「アンブロークンアロー」に至ってはもはや哲学書か?と思わせる重厚な仕上がりは、もう唸るしかないな、と言うほどです。

しかし、30年前ですよ。
この頃に既に戦闘機にOSを組み込んで、機械の知性と、コミュニケーションの本質とは?を問うているというのは本当にビックリします。

シャングリ・ラの原作もそうなんですが、空想が現実を超えていく、そういう感慨を覚えますね。

第1巻目である「戦闘妖精雪風」は、まさにSFという仕上がりになっていて、ハヤカワ文庫を読んでいる人には馴染みやすいというか、これぞSFという重厚感です。

特筆すべきは第2巻目「戦闘妖精雪風 グッドラック」です。

これは圧巻です。

たぶん僕もこれを読まなかったらここまで凄い作品だ!と思わなかったかもしれません(大変失礼な表現ですみません!)。

競争的共生、競争的共存という言葉がどのような意味を持つのか?

コミュニケーション不全に陥りかねない時代において、コミュニケーションとは一体何なのか?という壮大なテーマを、戦闘機による超精緻な戦闘描写の中から、実はその戦闘描写さえもおまけなんじゃないのか、と言わんばかりに追及していく(いやむしろこの追究の字が相応しい)、そんな物語です。

さらに、グッドラックのクライマックスは圧巻で、雪風という知性を持った戦闘機と、そのパイロットである深井零の対決に近いような存在をかけたやり取りから、新たな進化が始まっていく過程は超・しびれます。

冲方丁さんのマルドゥック・スクランブルを読んだ方なら理解しやすいと思いますが、ウフコックとバロットがカジノで最終進化を遂げていく、あの過程に非常に近い、あの物凄い興奮に似た表現がなされていきます。

「私はここにいる!」

あの冲方丁さんの蒼穹のファフナーの合言葉にも通じる、人間とは、存在とは、そしてコミュニケーションとは?という深いテーマを重厚に描くこの作品。

読み応え十分です。

ちなみに僕はこのグッドラックの続編である第3巻目「アンブロークンアロー」を読んでいて、丁度クライマックスに差し掛かったところで、うちの奥さんが律儀にも図書館に返却してくれたので、エンディングがどうなったのかまだ読めてません(笑)。

明日からまたNY出張なんで、戻ってきたらコンプリートすることにします。

個人的には「グッドラック」が一番面白いと思いますが、第1巻を読まないと厳しいと思うので、順番に読むのが正解かと思います。

戦闘妖精・雪風(改)


グッドラック―戦闘妖精・雪風


アンブロークンアロー―戦闘妖精・雪風


アンブロークンアローは哲学書の領域。

エンタメ3タイプ

2008-06-06 12:20:15 | 小説 感想
冲方丁さんのオイレン/スプライト・シュピーゲルが非常に面白いので、何度も読み返しているのですが、あまりに好き過ぎて、書店で平積みされているのを見ると、全部購入して配りたい衝動に駆られる今日この頃。

ここ数日新聞を賑わせている食糧問題、アフリカ問題、原油問題の記事を見るたびに、フィクションであるはずのオイレン/スプライト・シュピーゲルの世界との壁の薄さを感じてちょっと怖い。

でも、こういうのを読んで、中高生とか大学生が経済とか世界情勢とかに興味を持って、それで勉強とかしてみると面白いんじゃないかとも思います。

かなりヘビーな部分もありますが、冲方流エンターテイメントをご堪能くださいませ。

* * *

ゼロの使い魔の最新刊が相変わらず読みやすくて、これぞライトノベルという感じで楽しめました。

起承転結の「承」の部分、ルイズの記憶の部分はもっと引っ張っても(ロミジュリ的で)面白いかなとも思ったけれども、そこはゼロの使い魔という作品らしく、気持ち良く纏めてくれた感じでしょうか。

ライトにエンタメ、これもまたよきかな。

* * *

自分で書いてて、改めて思ったのですが、上述の2作品、本当に正反対だなぁ。
色んなエンターテイメント作品を選んで楽しめる日本の文化は素敵過ぎると思います。
#つか、自分に一貫性がないだけか(笑)。

* * *

そういう意味ではその少し前にアメリカ出張の飛行機の中で読んだ『狼と香辛料』の第8巻も相変わらず面白かったです。
今回は上・下巻構成なので、下巻、早く、プリーズ。

『狼と香辛料』は、『さおだけ屋はなぜつぶれないのか?』の山田真哉さんが最近、経済の入門書として読んでみるのも良いみたいな記事を書いてましたが、まさにそんな感じ。

世の中の仕組みは結構面白いので、色々勉強してみると楽しめるかな、と思います。

シュピーゲル・シリーズとゼロの使い魔の中間くらいの感じ?
#ラブコメ成分が高いのでゼロ魔寄りでしょうね(笑)。



冲方丁 オイレン/スプライト・シュピーゲル 第4巻 感想

2008-05-23 02:01:17 | 小説 感想
冲方丁(うぶかたとう)さんのシュピーゲルシリーズも第4巻目、オイレン/スプライト合わせると8巻目、今回も凄い、もうとんでもなく凄かったです。

よく冲方丁さんの本を読むときに陥る現象が、息をするのも忘れて読んでいるか、あまりの感動と共感に涙を溜めて読んでいる、という現象が起きるのですが、今回も、というか、今回更に、もうずーと、息するの忘れるか、涙腺刺激されまくりかのどっちかでした。

ほんとに息を止めて読んでる感覚になりますよ。

そして読了の瞬間。

凄い、としか言い様が無い、それこそヒロインの一人である涼月の口癖のように(感動に浸りながら)「何か世界とか救いてー」と思ってしまうくらいに。

僕は冲方丁さんの大ファンなので、もう客観的に見ること(読むこと)ができなくなってしまっているかもしれないけれど(笑)、このシュピーゲルシリーズについては、凄すぎて、とりわけ、このこの各4巻目については、本当に素晴らしくて、正直、この衝撃&感動を感想として書き表す自信がありません。

ヒロイン3人×2シリーズ(オイレン/スプライト)にそれぞれこの4巻では一人につき3回くらいのクライマックスが訪れる感覚なので、通常の18倍くらいの感動指数(当ブログ比)となっております(なにそれー)。

読んでいるこちらがラストを読み終えて精根尽き果ててしまう状態なんだから、この執筆をされている冲方丁さんの精神状態はいったいどんなことになってしまっているのだろう?と心配してしまうほどです。

できればこのブログを読んで頂いている方には是非読んで欲しいシリーズなのであります。

今まで読み返した数で言えば、奈須きのこさんの『空の境界』か冲方丁さんの『マルドゥック・スクランブル』か、というくらい中毒的に読んでいますが、この『オイレン・シュピーゲル』と『スプライト・シュピーゲル』も、そのリピート数に負けないくらいの再読数になりつつあります。

特に今回。

僕はオイレン・シュピーゲルから読みましたが、その後続けてスプライト・シュピーゲルを読み、そしてまたオイレンに戻るということをやっているので、エンドレスループ状態になっています。

個人的には今回、オイレン→スプライトの順で読むことをお勧めするかな。
#3巻まではどちらから読んでもOKだと思いますが、4巻はこの順が僕はお勧めだな。
#でも初めて読む人は、オイレンを4巻まで読んでスプライトへ、とかじゃなく、必ず交互に読むことをお勧めします。

かなり前置きが長くなりましたが、それだけ読了後に興奮してしまって、頭が纏まらない状態なんです(笑)。

舞台は2016年のヨーロッパ、オーストリアはウィーン改め、ミリオポリス。

今回の事件はこのミリオポリスで開かれる国際戦犯法廷、この開催を阻止しようとする超複雑に絡み合った因果関係。
果たして我らがヒロイン3名×2シリーズは、証人たちを守りきり、この戦犯法廷を守り通すことができるのか!?

ガンダムダブルオーでもこういった紛争に関する視点を描いているけれども、それを遥かに凌駕(当ブログ比18倍(笑))する政治・経済・宗教の複雑な因果関係。
描かれているのはごく近未来(今から10年後くらい)の話だけれども、それゆえに、今の国際経済、国際政治に興味を持つには十分にして重厚、そしてなにより興奮沸騰の感動作です。

■バックグラウンド

今回の2つの物語の核となる背景は、アフリカのスーダンで起きた大量虐殺「エルファシル紛争」を裁くための国際戦犯法廷をオーストリアのミリオポリスで開催する、というものなんだけれども、バックグラウンドとして押さえておくとより理解が深まることがいくつかあります。

丁度、僕がこの小説を読んでいるときだったんだけれども、ニュースでスーダンが隣国のチャドと断交、という記事が流れたんですよね。
これを読んだとき背筋がぞっとしましたね。
あまりのタイムリーさ、というか、冲方丁さんがこの小説を執筆しているときは、まだこのニュースは無いわけなんだけれども、やはり、スーダンの情勢は非常に厳しくて、2003年に起きた「ダルフール紛争」は2008年の今現在も継続中なんですよ。
20万人を虐殺、という近年まれに見る大事件なわけです。
本編では「エルファシル紛争」はこの「ダルフール紛争」の後に続いた歴史的虐殺事件であり、今回はそれを戦犯法廷で裁く、という位置づけになっています。
#ちなみに作中に登場するグループ「ジンジャウィード」は実在するアラブ系のグループです。

で、現在。

何故チャドと断交なのか?
とか、
何故スーダンなのか?
とか

この辺、今ならインターネットですぐに調べられるので、興味がある方は是非。

関係ないようで関係ある話をすると、今年度から日本の商社が一般職の採用を再開するというニュースがありましたが、これは昨年度の日本の商社の売り上げが非常に良かったからなんですが、穀物&原油が安定しない状況で何故売り上げが良かったか?というと、レアメタルの採掘に関する利益が非常に好調だった、というのが大きな理由の一つですよね。

穀物(食料)、原油、レアメタル。

精密機器を作るために欠かせないレアメタル。
産業を興そうとするならばこのレアメタルはレアというだけあって希少価値も高く、必須になってるんですよね。
#携帯電話にも使われてるよ。

四川の大地震、チベット問題などは今後、このレアメタルに関する状況を左右する要因のひとつにもなると思いますよ。たぶん。

作中では中国もスーダンに関係して大きな意味あいをもっていますが、これは実際の現実世界でも関係していて、作中スピルバーグの名前が出て、(ダルフールの話をしつつ)北京オリンピックの演出をやった人だろ的に書かれますが、これは惜しくて、恐らく執筆中はそういう形になっていたんだけれども、2008年の2月だったかな、スーダンへ対する支援のあり方を巡って、中国側とスピルバーグの対立があって、スピルバーグはオリンピックの演出を辞退してるんだよね。

そしてもう一つ。

スプライト・シュピーゲルのほうで、戦犯法廷へ出席する6人の証人たちとヒロインたちが人生ゲームをやるわけですが、その人生ゲームで問題になるのが食糧問題とそれにともなう水の問題。

これも本書が出版されるほんとに寸前に、英エコノミストの4月19日号で「世界の食糧危機」を取り上げているんですよね。
確かタイトルは「サイレント・ツナミ(津波)」という感じで、忍び寄る恐ろしい被害、という意味あいなんだろうね。

人口増加に全く食糧供給が追いついていない、という事実。
先進国ではそれがインフレにつながるけれども、貧困国では餓死につながり、暴動につながるという事実。

サブプライム問題のような金融問題で虐殺は起こらないけれども、食糧問題では虐殺は起こる、それだけ深刻な問題として受け止められている、というのが発表されたんですよね。

近年取り沙汰されているバイオ燃料。

まずはここから話をすると、近年、原油価格の上昇と、もうひとつ問題になっているのが穀物価格の上昇ですね。
これは消費者レベルで非常に重要。

穀物って、人が食べる分だけじゃなく、乳牛のエサだったり、食用の牛、鳥、豚の飼料でもあるんです。
つまり、食糧の価格が原油高騰と相まって一般家庭を直撃します。
これは既に牛乳、バターの値上げとなって現われています。

ちなみに、肉100カロリーを得ようとすると、そのエサとなる飼料として必要な量は700カロリーになると言われています。
つまり、飼料穀物ってめちゃめちゃ重要で、また、そういった肉類を提供する家畜による二酸化炭素は全体の18%を占めるとも言われていて温暖化の原因の一つとも言われています。

つまり物凄い密接に物事が絡み合ってる、ということですね。

あと、見えないところで、これにともなう輸送用の船の確保も大変になってます。
原油高騰の影響で、フレートはますます高騰するし、船の確保も難しいと必然的に値段も上がります。

さて、その穀物が、ですね、原油高騰のあおりを受けて、化石燃料に代替するバイオ燃料として非常に注目されているわけです。

だから大豆・トウモロコシといった飼料穀物の代表格は投機目的も含めて高騰・品薄になる、というわけです。

じゃあ、その飼料穀物を大量に取るために、品種改良がなされるわけですが、今度はその特許が必要となってくる。
正確に言うと、1粒の種をまくために必要な特許使用料。

結果的に穀物が増産されても、高くなっていく。

高くなると買えなくなる。

僕ら日本は完全なる輸入国だから身に染みていると思うけれども、環境に良いと思って開発されるバイオ燃料も良い点悪い点があって、穀物が手に入らなくなる、ということは、死活問題へとつながるわけです。
貧国に位置する国は言わずもがな、です。
食糧を買えなくなるのですから。

前述した肉100カロリーに対して、必要な穀物は700カロリー。

近代化した国家は、それまで主食だった穀物から肉類に主食の軸を移していきます。

肉を食べるということは、単純に穀物を消費するよりも7倍消費する、という形になって、人口増加が著しい今の地球において、人口増加と化石燃料の枯渇、という問題は、食糧問題直撃、という形になるわけです。

僕は丁度お客様が商社さんで、その中でもエネルギー資源と穀物が担当だったこともあって、ここ数年の変化だけでも、超めまぐるしい変化を遂げてきてるんですよね(それを目の当たりにしてきた)。
インド・中国の成長に関して、本当にこれは新しい局面を食糧・エネルギーともに迎えていると言っても過言ではないと思います。

……と、かなーり前置きが長くなってしまいましたが(笑)、こんな感じのことを頭の片隅に置いておいてもらえると、またより一層理解が深まって楽しめるのではないかなーと思います。
#つまり、冲方丁さんはかなりこの辺の事情を気にしながら、真剣に考えながら書いていると思いますよ。

正しい答えもないし、どうすれば良いかも難しいけれども、少しずつでも考える人が増えたなら、ちょっとずつ良くなるかも?しれないですね。
やがて大きなうねりになれば最高、みたいな。


■拳を握れ

ここまで前置きを長くしておいて、本編に関しては極力ネタバレをしたくない(未読の人には是非その興奮を味わって欲しい)ので、できるだけ中身に触れないように書きたいんだけれども、ここに来てどうしても書いておきたいと思ったこと、これだけは書かせてー。

二つの物語(オイレン/スプライト)が完全同時並行で進んでいくこの物語ですが、その完全同時並行を繋ぐのが、ヒロインにして両小隊長である鳳(アゲハ)と涼月が重要な手がかりとして拾う携帯電話。

非常に不確かで、細いこの糸のようなつながりが、互いの反目を超えて、相互作用から徐々に太い絆となって、最後に相乗効果へと移って行く動きは感動もの。

並行していた物語が点として時に交わることがあったけれども、ここで初めて交差して融合する。

この第4巻という位置づけはそういうものなんですよね。

そしてその4巻の中でもことさら、特に共感してしまったのが涼月。

そうだよ、そうなんだよ!と心の中で絶叫・喝采。

彼女が心の虚無を乗り越えていくときに、心の中で握る拳。

握れ、強く!

と繰り返し唱える。

自分を見失わないために。

この言葉、この心意気に大いに共感・共振。

僕の職種はシステムエンジニアでありプロジェクトマネージャ。

プロジェクトマネージャの資質として必要なものはたくさん「ものの本」でも書いてあるけれども、僕は本当に必要だと思うものの一つが「折れない心」だと思っています。

それは単に鈍感だったり、傷がつかない心のことじゃなくて、僕らプロジェクトマネージャって職種は神経と寿命をすり減らしながら、一つの目的へ向って這いずり回る職業だと、思うんです。たぶん。

傷もつくし、折れそうになる。

逃げたいし、びびることもある。

でも、そういうときに、心のいやーな感じのところをぐっと握りしめて、後ろを向いちゃダメだと自分に言い聞かせ、ここで踏ん張らなかったらどこで踏ん張るんだ?と、泣きながら前を向いてるんですよ。

折れそうになるとき、この涼月の「(心の)拳を握れ!」という言葉、これと全く一緒のことを僕らはどこかでやってるんだと思います。

抜くところは抜いても、逃げない。

これがどんな最悪なプロジェクトでも乗り切る、また、自分の心を守ることなのかな、と思いましたよ。


ストレート・フォワード

フライ・ハイ


作中に登場するこのキーワード。

冲方丁さんの物語の中で、その一言を読んだだけで泣ける、というのは本当にたくさんあるのですが、その泣ける中でも、この2つ、この2つは特に、今僕の涙腺を直撃して止まないもののひとつです。
#あと、「オレ・・・・・・ナマクラだ・・・・・・」という乙(つばめ)の言葉とかも泣ける。


冲方丁さんの作品に共通して言えるのは、どんなに凄惨な状況においても、その中で這いずり回って、そしてその中から希望を見つけ、そこに向って一心不乱に飛び立っていく、生きることに真摯に向かい合う姿、なんじゃないかと思います。

それが蒼穹のファフナーでの有名なひとこと「あなたはそこにいますか?」であったり、そのアンサーである「NoWhere(どこにもいない)」から「Now Here(今、ここに居る)!!」なんだと思います。


何度読んでも面白い。

何度読んでも泣ける。

最後に双方から送られたビデオレターが読後感を爽やかにしてくれつつ、このオイレンとスプライトが同時並行で織り成す物語をまた最初から読んでみたいと思います。

オイレンシュピーゲル肆(4) Wag The Dog


スプライトシュピーゲルIV テンペスト

狼と香辛料 第7巻 プチ感想

2008-03-26 23:11:42 | 小説 感想
既刊分の最新刊『狼と香辛料』の第7巻を読了。

第7巻はこれまで電撃HPに掲載していた中編と短編に書き下ろし短編を追加したものになっていて、これまでのエピソードの幕間であったり、それ以前の物語であったりと、番外編という感じに仕上がっています。

例えば、第1巻のラスト、非常に後味の良いラストに仕上がっているのですが、その物語のすぐ後、ホロが購入した大量のリンゴのエピソードだったり、ホロがあの時破いてしまった服の代わりに今(というのはその後の旅で)着ている服を買いに行くお話だったりするわけです。

短編に関しては、完全にホロとロレンスのいちゃいちゃ話ですが(笑)。

それでもやはり特筆すべきは、初めて書かれた「ホロ視点」の短編でしょう。

いつもは老獪にして不思議なホロですが、いったいロレンスのことをどう思っているのでしょうか?と、読みながらあれこれ想像したりするのも非常に楽しいわけですよ、この『狼と香辛料』は。

そんなホロによる、ホロ視点のお話。

これを読むと第2巻の道中とか、ラストとか「ああ、なるほどぉ」と思いながら、そしてニヤニヤしながら読むことができます(笑)。

そして僕が個人的にもう最終話でも良いんじゃないかと思うくらい好きな第5巻で、ホロの胸中を察する意味でもこの第7巻のホロ視点を読むと、また何度でも美味しいという、またもう1回第1巻から読んでしまおうかな、と思う、そんな感じです。

また僕の好きなノーラも再登場で、丁度TV版も最終話を迎えたところですから、そのTV版のエピローグとして読んでも良いかもしれませんね。
いや、そうすべきでしょう(笑)。
#TV版は第2巻のラストまでをやってるんでね。

本編の方は、やはり第5巻で一区切りついているので、第6巻で新方向へ向いて、第7巻でインターバル、第8巻から新章突入という感じになるんでしょう。

次巻では経済ネタを思いっきり入れたい、という筆者の言葉もありますので、楽しみにしたいと思います。
#もちろんホロとロレンスの若夫婦+子供の旅が一番楽しみですよ。

狼と香辛料 DVD1<限定パック>(初回限定生産)

4月2日発売。アニメ版で流れるDVDのCMが好き。ジグソーパズル(笑)。

狼と香辛料 DVD2<限定パック>(初回限定生産)

4月25日発売。ジャケットのホロが可愛すぎる。

狼と香辛料 ボクとホロの一年(初回限定版)

DSソフト。僕はDS持ってないけど、ホロにたわけっ!と言われたい(笑)。

狼と香辛料 第7巻(電撃文庫)

第7巻は短編集。ホロ視点の物語も必見ですよ。

あいばゆうじ 『夢守教会』 第2話「痛みの在処(アリカ)」

2008-03-23 23:02:53 | 小説 感想
ランゲージダイアリーのあいばゆうじさんのWeb小説『夢守教会』の第2話「痛みの在処(アリカ)」が公開されたので、今回はその感想を。

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「夢守教会」


この第1話となる「少女のケニング」が公開されたのが3年3ヶ月前、個人的にはもうそんなに月日が経ったのか、と思うとその月日にいったい自分は何をやっていたのか?と愕然とするのですが(笑)、この第1話を最初に読んだときは、あいばさんが遺書代わりに書いた、と言ったようにその文章に詰まった思いを感動を持ってしっかりと読ませて頂いたのを鮮明に覚えています。

それからあいばさんは何作かWeb小説を公開されていて、そしてあいばファンの僕としても待っていました、という第2話公開です。

第2話の序盤からの印象でいけば、やはり執筆回数が増えて洗練されてきた、というのが第1印象。
第1話はノリと熱さがほとばしる、くらいの勢いがありましたが、今回は何ていうか文章と文章のつなぎ、というか、展開と展開のつなぎが凄く滑らかになった、という感じ=洗練されてきた、という印象でしたね(何かこう書いていると凄くえらそうですね、自分(笑))。

僕はあまりWeb小説は読んでないのですが、Web小説にはWeb小説のスタイルがあって、Webで読みやすいというのはこういうことか、というのも今回感じた点でしたね。

なるほど、区切りをある程度短くして、場面の切り替えなんかも上手く使うと、普段は読むのが疲れるWeb小説も、こういう形態なら疲れない、むしろ、次を催促してしまうようなつくりになっているわけか、と一人で感心していました。

そういう形で出来上がった第2話。
全7話構成の中の第2話、実質的にはこれが新たなる「夢守教会」の第1話となった今作。

非常に納得しながら読ませて頂きました。

これは先が非常に楽しみです。


■作中の「静」

この第2話を最後まで読んで気が付いたのですが、ああ、これは全7話の中の第2話、そういう位置づけを徹底したんだな、僕は途中まで勘違いしながら読んでいたな、つまり、これが「起承転結」の「起」ということだったんですよね。
#第1話を含めれば「承」と言えなくもないですね。

そう考えて納得。

筆者あとがきにもあるように、この第2話は「静」なんですよ。

但し、全7話まで読んだときに、戻ってこれるスタートライン、そういう感じを受けました。

奈須きのこさんの『空の境界』の第2章殺人考察(前)が丁度これと同じようなテイストを持っていて、僕はそれを映画版で観たときにさらに強い印象を持ったのですが、あの第2章も丸々「静」を描いていて、そこがスタートラインになっているわけです。

意図しているところはその辺かな?と思いながら読み進め、読み終わってから、なるほど、そういう意図だとするとこの先が非常に楽しみだな、というのが読了後の最初の印象でしたね。

途中まで僕は勘違いしてて、第1話のような完結型でいくのかと思っていたので、転じるところはどこになるのかな、なんて思いながら読んでしまったのですが、途中から気が付いて、ああ、なるほど、これを描くために丸々1話使ったのね、みたいな。

凄く丁寧に「静」を描いたのがよく伝わってきて、そういう丁寧さは僕は個人的に非常に好きなので、この先を楽しみにしてしまうわけですよ。

いくつか印象的なシーン、光景の描写、台詞なんかが散りばめてあったので、その辺を気にしつつ、続きを待つ、そんな感じ。


■二つの教会・境界

既存と模倣というワードで引っ張る形を造っているわけですが、これを軸としていくつかの対比構造がでてくる、というのがこの第2話の要の部分かな。

既存→模倣というラインであっても、そこに何かが残って、生まれてくるのならばそれで良いのではないか?何かを残せているのならばそれを肯定しよう、という優希と理子の夢守教会。

既存→模倣というラインには真実は無い、無いのならば崩壊させて新しく作り直してしまえ、というブレイン教会。

この二つの対立軸、というのがメインストーリーなんだけれども、


ここで一つ、非常に面白いな、と思ったのがブレインこと○○○○(あえて伏字)。

ブレインの僕の印象は第1話とはかなり異なるものなんだけど、彼が実は人間臭くて非常に良いかも、と思ったところ。

彼の正体はラストで明かされますが、約束、という言葉を使ったときに僕は分かりました。

で、その彼が、実は誰かを救いたいと思って、この教会を始めた、という感じがするじゃないですか。

そこが面白い。

恐らくはシーモアさんがその対象なのか?とも思うわけですが、シーモアグラスがサリンジャーの未完の物語に登場する、未完なのにその人物の結末は決まっている、というシチュエーションそのものを背負ってシーモアさんが描かれているとするならば、やはり作中でも少し触れられたように、同じ運命を持つ、終わることが義務付けられている理子との対比、という形になってくると思うわけです。

この二つの教会は共通点が多い。

誰かを救いたい、というモチベーションが原点。

その誰か、についても背負う運命に共通点が。

但しその描く結末、方向性は正反対。

ここが非常に面白いな、と思わせる、次を読みたいな、と思う点ですね。

結構、ブレインって純粋なんだなぁ。
そういうモチベーションは好きだけどね。

■あたたかさ

今回の「静」の中で、特筆したいのは優希と理子のキスシーン。

ここは非常に良かったですねぇ。凄く良かった。

エンパシー能力という、そこで使うのは卑怯じゃないか、と思わせておいて、そうきましたか。
いいねぇ。

普段の二人の会話が内容はかみあってるけど、口調がとげとげしい感じもあるんで、大丈夫か?と思うところもあったんだけど、実は心の中ではちゃんと、どころか、しっかりと頼りにしている、というのが確認できるシーン、そこにエンパシー能力を持ってくる、というのはある意味反則(笑)。
けれども、それゆえに、しっかりと、はっきりと、この上なく認識できる、そういう二人の関係。

これがまた、この物語の要なんだろうな。


あなたの痛みの在処(アリカ)は何処ですか?


■新キャラ

西條巫和(さいじょう みわ)さん。

押しです(えー)。

誰とでも敬語、というのは自分で壁を作っているともいえるので、その壁を取り払う日が来るのでしょうか?
「視える」という感覚があるかも、というのが僕個人として良い感じでした。

素敵イラストを担当されている霧生実奈さんにも是非描いて頂きたい人物です(厚かましいっつーの、自分)。
#いやー、いつも美麗イラストですよね。菖蒲さんのイラストはドンピシャです。


と、こんな感じの感想で再会した『夢守教会』。

続編、期待しております。

狼と香辛料 第6巻 感想

2008-03-22 16:55:54 | 小説 感想
『狼と香辛料』が面白くて、読み終えてしまうのがもったいないとか思いながらちょっとずつ読み進めて、現在ちょうど第6巻まで読了しました。

第6巻は、丁度第5巻を読んだときの感想を裏付けるものになったと自分では思っていて、この『狼と香辛料』は第5巻でやはり一区切りを付けていて、あれが最終話でも良いじゃない!というくらい個人的には満足したので、この続き(第6巻以降)は僕の中ではボーナスステージ(笑)くらいに思っていました。
#悪い意味ではなくて、続きが読めて勿論嬉しいの意味で。

そういう意味でのこの第6巻。

1巻まるまるかけてのインターバルというか、仕切りなおしに1冊分必要だった、と考えても良いかも、なんて思いました。

やはり1巻~5巻までの旅の道のりというのは、改めて上手く構成されていると感じるわけで、第1巻の清清しい別れと新たなる旅立ち、そしてそこから2巻~4巻で積み上げられた二人の「絆」、そして積み上げられたからこそ訪れる「寂しさ」とその「恐れ」、そして予感される「別れ」。

そこを乗り越えての、矛盾してても構わないから気持ちに素直になる二人の新たなる「絆」。

まあ、平たく言えば恋人同士の喧嘩は仲直りしたときのスパイス(香辛料)みたいなもんですからね(笑)。

それを乗り越えての第6巻、果たしてどんな物語か、多分、第5巻の直後からスタートだろうなと踏んで読んだのですが、本当にそのまま始まってましたね。

しかし、話の方向性は少し変わってきて、賢狼ホロがロレンスという少し放っておけない優男を育てる育成RPGの趣もなきにしもあらずで、ロレンスの行動原理に変化が出てくる、商人としてよりも、人間として成長していく様子が、そして人間性に優れた商人として成長していく様子が描かれていくのかもしれないな、なんて。

また、僕は結婚しているからなんとも言いようがないんだけれども(笑)、恋人としての二人のピークを第5巻までで焦点として描いてきたわけですが、長く一緒にいると、良いこと悪いことたくさんあって、刺激がなくなってくる、そしてそれが恒常化してつまらなくなっていく、という「恐れ」を描いてきたわけじゃないですか。

まあ、確かにそれは現実としてあるんですが、実際それだけじゃなくて、自分たちに丁度良い身の置き方や、距離感、そしてそこから生まれる安心感、というのは一緒に経験を積んでいかないと、なかなか一朝一夕には積みあがらないものです。

そして家族が出来た日には、また新しい関係性になっていきますからね。

第6巻では「川の流れ」の話が出てきましたが、まさしく川の流れのように、二人の流れも上流から下流に流れていけば、激しさは確かに無くなっていくけれども、流れは穏やかになり、やがて大きな流れになっていくわけじゃないですか。

そういう意味で第6巻というのは、ひとつの大きなインターバル、急流を抜けて、新しい流れになるために丸々1冊使って、次の旅の方向性を見つけていった、ということなんでしょうね。

今はまだ「旅の終わり」についてやっとポジティブになれた二人ですが、個人的には「旅の終わり」よりは、二人でどこまでも一緒に歩いていける、「終わりを目指す旅」ではなく、「新しいハジマリを探しにいく旅」になっていくと嬉しいな、と思います。

それにしてもホロとロレンスのいちゃいちゃぶりは、読んでいて清清しいですね。
つか、普通に恋人同士だよな、このやり取りは(笑)。

あー、次で既刊分で行けば最新刊。
つまり現在読める分の最後。

もったいないから、7巻読む前に1巻から読み返そうかな。
#もったいないって・・・。

狼と香辛料 DVD1<限定パック>(初回限定生産)

4月2日発売。アニメ版で流れるDVDのCMが好き。ジグソーパズル(笑)。

狼と香辛料 DVD2<限定パック>(初回限定生産)

4月25日発売。ジャケットのホロが可愛すぎる。

狼と香辛料 ボクとホロの一年(初回限定版)

DSソフト。僕はDS持ってないけど、ホロにたわけっ!と言われたい(笑)。

狼と香辛料 第5巻(電撃文庫)

第5巻は個人的に凄く好き。何回読んでも大好き。

狼と香辛料 第6巻(電撃文庫)

新しい旅のハジマリです。

狼と香辛料 第5巻 感想

2008-03-18 00:43:15 | 小説 感想
『狼と香辛料』については、第1巻を読んだときからこれは素晴らしい、面白い、これは感想を書かなきゃ、くらいの勢いで大好きになってしまった、というか、その前にアニメ版を観て、ぐっと来てしまっていたので、詰まるところ、超・大好き、になってしまってるんですよね。

そして大・好きになってしまった直接のきっかけが、アニメ版の第6話「狼と無言の別れ」だったわけで、このラストの後味の良さにしばらく余韻に浸っていたほどでした。
うーん、素晴らしい。

これが決めてでこの後、超・品切れ状態に陥った小説版第1巻を探す旅に出るわけですが、その第1巻をようやく見つけて、そして読み終わったときの読後感の清清しさ、やはりぐっとくるものでした。

だから第1巻の感想書かなきゃ、なんて思っていたのですが、既に原作は5巻まで読み終わって、現在第6巻目に突入という状況。

面白くて、ついつい先を読んでしまうんですよね。

感想は結構ホットなうちに書かないと、その感動が言語化しづらくなってくるので、できるだけ早いうちに、とか思うのですが、中々出張とか行ってたりして書けなかったんですよね。

だからかなり自分への言い訳なんだけれども(笑)、第1巻の感想はやはりアニメ版第6話「狼と無言の別れ」を見た直後に書いた短い感想と同じく、いたく感動したものだったので、それを第1巻の感想として置き換えよう(うん、そうしよう=逃げた)。

とは言え、第1巻は今読み返しても面白くて、既に何度か読み返しているところです。

で、です。

もう5巻まで読み終わったところなんですが、この第5巻が非常に素晴らしかったんですよ。

もちろん第2巻~第4巻も、十分に面白い、素晴らしいわけですが、それにも増して個人的にこの第5巻はかなりキタ、というか、かなりしびれてしまいました。
すげー良かった。

ゆえにここから唐突に本題なんですが(笑)、この第5巻の感想が書きたくて、ここまで書いたようなものなんです。
#短いけど。


この第5巻、読み終わって思ったのは、もうこのままここで終わったとしても文句ないよ!つか、ここで終わっても良いよ!!くらいの結び方。

そう来たか。

そう来ましたか。

素晴らしいよ。

というくらいに。

詳しくはここでもまた書きませんが、二人の旅のハジマリからここまで積み上げてきたもの、そして出会いと別れ、孤独、寂しさ、楽しさ、嬉しさ、それがまた難題として降りかかり、そしてラストへ帰着する。

素晴らしいね。

この第5巻のラストを読み終えて、第1巻のラスト、そしてアニメ版の第6話を観終えた後の清清しさをまた思い出しましたよ。

ここで終わっても構わない、でも、また次も読みたい。

まるで「甘い塩」のようです。
#この言葉の意味は第5巻にて。

そう、「甘い塩」。

飲めば飲むほど渇きが増してしまう。

けれども口当たりがよく、その甘さからまた欲しくなってしまう。

第5巻ではこの「甘い塩」をダブルミーニングで利用している、というか、「塩」というキーワードで行けばトリプルミーニングくらいを兼ねているわけで、この物語全体で言えることですが、こういったものの使い方、言葉の使い方、伏線の貼り方、というのが非常に上手いんですよね。

そして、この本全体が読者にとっては「甘い塩」であるかの如く、飲めば渇くと分かっていても、それでも先を読みたくて仕方が無い、という気持ちにさせてくれました。

だからこそのラストシーン。

そうか、そう来たか、なんです。

いや、ほんと素晴らしかった。

僕の中では一端ここで区切っても全然良かったのだけれども、それでもこの二人の旅が続いていくのなら、その笑顔で別れるその日まで、僕らも一緒に旅をしようか、という気になりますね。

このアニメ版の主題歌『旅の途中』の歌詞の中で、


差し出すその手を つないでいいなら

どこまで行こうか 君と二人で

どこへも行けるよ まだ見ぬ世界の

ざわめき 香りを 抱きしめに行こう



と、あるのですが、この部分の歌詞は泣かせる、というか、二人の旅を考えると、ぐっと来てしまいますね。
この主題歌はお勧めですね。

逆に小説を読みながら、この歌を思い出すとまたぐっときます。


最近では、この二人の旅が終わって欲しくないのと同じように、読みたいんだけれども、先に進めば進むほどこの文章を読むのがもったいなく感じるようになってきてしまいました。

重症です。

ということで、『狼と香辛料』第5巻、大満足でした。

狼と香辛料 DVD1


狼と香辛料 第5巻(電撃文庫)


清浦夏美 旅の途中


闇の守り人 文庫版 感想

2008-02-02 00:02:17 | 小説 感想
守り人シリーズ第2弾『闇の守り人』を読了。


すっごく良かった。


今回は台湾への移動を利用して読んだのだけれども、『精霊の守り人』に続いてまたしても飛行機の中で一人涙ぐみながら読んでしまいました。

この作品も素晴らしかった。

今まで色んな本を読んできたような気がするけれども、こういう骨太のストレートな、そして何より清廉なストーリーテリングは久しく忘れていた感覚でした。

余計なものが何もない。
けれども精緻にして複雑。
けれども真摯でストレート。

大好きな作家さんの本を読んでいるとき、最後に行くに従って読み終えてしまうのがもったいない、と思う感覚に陥るんだけれども、この守り人シリーズを執筆されている上橋菜穂子さんもまさに僕の中ではその分類に入る、素晴らしい作家さんです。

いやー、ほんと凄いね。


この物語で語られる



闇を抜けた、その先へ



この言葉に辿り付くまでが凄い。

今思い出しても泣けてくる。

主人公バルサが自分の過去(育ての親であり師匠であるジグロ)と極限まで対峙して、たどり着いた境地。
それがこの言葉に凝縮されているわけで、作中でキーワードとなる「槍舞い」のシーンに至っては、色んな感情がぶつかり合って、溶け合って、そして昇華されていく、緊張から衝突、そして融合、更に昇華と、どっぷりとその臨場感に引き込まれました。
これは泣けるよ。

凄いなぁ。

こういう作品を作り出せるって素敵だよね。
本当に尊敬します。

あとがきにもあるんですが、この『闇の守り人』がシリーズ中特に大人からの支持が高い、というのも頷けます。
またその理由についても非常に納得なのですが、自分はまだこの先のシリーズを読んでいないので、全シリーズ読んだときに、またここに戻ってくるかもしれません。

またバルサだけでなく、それらを取り巻く人々や、交錯する思い。
このあたりの描写も素晴らしいですね。

『精霊の守り人』でも『闇の守り人』でも、共通している部分は主人公バルサの活躍・葛藤とは別に、サブキャラクターたちや、その周囲の環境、文化、歴史、積み上げてきたものを「受け継いでいく」ことの素晴らしさ、大切さを丁寧に丁寧に描いていて、それがバルサという主人公の周りでその槍捌きのように風を起こし、舞い上がって一つの流れに収斂していく、この展開の誠実さというか精緻さというか、その真摯な執筆に心打たれました。

うーん、余韻が心地よいです。

さあ、来週僕はベトナムへ出張なので、当然の如くこの続きである『夢の守り人』を機中で読む予定です。
楽しみで仕方ありません。

文庫版 闇の守り人


DVD 精霊の守り人9

2/22発売。文庫版を読みながら脳内でバルサの声を変換、バルサカッコイイ!!

精霊の守り人 文庫版 感想

2008-01-23 23:47:44 | 小説 感想
「精霊の守り人」については、これまで有名であるがゆえに手を出してこなかった&アニメが放送されたのに見逃してしまった、という理由でこれまでなんとなく読むことが出来なかった本だったのですが、昨年末のオフ会「蒼蒼3」で、参加者のこばやしさんから文庫版を頂く機会があって、これは思わぬところできっかけを与えてくれたものだ、と喜んだのでした。
#こばやしさん、ほんとありがとうございます。

その後すぐ読めばよかったのですが、つい先日、韓国出張があったので、その飛行機で読もうと決めていたんですよ。
ちょうど世界観の雰囲気的にも、そちら側の雰囲気があったのと、韓国までの飛行機の時間は短いので往復で丁度読み終わるかな、という計算で。

読み進めていくと、なるほど、舞台の国は半島ということだし、五行のような感じもあり、出張の雰囲気を盛り上げてくれる出だし。
というか、もう出だしから引き込まれてしまう展開。

文庫版の解説にもあるのですが、冒頭で既に、女性主人公バルサがたまたま通りかかってみた光景、それが彼女の「運命を変えた」から始まるわけですよ。

著者の上橋菜穂子さん曰く、映画の予告編で炎上するバスから女性が子供助けるシーンを観て、そこから始まったというだけあって、一気に物語が進んで行きます。

そして僕は帰りの飛行機の中、クライマックスのシーン、そしてラスト、悪天候で揺れる飛行機の中、ひとり涙をぐっと堪えて読み終えました。

素晴らしい読後感。

面白かったです。

本作はもともと児童文学ということで、子供向けに執筆された作品なのですが、読者年齢層の幅は本当に広い、というふれこみの通り、子供から大人まで十分に楽しめる作品になっていると思います。

それはやはり本作がそういうことを意識して作られているとともに(子供の頃、指輪物語に非常に影響を受けた、とあとがきにあり納得)、二つの視点、一つはバルサ、そしてもうひとつはチャグムという、大人と子供の視点、それぞれを交互に組み合わせている点にもあると感じます。


武勇において名を馳せる女性槍使いバルサ(30歳)。
何故、彼女が強くなったのか、何故、彼女が用心棒をしているのか。

そして師匠の言葉、

いいかげんに、人生を勘定するのはやめようぜ。
#この言葉の意味はあえて未読の人のために伏せておきます。

はっとするよね。


過酷な運命を背負った第二王子チャグム(12歳)。
何故、自分なのか、何故こんな目にあわなければならないのか。

どんなに強い子供でも、めぐり来る過酷な運命。

アニメ版のキャッチコピー。

運命には勝てない。
でも、運命には負けない。

泣きそうになるよね。


物語は非常にシンプルに出来ています。
1996年に出来た話だし、児童文学ということもあり、複雑さよりも、ストレートさを重視している。

けれども、そこに描かれる世界観や、その政治、歴史、それらは複雑さをシンプリファイして織り込んだ美しさと深さがあります。

子供の頃に読んだならば、歴史などを勉強しながら、また人生経験を積み重ねながら、ああ、あのときの言葉はこういうことだったのか、ヤクーたちの言葉はこういうことだったのか(例えばそれを盆踊りって何故するのだろうか?という疑問とその答えを見つけたときに思い出すかもしれない)、と気付いていける、そういう物語。

シンプルなんだけれども、こういう作品を作ることができる、というのは本当に凄いことだなと思います。
ある種のマスターピース的作品なのかもしれないなぁ。


今回文庫版で出たということもあり、これに続く「闇の守り人」・「夢の守り人」も既に購入。
守り人シリーズ、旅人シリーズ、文庫版で追いかけて行きたいと思います。


できればこれは自分の子供たちにも読んで欲しい作品ですね。

例えば先日、しっかり作ってあって家族で一緒に楽しみにしている作品として「Yes!プリキュア5」の記事を書いたり、親の本棚を見て、そこから子供は何気なく自分に興味のある本を取って読んでいく、という記事を書きましたが、そういう意味でこの「精霊の守り人」は本棚にそれとなく置いておいて、それとなく読んで欲しい、そういう作品なんだと思います。

日本のサブカルチャー、ポップカルチャーは成熟期に入って(けれどもまだまだ発展期の気もします)、ジャンルも細分化して、これが良いんだよ、という推薦作品も個人の趣味が(成熟した中では)違えば人それぞれ、そういう時代に突入して久しいですが、ある種のマスターピースに近い作品なんじゃないかなぁ、日本児童文学的に。

個人の目線と親の目線、そういう意味でバルサ、チャグム、この二人を取り囲む状況を一緒に楽しむことが出来たんじゃないかと思います。

良作です。

さあ、続き読むぞー。

あと、アニメ版、公式HP見たけど、凄い綺麗ですねー。
つか、バルサが若い&綺麗!!これも良いなぁ。
つか、チャグムもカッコイイけど、タンダ、タンダ!!
なんか想像よりもめっちゃカッコいいんですけど!!

アニメ版精霊の守り人公式HP


文庫版 精霊の守り人

文庫版はこの後「闇の守り人」・「夢の守り人」と続刊。

DVD 精霊の守り人1

イメージは初回限定のもの。バルサ美しい!!