蒼穹のぺうげおっと

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戦闘妖精・雪風

2009-11-01 23:35:15 | 小説 感想
ここのところ、本を読むペースが上がっていて、たぶんこの2ヶ月くらいで20冊近く読んでるかもしれないですね。
本日の感想のタイトルである「戦闘妖精雪風」シリーズから始まり、伊坂幸太郎のギャングシリーズ、アニメ化されたシャングリ・ラの原作、官僚たちの夏、不毛地帯など、節操の無さが目立ちますねー。

その中から「戦闘妖精雪風」シリーズの感想です。

戦闘妖精雪風は、神林長平さんの代名詞とも言えるSF作品ですが、恥ずかしながらこれまで読む機会に恵まれず、偶然図書館で借りたのがきっかけでした。
初版は何と今から25年前(書き始めたのは1979年だから実際は30年前!)。

アニメ化もされている本作品、異星人と人類(超・高性能戦闘機・雪風とそのパイロット深井零)との戦いを描くと言えばそれまでですが、そこに含まれているテーマだとか、まさにSFと言わんばかりの設定と展開、最新作であり3巻目にあたる「アンブロークンアロー」に至ってはもはや哲学書か?と思わせる重厚な仕上がりは、もう唸るしかないな、と言うほどです。

しかし、30年前ですよ。
この頃に既に戦闘機にOSを組み込んで、機械の知性と、コミュニケーションの本質とは?を問うているというのは本当にビックリします。

シャングリ・ラの原作もそうなんですが、空想が現実を超えていく、そういう感慨を覚えますね。

第1巻目である「戦闘妖精雪風」は、まさにSFという仕上がりになっていて、ハヤカワ文庫を読んでいる人には馴染みやすいというか、これぞSFという重厚感です。

特筆すべきは第2巻目「戦闘妖精雪風 グッドラック」です。

これは圧巻です。

たぶん僕もこれを読まなかったらここまで凄い作品だ!と思わなかったかもしれません(大変失礼な表現ですみません!)。

競争的共生、競争的共存という言葉がどのような意味を持つのか?

コミュニケーション不全に陥りかねない時代において、コミュニケーションとは一体何なのか?という壮大なテーマを、戦闘機による超精緻な戦闘描写の中から、実はその戦闘描写さえもおまけなんじゃないのか、と言わんばかりに追及していく(いやむしろこの追究の字が相応しい)、そんな物語です。

さらに、グッドラックのクライマックスは圧巻で、雪風という知性を持った戦闘機と、そのパイロットである深井零の対決に近いような存在をかけたやり取りから、新たな進化が始まっていく過程は超・しびれます。

冲方丁さんのマルドゥック・スクランブルを読んだ方なら理解しやすいと思いますが、ウフコックとバロットがカジノで最終進化を遂げていく、あの過程に非常に近い、あの物凄い興奮に似た表現がなされていきます。

「私はここにいる!」

あの冲方丁さんの蒼穹のファフナーの合言葉にも通じる、人間とは、存在とは、そしてコミュニケーションとは?という深いテーマを重厚に描くこの作品。

読み応え十分です。

ちなみに僕はこのグッドラックの続編である第3巻目「アンブロークンアロー」を読んでいて、丁度クライマックスに差し掛かったところで、うちの奥さんが律儀にも図書館に返却してくれたので、エンディングがどうなったのかまだ読めてません(笑)。

明日からまたNY出張なんで、戻ってきたらコンプリートすることにします。

個人的には「グッドラック」が一番面白いと思いますが、第1巻を読まないと厳しいと思うので、順番に読むのが正解かと思います。

戦闘妖精・雪風(改)


グッドラック―戦闘妖精・雪風


アンブロークンアロー―戦闘妖精・雪風


アンブロークンアローは哲学書の領域。


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