映画のようにCMを挟まず一気に見せた第24話「BEYOND」。
かなり見応えがありました。
凄く面白かったです。ぐっと見入るように30分釘付けでした。
どこから感想を書いていこうか迷うほど書きたいことはたくさんあるのですがまずはイオリア計画から。
今回ヴェーダとリンクしたティエリアから語られたイオリア計画の真意。
これは実質1年半かけて謎になっていたところがここでようやくオープンになったわけですが、テーマ的な部分からいくとこの世界はもっと相互理解をする必要があって、お互いのことを語り合ったり、思いを伝えていくことがとても大事なのに、それができていない、だから争いというか、他人が少しずつ優しい世界に辿り着けない、というところを問題提起として置いていたんじゃないかと今改めて思います。
じゃあ相互理解していくにはどうしたらいいの?
というときに、もうこうなったら心をダイレクトにつなげていくしかないんじゃないの?
それでお互いに感じていること、思っていることを伝えていくしかないんじゃないの?
じゃあダイレクト接続という壮大なる仕掛けをこのダブルオーの世界ではGN粒子を介して行おうよ、そのためには駆動装置が必要だよね、それが真のイノベイターの出現であり、GNドライブ、ツインドライヴ、トランザムというイオリアが残したツールは、真のイノベイターを介して真の力を発揮する、つまり人類の心をダイレクトにつなげていく、お互いの理解を促進していく、みんなが少しずつ理解できる仕組み・仕掛けを作りあげていく、これこそが真のイノベーションである、という感じでしょうか。
#僕個人としては刹那が真のイノベイターになるということだけじゃなくて、真のイノベイターを介して人類の心がダイレクトにつながっていく、お互いの気持ちを理解しようとする仕組み・仕掛けができあがっていく、それこそがポイントで、P・F・ドラッカーの提唱する真のイノベーションの意味に近いのではないかと思ったりもしています。
イオリア的にはソレスタルビーイング自体は世界をまとめるための一種の必要悪であって、武力による紛争根絶というのは矛盾しているのは承知で悪役を作る必要があったと考えていたのかもしれないですね。
で、GNドライブを託したガンダムマイスターの中から、自分たちは変わらなくちゃいけない、という自覚を持った者が現れて、ツインドライブ、トランザムを使いこなすことによって、人類をつなげていく存在まで昇華して欲しいと願ったのかもしれない。
刹那は今、みんなの命を守りたいという想いから母船ソレスタルビーイングの周囲に対してGN粒子を拡散してその宙域の人たちの心をつなげたけれども、最終回の最大クライマックスでは地球の周囲を覆うオービタルリング全体にGN粒子を展開させて、地球全土の人々の心を一瞬でも良いからダイレクト接続させて、人々が相互理解をより進めていける可能性と希望を示す、というラストだと僕個人としては非常にしびれる展開だと思うんだけどな。
また、今回刹那がみんなのことを名前で呼んでいたのも印象的だったんだよね。
今まで刹那は必ず他人のことはフルネームで呼んで、ちょっと他人行儀だったからね。
それが名前で呼び合う中まで刹那の中で進展した、というのは真のイノベイターとして覚醒した事実よりも、僕としてはぐっと来たところなんだよね。
最終回ではリボンズのガンキャノン?と対決になると思いますが、リボンズのどの辺がイノベイターを超えたイノベイターなのかは分かりませんが、ファーストガンダムの象徴たるアムロ=リボンズと、そこを真っ向勝負で迎え撃つ新世代ガンダム=刹那の対決というのは、色んな意味で非常に感慨深いものになるかもしれませんね。
#だからあえてファーストチックなデザインなのかもしれないね。
さて今回、というかダブルオーの特に2ndシーズンですが、群像劇というよりは各キャラにスポットが当たり、台詞回しによってしっかりとテーマを浮き彫りにしていくスタイルが確立されたんじゃないかと僕は思ってるんですが、それを象徴するようなラスト2の各キャラの「対話」のオンパレード。
非常にしびれました。
まずはマリーとアンドレイ。
まさかここでマリーとアンドレイの対話になるとは思いませんでしたが、これがまた非常に良かった。
これって完全にこのガンダムダブルオーのテーマ部分であり、何故セルゲイさんがバッドエンドで終わってしまったかということに対する回答編にすらなっていました。
思っていることを伝えなければ理解することもできない。
理解して欲しいならばちゃんと相手に伝えないといけない。
お互い分からないと思って心を閉ざした結果、愛情が憎しみに転化してしまって心が暴走してしまう。
それをソーマ・ピーリスではなく、マリーとしてアンドレイに告げる、というのもまた痺れるところでした。
アレルヤ・ハレルヤにしても、マリーを助けるという点でお互いの気持ちが合致するという、マリーとアレルヤ、二重人格者たちの対話はこういう形で決着したのか、となるほどと感心してました。
次にビリーとスメラギさん。
ビリーの「どうして分かってくれないんだ」という問いかけは、世界の統一がどうとか、ソレスタルビーイングが邪魔してるとか、そういう御託ではなくて、本当のところは、「どうして僕は君のことがずっと好きなのに分かってくれないんだ」という言葉への変換なんだ、と。
それが刹那のGN粒子によってお互いの心がつながって、スメラギさんも、そしてビリーもようやく素直になってビリーとしてはずっと言えなかった言葉「君が好きだった」という言葉につながってくる。
ビリーとしては分かって欲しい、けれども勇気が無くて言い出せずにそのままズルズルと、いつか気づいてくれると信じて、それが気がついたら銃を向け合う仲になってしまったいた。
結局気持ちを伝えられなかったからこんなにすれ違ってしまった。
そんなビリーだけれども、最後の最後、極限状態でGN粒子の中でスメラギさんに自分の気持ちを伝えることができた。
これもすごくシンプルだけど、シンプルゆえにテーマを浮かび上がらせるには十分な要素だったと思うんですよね。
ロックオンに関しては、アニューを通じてすでに彼の中で答えが出ていて、上位種だなんだと言っても、人が人を好きになる気持ちや、お互いを分かりあいたいと思う気持に変わりはない、ということで一つ完結していたんですよね。
アリーという因縁に対して、私怨で撃つというよりは、人を理解しようとする世の中を作るのに、アリーのような快楽主義の人間とは戦っていかないといけない、そういう決意の銃弾だったんだな、と感じましたね。
ティエリアに関しては、リボンズに頭まで撃たれたとき、まじでびっくりしちゃいましたよ。
うおー、ティエリア、見せ場なしかよ!!って。
ところが、ところが。
ヴェーダを奪還してのトライアルシステム発動。
これはしびれました。
セラフィムが意味深に無傷で残っていた理由、それはセラフィムにもう一度スポットが当たる見せ場が来る、ということに違いないと思っていたので、あそこでのトライアルシステム発動は熱かったですね。
つか、ティエリアが自分たちはイノベイターではない、イノベイドだ、と告げるシーンや、その後に来るイノベイドで良かった、というシーンはしびれっぱなし。
もう主人公ティエリアでも良いよ!!くらいに。
リボンズに対してイノベイターという言葉を誤用している、と宣言するのは、またまたP・F・ドラッカーなんだけどイノベーションの本当の意味を誤用している、と提言していたことにも通じて、僕としては非常に痺れるところでしたね。
「イノベイター」と自分たちが人類を導くものとして自称していたものは、実はそうではないという事実は、上位種として人類を見下していた彼らの存在意義にも関わるというか、いつからかその存在意義が変わってしまっていたのだろうね。
これは水島監督のインタビューにもあったんだけれども、人は高い位置から人を見下ろしたり、見下したりするのは、相手より優位に立ちたい、相手が何を考えているか分からず怖いので、上のポジションを取りたがるからだ、と言っていたと思います。
これではいつまでたっても相互理解なんてできやしない、とも。
これはイノベイドだったり、王留美だったり、見下ろす構図にいた人たちをそうやって当てはめていたんだろうな、と思います。
そういう背景の中で、最初はツンツンしていたティエリアがロックオンと出会い、自分は人間だと宣言し、ラストはイノベイターではそもそもなく、イノベイドなんだ、だけれども僕はそれでよかったと思っている、みんなの命を救うことができたのだから、という言葉はこの1年半を通じてのティエリアを見てきた僕らとしては、こんなに嬉しいことはない、という感じですよ。
いやー、素晴らしい見せ場でした。
そして最後は沙慈とルイス。
リボンズによって弄ばれた心は、沙慈の命を奪おうとその首に手をかけるのだけれども、そこに輝くのは約束の指輪。
それを見てルイスは目を金色に光らせながらも(心を奪われながらも)涙を流す。
その指輪の意味を知っているから。
2ndシーズンの最初のOP曲「儚くも永遠のカナシ」ではOP版じゃなくCD版で聞くと「恐れず信じることで 憎しみに変わる前の本当の愛を知るのだろう」という歌詞があって、やはりこの曲は沙慈とルイスのための曲だったんだと実感することができます。
沙慈を振り払って見えた、失ったはずの左手、そこに光るのはもうひとつの約束の指輪。
。・゜・(ノД`)・゜・。
。・゜・(ノД`)・゜・。
。・゜・(ノД`)・゜・。
写真は全て破棄してしまったけれども、沙慈との思い出も全て捨てようとしたけれども、この指輪だけは捨てられなかった。
それが沙慈の命をつなぎとめた。
・・・けれども、自我を取り戻そうとしたルイスは命絶えてしまう・・・。
これって無いよ!!
と思ったところに刹那のGN粒子がルイスたちを包む。
息を吹き返すルイス、この意味はやはりルイスは一度死んでしまった、けれどもこの死の意味はリボンズに操られたルイスの死という意味なのかもしれないですね。
そして息を吹き返したルイスに、沙慈がかけた言葉。
それは何も言わなくて良いよ。
対話をテーマにしてきて、ラストに来て多くの対話があったけれども、ここまで苦しい対話を諦めずに続けてきた沙慈は、全てを分かって、全てを受け入れるという、対話の先にあるテーマを体現してしまったわけです。
やっぱり沙慈がルイスを取り戻す戦い、それは対話をテーマに進み、ラストは言葉は要らない、という状態まで到達するという、これまでこの二人を見てきた僕としてもぐっとくるクライマックスでした。
他にもまだまだ書きたいことはあるけれども、とりあえずこの辺で。
次回、最終回。
まだ終わって欲しくないなぁー。
■機動戦士ガンダム00 セカンドシーズン 2 [Blu-ray]
■機動戦士ガンダム00 セカンドシーズン 3 [Blu-ray]
かなり見応えがありました。
凄く面白かったです。ぐっと見入るように30分釘付けでした。
どこから感想を書いていこうか迷うほど書きたいことはたくさんあるのですがまずはイオリア計画から。
今回ヴェーダとリンクしたティエリアから語られたイオリア計画の真意。
これは実質1年半かけて謎になっていたところがここでようやくオープンになったわけですが、テーマ的な部分からいくとこの世界はもっと相互理解をする必要があって、お互いのことを語り合ったり、思いを伝えていくことがとても大事なのに、それができていない、だから争いというか、他人が少しずつ優しい世界に辿り着けない、というところを問題提起として置いていたんじゃないかと今改めて思います。
じゃあ相互理解していくにはどうしたらいいの?
というときに、もうこうなったら心をダイレクトにつなげていくしかないんじゃないの?
それでお互いに感じていること、思っていることを伝えていくしかないんじゃないの?
じゃあダイレクト接続という壮大なる仕掛けをこのダブルオーの世界ではGN粒子を介して行おうよ、そのためには駆動装置が必要だよね、それが真のイノベイターの出現であり、GNドライブ、ツインドライヴ、トランザムというイオリアが残したツールは、真のイノベイターを介して真の力を発揮する、つまり人類の心をダイレクトにつなげていく、お互いの理解を促進していく、みんなが少しずつ理解できる仕組み・仕掛けを作りあげていく、これこそが真のイノベーションである、という感じでしょうか。
#僕個人としては刹那が真のイノベイターになるということだけじゃなくて、真のイノベイターを介して人類の心がダイレクトにつながっていく、お互いの気持ちを理解しようとする仕組み・仕掛けができあがっていく、それこそがポイントで、P・F・ドラッカーの提唱する真のイノベーションの意味に近いのではないかと思ったりもしています。
イオリア的にはソレスタルビーイング自体は世界をまとめるための一種の必要悪であって、武力による紛争根絶というのは矛盾しているのは承知で悪役を作る必要があったと考えていたのかもしれないですね。
で、GNドライブを託したガンダムマイスターの中から、自分たちは変わらなくちゃいけない、という自覚を持った者が現れて、ツインドライブ、トランザムを使いこなすことによって、人類をつなげていく存在まで昇華して欲しいと願ったのかもしれない。
刹那は今、みんなの命を守りたいという想いから母船ソレスタルビーイングの周囲に対してGN粒子を拡散してその宙域の人たちの心をつなげたけれども、最終回の最大クライマックスでは地球の周囲を覆うオービタルリング全体にGN粒子を展開させて、地球全土の人々の心を一瞬でも良いからダイレクト接続させて、人々が相互理解をより進めていける可能性と希望を示す、というラストだと僕個人としては非常にしびれる展開だと思うんだけどな。
また、今回刹那がみんなのことを名前で呼んでいたのも印象的だったんだよね。
今まで刹那は必ず他人のことはフルネームで呼んで、ちょっと他人行儀だったからね。
それが名前で呼び合う中まで刹那の中で進展した、というのは真のイノベイターとして覚醒した事実よりも、僕としてはぐっと来たところなんだよね。
最終回ではリボンズのガンキャノン?と対決になると思いますが、リボンズのどの辺がイノベイターを超えたイノベイターなのかは分かりませんが、ファーストガンダムの象徴たるアムロ=リボンズと、そこを真っ向勝負で迎え撃つ新世代ガンダム=刹那の対決というのは、色んな意味で非常に感慨深いものになるかもしれませんね。
#だからあえてファーストチックなデザインなのかもしれないね。
さて今回、というかダブルオーの特に2ndシーズンですが、群像劇というよりは各キャラにスポットが当たり、台詞回しによってしっかりとテーマを浮き彫りにしていくスタイルが確立されたんじゃないかと僕は思ってるんですが、それを象徴するようなラスト2の各キャラの「対話」のオンパレード。
非常にしびれました。
まずはマリーとアンドレイ。
まさかここでマリーとアンドレイの対話になるとは思いませんでしたが、これがまた非常に良かった。
これって完全にこのガンダムダブルオーのテーマ部分であり、何故セルゲイさんがバッドエンドで終わってしまったかということに対する回答編にすらなっていました。
思っていることを伝えなければ理解することもできない。
理解して欲しいならばちゃんと相手に伝えないといけない。
お互い分からないと思って心を閉ざした結果、愛情が憎しみに転化してしまって心が暴走してしまう。
それをソーマ・ピーリスではなく、マリーとしてアンドレイに告げる、というのもまた痺れるところでした。
アレルヤ・ハレルヤにしても、マリーを助けるという点でお互いの気持ちが合致するという、マリーとアレルヤ、二重人格者たちの対話はこういう形で決着したのか、となるほどと感心してました。
次にビリーとスメラギさん。
ビリーの「どうして分かってくれないんだ」という問いかけは、世界の統一がどうとか、ソレスタルビーイングが邪魔してるとか、そういう御託ではなくて、本当のところは、「どうして僕は君のことがずっと好きなのに分かってくれないんだ」という言葉への変換なんだ、と。
それが刹那のGN粒子によってお互いの心がつながって、スメラギさんも、そしてビリーもようやく素直になってビリーとしてはずっと言えなかった言葉「君が好きだった」という言葉につながってくる。
ビリーとしては分かって欲しい、けれども勇気が無くて言い出せずにそのままズルズルと、いつか気づいてくれると信じて、それが気がついたら銃を向け合う仲になってしまったいた。
結局気持ちを伝えられなかったからこんなにすれ違ってしまった。
そんなビリーだけれども、最後の最後、極限状態でGN粒子の中でスメラギさんに自分の気持ちを伝えることができた。
これもすごくシンプルだけど、シンプルゆえにテーマを浮かび上がらせるには十分な要素だったと思うんですよね。
ロックオンに関しては、アニューを通じてすでに彼の中で答えが出ていて、上位種だなんだと言っても、人が人を好きになる気持ちや、お互いを分かりあいたいと思う気持に変わりはない、ということで一つ完結していたんですよね。
アリーという因縁に対して、私怨で撃つというよりは、人を理解しようとする世の中を作るのに、アリーのような快楽主義の人間とは戦っていかないといけない、そういう決意の銃弾だったんだな、と感じましたね。
ティエリアに関しては、リボンズに頭まで撃たれたとき、まじでびっくりしちゃいましたよ。
うおー、ティエリア、見せ場なしかよ!!って。
ところが、ところが。
ヴェーダを奪還してのトライアルシステム発動。
これはしびれました。
セラフィムが意味深に無傷で残っていた理由、それはセラフィムにもう一度スポットが当たる見せ場が来る、ということに違いないと思っていたので、あそこでのトライアルシステム発動は熱かったですね。
つか、ティエリアが自分たちはイノベイターではない、イノベイドだ、と告げるシーンや、その後に来るイノベイドで良かった、というシーンはしびれっぱなし。
もう主人公ティエリアでも良いよ!!くらいに。
リボンズに対してイノベイターという言葉を誤用している、と宣言するのは、またまたP・F・ドラッカーなんだけどイノベーションの本当の意味を誤用している、と提言していたことにも通じて、僕としては非常に痺れるところでしたね。
「イノベイター」と自分たちが人類を導くものとして自称していたものは、実はそうではないという事実は、上位種として人類を見下していた彼らの存在意義にも関わるというか、いつからかその存在意義が変わってしまっていたのだろうね。
これは水島監督のインタビューにもあったんだけれども、人は高い位置から人を見下ろしたり、見下したりするのは、相手より優位に立ちたい、相手が何を考えているか分からず怖いので、上のポジションを取りたがるからだ、と言っていたと思います。
これではいつまでたっても相互理解なんてできやしない、とも。
これはイノベイドだったり、王留美だったり、見下ろす構図にいた人たちをそうやって当てはめていたんだろうな、と思います。
そういう背景の中で、最初はツンツンしていたティエリアがロックオンと出会い、自分は人間だと宣言し、ラストはイノベイターではそもそもなく、イノベイドなんだ、だけれども僕はそれでよかったと思っている、みんなの命を救うことができたのだから、という言葉はこの1年半を通じてのティエリアを見てきた僕らとしては、こんなに嬉しいことはない、という感じですよ。
いやー、素晴らしい見せ場でした。
そして最後は沙慈とルイス。
リボンズによって弄ばれた心は、沙慈の命を奪おうとその首に手をかけるのだけれども、そこに輝くのは約束の指輪。
それを見てルイスは目を金色に光らせながらも(心を奪われながらも)涙を流す。
その指輪の意味を知っているから。
2ndシーズンの最初のOP曲「儚くも永遠のカナシ」ではOP版じゃなくCD版で聞くと「恐れず信じることで 憎しみに変わる前の本当の愛を知るのだろう」という歌詞があって、やはりこの曲は沙慈とルイスのための曲だったんだと実感することができます。
沙慈を振り払って見えた、失ったはずの左手、そこに光るのはもうひとつの約束の指輪。
。・゜・(ノД`)・゜・。
。・゜・(ノД`)・゜・。
。・゜・(ノД`)・゜・。
写真は全て破棄してしまったけれども、沙慈との思い出も全て捨てようとしたけれども、この指輪だけは捨てられなかった。
それが沙慈の命をつなぎとめた。
・・・けれども、自我を取り戻そうとしたルイスは命絶えてしまう・・・。
これって無いよ!!
と思ったところに刹那のGN粒子がルイスたちを包む。
息を吹き返すルイス、この意味はやはりルイスは一度死んでしまった、けれどもこの死の意味はリボンズに操られたルイスの死という意味なのかもしれないですね。
そして息を吹き返したルイスに、沙慈がかけた言葉。
それは何も言わなくて良いよ。
対話をテーマにしてきて、ラストに来て多くの対話があったけれども、ここまで苦しい対話を諦めずに続けてきた沙慈は、全てを分かって、全てを受け入れるという、対話の先にあるテーマを体現してしまったわけです。
やっぱり沙慈がルイスを取り戻す戦い、それは対話をテーマに進み、ラストは言葉は要らない、という状態まで到達するという、これまでこの二人を見てきた僕としてもぐっとくるクライマックスでした。
他にもまだまだ書きたいことはあるけれども、とりあえずこの辺で。
次回、最終回。
まだ終わって欲しくないなぁー。
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