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冲方丁 『天地明察』 感想

2010-01-22 00:09:30 | 小説 感想
【明察】
(1)その場の事態・事情などを明確に見抜くこと。また、その推察。
(2)相手の推察などを敬っていう語。賢察。


からん、ころん。


この本を読み終えて、そしてこの「からん、ころん。」という音に思いを馳せるとき、神秘的で厳かで、そして、人が傾ける真っ直ぐな情熱、受け継がれていく想いなど、様々なことが胸をよぎります。

そして清清しい思いでこの本を閉じたとき、何と言うか真理・神秘に触れたような、そんな感動にゆっくりと浸れるのでした。


『天地明察』


冲方丁が描く初の時代小説。
時代小説ながら、刀は文字通り無用の長物、剣戟、合戦、一騎打ちなど全くの無縁。

しかしながら、そこに繰り広げられたのは、まぎれもない真剣勝負。

22年の歳月を賭して辿り着く、人の叡智の頂。

そして無用と思われたものにも意味のある結末。


これは徳川幕府が家光から家綱へと将軍職が移り、そして綱吉へとつながっていく時代、戦国時代というひとつの時代が終わり、江戸文化が花開こうとする時代、そんな時代に生を受けた安井算哲=渋川春海が、命を懸けて挑む、日本初の「暦」を生み出す大事業のお話なのです。

ここはひとつ、騙されたと思って読んで頂きたい。

冲方丁ファンの人も、そうでない人も、人が傾ける情熱の美しさと、託されていく想いの美しさに、きっとご満足頂けるのではないかと思います。

たかが「暦」、されど「暦」。

この「暦」を巡る22年間の真剣勝負、とくとご覧あれ。


■かっこよくない主人公、渋川春海、でも大好きな主人公である。

碁打ちの家元でありながら、算術にその身を捧げるという、そもそも変わったところのある渋川春海ですが、この男が人から滅法愛される。

そして愛される人たちからよく叱られる(笑)。

そんな良く叱られる、かっこよくない主人公の渋川春海。

僕も大好きなのである。

彼が歩いた道のりは、決して平坦ではありません。
「改暦」という大事業へ向けて、若いときからただひたすらに、愚直に、真っ直ぐに、悩みながらも歩くことを決して辞めなかった、そんな春海の歩く姿、それを見るだけで、読むだけで、今はそれを思い出して泣ける、そして清清しい気持ちになれる。

このかっこよくないけど、人から本当に愛される男が打つ、一世一代の真剣勝負。

この純粋な想いが、会津の名君・保科正之、水戸の水戸光圀、その他大勢の人の支援を集めていき、そして常に託される。

託された想いに一途に応えようとする春海の姿に、涙と、清清しさを見ることができるんだろうなぁ。


■天・地・人

改暦という、ぱっと見ただけじゃどんな意味があるか良く分からない、生活するうえでどんなインパクトがあるのか分からない、そういう題材を扱ってなお、この『天地明察』という物語は、一級のミステリーであり、最高のエンターテイメント足りえた作品だと僕は思うんです。

『神様のパズル』や『博士の愛した数式』なんかを読まれた方には何となくその一級のミステリーであり、最高のエンターテイメントである、というニュアンス、分かって頂けますでしょうか?

紛れも無くこの作品は、そういった神様が残した難題に挑む、タブーに挑むような面白みがあるんです。

ハードカバー版の『神様のパズル』のあとがきだったと思うのですが、宇宙が何故できたのだろうか?とか宇宙を作れるのか?というような題材が読者に受けるのだろうか?(売れる要素の大きな部分を占める)エロスもバイオレンスもないそんな作品なんだけど、と作者が言うのに、解説を書いた人が、宇宙の真理を解き明かすという行為自体、神に挑むようなもので、それを明らかにしていくプロセスは紛れもなくエロスであり、バイオレンスだよ、という趣旨の回答をされていたんですよね。

そう、この時代小説。

剣戟など一切出ることなく、春海に至っては刀に振り回される生活をして、捨ててしまおうかと真剣に悩む始末。

しかしながら、この春海

天の誤りを解明し、

地の誤りを解明する

この間にあったのは、紛れもなく春海へと想いを託していった故人たちの想いと、それを託された春海の愚直なまでの努力、挫折、研鑽に他ならず、これを人の成し得たこと=「人」に相違なく、天地明察へ至る過程において、天・地・人が成り立っているという美しさ。

エロスもバイオレンスも直接的には描かれることなく、しかしながら、天・地・人を成り立たせて挑んだ真剣勝負は、まさにエロスであり、バイオレンスに相違ない、と僕は思うのです。

関孝和という日本において「和算」の祖、本因坊道策という囲碁の天才。

これらの才能溢れる者達に、叶わないと思いながら、憧れながらも、自分が託された道をひたすらに、かっこ悪くても、愚直に歩んでゆく姿はまるでネビル・シュートの『パイド・パイパー』のよう。

神に挑みながらも、清清しい涙を持って読了できるのは、やはり春海という人間が愛されるゆえんなのかもしれないですね。


■私はここにいる!から、その先へ

冲方丁さんと言えば、僕がこの先もずっと愛してやまないであろう作家さんということは、このブログを古くから読んで頂いている方には自明のことと思いますが(笑)、冲方さんの作品にはこれまである種の共通したメッセージが込められていました。

マルドゥック・スクランブル

蒼穹のファフナー

オイレン・シュピーゲル
スプライト・シュピーゲル
テスタメント・シュピーゲル

上記作品においては、十代の主人公たちが、過酷な運命を背負いながら、その過酷さの中で、

・NO WHERE=どこにもいない

自分の存在がどこにあるのか?自分は一体何なのか?何故自分なのか?という疑問に押しつぶされそうになりながら、

・NOW HERE=今、ここにいる!

という、自分の存在を証明する、自分が生きていることを証明していくメッセージを持っているんですよね。


ではこの主人公たる渋川春海。

本名を安井算哲、将軍の前で囲碁を打つことを許された名家の跡取りである。

けれども、先代算哲=父親の晩年の子供であり、実質的には養子である算知が継いでおり、自分が継ぐことはないと悟っている、寄る辺無き心情を抱え、自分自身で立脚せねばならぬ、それも碁打ちとしてではなく、それ以外の何か、ここ以外のどこかで、そんな漂白の心を持っていた主人公でもあるわけです。

ここまではNO WHERE=どこにもいない、というわけです。

しかしながら、安井算哲から渋川春海へと名前が変わり、いつしか渋川春海が本名となっていく過程において、彼はまさしくNOW HERE=今、ここにいる!になっていくわけです。

ただ、そこで終わらなかったのがこの天地明察であり、まさに冲方丁さんの新境地と言っても良いのではないかと思います。

「暦」とは約束。

戦国の時代が終わり、泰平の世に移行しようとする世の中の無言の誓い。

「明日も生きている」

「明日もこの世はある」

天地において為政者が、人と人とが、暗黙のうちに交わすそうした約束が暦。

9・11以降、世界の先行きが分からなくなり、明日の行方が亡羊としつつある現代において、「明日も生きている」「明日もこの世はある」という約束を、この「暦」と言う中にその道しるべを見出したのかもしれません。

NOW HERE!の「今」だけでなく、暦=「明日」を指したこの作品。

紛れもなく素晴らしい作品だと思います。


■コアな冲方ファンは

コアな冲方ファンは、どうしたんだ冲方さん!普通に書いてるじゃないですか!と怒りそうなところである(冲方ファンにしか理解できないと思う)。

特に冲方さんは狂気の淵で作品に向かい合っているようなところがあり、その瞬間=精神の血の一滴が流れ出る瞬間の文章にこそ中毒性があるわけですが、今回は文体がマイルドであることもあり、狂気の淵、という感じは見当たらない。

地球の周回が楕円であることを解明した瞬間などは、もっとバロットとアシュレイがブラックジャックで勝負したような、そんな狂気の淵であり、ぐっつぐつに煮込んだシチューのような、全てのものが溶け合うような、狂気を発露しても良いのではないか、とさえ思う。

そこに冲方丁のエロスがあり、バイオレンスがあると思うのだけれども、そこはこの天地明察、前述したとおり、神の所業に挑む姿勢、算術から何からをぐっつぐつに煮込んで、全ての人の思いを受け止めて、溶け合うような思いは、これも一つの狂気の発露であり、またそれが清清しいまでの狂気なのかもしれない、と僕は思うのでした。

最後に、この渋川春海は、たくさんの愛すべき人から「頼みましたよ」と言われ「頼まれました」と返しているのですが、この僕もこの感想を書くにあたり、ある人物から「頼みましたよ」と言われ、叱られているのである。

僕が読んだ『天地明察』(初版本)は、昨年末のオフ会で制限時間の残量観察のりょくさんから、プレゼント交換の品として頂いたものなのです。

りょくさん的には、冲方丁ファンを増やすべく持参した品であったのですが、何がどう回ったのか、暦がずれたのか、その品が僕の手元に届くことになってしまったのでした。

・・・、既に重度の冲方ファンに渡っちゃったよ、意味ないじゃん。

が、りょくさんの感想であったことは想像に難くない。

つまり、そこで僕はりょくさんから「頼みましたよ」と言われてしまったのである。

そして迂闊にも「頼まれました」と応えた結果が、この感想なのでした。

少しでも『天地明察』を気に入って頂ける人が増えれば、そして冲方丁さんの作品を気に入って頂ける人が増えれば、これに勝る喜びはないのでした。

つか、この面白さを文章で伝えるのは、難しいんだよ!
だから、皆さん、是非読んでくださいませ。

冲方丁『天地明察』





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4 コメント

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約束をありがとう。 (りょく)
2010-01-23 19:50:31
『パイド・パイパー』読破いたしました。私も宿題片付けたよっ!(挨拶)
丁寧な感想に、手元にあるハードカバーを読み返しながら嬉しくなりました。
愚直なまでに目的を達そうとする春海は、カッコイイ文系男子ですよ。ラストに向かって挑んでいく辺りは、これでもか!これでもか!と畳み掛けるあたりが、冲方さんらしいですね。

道策は萌えキャラですね。この人、この作品のイジラレ愛されキャラですよ!

私が持っていった『天地明察』(初版)は確かに燕。さんの手に渡りましたが、燕。さん経由で何方かが読んで頂けると、冲方信者としては嬉しい限りです。
とりあえず、我が家は父親に読ませました。娘が所有する本を読ませたことは、これが始めてだったりしますw

「本屋大賞」にノミネートされた事ですし、今後の冲方さんの活躍に期待したいところです。
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天地明察にございます (こばやし)
2010-03-04 23:20:34
「惑星、惑う星などと呼ばれますが、それはわれわれが天の理を誤っているだけのこと、正しく天の理を解き明かせば、ほらこのとおり」
「天地明察にございます」

江戸の算術のレベルがこれほど高いとは。それも庶民のレベルで。

さて、テーマはいろいろありますが、私のつぼは「頼みましたよ」「頼まれました」でしょうか。涙ボロボロ。
もうひとつは、関孝和という天才に挑む渋川春海でしょうか。会いたい、でも怖い。囲碁でそれなりの地位を持ちながらも、本気で打ち込めるのは算術だけ、しかし、その自分のよりどころを打ち崩す天才に、恐れながらも挑みたい。私はサリエリが好きなんですよね。あの微妙で複雑でアンビバレントな心情の描写は、共感を覚えます。

世界史で天動説と地動説の話をしていたときに、「天地明察」を紹介しました。なかなか読んでもらうのは難しい。おもしろさを伝えるって、難しい。司書さんとうちの母は読んでおおいに感動してくれました。

「ヒカルの碁」で囲碁も少し分かるのですが、アニメ版の解説をしていた棋士の梅沢由香里さん(大ファンです)も帯の感想でおもしろいと書いていて、うれしくなりました。

どこまで史実か分かりませんが、よく調べてあるし、たとえフィクションでも、本当におもしろくて、リアルです。いろいろな読み方ができるので、すばらしいエンターテイメントであり、学術入門書だと思います。ぜひ多くの人に読んでもらいたいですね。学ぶことの本当の面白さが伝わります。術理をつくすことで、天才しかわからないような算術の問題も、順を追っていけば凡人でも理解できる、すなわち解説書がこの時代に生まれたのも、すごいことだと思います。
一人では解けない謎に、世代と地域を超えた人々の協力で挑んでいくなんて、ロマンじゃないですか。

りょくさんと燕。さんのおかげで、この本に出会えて感謝しています。そしてこの感動を分かち合える人がいることに、感謝しています。
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遅くなりました (燕。@管理人)
2010-03-17 22:50:10
■りょくさんへ
コメント大変遅くなって申し訳ないです。
このコメントを書いている時点で『天地明察』が吉川英治新人文学賞を受賞しているのと、本屋大賞にノミネートされており、冲方ファンとしても、そして純粋にこの『天地明察』のファンとして嬉しい限りですね。
春海が挫折を繰り返しながら何段階も成長していく、そしてクライマックスへ畳み掛けるシーンは本当に素晴らしかったですね。
りょくさんから託された本が、どうか多くの人に届きますように。
※道策は萌えキャラ、なるほど(笑)。
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ひたむきな (燕。@管理人)
2010-03-17 22:54:52
■こばやしさんへ
江戸時代の算術のレベル、恐るべし、ですね。
日本史の教科書で勉強するのとは全く違った迫力が伝わってきますよね。
関孝和との関係を上手く描いたなぁ、と感心です。
そして関孝和との大きな違い、それは周囲を大きく巻き込んで前へ進める力だったんだろうな、と。
こばやしさんの生徒さんにもきっとこの本の面白さを理解してくれる人がいると思いますよ。
まずはそれまで布教活動にでもいそしみますかね(笑)。
ある意味冲方さんらしくもあり、冲方さんらしくない本作品。
しかしながら、読後感の素晴らしいこと。
ひたむきさが心に刺さる作品です。
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