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機動戦士ガンダムUC episode7 虹の彼方に

2014-06-14 23:15:30 | ガンダムUC
公開から少し経って「機動戦士ガンダムUC episode7 虹の彼方に」を観て、これはやっぱり自分のその時の感想を文字に起こしておかないと、と思って本当に久しぶりにブログを更新するに至りました。

いやー、もう書き方忘れたかも(笑)。

ユニコーン、本当はBlu-ray BOXが出たら一気に観ようと思って、ずっと我慢してたんですよね。

でも、先日地上波で6話までやったじゃないですか。
これを見逃すわけにはいかない、ということで観たらもう大変。

7話は契約してるVODで観ても良かったんだけど、映画館でみるべきでしょ、と直感に従って観に行ってきましたよ。

ちょっと、まあ、感無量でね。

何か色々胸に去来するものがあってね。

総じて言うと、ほんと良かった。
素晴らしかった。

上映後すぐにiTunesで「Star Ring Child」をポチり、いまだに「RX-0」や「UNICORN」をサントラで聞くと泣きそうになる始末。

よくここまで作ってくれたって感じでした。

ニュータイプ論にある一定の答えを出したというか、これまでいろんなガンダムで触れられてきたニュータイプに対するアンサーが、僕の中では探り当てることができた、そんな感覚でした。

7話はやっぱり作りとしては難解だったような気もしていて、あと何回かみたい気持ちでいっぱいなんだけど、ライブ感のあるうちにラプラスの箱、ユニコーン、を自分なりに解釈、というか整理しておきたくなってしまって…。

ネタバレを含むところもあるので、未見の方は読まないことをお勧めします。


ラプラスの箱とはいったい何だったのか?


この答はずっとミステリー仕立てで進んできた物語として、僕個人としては非常に望ましかったというか、ああこうだよな、という結果に満足でした。

作中で引っかかった、レリーフが完全に再現されて云々というアナウンサーの表現が、やっぱり最後に答として持ってこられた。

1文の欠如。

たった1文の欠如。

それが全てを狂わせた。

ここまで引っ張って、答はたった1文。

これに痺れる。

ただの1文ではなく、ニュータイプ出現を示唆した、連邦政府が後の世界に希望を託した1文。

これがジオン・ダイクンの提唱するニュータイプ論(これも希望だったはず)の台頭とシンクロしてくることで、連邦政府を揺るがす可能性を秘めた呪いとなってしまった。

連邦政府は1年戦争を通じても、ニュータイプ否定派の立場を色濃くしていったし(Z以降で語られる当時のホワイトベースクルーの冷遇が象徴的)、ジオン・ダイクンが提唱する理論を一部でも受け入れることが事実上できなくなっていってしまったんですよね。

作中、何度も語られた「呪い」。

リディ少尉は「希望」だったはずなのに、と言った。

それがあの1文だった。


なるほど。


痺れる瞬間でした。


ここが今回の舞台の裏側たるビスト家とマーセナス家そこから連なるアナハイムと連邦政府の物語になって、最後はビスト家とマーセナス家の子孫が白いユニコーンと黒いバンシーに乗り、乙女=オードリー=希望をつなぐ、という小さな物語が大きな物語につながっているという、この大きな構図・構成の痺れるところでした。

福井さん、やるなー、ほんとに。


で、ラプラスとは、ユニコーンとは、いったい何だったのか?

これを僕なりに解釈というか、直感的に理解したのは、


ラプラスの箱、のもととなっているのはラプラスの悪魔、全知全能の者がいれば未来も確定するだろう、という運命論。

それに振り回される体制の人々。
大人たち。

暗喩として、ニュータイプならすべて理解できるであろう、時間さえも超越する(フルフロンタルの言葉)、というしがらみに満ちた大人の固定概念。

古典。

※ラプラスとは古典物理学の象徴。


ここで少し脱線しますが、福井晴敏さんは中年のおっさんをかっこよく描かせたら本当に天才的な作家さんだと僕は思っていて、今回登場するおっさんたち、ジンネマンさんしかり、ダグザ中佐しかり、カーディアス・ビスト、コンロイ少佐、魅力的な脇役がわんさか、はてはアルベルト・ビストまで、しっかりと渋い良さを描いてくれてます。

そんな彼らが想いを託していったのは、一人の若者。

主人公であるバナージ。

彼の瞳に、彼の意志に、これまでのしがらみを打ち破る可能性を見出して、時にその命を投げ出して託していく。

しがらみにがんじがらめにされて動けなくなった自分の思いを託して。


可能性の未来に懸けて。


可能性の未来。


古典物理学にとって代わったのは、量子力学。

ラプラスに対するシュレーディンガー。

確率。

可能性。

未来。

バナージに託す、これが古典に縛られた人が、可能性の未来に託した大きなパラダイムシフト。

ここに機動戦士ガンダムUCの大きな意味があったんじゃないかと思います。


可能性の未来に敵対する最大の壁。

それがフルフロンタル。

自主性を喪失し、器となった彼。

フルフロンタルがサイコフレームの塊を通じてバナージに見せたもの、それこそラプラスの悪魔そのもので、時空までを超越して見せた「確定した未来」。

決まっている未来に対して、何を足掻くことがあろうか、何に抗うのか?

自分のビジョンを持たず、器だけになってしまった人。

そのフルフロンタルが問いかける。


ここがまさに山場。

クライマックス。


フルフロンタル、そうじゃない。

確定された未来が欲しいんじゃない。

自分が託されたのはそんなことじゃない。

自分の背中を押してくれた人たちが言った言葉。

自分の直感に従え。

その直感が違うと告げている。

可能性を信じることが出来るはずだと。

皆に託されたのだから。

希望を。

可能性を。


ここが最高にカッコいいところなんですよね。

フルフロンタルの否定。

古典物理学から量子力学へのパラダイムシフト。


これをサイコフレームで出来たユニコーンが、この気持ちに応えるシーンは圧巻。

ユニコーンが緑色に光る現象はやっぱりアムロが逆襲のシャアで見せた奇跡を再現していて、そこに人類の可能性を見出していることの体現なんですよね。

ニュータイプ殺しと言われたNT-D。

しかし、その本当の姿は長い旅を経て、真のニュータイプを育て、導く「鍵」だったわけなんですよ。

ユニコーンそのものが可能性の未来を拓くための「鍵」だった。


こんな風に理解したとき、得も言われぬ震えというか、これまでのニュータイプ理論だとか、ラプラスの箱だとか、いろんなものの疑問に自分なりの納得感を得て、痺れた、痺れてしまったんですね。


いやー、マジで面白かったです。

機会があればもう一回観に行っても良いと思っています。


僕は、ガンプラ世代で育って、Z、ZZ、逆シャアもずっと観てきたし、08小隊や0083も好きだし、そんな中、カトキデザインで、魅力的なMSがわんさか出てくる、ただもうそれだけで満足なところがあったんですが、それにも増して福井晴敏さんが描いたUCの世界に痺れてしまいました。

ガンプラ作りたい衝動に駆られてるし、サントラ聞いたら泣けてくるし、UCの世界はニュータイプ殺しというか、(ガンダムで育った)おっさん殺しですわ(笑)。

ここまで作ってくれた制作スタッフに感謝です。

ありがとう。

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