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機動戦士ガンダムOO(ダブルオー) 2ndシーズン 第24話 「BEYOND」 感想

2009-03-25 01:35:24 | ガンダム00(ダブルオー)2ndシーズン
映画のようにCMを挟まず一気に見せた第24話「BEYOND」。
かなり見応えがありました。
凄く面白かったです。ぐっと見入るように30分釘付けでした。


どこから感想を書いていこうか迷うほど書きたいことはたくさんあるのですがまずはイオリア計画から。

今回ヴェーダとリンクしたティエリアから語られたイオリア計画の真意。
これは実質1年半かけて謎になっていたところがここでようやくオープンになったわけですが、テーマ的な部分からいくとこの世界はもっと相互理解をする必要があって、お互いのことを語り合ったり、思いを伝えていくことがとても大事なのに、それができていない、だから争いというか、他人が少しずつ優しい世界に辿り着けない、というところを問題提起として置いていたんじゃないかと今改めて思います。

じゃあ相互理解していくにはどうしたらいいの?
というときに、もうこうなったら心をダイレクトにつなげていくしかないんじゃないの?
それでお互いに感じていること、思っていることを伝えていくしかないんじゃないの?

じゃあダイレクト接続という壮大なる仕掛けをこのダブルオーの世界ではGN粒子を介して行おうよ、そのためには駆動装置が必要だよね、それが真のイノベイターの出現であり、GNドライブ、ツインドライヴ、トランザムというイオリアが残したツールは、真のイノベイターを介して真の力を発揮する、つまり人類の心をダイレクトにつなげていく、お互いの理解を促進していく、みんなが少しずつ理解できる仕組み・仕掛けを作りあげていく、これこそが真のイノベーションである、という感じでしょうか。
#僕個人としては刹那が真のイノベイターになるということだけじゃなくて、真のイノベイターを介して人類の心がダイレクトにつながっていく、お互いの気持ちを理解しようとする仕組み・仕掛けができあがっていく、それこそがポイントで、P・F・ドラッカーの提唱する真のイノベーションの意味に近いのではないかと思ったりもしています。

イオリア的にはソレスタルビーイング自体は世界をまとめるための一種の必要悪であって、武力による紛争根絶というのは矛盾しているのは承知で悪役を作る必要があったと考えていたのかもしれないですね。
で、GNドライブを託したガンダムマイスターの中から、自分たちは変わらなくちゃいけない、という自覚を持った者が現れて、ツインドライブ、トランザムを使いこなすことによって、人類をつなげていく存在まで昇華して欲しいと願ったのかもしれない。


刹那は今、みんなの命を守りたいという想いから母船ソレスタルビーイングの周囲に対してGN粒子を拡散してその宙域の人たちの心をつなげたけれども、最終回の最大クライマックスでは地球の周囲を覆うオービタルリング全体にGN粒子を展開させて、地球全土の人々の心を一瞬でも良いからダイレクト接続させて、人々が相互理解をより進めていける可能性と希望を示す、というラストだと僕個人としては非常にしびれる展開だと思うんだけどな。

また、今回刹那がみんなのことを名前で呼んでいたのも印象的だったんだよね。
今まで刹那は必ず他人のことはフルネームで呼んで、ちょっと他人行儀だったからね。
それが名前で呼び合う中まで刹那の中で進展した、というのは真のイノベイターとして覚醒した事実よりも、僕としてはぐっと来たところなんだよね。

最終回ではリボンズのガンキャノン?と対決になると思いますが、リボンズのどの辺がイノベイターを超えたイノベイターなのかは分かりませんが、ファーストガンダムの象徴たるアムロ=リボンズと、そこを真っ向勝負で迎え撃つ新世代ガンダム=刹那の対決というのは、色んな意味で非常に感慨深いものになるかもしれませんね。
#だからあえてファーストチックなデザインなのかもしれないね。


さて今回、というかダブルオーの特に2ndシーズンですが、群像劇というよりは各キャラにスポットが当たり、台詞回しによってしっかりとテーマを浮き彫りにしていくスタイルが確立されたんじゃないかと僕は思ってるんですが、それを象徴するようなラスト2の各キャラの「対話」のオンパレード。
非常にしびれました。


まずはマリーとアンドレイ。

まさかここでマリーとアンドレイの対話になるとは思いませんでしたが、これがまた非常に良かった。
これって完全にこのガンダムダブルオーのテーマ部分であり、何故セルゲイさんがバッドエンドで終わってしまったかということに対する回答編にすらなっていました。

思っていることを伝えなければ理解することもできない。
理解して欲しいならばちゃんと相手に伝えないといけない。

お互い分からないと思って心を閉ざした結果、愛情が憎しみに転化してしまって心が暴走してしまう。

それをソーマ・ピーリスではなく、マリーとしてアンドレイに告げる、というのもまた痺れるところでした。

アレルヤ・ハレルヤにしても、マリーを助けるという点でお互いの気持ちが合致するという、マリーとアレルヤ、二重人格者たちの対話はこういう形で決着したのか、となるほどと感心してました。


次にビリーとスメラギさん。

ビリーの「どうして分かってくれないんだ」という問いかけは、世界の統一がどうとか、ソレスタルビーイングが邪魔してるとか、そういう御託ではなくて、本当のところは、「どうして僕は君のことがずっと好きなのに分かってくれないんだ」という言葉への変換なんだ、と。

それが刹那のGN粒子によってお互いの心がつながって、スメラギさんも、そしてビリーもようやく素直になってビリーとしてはずっと言えなかった言葉「君が好きだった」という言葉につながってくる。

ビリーとしては分かって欲しい、けれども勇気が無くて言い出せずにそのままズルズルと、いつか気づいてくれると信じて、それが気がついたら銃を向け合う仲になってしまったいた。

結局気持ちを伝えられなかったからこんなにすれ違ってしまった。

そんなビリーだけれども、最後の最後、極限状態でGN粒子の中でスメラギさんに自分の気持ちを伝えることができた。

これもすごくシンプルだけど、シンプルゆえにテーマを浮かび上がらせるには十分な要素だったと思うんですよね。


ロックオンに関しては、アニューを通じてすでに彼の中で答えが出ていて、上位種だなんだと言っても、人が人を好きになる気持ちや、お互いを分かりあいたいと思う気持に変わりはない、ということで一つ完結していたんですよね。

アリーという因縁に対して、私怨で撃つというよりは、人を理解しようとする世の中を作るのに、アリーのような快楽主義の人間とは戦っていかないといけない、そういう決意の銃弾だったんだな、と感じましたね。


ティエリアに関しては、リボンズに頭まで撃たれたとき、まじでびっくりしちゃいましたよ。
うおー、ティエリア、見せ場なしかよ!!って。

ところが、ところが。

ヴェーダを奪還してのトライアルシステム発動。

これはしびれました。

セラフィムが意味深に無傷で残っていた理由、それはセラフィムにもう一度スポットが当たる見せ場が来る、ということに違いないと思っていたので、あそこでのトライアルシステム発動は熱かったですね。

つか、ティエリアが自分たちはイノベイターではない、イノベイドだ、と告げるシーンや、その後に来るイノベイドで良かった、というシーンはしびれっぱなし。

もう主人公ティエリアでも良いよ!!くらいに。

リボンズに対してイノベイターという言葉を誤用している、と宣言するのは、またまたP・F・ドラッカーなんだけどイノベーションの本当の意味を誤用している、と提言していたことにも通じて、僕としては非常に痺れるところでしたね。

「イノベイター」と自分たちが人類を導くものとして自称していたものは、実はそうではないという事実は、上位種として人類を見下していた彼らの存在意義にも関わるというか、いつからかその存在意義が変わってしまっていたのだろうね。

これは水島監督のインタビューにもあったんだけれども、人は高い位置から人を見下ろしたり、見下したりするのは、相手より優位に立ちたい、相手が何を考えているか分からず怖いので、上のポジションを取りたがるからだ、と言っていたと思います。

これではいつまでたっても相互理解なんてできやしない、とも。

これはイノベイドだったり、王留美だったり、見下ろす構図にいた人たちをそうやって当てはめていたんだろうな、と思います。

そういう背景の中で、最初はツンツンしていたティエリアがロックオンと出会い、自分は人間だと宣言し、ラストはイノベイターではそもそもなく、イノベイドなんだ、だけれども僕はそれでよかったと思っている、みんなの命を救うことができたのだから、という言葉はこの1年半を通じてのティエリアを見てきた僕らとしては、こんなに嬉しいことはない、という感じですよ。

いやー、素晴らしい見せ場でした。


そして最後は沙慈とルイス。

リボンズによって弄ばれた心は、沙慈の命を奪おうとその首に手をかけるのだけれども、そこに輝くのは約束の指輪。

それを見てルイスは目を金色に光らせながらも(心を奪われながらも)涙を流す。

その指輪の意味を知っているから。

2ndシーズンの最初のOP曲「儚くも永遠のカナシ」ではOP版じゃなくCD版で聞くと「恐れず信じることで 憎しみに変わる前の本当の愛を知るのだろう」という歌詞があって、やはりこの曲は沙慈とルイスのための曲だったんだと実感することができます。

沙慈を振り払って見えた、失ったはずの左手、そこに光るのはもうひとつの約束の指輪。

。・゜・(ノД`)・゜・。

。・゜・(ノД`)・゜・。

。・゜・(ノД`)・゜・。

写真は全て破棄してしまったけれども、沙慈との思い出も全て捨てようとしたけれども、この指輪だけは捨てられなかった。

それが沙慈の命をつなぎとめた。

・・・けれども、自我を取り戻そうとしたルイスは命絶えてしまう・・・。

これって無いよ!!

と思ったところに刹那のGN粒子がルイスたちを包む。

息を吹き返すルイス、この意味はやはりルイスは一度死んでしまった、けれどもこの死の意味はリボンズに操られたルイスの死という意味なのかもしれないですね。

そして息を吹き返したルイスに、沙慈がかけた言葉。

それは何も言わなくて良いよ。

対話をテーマにしてきて、ラストに来て多くの対話があったけれども、ここまで苦しい対話を諦めずに続けてきた沙慈は、全てを分かって、全てを受け入れるという、対話の先にあるテーマを体現してしまったわけです。

やっぱり沙慈がルイスを取り戻す戦い、それは対話をテーマに進み、ラストは言葉は要らない、という状態まで到達するという、これまでこの二人を見てきた僕としてもぐっとくるクライマックスでした。

他にもまだまだ書きたいことはあるけれども、とりあえずこの辺で。

次回、最終回。

まだ終わって欲しくないなぁー。

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機動戦士ガンダムOO(ダブルオー) 2ndシーズン 第23話 「命の華」 感想

2009-03-17 23:47:11 | ガンダム00(ダブルオー)2ndシーズン
盤上に残っている駒も少なくなってもうすぐチェックメイト間近なのかと思っていたら、実はもう一枚チェス盤がありましたと言われたような新たな事実を告げられた第23話「命の華」。

イオリアの計画が人類を外宇宙に出そうとしていたのは1stシーズンからの振りで何となく分かっていた部分だけれども、その理由が未知の生命体との遭遇を予見してのことだった!というのはずっと見てきた一視聴者としてもかなりの衝撃でした。

純粋に「えーっ!!」みたいな。

紛争の根絶、というのは紛争とかやってる場合じゃなくて早く人類が一つにまとまらないと、外からの脅威に対抗できない。
また、一つにまとまるための憎まれ役がソレスタルビーイングであり、その後の世界をまとめていくためのヴェーダやそれらの仕組みだった、ということなのね。

ホーマー・カタギリさんなんかはそういう事実を知っていたのかどうかは分からないけど、アロウズも統一を推進するための必要悪として作用させていた、ということなんだろうね。

この辺の真偽(未知の生命体がいるかどうか含めて)は、もう残り2話を見ていくしかないわけだけれども、未知の生命体がいるかどうかその辺の答えは出さないで終わっていく、という感じはしますね。

そこを描き切って終わりか?と言われるとやはり違うような気がするので、最後はヴェーダやイノベイターの力を借りずとも、(平和な世の中を切望して)人類が緩やかに同じ方向性を指向する、緩やかに結集するという可能性を見せて世界の変革の予兆を見せて終わっていく、という感じじゃないかと思うのだけれども・・・。


後は、やはり4人+1人の主人公を登場させているのだから、彼らのそれぞれのクライマックスも描かれていくんだろうね。


今回でいけば、ラスト付近でセラヴィーを捨ててヴェーダの元へ駆けつけたティエリアとリボンズの対決。
これも一つのクライマックスでしょう。

ただリボンズとの対決というよりは、ティエリアがヴェーダを奪還できるか?という点にフォーカスが当たっても面白いと思うんだよね。
#リボンズ自身は体のスペアはたくさん有りそうだし。

ヴェーダ依存症だったティエリアがロックオンとの邂逅を経て変わった、その集大成として再びヴェーダとどう対峙するのか、というのもひとつのティエリアのクライマックスの一つだと思うんだよね。

で、セラフィム自体は無傷なように見えたので、最終出撃はセラフィムに戻って、セラフィムの特性?(隠された能力?)を発揮する、というところかな?


ライル=ロックオンについては、兄の宿敵であり、この兄弟の宿敵であるアリー・アル・サーシェスとの対峙で、兄は復讐に走ってバッドエンドを迎えたけれども、なら弟は?というところが最大の見所でしょうね。

兄は刹那を撃とうとしたけれども撃たず、弟はアニューの件で刹那を撃とうとしたが撃たず、ここまではイーブンの状態。
アリーという戦争屋に対して、ライルがどう乗り越えていくのか?
兄を超えられるのか?
という意味を含めても、ライル・ロックオンのクライマックスなんだろうね。


アレルヤはマリー=ソーマ・ピーリスとの折り合い、ならびにハレルヤとの折り合いをどうつけるのか?というのが、やはりクライマックスの一つなんでしょうね。

二重人格者同士、ここには2×2の戦いが待っているとも見えます。


そして刹那。

おそらくリボンズとの人工革新種vs自然革新種という対決になるとは思うのですが、その前に、

沙慈。

沙慈がルイスを取り戻せるかどうか?というところがやはりずっと前から書いてきたように僕の中でのガンダムダブルオー的真のクライマックスだと思ってるんですよね。

マクロ的にはイノベイターの支配からの脱却を描きつつ、ミクロ的にはイノベイターに支配されたルイスという個人の奪還という、マクロとミクロが並行して進むという展開。

そういったところを背負って、最後に刹那のクライマックスへとつながっていくとかなり熱いかも。

当然、そこにはマリナ姫登場、ということになると思うけれども、まだイマイチ絡み方が想像できていません。

ということで、ここは最後まで楽しみにしたいところ。


群像劇的に描きたいところだけれども、これだけ主人公クラスがいて、それぞれにスポットを当てるつくりになっているので、どうしてもキャラを厚めに描いてしまうと、全体のストーリーの尺が短くなってしまうところ。
これはもう仕方ないのかもしれないなぁ。


つか、コーラサワーの退場はにわかに信じがたい!!

個人的には生きていて欲しいし、スメラギさんとカティさんが過去なし得なかった(失敗した)共同戦線、戦術予報をこんどはダブルオーの光の中で意思疎通しながらやり遂げるとか、そんな演出があっても面白いと思うんだよね・・・。

あと、何気に小さい物語としてアンドレイの話であるとか(個人的にはルイスを救うのに一役買って欲しい)、ビリー・カタギリとスメラギさんの決着とか、ミスター・ブシドーの人とか、まだまだ決着をつけないといけない部分もあるので、残り2話はてんこ盛りになるに違いないですね。

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機動戦士ガンダムOO(ダブルオー) 2ndシーズン 第22話 「未来のために」 感想

2009-03-10 11:42:53 | ガンダム00(ダブルオー)2ndシーズン
イノベイターとの最終決戦へ向けて物語の方向性も終局へと舵が切られてきた第22話「未来のために」。


リボンズ的にはアロウズも手駒のひとつに過ぎず、またイノベイターさえも(ブリングの量産を見ても分かるけれども)駒にすぎない、という感じがあり、ひょっとしたら自分の体自体もどうでもよくて(量産していて)、上位種として自分が選ばれるか、それともイオリアの遺志を継いだ刹那(人類の革新の可能性)が選ばれるか、というラストは一騎打ちみたいな感じになっていくのかもしれないですね。

ただ物語的には、人工的な上位種と人類からの革新種との対決、というミクロ対決も世界を左右するかもしれないけれど、アロウズ的なやりかた(世間的にはイノベイターの存在は公表されていないと思うから)に対しておかしいと思う人たち、平和を求める人たちが結集してきてラストはそれが最終的な世界のあり方を方向付ける、というマクロ的な形になっていって欲しいとも思いますね。

ファーストガンダムが、ニュータイプ同士の戦いになって、人類は変わっていくべきだ!と一部のエスカレートしたイデオロギー対決になるのだけれども、戦争の大勢は数に勝る地球連邦軍に軍配が上がった、というマクロ対決で終わったように。

ファーストガンダムは数の理論で地球連邦が勝利するという形で終わったけれども、ダブルオーでは数の理論というか、普通の人たちの平和を求める気持ちが徐々に結集して大きな輪を作っていく、というそういう意味での数の理論の勝利というか可能性を期待したいところ。

今回マネキン大佐やコーラサワーが参加してきたように、ミスター・ブシドーが自分の武士道を見つけて参集したり、ソーマ・ピーリスも怨恨で戦うという感じではなくなってきているわけで、後はアンドレイあたりがどう動くか、というのもひとつの楽しみではあるんですけど、刹那が語ったように、明日を掴む戦いをするんだ、というメンバーが続々参集するという展開を期待したいですね。

あとはヴェーダが直径15kmという非常に大きな物体であり、かつ月に近い位置にあるということは、コロニー落としならぬ、ヴェーダ落としみたいなのも可能性として考えられて、そこが表のサイドでの最大クライマックスになるんじゃないかと予想。

アフリカタワーの崩壊時にソレスタルビーイング、カタロン、反乱軍、アロウズが手に手を取ったように、最大のクライマックスとして明日を望む気持ちの結集というのが見られると燃えるなぁ。

第1段階では1stシーズンの第5話で低軌道ステーションの落下を食い止め、第2段階では2ndシーズンの第17話でアフリカタワー崩壊時のピラー落下を食い止め、第3段階としてヴェーダ落としを食い止める、というのはスケールアップの順序を考えても、物語の積み重ね的にも燃えるものがあると思うんですよね。


裏サイドでの最大クライマックスは、やはりルイスの奪還だと思うわけで、行き着くところまで行ってしまいそうなルイス、ほぼ奪還不可能?と思うような状況に陥ってなお、刹那の言葉に自分の気持ちで応えた沙慈が、その気持ちをルイスに届けて彼女(の心)を取り戻すことができるか?というのが、裏面での最大のクライマックスだと思っています。

刹那とリボンズ(たぶん今回死んでないでしょう)との次代を担うのは誰か?という対決と並行して、沙慈がリボンズの支配下に置かれているルイスを解放できるか、というある意味精神対決というのがダブル主人公である刹那と沙慈のダブルクライマックスだと思うんですよね。


あとガンダムシリーズは伝統的にラスト出撃時にはヒロインから主人公へと何らかの見せ場シーンがあるはずで、今回のフェルトが刹那を見送るのは一つの戦いの前の見せ場であり、まだ不完全燃焼感があるところだから、フェルトには申し訳ないけど、もう1回マリナ姫絡みで最終出撃クライマックス演出が待ってるような気がしますね。


何気に感動したのが、スサノオのサングラスが吹っ飛んで素顔が見えた瞬間、ああフラッグだ!と素直に驚いた&喜んでしまいました。
うーむ、これでオーバーフラッグのガンプラが欲しくなってしまいましたよ。

フラッグ魂がここに生きていたかと思うと何気に嬉しくなってしまいました。

あと次回予告のオーガンダム登場も実は結構楽しみだったりして。


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機動戦士ガンダムOO(ダブルオー) 2ndシーズン 第21話 「革新の扉」 感想

2009-03-03 01:38:28 | ガンダム00(ダブルオー)2ndシーズン
物語も終盤に差し掛かり、一気に終わりへと加速していく第21話「革新の扉」。

今回、凄かったです。
まさかあの人まで、というような勢いでどんどん退場していきます。

しかしながら、個人的には今回、物語のすごく大事な部分、メッセージ性の強いところのバッドエンド部分を凄く強調していると感じました。
だからこそ残り話数が少ないところから、ラストへ向けてどういうところにスポットが当たっていくのか、というのも逆説的に見えてきた気がしました。

普段は最低2回くらい見返してから感想書くのですが、今回は内容も(退場キャラが多くて)辛かった(見ごたえは十分にあった)のと、個人的に立て込んでいるので一度しか見れてないので、多少浅いかもしれないけれども、それでもこの退場劇の中でどうするとバッドエンドへ向かってしまうのか、というのは見えてきた気がしました。

今回、特に衝撃的だったのは王留美とネーナ・トリニティ。

王留美に関しては2つあって、

1つ目は、他人の目からは何でも持っているように見える(そして事実物質的には持っている)王留美だったけれども、その実、本人が本当に欲していたものは、普通の女の子としての生活だった、という点。

僕は恋愛感情まで含めて妄想していたのだけれども(笑)、大分初期の頃に感じた、王留美は意外と普通の女の子っぽい望みを持っているんじゃないか、というところの直感はそれなりに、だった気がするし、そういう意味で彼女は王家という存在によって歪んじゃった、という悲しい存在の一人でもあった、ということなのか。

だから、王家という存在も無くなってしまうような新世界を欲した、新世界で何者にも縛られず、普通の女の子として生きたかった、というところなんだろうなぁ。
切ないねぇ。

2つ目は、もう少しマクロ視点でテーマ的に考えると、水島監督のインタビューあたりからもあぶりだされるところなんだけれども、自分のエゴを通そうとする、自分の利益を最優先しようとする先にあるのは衝突と、結果として誰も利益を生まない結果になる、というバッドエンドを体現してしまった、というところにあったようにも思えます。

この辺はいみじくもネーナ・トリニティが王留美に指摘している部分で、何でも持っているのに欲しがって、更に求めようとする、という点にもかかっていて、王留美の場合、それが個人としての自由を欲して、その引き換えに世界の破壊?を促そうとした=束縛するもの自体を無かったものにしたかった、という究極論まで行ってしまったところなんだよね。

そこまで追い詰められなくても、他にもやりようがあったのに・・・、彼女が欲したものは普通の女の子が欲するものだったのに、というのが切ないところ。


もう一人はネーナ・トリニティ。

彼女が欲したのも実は普通の女子としての幸せだったのかもしれないんだけれども、彼女の場合、それが幸せな人や、持っている人への妬みへとつながって、それをぶつけてしまうところに彼女の本質があった。

そして、自分の仇を討つ、ということには考えが及んでも、自分が誰かの仇になっている、ということには思いもよらない、そういう子でもあった。

この辺もダブルオーの物語の本質をあぶりだすのに一役も二役も買っている、そういう役回りになっているんだなと改めて思うわけです。


ダブルオーの物語の本質、というか水島監督がインタビュー等で本気で言っている部分は、どうやったらみんなで幸せになれるか、地球という限られた場所でいろんな人が一緒に生活しなくちゃいけない、そういう中で、どうやって少しずつ分け合って、どうやって少しずつ優しくなれる、というのを実は本気で考えようとしている、と思うんです。

これがね、僕はこのダブルオーの物語の本質だと思うんです。


だから逆に王留美、そしてネーナ・トリニティの散り様というのは、その本質のテーマを浮き上がらせるためのひとつのバッドエンドになっていると思うんです。

みんなが少しずつ幸せになるには、少しずつ優しくなるには、優しさの連鎖を生み出すには?

という問いに対して、自分の利益の追求だけしても分け合えなければ破滅するし、人を恨んでも妬んでも幸せの連鎖は生まれず、逆に憎しみの連鎖が増すばかり。


畳み掛けるようにもうひとつのある意味バッドエンドがルイス・ハレヴィ。


今回のラストで精神崩壊寸前まで行ってしまうルイス。

これはもう視聴者的にもひとつのバッドエンドの形そのもの(そして物凄く辛くて切ないわけです)。

どこかで彼女には敵討ちをしないで欲しい、と思っている部分もあったけれども、仇を討ってもその先に何も無かった、という強烈なメッセージにもなっている。


こうしたバッドエンドを集めて、どうやったらグッドエンド、トゥルーエンドになっていくことができるのか?

これを伝えたい、というのが本質じゃないかと思ってるんですね。


で、そのヒントが示されたのがマリナ・イスマイール。


彼女だけが銃を取らず、みんなが少しずつ幸せになるにはどうしたらいいか?優しさの連鎖を作るにはどうしたら良いか?というのをずっと考え続けていた。

さすが正ヒロインです。

1年間以上落とされてきただけあります。

彼女の歌を媒介にして、平和を望む人が少しずつ気がついて、少しずつ優しさが集まっていく。


僕はこの物語のクライマックスに、マリナ姫が率いる民衆が「宇宙へのエクソダス」を敢行すると思っているんだけれども、それを成功させるために、少しずつ優しさが集まって、みんながそれを成功させようと力を結集させる、なんていう展開があったら泣いてしまいそうだな、と今から思ってるんですけどね。


敵も味方も無くって、アフリカタワーが崩壊したときに、ピラーの破片を全員で打ち抜いたときのように、そのエクソダスには敵も味方も関係なく、ただ平和を願う優しい気持ちが少しずつ連鎖していく、という展開を個人的には希望しちゃうなぁ。


クラウスが宇宙にあがるしかない、と言ったところから、そんなことを妄想していたんだけど、そうだったらいいなぁ。


僕はこのダブルオーはドラッカーだ、ということを言っているのだけれども、経済学者であり社会幸福論者であるP・F・ドラッカーの言葉を要約すると、イノベーションというのは少数の天才がなし得るものではなく、体系化された組織・方法論によってなされるべきである、それがイノベイターである、と言っているんですね。

つまり、ダブルオーの世界でいけば、少数の天才が導く世界ではなく、イオリア的に人類が革新へと導かれなければならない、というところだと思うんです。

じゃあ、全員が今のイノベイターみたいになることを志向するのか?というとそれも違うと思っていて、あくまで僕ら普通の人が、普通に他者の幸せを考えたり、少しだけ隣の人に優しくなれたり、と言った幸せの連鎖みたいなことをみんなで考えるようになる、というところが僕はこの物語の答えだと思っているんですよね。


ドラッカーの関心は、(彼の戦時中の体験などから)若いころから一貫して、社会的な存在としての人間の幸福に焦点があたっていて、社会が正しく機能し、かつそこに生活する個々の人間がそれぞれかけがえのない役割を持ち、充実した人生を生きるためには何が必要か、という探求こそが彼のライフワークとなっているんですよね。


これに水島監督の言う「優しさの連鎖」という考え方は凄く近いんじゃないかと感じるんです。
#この際、ドラッカー云々は抜きにして考えても、優しさの連鎖って凄く大事だと思うしね。


刹那はどんどんニュータイプ化しているけれども、じゃあ、みんなが刹那のように革新していければよいのか?とか、このまま刹那が革新を進めて英雄になればよいのか?というと、それはまた違うと思うわけです。


だけれども、じゃあガンダムマイスターたちがやってきたことに意味は無かったのか?と問われたときに、そこを考える楽しみというのが、残りの4回くらいの放送にあたるのかな、と。

それぞれにまだまだクライマックスが残っていそうな気配は十分にしているので、あと少しで終わってしまうのが本当に残念だけれども、凄く楽しみにしています。


メカ的にはスサノオ、これはかっこよかった!!

マスラオはサングラスがガイナックスっぽくて、ガイナ立ちとかしてそうでそれはそれで好きだったけれども、白・黒のデザインはスタイリッシュでかっこいい。

そして相変わらず、ミスター・ブシドーの言葉にぽかんとしてついていけない刹那がすこぶる可愛い感じでした。

やっぱり覚醒し始めた人類さえも凌駕する、それがミスター・ブシドー。
そこに痺れる、憧れる。


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