蒼穹のぺうげおっと

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ヒロイック・エイジ 第25話「最後の契約」・第26話 最終話 「エイジ」 感想

2007-10-10 23:27:36 | ヒロイックエイジ
最終回の放送から大分経ってしまって、細部については多少忘れてしまっているところもあるんですが、それでも何となく、これはどういうことだったのだろう、とか漠然と考えているうちについつい感想を書くのを見送ってしまっていました。

ある程度纏まってきたような、纏まらなかったような、そんな気になってきたので、自分の考えを整理する意味でもこの「ヒロイック・エイジ」を振り返ってみようかなと。

* * *

この「ヒロイック・エイジ」の原案は、僕の大好きな作家さんである冲方丁(うぶかたとう)さんで、このブログのタイトルの一部にもなっている「蒼穹のファフナー」や(映像化は中止になってしまったけど)「マルドゥック・スクランブル」の作者なんですが、今回、脚本を担当された回数が非常に少なかったからなのか、それとも別に意図があったのか、その辺は分かりませんが、冲方さん風というような雰囲気が違っていたので、そこについてどうなんだろう…、なんて考えていました。

冲方さんは結構小説のあとがきとかで、この作品を書き始めたきっかけみたいなのとかを書いてくれてたりするんだけれども、この「ヒロイック・エイジ」ではどうだったのかな?とか、そんなことを考えていたんですよね。

で、それが最終回とその前の回を見たときに明示されたわけなんですが、それを無謀にも自分なりに解釈してみると、あー、何で人って生まれる前から決められた相手(種族)と戦争してるんだろうなぁ、つか、そもそも戦争を続けていく、する意味って何なのさ?そこに何か先があるのかね?とか、そんなところが出発点だったりしないだろうか、なんて考えてしまいました。

本作の結論では黄金の種族の遺志は、この宇宙をスターウェイで満たすこと、つまり、多くの種族が互いを認識しあい、行き交うことで生まれる星の道、ということはそれだけ、そもそも全く理解し合えないと思うほど程遠い存在の種族とも、理解し合える、そういう未来があるんじゃないのか?というところに行き着いたわけですよね。

そのための手段として争うことも理解を早めるため、そして旅立つためには必要である、という、争いはダメなんだ!という通常考えられるモラル的な部分、他の作品でもそこをテーマとして取り上げることも多いこの世の中(もちろんそれは紛争が多いという意味のアンチテーゼとして)、そういう世の中だからこそ、争いの先に何か不毛なもの以外のものがないのだろうか?と絶望の中から切望した希望、みたいな、そんなところにあったんじゃないかなぁ、なんて妄想大爆発させていました。

作中でもクライマックスでディアネイラとプロメ・オーの対談の中でずばり争うことでスターウェイを構築する近道となる、という答えを導いた、自分たちが何故これまで争ってきたのか?という究極の問いに対する究極の答えを見つけるシーン、ということなんですね。

絶望の中から切望した希望(それが宇宙の道=スペースウェー)、というのが、放送から大分たって、僕が漠然と辿りついた感想ですかね。


* * *

もちろんその中には悩み続けることこそ健全な人としての営みだ、的な部分も多くあって、盲目的に従う象徴として描かれたのがこの作品で言う「契約」だったわけです。

この「契約」が最終的に意味するところは非常に面白くて、全ての「契約」を履行していくと、破滅もしくは自分以外は全滅という結末を持ちつつも、全ての種族が持つ「契約」を履行しようとすると矛盾をきたす、という設定があったわけです。

ここがこの作品の大きなポイントの一つで、矛盾すると思われた「契約」そのものが、実は全て成立可能である、という結末を内包していた、というところですね。

細かいテクニックのところは割愛しますが、これは黄金の種族=冲方丁さんのみが知っていた矛盾であり、答えだった、というのが終盤で明らかになるんですよね。


また5人のノドスも、自身がその矛盾を内包する二面性のある「契約」であると同時に、自分達の存在意義自体も二面性を持っていたという点、ここがその「契約」と絡まって最終的に昇華されるという、何かとんでもない構造を持っていたんですよね。
ここは凄いなと正直思いました。

例えばカルキノスが宿すレルネーアの持つ存在意義は実は「生命」であり、当初から描かれてきた「腐食」のガスなどからは逆に「死」を連想させるに十分であり、また彼の契約自体も「死」を内包すると言われ続けていたわけじゃないですか。

だから、彼の持つ存在意義が実は「生命」だった、というのはカルキノス自身も気が付いていない、もしかすると当初レルネーア自身も気が付いていなかった点で、感情を持たないレルネーアに対してユティを守るという強い意志を共有したカルキノスがいたからこそ辿りついた答えなわけで、そういう二面性というか、矛盾の逆転みたいな発想が、この作品の謎解き部分として全てに共通していたんですね。

アルテミアの「光」も当初は攻撃に特化して用いられていたのものが、実はその「光」の使い道は万能の守りたる盾であり鏡となって存在し、ユティのケルビウスも全てを飲み込む「虚無」ではなく、新たな次元を開く「扉」だった、という二面性。

争いの中で、悩みながら考え続けて辿りついた結果。

そこに現われるもう一つの答え。

そういう構造がこのヒロイック・エイジの根底にはあったんだな、と今思えます。

一番分かりづらかったのはレクティのエルマントス。
彼女の能力が「過去」に干渉して未来を変える能力だと思われていたところに、あの最後の現象。
正直最初分かりませんでした。

でも、基本的にそれはプロメ・オーが成してきたことであり、レクティ自身も成してきた、数限りない迷い、自問自答。
「契約」に盲従せず、全ての可能性を考える、思い悩む、この姿勢の正しさを証明する行為。
それがベルクロスに道を開かせたシーンへ繋がる、と考えると自分なりには納得がいく感じでした。
数限りない自問自答、まさに「時間」が必要で、「時間」のなせる業なんだな、と。


だから、こうして苦しんで辿りついた先に訪れたのがハッピーエンドで本当に良かったな、と思えます。
ディアネイラの姿、それが今の時代でもやっぱり必要で、常に道を探し続ける、人を理解しようとする、そんな彼女に訪れる幸せが4年後に訪れても不思議じゃないでしょ?

ディアネイラが他人を理解しようとするってのは、実は一番の苦行のはずなんですよ。
彼女の持つ精神感応能力は他人の思考が入ってくると体調に異変をきたすんですから。

そんな彼女が答えを見つけるために、最終的には種族を超えて対話まで辿り付く、というのは淡々と描かれてしまった感はあるんだけれども、実は道を探す、という行為そのものだったんだよな、と思うわけです。

うん、だからハッピーエンド。
納得です。


* * *

とは言え、色々といいたいことも中にはありました。

あまりに淡々と進んでしまったため、どこが静でどこが動なのかわからない、つまりメリハリがなく、その分カタルシスにかける、というエンタメ要素を欠いてしまった感は僕の個人的な感覚としてはありました。

これは非常にもったいないなぁと毎週思っていました。

いっそのこと1クール13話くらいで凝縮してしまった方がドラスティックになってよかったんじゃないか、とか思っちゃうくらい。

見せ方、という点では個人的にはおしかったな、と思っています。

とは言え、冲方丁さんが脚本されている回はさすがに凄かったし、あとファフナーのスタッフが前面に出てるときはやっぱり迫力が違ってました。
#大西さんの脚本も面白かったなぁ。Darker Than Blackでも渋いの書かれていたので今後要チェックな人です。

* * *


ヒロイック・エイジについては、これ以前の感想なんかでも大分書きたいなと思ったことは書いてこれた(週飛ばしになったりしたこともあったけど(笑))と僕は思っていますが、そのうち冲方丁さんのこの作品に関するインタビューとかあったら読んでみたいですね。

ヒロイック・エイジ 第21話「惑星コドモス」・第22話「死の契約」・第23話「四人」 感想

2007-09-14 23:39:25 | ヒロイックエイジ
取り溜めていた『ヒロイック・エイジ』をようやく観ることができました。
だいぶ感想の間も空いちゃったけど、いやー、ディアネイラとプロメの対話、これにはしびれました。
ここの対話のシーンは、これまで僕も自分の感想を積み上げてきただけに、個人的にかなりしびれるところがありましたよ。


* * *


ディアネイラとプロメという、鉄の種族と銀の種族による有史以来、初めての「対話」がなされ、それを興味深く見守る双方の陣営。
そして辿り付く結論。


黄金の種族が残した意思、否、遺志。


それはスターウェイをこの宇宙に張り巡らせ、生命が行き交い、宇宙を育てることにあった。


スターウェイとは、星と星が繋がりあって出来上がるものだけではなく、人と人、生命と生命が呼び合ってもまた生まれるものである。
#人にもまたスターウェイと同じ波動があり、それは微量過ぎて気が付くことがない、ということなんだね。

そのためには手段として、種族間の諍いも已む無し。

飽くなき欲求(鉄の種族)と、高みでの安定(銀の種族)。

この高次のバランスと、ディアネイラのような存在が生まれてくるとき、この宇宙の広がりを信じた、それが黄金の種族の遺志。




ドンピシャ。



ぐはぁ、しびれた。

長かったよぉ。ここまで。

恐らく最初にこの『ヒロイック・エイジ』のテーマ部分について、スターウェイをベースに書いたのは第7話「契約」の感想が初めてだったと思うけど、そのときは本当に考えが中々纏まらなくて、迷いながら書いた感想だったけれども、自分たちが輝いて惹かれあう、新しい宇宙の在り方、という直感を信じて良かった。

(引用)
直感的には、これまでの自分たちも星の一つであり、その存亡についてはあるがままで、それがまた星を創るという考え方(従来の宇宙の在り方)と、自分たちも星のように輝いていかないといけない、存在を示すことによって、逆に惹かれあう新しい星を創るという考え方(新しい宇宙の在り方)の2つなのか?などと考えたのですが、

(中略)

スターウェーっていうのは「星の道」で、星と星をつなぐ引力の道、という風に説明されています。

で、ディアネイラの精神感応力は、人の生命エネルギーの波動を感じ取るもので、この波動がスターウェーを形作る力と同質のものという設定なんですね。
#でも人の持つ波動はあまりに微力だから計測できない。

これってやっぱり、人の生命エネルギーもそうであるならば、星と星が惹かれあうように、人と人も惹かれあう。
そういう力、というか、そういうテーマなんだよね?




それから今に至るまで、その考えをベースに感想を積み上げてきたので、今回のディアネイラとプロメの「対話」から導かれた「仮説」にはしびれましたよ。
あと、個人的にはこの戦い自体がその「仮説」に辿り付くためのもの(つまりせめぎあいの末に生まれる新たな星の道という考え方)じゃないか?というのも予想通り。


うんうん。


ディアネイラとしては、もう一つ。
イオラオスを連れて行ったことですね。

精神構造の違う異性が近くにいるだけで精神に変調をきたしていたディアネイラがテレポート能力があるとはいえ、イオラオスを連れて飛ぶ、というのは彼女の精神の成長の現われとして描かれているんですよね。
銀の種族と対話し、受け入れる可能性があるならば、まず自分の種族を受け入れる、みたいな。
これは、徐々に描かれてきたことだったんですけど、地味に凄いことなんですよね。

うんうん。


あとはノドスの「契約」ですね。

これについては、未だ2つの考え方が作中での残されていて、一つは今回の「対話」から導かれるように、相互に理解しあうことによって互いに「矛盾」していた契約に「整合」が保たれるということ。
もう1つは互いに潰しあうことによってたった1つの契約にしてしまえば「整合」がとれる、という考え方。

今はロム・ロー(を代表とした銀の種族)の黄金の種族に対する逆恨みもあって、このバランスがどう転ぶか分からない、という緊張感が続きますね。

ユティが既に(というか最初からか?)救われるべき存在、になっている点からも答えは相互理解へと進んでいるけれども、黄金の種族の残した力が存在するか、しないか、というのが一つの焦点。

個人的には何も無くても良い気がしますけどね。
#作中、仮定ではあるけれども応えは示されたわけで、それこそ新しい種族の発見とかになるんでしょうか。

あとちょいですが、じっくりと観たいと思います。

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ヒロイック・エイジ 第17話「報復の軍勢」・第18話「勝利の日」 感想

2007-08-12 09:02:40 | ヒロイックエイジ
再び2週に1回の更新ペースへ(笑)。
しかも、もうすぐ19話になっちゃう、危ない、危ない。

僕のこの物語のアウトラインに関する基本的な部分っていうのは、黄金の種族というのは、この宇宙の栄枯盛衰というか、行き着く先について、銀の種族と鉄の種族の拮抗にあって、その中から、各種族が目覚めていく、それが宇宙の緩やかな崩壊を防ぐことに繋がる、と考えていたのではないか、というものです。

これはたぶん、大分最初の頃からの感想で言っているので、今回もあまり書くことがないのだけれども(笑)、銀の種族というのはその高い知性によって、他の種族を導き、文明的にも発展させる力を有していて、この宇宙の管理者的存在なんですよね。
これについては、鉄の種族以外からは概ね好意的というか、むしろ恩すら感じている、そういう位置づけなんですよね。

その高い知性と対照的に感情の起伏が極端に少ない。

逆に鉄の種族である人類は、最も遅く宇宙に出てきた種族であり、また非力でもある。
しかしながら、他の種族では理解できないほどの感情を持ち、それがあるがゆえに、安定を望む銀の種族とは相容れない。

今回の青銅の種族の母星への侵攻も、鉄の種族にとっては意味があっても、銀の種族にとっては意味を成さない。

話は変わって、スターウェイ。

これは、星と星が惹かれあってできあがる星の道。

星はどこかで生まれ、そして散っていく。
時にはぶつかり、時には惹かれあいながら。

その繰り返しを経て、できあがるスターウェイ。

この物語をマクロ的にみるならば、やはり銀の種族だけでは安定を望んだ結果、星(種族)はぶつかり合うことなく、緩やかな滅亡につながり、また鉄の種族だけでは星(種族)はぶつかり合うことで潰しあうかもしれない。

黄金の種族はその行く末をこの戦いの拮抗、もしくはそこから生まれてくる種族の覚醒に賭けたのかもしれない。

というのがマクロ視点での僕の考え。



これに対して、エイジやディアネイラ、そしてアルゴノートクルーの自立的考え方というのがフォーカスされてくる、というのがミクロ視点。
これについては既に描かれつつあるので、これは各キャラを追っていくことで、マクロ視点との整合性が見えてくるんじゃないかと思うんです。

あとは、4人のノドス。

物語のミクロレベルでの面白さはこの4人にかかってるな、と今回改めて認識です。
彼ら、彼女らが、契約とは何か、契約以上のものは何か、自分とは何か?何を守るために自分は戦うのか?という点に立ち返っていくことが、マクロ視点での整合性との鍵につながるんじゃないかなぁ。


特にカルキノスとユティ。
#メヒタカは既にこの片鱗を見せている。


カルキノスは契約とは別にユティを守ると心に決めている節が今回改めて分かった感じがありますよね。

また、ユティ。

彼女は銀の種族なんだけれども、その身に宿す英雄の種族の影響で、他の銀の種族とは異なり、感情が豊かなんですよね。

薄々感じているカルキノスへの気遣いなんかからも感じられるわけです。


ゆえに、最終的には5人のノドス全員が、契約とは何か?むしろ契約を超えた先に何を見つけるのか?というのがクライマックスのような気がするし、黄金の種族がそこにたどり着かせるために、あえて与えた枷が契約だった、とも思えるわけです。

・・・この辺も前の感想から言ってるのであまり新しいこと言ってないですね、自分(笑)。


生まれる前から与えられていた敵。
生まれた時から与えられていた契約。

現在は銀の種族も、鉄の種族も相互理解は皆無。

鉄の種族同士でさえ、なかなかに相互理解できない。
それは銀の種族も同じかもしれない。

敵、契約、そういった枷を乗り越えて掴む相互理解、そこに答えがあるのかもしれないですね。
もちろん、その相互理解の道を切り開くのはきっとディアネイラなんだろうな、と思うわけです。

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ヒロイック・エイジ 第16話「幾つの定めを超えて」 感想

2007-07-27 00:48:00 | ヒロイックエイジ
第1部がエイジとの出会いとアルゴノートの苦難の逃避行、第2部が地球への道のりと孤独の英雄の救出であるとするならば、この第16話からは第3部と捉えても良いのかもしれない、と個人的に思っているんですが、第3部はこれまで契約に縛られてきた者たちが、その契約の真の意味とは、そも契約とは?という部分に踏み込んでいくところなのかもしれないなぁ。

その一つ目の動きとして、メヒタカ。
彼も戦うことが嫌いであったにも関わらず、(自ら課した?)契約に縛られ、戦いを続けてきたけれども、エイジ、そしてディアネイラとの出会いの中で、自らの意思で初めて誰かのために戦おう、と決意したわけです。

契約っていうのは、本作品においては自らを戒め、縛るものという側面のほかに、その逆として、その契約と言う束縛があるがゆえに考えなくてはならない、何故そうなのか?という点を、というところを登場人物はじめ、種族単位で考え続けないといけない、という重みを持たせていると思うんです。

ディアネイラにしても、自分の能力であったりとか、自分の立場であったりとか、いろんなものに縛られていて、最初はそれでも良し、と甘んじていたんですよね。
それがエイジとの出会い、エイジの窮地を経て、今回素直に、そして笑顔で「普通に」接することができているわけで、そういう束縛を自分で考えて、悩んで行動して打ち破っていっている、というところがこの物語の面白さなんじゃないかと思います。

逆に銀の種族。
これは安定を求めすぎた結果、感情を希薄にしてしまった。
最も英雄的とは遠い存在になってしまった。
安定を好む、好みすぎることで、何故?どうして?という感情の原点を忘れてしまっているのではないか?とも思える台詞が今回登場しています。
それが契約なら仕方ない、とか。
それがすなわち種の反映に繋がるか?というと全肯定もできないが全否定もできない。

ただ言えることは、このまま安定期が続けば、感情を放棄した種族は安定の後に衰退し、宇宙の緩慢な滅びに繋がる、という感じじゃないでしょうか。

よくSFの設定でもありますが、そういう安定期に対して、こんかいの鉄の種族のような不安定ながらも欲望も感動も持ち合わせている種族が登場して、活性化させるという設定がありますが、やはりこれもそういったところを踏襲しているんじゃないかと思いますよ。

ゆえに、黄金の種族は鉄の種族が宇宙に出てくるまで待っていたのかもしれない。
その行く末を、最も脆弱な種族に、最も強大な力を持つノドスを与え、銀の種族の安定と、鉄の種族の探求のバランスに賭けたのかもしれないな、と。

「皆が誰かの星になる」

というキャッチコピーからも、メヒタカの自分の意思で星になろうと決意した想い、こういうところが今後銀の種族でも、鉄の種族でも現われてくると面白いですよね。
#個人的にはメヒタカとレクティの対決があっても良いと思っているし。

今後はこの辺の何故?何故?が加速していくと思われ、その答えを登場人物たちが体現していく、という展開だと更に面白いかと思います。

でも今回疑問に思ったのは、何故ディアネイラたちまで青銅の種族の原星を攻撃に行くのか?というところですね。
人類軍が行こうとするのは、その自分達の体験に基づき、そうするんだという解説が銀の種族からなされましたが、その辺に対するアルゴノートクルーの反応ってどうなんだろう?と。
必ずしも良案とは思えないけどなぁ…。
その辺は次週で、ということなのかな。

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ヒロイック・エイジ 第15話「光降るとき」 感想

2007-07-18 01:34:42 | ヒロイックエイジ
気合の入り方がこれまでと段違いに凄かった第15話「光降るとき」。しびれました。
これにて第2部も美しく幕が降りました。

つか、

脚本:冲方丁、絵コンテ・演出:羽原信義、作画監督:山岡信一

とクレジットされた日にゃあ、期待せずにはいられないし、このスタッフはこの作品における最高スタッフの終結なわけじゃないですか。
いや、ほんと凄かった。
#狂乱作画担当までいるという気合の入り方。
#グレンラガン第15話の絵コンテ4人とか、第2部のラストってほんと作っている人たちも気合の入り方が違いますね。

何と言うか、改めて「魅せ方」について考えさせられました。

正直これまであまりに淡々と物語が進むし、緊迫したシーンのはずなのに淡々としてる、とそういう印象が拭えなかったところが個人的にはあって、そろそろ冲方さんご自身の脚本で見てみたいのです、と切望していた矢先だけに今回は本当に、作画なんてここまでやるんか!!というくらい気合入っていて、ストーリーの流れ的にはここに落ち着くであろうと分かっているのにも関わらず、ドキドキしながら最後の最後まで観てました。

ラストの特別エンディングなんかも、これって最終回?と思うくらいスペシャル感があって、この第15話にかけた制作スタッフの人たちの熱い想いってのが伝わってきましたよ。

第2部というのは僕が勝手に呼んでいるだけなんだけれども、

第1部でアルゴノートの危機を幾度と無くエイジとベルクロスが救い、

第2部でその英雄をアルゴノートクルーが救う

強大過ぎる力を持つ者が窮地に立たされ、その強大過ぎる力に比べたら非力すぎる仲間たちがその窮地を救う、というカタルシス。

第1部で積み上げてきた信頼が、第2部において最後の最後まで信じて皆が見捨てるような状況においても仲間として恐れず、その苦境を開放するというカタルシス。

いやー、しびれました。

アルゴノートという船が、積み上げられた信頼の中で非常に特殊で大切な存在になっていて、それが既にアルゴノートを破壊することができない、それをすると未来が閉ざされるというくらいまで昇華されていて、またそれに甘んじることなく、圧倒的な戦力差を知ってなお、ノドスに挑んでいくクルーたち。
これがまたこの1点に集約されてくるのが熱いですね。
#もうほんと惜しいのはこれまでの展開が淡々としていたり、エイジに対するアルゴノートクルーの気持ちがくどかったりと、これまでのそのテンポの悪さが悔やまれるなぁ。

また、今回の最大のクライマックスはもちろんディアネイラと狂乱したエイジ&ベルクロスの対面ですよね。

エイジ&ベルクロスを止められるのはディアネイラしかいないわけですが、ここでの大きなポイントは二人が互いに「星」であると語ることなんですよね。
ここが良いんです。

「そして僕らは誰かの星になる」

がこの作品のキャッチコピーじゃないですか。

それを体現した瞬間とも言えるこのラストシーンは美しかったですねぇ。

互いに導きあう、惹かれあう存在。

まさに星であり、その星が集まってできあがるスターウェイ。

こうやって道が出来ていくというのがこの物語のテーマの一つでもあるわけで、この第15話にその想いを収斂させてきた、そんな感じですよね。

ディアネイラには、今回は精神体で実物のエイジを最後のシーンで支えてあげることが出来なかったのだけれども、これから先の第3部以降では、きっと互いを受けとめられる、そういう存在になれると良いな、なんて思いながら観てました。
#ディアネイラの精神感応能力という相手の中身に踏み込むのが躊躇される、そういう性格だからこそ、エイジという存在はまた彼女にとっても非常に貴重な存在なんですよね。

今週、非常に満足でした。
うんうん。

今後は脚本に冲方さんも参加していくようですので、これは本当に楽しみです。
#切望していただけに尚更嬉しい。

非常に美しいラストシーンでした。

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ヒロイック・エイジ 第14話「荒ぶる者」 感想

2007-07-14 16:15:20 | ヒロイックエイジ
待ちに待っていたディアネイラの決意。
他人より常に一歩引いて考えるディアネイラが、ようやく立ち上がる、熱い展開でした。
我らの星の英雄的行動、それが我らの英雄を救うことができるか?

恐らく次の第15話は前半戦最大のクライマックスになるに違い有りません。

■ディアネイラ
基本的に彼女は精神感応能力を持っているがゆえか、決して自分が前に出るということはせず、殆どの場合相手を立てるというか、譲ってしまう傾向があったんですよね。
#まあ、ある意味精神感応能力を持っている人が「私が、私が」で前に出ていると非常に問題もあると思うので、彼女の場合、環境を考えても、自分をわきまえての行動だったんでしょうね。

それがそうもいかない局面まできてしまった。

崩壊寸前の人類軍、存在を感知できなくなったエイジ等。

ディアネイラって、基本的に精神感応能力を持っているがゆえに、他人を受け入れるということが非常に難しい、近くに異性がいるだけで体調が悪くなる(波形が違うので異物を体内に入れている感覚になるらしい)という体質で、一歩引いてしまうのは仕方ないにしても、逆に相手の中に一歩踏み込むということも非常に難しかったわけです。

だから今回、自分の心情を吐露した場面は隠れたクライマックス的要素を含んでいて、エイジが自分を嫌っていたらどうしよう、エイジが自分を拒絶したのではないか?と思ってしまう部分、ここはひとえにディアネイラという特殊な存在だからこそ思ってしまう、そういう心配だったわけです。

ここが一番面白くて、彼女はここで、一人の女性として初めてエイジのことを考えているんですね。
これまでの人生で、自分の精神感応能力や王家という立場で色々と枷があったわけで、そこを今、(はたから見たら滑稽なくらいに)悩んでいる。

さらに、もう一つ、王家としての立場、みんなを導く立場としても、ここで自分が前に出るべきか悩んでいるわけです。

エイジを想う気持ちと皆を導く立場がシンクロしてくるわけですよ。

一人の女性として、また、王家の一人として、ここで決断をする。

この二つのストーリーが今回一つに重なった点、それが面白くて、このヒロイック・エイジのタイトルにあるように「英雄的」な行動に繋がっていくんですね。
ここがしびれます。

また、「皆が誰かの星になる」というこの作品のキャッチコピーにシンクロするように、そしてエイジの描いた絵にシンクロするように、ここに新たな星が生まれて、人々の星になる人が生まれたわけです。

ということで、ここまでの展開が非常にもたついていて個人的にはやきもきしていたところもあったのですが、今回でそれも解消。

さあ、次は「仲間」であるエイジを救いに行くしかない、です。
#ラストのワープに入る船団のイメージは熱かったです。

狂乱状態になったのは予想どおりですが、ここで一つ見せ場を作るとしたら、やはり地球を背にしての狂乱状態にあるエイジとアルゴノートクルー、ひいてはディアネイラの行動でしょう。

ヘタをすると、地球崩壊?、のみならずアルゴノートまで崩壊か?というギリギリのラインで、エイジを救い出す、そう、今までエイジに守られていた人々が、「仲間」であるエイジを救いにいく、ここが熱いわけです。

エイジとベルクロスの強大すぎる力に比べて、人類の持つそれは極めて小さい。
けれども、エイジを独りにすることはしない。
何故なら仲間だから。

そしてディアネイラ。

自分の気持ちをさらけ出せる相手であり、これまで一歩引いてきた自分を初めて前に出させた人であるエイジ。

やはりエイジを救うのはディアネイラしかいないわけで、地球を背にしたこの救出劇(最強の力を持つ仲間を、あまりに非力な人類の仲間たちが救い出すというカタルシス)、ここがたぶん前半戦の最大のクライマックスになるのではないですかね???
いや、間違いなく次は前半戦最大のクライマックスに違いないと確信しました。

つーことで、今回非常に面白かったので、いい緊張感を持って&英雄的な気分を持って、次のクライマックスへ臨めそうです。うんうん。
#見返すと今回、味があってみるたびに面白く感じました。

#今回はDARKER THAN BLACK-黒の契約者-の第13話・第14話「銀色の夜、心は水面に揺れることなく…」の脚本を担当された大西さんだったわけで、このときこのお名前を覚えておこうと思った矢先の出来事でした(笑)。


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ヒロイック・エイジ 第13話「時空流の戦い」 感想

2007-07-04 00:07:45 | ヒロイックエイジ
レクティがその身に宿すノドス「エルマントス」の能力は時空跳躍という反則的能力でした。
#もうちょい正確に言うと、色々と分岐していく過去へ遡り、この攻撃ならエイジを確実に仕留められるというポイントを何度も探る、というものでした。

つか、その全てのアタックにおいて優位性を示す、つまり倒される可能性の無いエイジ=ベルクロスのほうが実は反則的だ(笑)。

……というわけでも実はなく、やはり予想通り孤独の英雄の戦いは疲弊を増すごとに「狂乱」へとひた走る、そういう展開に入って参りました。

「狂乱」になれば敵も味方も関係なく攻撃を始めると思われ、これによって英雄の種族自体も5匹までに減少したわけですよね。
恐らく星のひとつや二つを破壊することなど造作もないわけで、こうなってくるとやはりここでのクライマックスとしては、舞台を地球付近に持ってくることでしょうね。

最大の大きさを誇る木星が吹き飛んだ、そんな戦いをしている中で、スターウェイに引きずられて辿り付く先はやはり地球。
「狂乱」状態のエイジが地球まで吹き飛ばしてしまうのではないか?という舞台設定になるとやっぱり緊張感あって良いですよね。

そんなエイジを助けられるのはアルゴノートクルーとディアネイラしかいない、そんな展開になるんでしょうね。
#ここまで引っ張っているのはきっとそこを描きたいがために違いない。

そのためには自分が兄たちを差し置いて前に立つことに逡巡しているディアネイラが、自らの意思で星の道を示す、という決意をしないといけないわけで、そのきっかけとしてエイジの「狂乱」があって、それを鎮めるためにも自分が立ち上がらないといけない、エイジをとめることができるのはディアネイラ、そしてアルゴノートクルーしかいない、孤独の英雄を助けるのは自分たち仲間しかいない、という展開だといいなぁ。

黄金の種族が残した契約、そしてノドスということについては何となくこれまでの予想で正しいかも?と思える表現もありました。
銀の種族の持つ安定という理念、それを打ち破ろうとする鉄の種族の好奇心?
このせめぎ合いの末に生まれる星の道に、この宇宙の未来を託した、と考えるのが筋でしょうか。
#逆に通常感情の起伏が少ない銀の種族、その銀の種族のノドスであるユティに、ノドスであるがゆえに感情を持っている、というのは一つ非常に面白くて、この感情が恐らく後半へ向けて何らかの鍵になるんじゃないかと予想。

それにしてもここまで個人的に思ってしまうのはちょっと淡々と進みすぎている気がしないでもないんですよね。
冲方さんファンとしてこの作品を観始めたものとしてはそろそろ冲方さん自身の脚本で観たいところでございます。
#14話までは違うことは分かっていますが、15話以降期待してしまうなぁ……。

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ヒロイック・エイジ 第12話「破滅の炬火」 感想

2007-06-28 00:57:36 | ヒロイックエイジ
予想通り「孤独の英雄」と化していくエイジですが、これはやはりディアネイラ=人類の星、の目覚めを期待する一連の流れなんでしょうね。
というか、ディアネイラという存在に人類の未来を投影している形になっていて、その人類が目覚めるためには木星の崩壊くらい必要でしょう、みたいな。
豪勢過ぎるだろ!!

基本的にエイジは賢者めいていて、今回の惨劇なんかも予見しているわけですよね。
また、その中で輝ける星が登場してくる、ということも。

エイジの賢者めいたところは、この物語の設定というかスターウェイという設定がヒントになっていると思っていて、星が生まれて、星が散って、そこに道ができる、だから全ては星の導きのままに、誰かが誰かの星になる、というキャッチコピーに繋がっているんだと思うんですね。
その考えはエイジ自身にも適用されるわけで、自分も誰かの星になればよい的なところがあって、あの契約もあるけれども苦境に飛び込んでいる、みたいな。

でも、たぶんもう一つ考え方があって、きっとこの惨劇の後に到来すると個人的に思っているんですが、自分が星のように輝かねばならない、それぞれが星のように輝きあってまた道ができる、惹かれあうからこそ星の道=スターウェイができる、という自立発生的な目覚めが来る、というのが何となくテーマとして対をなしてくるように思ってるんですよね。

今回特に強調されていたのは、人類=鉄の種族の愚かさの部分なんですよ。
これって、感情を抑制していて、安定を好む銀の種族としては、ある意味この人類の欲というのは脅威なんですよね。
ゆえに宇宙の安定を考えるならば排除が必要、みたいな。

ただ、もう一つ、人が感情を持っているからこそ持てる強さ、というのも表現されていて、それはディアネイラがパエトー・オーをしりぞけ、未だに畏怖の感情を残させる「人を想う力」になっているわけですよ。

感情を抑制している銀の種族としてはどちらも脅威以外の何者でもないわけですが、後者の方は、やはり救いとして描かれる、というのがこの戦いの後半の見所じゃないかと思います。

どんなにノドスが強大な力を持っていようとも、脱しきれない窮地を迎える、そんな時、非力な人類が、アルゴノートクルーが、ディアネイラの想いが、エイジの心を救う、そこにこそこのスターウェイからなる宇宙の救いの星となる気がしますね。

何となく確信っぽくなってきたけれども、安定を好み、感情の起伏が乏しい銀の種族、高度に発達しているけれども、それ以上の発展が望めないとなると、星の輝きもいつかは無くなるように、宇宙も荒廃していくのかもしれません。
そこに希望として残るのは鉄の種族や、他の種族の持つ想いの力、なのかもしれません。
それは諸刃の剣で宇宙や今回のように星を崩壊させることもあるわけです。

黄金の種族とは、そのバランスにこの宇宙の存続を託したのかもしれないなぁ、なんて思ってます。


さあ、ディアネイラさま、立ち上がるときが来ましたよ。

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ヒロイック・エイジ 第11話「輝きの星」 感想

2007-06-24 00:59:29 | ヒロイックエイジ
ノドスの「狂乱」という言葉が何度も出てきた今回。

圧倒的な力を有する「英雄の種族」がたった5人(匹)?になってしまった背景にはこのノドスの狂乱がありそうな感じですね。
これはきっと読んで字の如く、一度狂乱状態に入ってしまうと敵味方関係なく暴走してしまう、そんな予感。


エイジって何も知らない子供っぽいところも多々あるんですが、時折賢者のような発言しますよね。
それこそ星の示すままに、みたいな。

今回も第3話で描いた絵に続いて、未来を予測するかの如く描かれた絵。
やっぱりそれはこれからの激しい戦いの暗示か、それともそれプラス、エイジの狂乱を意味するのか?

またそこに輝く一つの星=ディアネイラ。

ということはやっぱりエイジ(もしくは他のノドス)の狂乱化は避けることができず、星が無くなる、というのはひょっとすると取り戻すべき地球が無くなる、ということも考えられますね。

で、やっぱりエイジにとって必要となってくるのはアルゴノートクルー、そしてディアネイラ、彼女たちがきっとエイジを救う、そういう暗示に思えました。

たとえノドスの力は圧倒的で、それに対する人類の力があまりに非力であったとしても、やはりアルゴノートクルーは、そしてディアネイラはエイジを助けるのでしょう。
きっと、エイジが今回アルゴノートを守るためにアルゴノートを降りたように。

今、クルーたちの中に、そしてディアネイラの中に、エイジへの喪失感が募れば募るほど、この伏線は生きてくると思いますね。
#全然違うかもしれないけど(笑)。

メレアグロスたちと比較して、あの激戦をエイジと共に生き延びたアルゴノートクルーの精神的な成長が際立った、そういう回でしたね。

あと個人的に気になったのは、銀の種族って、彼らの思考ベースとして安定させることを望んでいるんですね。
感情の起伏が殆どないので、その辺も関係しているのかもしれませんが、高度に安定しているので、非常に論理的で自分たちの使命?を果たそうとしていて、その一つが征服による安定化、なのかも。

となると、「欲が強い」人類=鉄の種族とは相容れない、ということになるわけですね。

黄金の種族が何故、非力な人類=鉄の種族に最強のノドスを託したか、やはりこれは銀の種族が平定することによるこの宇宙の安定か?(こういう場合高次で安定すると徐々に荒廃していくのが世の常)それとも(欲望という原動力はあるにせよ)種族の持つ生命力の強さによる発展か?に賭けてみたのでしょうか。
#契約とはそれが一気に進行しないための、そしてより良い結果を考えさせるための枷なのかもしれません。

それこそ、星の導きのままに、なのかもしれませんね。

今回は短めの感想でした。


何となく淡々と進みすぎている気がしないでもないなぁ、なんて思うのは冲方丁さんの『オイレン・シュピーゲル2』を読んでしまったからでしょうか……。
予定ではまだ冲方丁さんの登場は無いみたいですが、御大自ら執筆しての脚本、そろそろ見てみたいなぁ……。最後まで登場しないのかな……。
#いやでもあのペースで仕事してたら冲方さん死んでしまうかもしれない、いや冗談ではなく。お体ご自愛下さい、とほんとに言いたいですわ。


ヒロイック・エイジテーマソング『gravitation』angela


ヒロイック・エイジ 第10話「孤独の英雄」 感想

2007-06-17 23:39:31 | ヒロイックエイジ
ほぼ週遅れ、というか先週放送がなかったので助かった(笑)のですが、さすがにその貯金?もこれまでなので、11話を観てしまう前に簡易でも感想を(自分の備忘録兼ねて)。

シリーズとしては新しい章に入ったわけですが、今回の展開はある程度予想ができた範囲なんで、ふむふむそうかそうか、そういう体制になっているのね、という確認を兼ねてじっくりと見ておりました。

個人的にはもっとエイジを(アルゴノートクルーを除いて)色んな権力者が取り合いをする、とかもっとエグくやってもらっても良いよ、と思うくらいでしたが、現時点ではユーノス王家のメレアグロスというあからさまに小物チックな雰囲気を醸し出しているディアネイラの兄がその所有権を(結果的に)獲得、という形になりました。

もうこの流れで行くと、愚かな将軍(メレアグロス)に率いられ、必ずしも得策とは言えない作戦を繰り返した後に窮地に立たされ、エイジが孤軍奮闘するも、人類艦隊は壊滅の危機に瀕する、みたいな感じになるんじゃないですかね。

基本的にこれまでもアルゴノート一隻を守りながらでも結構ギリギリの戦いだったわけで、それを艦隊を率いて、となるとエイジにかかる負担も相当なものになるし、「孤独の英雄」と化すのはこれから先のほうが相応しいのではないか、と思わせるには十分です。

やはりエイジを守るのはアルゴノートクルーたちであり、ディアネイラという流れになって欲しいところ。
#戦力的には圧倒的にノドスなんですが、エイジという個人を支えられるのはアルゴノートクルーとディアネイラしかいない。

エイジも、「道を見つける」のはディアネイラ、ということを今回言っていますし、エイジの本来的使命=「契約」とは、ディアネイラたちが、自らが進むべき道を見つけ、その道を進むための支援をする、という形が美しいかなぁ。
#メレアグロスは明らかに愚将的雰囲気なので、その殲滅戦的戦い方では未来は見えない、という気がするんですよね。

ディアネイラ的にも、今回のバカンス?でエイジという存在の大きさを徐々に認識するんじゃないかなぁ。
彼女にとっては異性であの距離で話せるのは、自身の精神感応能力のせいで、今のところエイジしかいないわけですし、そのエイジは時々賢者的発言するし、既にディアネイラの中ではノドスではなく、エイジとして見ているわけで、ディアネイラのエイジに対する見方、接し方が、今後の窮地の中で際立ってくるんじゃないですかねぇ(離れているが故に)。

その前の休息。
それが今回、みたいな。

ゆえにココからは苦難の道(いや、いままでもそうだったけど)が更に続いていく、という感じですかね。
とりあえずはこの人類艦隊崩壊から面白くなる、と踏んでます(何てやつだ(笑))。

ヒロイック・エイジテーマソング『gravitation』angela