最終回の放送から大分経ってしまって、細部については多少忘れてしまっているところもあるんですが、それでも何となく、これはどういうことだったのだろう、とか漠然と考えているうちについつい感想を書くのを見送ってしまっていました。
ある程度纏まってきたような、纏まらなかったような、そんな気になってきたので、自分の考えを整理する意味でもこの「ヒロイック・エイジ」を振り返ってみようかなと。
* * *
この「ヒロイック・エイジ」の原案は、僕の大好きな作家さんである冲方丁(うぶかたとう)さんで、このブログのタイトルの一部にもなっている「蒼穹のファフナー」や(映像化は中止になってしまったけど)「マルドゥック・スクランブル」の作者なんですが、今回、脚本を担当された回数が非常に少なかったからなのか、それとも別に意図があったのか、その辺は分かりませんが、冲方さん風というような雰囲気が違っていたので、そこについてどうなんだろう…、なんて考えていました。
冲方さんは結構小説のあとがきとかで、この作品を書き始めたきっかけみたいなのとかを書いてくれてたりするんだけれども、この「ヒロイック・エイジ」ではどうだったのかな?とか、そんなことを考えていたんですよね。
で、それが最終回とその前の回を見たときに明示されたわけなんですが、それを無謀にも自分なりに解釈してみると、あー、何で人って生まれる前から決められた相手(種族)と戦争してるんだろうなぁ、つか、そもそも戦争を続けていく、する意味って何なのさ?そこに何か先があるのかね?とか、そんなところが出発点だったりしないだろうか、なんて考えてしまいました。
本作の結論では黄金の種族の遺志は、この宇宙をスターウェイで満たすこと、つまり、多くの種族が互いを認識しあい、行き交うことで生まれる星の道、ということはそれだけ、そもそも全く理解し合えないと思うほど程遠い存在の種族とも、理解し合える、そういう未来があるんじゃないのか?というところに行き着いたわけですよね。
そのための手段として争うことも理解を早めるため、そして旅立つためには必要である、という、争いはダメなんだ!という通常考えられるモラル的な部分、他の作品でもそこをテーマとして取り上げることも多いこの世の中(もちろんそれは紛争が多いという意味のアンチテーゼとして)、そういう世の中だからこそ、争いの先に何か不毛なもの以外のものがないのだろうか?と絶望の中から切望した希望、みたいな、そんなところにあったんじゃないかなぁ、なんて妄想大爆発させていました。
作中でもクライマックスでディアネイラとプロメ・オーの対談の中でずばり争うことでスターウェイを構築する近道となる、という答えを導いた、自分たちが何故これまで争ってきたのか?という究極の問いに対する究極の答えを見つけるシーン、ということなんですね。
絶望の中から切望した希望(それが宇宙の道=スペースウェー)、というのが、放送から大分たって、僕が漠然と辿りついた感想ですかね。
* * *
もちろんその中には悩み続けることこそ健全な人としての営みだ、的な部分も多くあって、盲目的に従う象徴として描かれたのがこの作品で言う「契約」だったわけです。
この「契約」が最終的に意味するところは非常に面白くて、全ての「契約」を履行していくと、破滅もしくは自分以外は全滅という結末を持ちつつも、全ての種族が持つ「契約」を履行しようとすると矛盾をきたす、という設定があったわけです。
ここがこの作品の大きなポイントの一つで、矛盾すると思われた「契約」そのものが、実は全て成立可能である、という結末を内包していた、というところですね。
細かいテクニックのところは割愛しますが、これは黄金の種族=冲方丁さんのみが知っていた矛盾であり、答えだった、というのが終盤で明らかになるんですよね。
また5人のノドスも、自身がその矛盾を内包する二面性のある「契約」であると同時に、自分達の存在意義自体も二面性を持っていたという点、ここがその「契約」と絡まって最終的に昇華されるという、何かとんでもない構造を持っていたんですよね。
ここは凄いなと正直思いました。
例えばカルキノスが宿すレルネーアの持つ存在意義は実は「生命」であり、当初から描かれてきた「腐食」のガスなどからは逆に「死」を連想させるに十分であり、また彼の契約自体も「死」を内包すると言われ続けていたわけじゃないですか。
だから、彼の持つ存在意義が実は「生命」だった、というのはカルキノス自身も気が付いていない、もしかすると当初レルネーア自身も気が付いていなかった点で、感情を持たないレルネーアに対してユティを守るという強い意志を共有したカルキノスがいたからこそ辿りついた答えなわけで、そういう二面性というか、矛盾の逆転みたいな発想が、この作品の謎解き部分として全てに共通していたんですね。
アルテミアの「光」も当初は攻撃に特化して用いられていたのものが、実はその「光」の使い道は万能の守りたる盾であり鏡となって存在し、ユティのケルビウスも全てを飲み込む「虚無」ではなく、新たな次元を開く「扉」だった、という二面性。
争いの中で、悩みながら考え続けて辿りついた結果。
そこに現われるもう一つの答え。
そういう構造がこのヒロイック・エイジの根底にはあったんだな、と今思えます。
一番分かりづらかったのはレクティのエルマントス。
彼女の能力が「過去」に干渉して未来を変える能力だと思われていたところに、あの最後の現象。
正直最初分かりませんでした。
でも、基本的にそれはプロメ・オーが成してきたことであり、レクティ自身も成してきた、数限りない迷い、自問自答。
「契約」に盲従せず、全ての可能性を考える、思い悩む、この姿勢の正しさを証明する行為。
それがベルクロスに道を開かせたシーンへ繋がる、と考えると自分なりには納得がいく感じでした。
数限りない自問自答、まさに「時間」が必要で、「時間」のなせる業なんだな、と。
だから、こうして苦しんで辿りついた先に訪れたのがハッピーエンドで本当に良かったな、と思えます。
ディアネイラの姿、それが今の時代でもやっぱり必要で、常に道を探し続ける、人を理解しようとする、そんな彼女に訪れる幸せが4年後に訪れても不思議じゃないでしょ?
ディアネイラが他人を理解しようとするってのは、実は一番の苦行のはずなんですよ。
彼女の持つ精神感応能力は他人の思考が入ってくると体調に異変をきたすんですから。
そんな彼女が答えを見つけるために、最終的には種族を超えて対話まで辿り付く、というのは淡々と描かれてしまった感はあるんだけれども、実は道を探す、という行為そのものだったんだよな、と思うわけです。
うん、だからハッピーエンド。
納得です。
* * *
とは言え、色々といいたいことも中にはありました。
あまりに淡々と進んでしまったため、どこが静でどこが動なのかわからない、つまりメリハリがなく、その分カタルシスにかける、というエンタメ要素を欠いてしまった感は僕の個人的な感覚としてはありました。
これは非常にもったいないなぁと毎週思っていました。
いっそのこと1クール13話くらいで凝縮してしまった方がドラスティックになってよかったんじゃないか、とか思っちゃうくらい。
見せ方、という点では個人的にはおしかったな、と思っています。
とは言え、冲方丁さんが脚本されている回はさすがに凄かったし、あとファフナーのスタッフが前面に出てるときはやっぱり迫力が違ってました。
#大西さんの脚本も面白かったなぁ。Darker Than Blackでも渋いの書かれていたので今後要チェックな人です。
* * *
ヒロイック・エイジについては、これ以前の感想なんかでも大分書きたいなと思ったことは書いてこれた(週飛ばしになったりしたこともあったけど(笑))と僕は思っていますが、そのうち冲方丁さんのこの作品に関するインタビューとかあったら読んでみたいですね。
ある程度纏まってきたような、纏まらなかったような、そんな気になってきたので、自分の考えを整理する意味でもこの「ヒロイック・エイジ」を振り返ってみようかなと。
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この「ヒロイック・エイジ」の原案は、僕の大好きな作家さんである冲方丁(うぶかたとう)さんで、このブログのタイトルの一部にもなっている「蒼穹のファフナー」や(映像化は中止になってしまったけど)「マルドゥック・スクランブル」の作者なんですが、今回、脚本を担当された回数が非常に少なかったからなのか、それとも別に意図があったのか、その辺は分かりませんが、冲方さん風というような雰囲気が違っていたので、そこについてどうなんだろう…、なんて考えていました。
冲方さんは結構小説のあとがきとかで、この作品を書き始めたきっかけみたいなのとかを書いてくれてたりするんだけれども、この「ヒロイック・エイジ」ではどうだったのかな?とか、そんなことを考えていたんですよね。
で、それが最終回とその前の回を見たときに明示されたわけなんですが、それを無謀にも自分なりに解釈してみると、あー、何で人って生まれる前から決められた相手(種族)と戦争してるんだろうなぁ、つか、そもそも戦争を続けていく、する意味って何なのさ?そこに何か先があるのかね?とか、そんなところが出発点だったりしないだろうか、なんて考えてしまいました。
本作の結論では黄金の種族の遺志は、この宇宙をスターウェイで満たすこと、つまり、多くの種族が互いを認識しあい、行き交うことで生まれる星の道、ということはそれだけ、そもそも全く理解し合えないと思うほど程遠い存在の種族とも、理解し合える、そういう未来があるんじゃないのか?というところに行き着いたわけですよね。
そのための手段として争うことも理解を早めるため、そして旅立つためには必要である、という、争いはダメなんだ!という通常考えられるモラル的な部分、他の作品でもそこをテーマとして取り上げることも多いこの世の中(もちろんそれは紛争が多いという意味のアンチテーゼとして)、そういう世の中だからこそ、争いの先に何か不毛なもの以外のものがないのだろうか?と絶望の中から切望した希望、みたいな、そんなところにあったんじゃないかなぁ、なんて妄想大爆発させていました。
作中でもクライマックスでディアネイラとプロメ・オーの対談の中でずばり争うことでスターウェイを構築する近道となる、という答えを導いた、自分たちが何故これまで争ってきたのか?という究極の問いに対する究極の答えを見つけるシーン、ということなんですね。
絶望の中から切望した希望(それが宇宙の道=スペースウェー)、というのが、放送から大分たって、僕が漠然と辿りついた感想ですかね。
* * *
もちろんその中には悩み続けることこそ健全な人としての営みだ、的な部分も多くあって、盲目的に従う象徴として描かれたのがこの作品で言う「契約」だったわけです。
この「契約」が最終的に意味するところは非常に面白くて、全ての「契約」を履行していくと、破滅もしくは自分以外は全滅という結末を持ちつつも、全ての種族が持つ「契約」を履行しようとすると矛盾をきたす、という設定があったわけです。
ここがこの作品の大きなポイントの一つで、矛盾すると思われた「契約」そのものが、実は全て成立可能である、という結末を内包していた、というところですね。
細かいテクニックのところは割愛しますが、これは黄金の種族=冲方丁さんのみが知っていた矛盾であり、答えだった、というのが終盤で明らかになるんですよね。
また5人のノドスも、自身がその矛盾を内包する二面性のある「契約」であると同時に、自分達の存在意義自体も二面性を持っていたという点、ここがその「契約」と絡まって最終的に昇華されるという、何かとんでもない構造を持っていたんですよね。
ここは凄いなと正直思いました。
例えばカルキノスが宿すレルネーアの持つ存在意義は実は「生命」であり、当初から描かれてきた「腐食」のガスなどからは逆に「死」を連想させるに十分であり、また彼の契約自体も「死」を内包すると言われ続けていたわけじゃないですか。
だから、彼の持つ存在意義が実は「生命」だった、というのはカルキノス自身も気が付いていない、もしかすると当初レルネーア自身も気が付いていなかった点で、感情を持たないレルネーアに対してユティを守るという強い意志を共有したカルキノスがいたからこそ辿りついた答えなわけで、そういう二面性というか、矛盾の逆転みたいな発想が、この作品の謎解き部分として全てに共通していたんですね。
アルテミアの「光」も当初は攻撃に特化して用いられていたのものが、実はその「光」の使い道は万能の守りたる盾であり鏡となって存在し、ユティのケルビウスも全てを飲み込む「虚無」ではなく、新たな次元を開く「扉」だった、という二面性。
争いの中で、悩みながら考え続けて辿りついた結果。
そこに現われるもう一つの答え。
そういう構造がこのヒロイック・エイジの根底にはあったんだな、と今思えます。
一番分かりづらかったのはレクティのエルマントス。
彼女の能力が「過去」に干渉して未来を変える能力だと思われていたところに、あの最後の現象。
正直最初分かりませんでした。
でも、基本的にそれはプロメ・オーが成してきたことであり、レクティ自身も成してきた、数限りない迷い、自問自答。
「契約」に盲従せず、全ての可能性を考える、思い悩む、この姿勢の正しさを証明する行為。
それがベルクロスに道を開かせたシーンへ繋がる、と考えると自分なりには納得がいく感じでした。
数限りない自問自答、まさに「時間」が必要で、「時間」のなせる業なんだな、と。
だから、こうして苦しんで辿りついた先に訪れたのがハッピーエンドで本当に良かったな、と思えます。
ディアネイラの姿、それが今の時代でもやっぱり必要で、常に道を探し続ける、人を理解しようとする、そんな彼女に訪れる幸せが4年後に訪れても不思議じゃないでしょ?
ディアネイラが他人を理解しようとするってのは、実は一番の苦行のはずなんですよ。
彼女の持つ精神感応能力は他人の思考が入ってくると体調に異変をきたすんですから。
そんな彼女が答えを見つけるために、最終的には種族を超えて対話まで辿り付く、というのは淡々と描かれてしまった感はあるんだけれども、実は道を探す、という行為そのものだったんだよな、と思うわけです。
うん、だからハッピーエンド。
納得です。
* * *
とは言え、色々といいたいことも中にはありました。
あまりに淡々と進んでしまったため、どこが静でどこが動なのかわからない、つまりメリハリがなく、その分カタルシスにかける、というエンタメ要素を欠いてしまった感は僕の個人的な感覚としてはありました。
これは非常にもったいないなぁと毎週思っていました。
いっそのこと1クール13話くらいで凝縮してしまった方がドラスティックになってよかったんじゃないか、とか思っちゃうくらい。
見せ方、という点では個人的にはおしかったな、と思っています。
とは言え、冲方丁さんが脚本されている回はさすがに凄かったし、あとファフナーのスタッフが前面に出てるときはやっぱり迫力が違ってました。
#大西さんの脚本も面白かったなぁ。Darker Than Blackでも渋いの書かれていたので今後要チェックな人です。
* * *
ヒロイック・エイジについては、これ以前の感想なんかでも大分書きたいなと思ったことは書いてこれた(週飛ばしになったりしたこともあったけど(笑))と僕は思っていますが、そのうち冲方丁さんのこの作品に関するインタビューとかあったら読んでみたいですね。