蒼穹のぺうげおっと

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天保異聞 妖奇士 説十八 「漂泊者の楽園(ひょうはくしゃのらくえん)」

2007-02-12 00:10:10 | 天保異聞 妖奇士
概ね先週の感想で書いたポイントであまり外れが無かったと思うので、今回はふむふむ、(皮肉が利いていて)上手いなぁ、なんて思いながら見ていました。

特にラストで往壓さんがアビをして本当の山の民である、と評するのは渋くカッコいいところでした(渋すぎるかもしれない)。
アビは「山の民」として帰属するカテゴリの戻ることもせず、そして「里の民=市井の民」として帰属することもせず、たださすらうのみ、ただ漂白するのみ、という道を選んだ。

それはアビがアビであるということを選んだということであり、それはまた寄る辺無き身であり、カテゴリを持たない、常にさすらうという孤独で辛い道を選んだ、それこそが本当の「山の民」=リスクを背負って生きる自由人である、と評したわけです。

作中ではそれを全て肯定、というわけではなくて、つまるところそういう覚悟を持っているからこそ、自由人と名乗れるのである、憧れているだけでは辿りつけない境地なのです、という形で、肯定も否定もしない、ただそれがアビらしい、というか、自由人の定義の一つでしょう、みたいに表現していたのが渋いですね。
#渋すぎて視聴者層に合わないのではないかといらん心配をする30代社会人です(笑)。

一応、先週皮肉が利いているなぁと思った部分に対しては、今週作中で回答が出ていたので、先週感想を一応再掲です。

==ここから再掲==
「山の民」かと思っていた人は実は「山の民」ではなかった、というミスリードがあり、彼は厳しい取立てを受ける「農民」という此処(ここ)ではなく、制約を受けない、自由である、食料もある「山の民」という何処(どこ)かに憧れた男だった、ということなんですね。

「山の民」は「山の民」でおそらく自分たちに何らかの制約を設けていたり、何者にも頼らず生きていくにはそれなりの覚悟と決意が裏側に隠されている、ということに彼はまだ気がついていない。

また、さらに神がなんだとか、「山の民」が神の子だなんだと言っている山崎屋については、偽者の「山の民」を囲って、それで悦に入っているという、なんとも皮肉な構図になっているわけです。

とにかくこの物語は皮肉が利いている。
==ここまで==


ということで、今回の個人的なポイントは、先週の感想でもニナイについては先週までで全く情報が開示されていないので予測不能、ゆえに今週はニナイが何を考えている(いた)のか、それと邂逅する異界経験者の往壓さんはどう思う?実の弟のアビはどう感じるのか?がポイントでした。

ここについても渋く表現されていて、ニナイから取り出した漢神は「異」。
「異」とは、鬼の頭をした者が両手を挙げている姿をあらわしている。
「鬼」とは、この世の人を惑わせる冥界の住人。

これは上手い。

ニナイは、農民と争いになったとき、「山の民」の暮らしも、「里の民」と争うことも、全てに嫌気がさして現実逃避し、この世ならざるところ=「異界」へ行った訳です。
そんなニナイがこの世に残した「呪い」。

それが涙孥で、食べ物を争って生きるこの世の人たちに、冥府の食べ物を食させ争わせる、そういう呪いだったと。

ここでまた上手いのが、古事記を引用していて、山崎屋がちょうど涙孥を狂気に満ちて食べようとするシーン、あのシーンで山崎屋が呟いていたのが、かの古事記でも非常に有名なシーンで、イザナギとイザナミが黄泉の国で問答をしているシーンの台詞なんですよね。

ヒノカグツチ(ホノカグツチ)を生んで、そのときの火傷が原因で死んでしまったイザナミ。
そのイザナミを忘れることができず、黄泉の国まで迎えに行くイザナギ。
どうか戻ってきて欲しいと訴えるイザナギ。
しかし、黄泉の国の食べ物を食べてしまったので戻ることはできません、と伝えるイザナミ。

ちょうどこの「黄泉の国の食べ物を食べてしまった」というくだりのところで、山崎は涙孥にかぶりつくわけです。

上手いですね。
#この人はこの人で古事記に狂ってしまい、そうでなくてはならない、古事記の通りでなくてはならない、と自分でかせをはめてしまっているわけです。

まあ、この後古事記では、イザナミが黄泉の国の王に戻れるかどうか伺いを立てる、だからどうかその間この扉は開けないで欲しい、と伝えて去ります。
で、待てども待てどもイザナミは戻って来ず、開けるなと言われれば開けたくなるのが心情というもの、イザナギは開けてしまうわけです。

そこには腐敗したイザナミの姿があり、その姿を見られたイザナミは怒り、黄泉比良坂まで逃げるイザナギを追いかける、というお話。

脱線しましたけど、涙孥はどっちかっつーと、イザナギとイザナミの間に出来た「ヒルコ」に近いイメージもありますね。


と、まあそこで冒頭の感想に戻るわけですが、今回も皮肉が利いておりました。
個人的にこういうお話は好きなんですが、微妙にこの時間帯の視聴者層として理解し易いか?というのがちょい気になりますかね。

何気に小笠原さんが今回もいい味というか、面白い台詞(本来仕官したのはこういう目的があったからだ)があったので、そっち側にいずれストーリーが傾くと思うので、その辺が個人的には楽しみですね。

天保異聞 妖奇士 一 (完全限定生産)


天保異聞 妖奇士 説十七 「幽世(かくりよ)」

2007-02-08 23:19:22 | 天保異聞 妖奇士
心のどこかにある「此処ではない何処かへ行きたい」という誰しもが持つ願望を、この物語では異界という架空の空間と、異国という実在する「何処か」を使って現しているんですよね。

しかしてその物語について、現実に今、自分が異国の地で思いを馳せていることについて、意外と客観視するのは難しいものだな、なんて思ったりしています。

僕の中の気持ちとしては、自分の居場所であれ、戦う場所であれ、それは何処にでもある、それは何処にしてもかまわず、目的があるならば此処(ここ)であろうと何処(どこ)であろうと関係ない。

けれどもその目的、ひいては何故働いているのか、何故そう思えるのか、に思いを馳せるとき、やはりそれは自己実現という欲求と並んで、家族がいるから、戻る場所があるから此処(ここ)であろうと何処(どこ)であろうと存在することに疑問を持たずに済んでいるのではないか、などという風にも思います。


……まったくらしからぬ出だしで書いてみたものの、ガラじゃないっすね(笑)。


とまあ、この『天保異聞妖奇士』という作品も個人的予想としては、現時点までは「此処ではない何処か」を求める気持ちや、それでもここで生きていかないといけない、という現実逃避やそれを理解したうえでの多少ネガティブに、矛盾を抱えながらもそれでも生きていく、という現実的なお話になっているんですが、最終的にはアトルをベースにして「それでもここで生きていく」から「だからここで生きていたい」というポジティブな感じになったら良いなぁ、なんて思っております。

今回の感想はさすがにロンドンにまで録画ファイルを持ってくるわけにもいかなかったので、かなり怪しい記憶を頼みに書こうかなと思っているのですが、ポイントとしては1つだけ。


「山の民」かと思っていた人は実は「山の民」ではなかった、というミスリードがあり、彼は厳しい取立てを受ける「農民」という此処(ここ)ではなく、制約を受けない、自由である、食料もある「山の民」という何処(どこ)かに憧れた男だった、ということなんですね。

「山の民」は「山の民」でおそらく自分たちに何らかの制約を設けていたり、何者にも頼らず生きていくにはそれなりの覚悟と決意が裏側に隠されている、ということに彼はまだ気がついていない。

また、さらに神がなんだとか、「山の民」が神の子だなんだと言っている山崎屋については、偽者の「山の民」を囲って、それで悦に入っているという、なんとも皮肉な構図になっているわけです。

とにかくこの物語は皮肉が利いている。
#會川昇さんはきっとすごい皮肉屋なんだ。たぶん(笑)。


というところが今回の外側のテーマで、物語としての流れとしてはやはりアビのお姉さん。

あちら側にいるお姉さん。

まったく予想不能なので、竜導さんと邂逅したらどう思うだろうか、とか、アビはどう思うのか、とかやはりその辺が楽しみです。

天保異聞 妖奇士 一 (完全限定生産)


天保異聞 妖奇士 説十六 「機の民(きのたみ)」

2007-01-31 00:30:26 | 天保異聞 妖奇士
今回はどんなミスリードで最後をひっくり返してくれるのか、なんて楽しみを持って見ています。

第1クールではアビと江戸元についてはまだ過去が語られなかったので、第2クールではそろそろ来るかなと思っていたところに丁度良く来た感じです。

奇士のメンバーは皆、それぞれ小笠原さんまで含めて何かしら過去を背負っているので、アビもきっと例外ではないと思いますが、どうも「山の民」としての禁を破っているみたいですね。
それは妖夷を倒す=(彼らの)神を倒す、ということなんでしょうが、今のところその禁を破った&姉を探すために江戸にいて妖士になっていると考えてよいかな。

逆に今回登場したマスラオが何故、里から降りてきているのか?
こっちの方が気になったりしますけど、やっぱり今回の焦点はアビのお姉さんニナイの考えていることでしょうね。

現時点では全く想像ができませんが、ニナイが山崎屋にいる&何故山崎屋が跡部を狙うのか?というのが今回出されたお題ですね。
また山崎屋にいる妖夷、これが何故いるのか?についても絡めて考えないと駄目そう。

いつも序盤はこんな感じでなぞなぞちっくに進むので、素直に次を待つことにいたしましょう。

にしてもアトルと狂斎の絡みはなかなか良い感じ。
あとは宰蔵がツンデレキャラとして目覚めてくれれば申し分なし(えー)。

天保異聞 妖奇士 一 (完全限定生産)



天保異聞 妖奇士 説十五 「羅生門河岸の女(らしょうもんがしのおんな)」

2007-01-26 01:22:33 | 天保異聞 妖奇士
蝶になったら死ぬだけでも


サナギは孵らずにはおれないものなぁ




切ねー。



人が後ろを顧みている姿に心という字が組み合わされた文字だ


それは…


「 愛 」


切ねー。


というわけで、第14話で書いた感想、ドンピシャ。
今回は愛憎という形に近かったけれども、それでもそれでも、アトルに対して示されるのはやはり「愛」だと思うんですよね。
今回はそこに至るまでの苦難の道、まだ先は遠い、という意味での「愛」だったんじゃないかなぁ。
ゆえに逆説的に辿り付くところは人を求め、人に求められる「愛」、なんて思うんですけどね。

夕日に向かって飛び、そして崩れ去っていく蝶を美しいと思い、それでも飛ばずにはいられなかった、それでも、それでも、そんな切なさでございました。

個人的にはこの切なさ、今回ベストエピソード。
#ちょっと万人受けしないエピソードとは思うんですけど、僕はこれ有り。
#たぶんアトル成長物語としての第1歩になるエピソードと見ました。



それは罪か?

別の風景を求めてしまうのは




それは罪にあらず。
なれども、あなたがいたい場所はどこ?
ほんとうにいても良い場所はどこ?


その答えが、アトルにも、そして往壓さんにも分かるときがくるといいな、と思うのです。
きっとそれは「愛」だと思うんですよね……。

【愛】後ろをふりむいて立つ人の形に、心を加えた字。あとに心がひかれるという意味を持つ。


天保異聞 妖奇士 一 (完全限定生産)


天保異聞 妖奇士 説十四 「胡蝶舞(こちょうまい)」

2007-01-26 00:34:27 | 天保異聞 妖奇士
このままでは危うく3週空き、という危機的状態を迎えそうなので、短くとも残します、残しますとも、自分のために(備忘録かよ)。



わたしの行きたいところ……。


そうさ


それは無理




あそこに行きたいのか?


どうしてそう思うんだ?


さあなぁ、なんだかそんな目をしているからさ
ここじゃねぇ、どこか
全く別のどこかへ行っちまいたいって


行くなよ


あそこが地獄だか極楽だか知らねえが
ここにも楽しいもんはいくらでもあるんだぜ



そうは思えない


~中略~


不思議だ
あなたの言葉を聴いていると
なんだか信じてみたい気持ちに



そうかい


この会話の流れって非常に重要というか、ひょっとするとここはある意味この物語のラストに直結する要素がぎっしり詰まってるんじゃないかって思えるんですよ。

どこにでも、誰にでもある、ここではないどこかへ行きたい衝動。
それをこの作品では「異界」であったり「異国」として表現しているのですが、それは極端に表現することでテーマを目立たせるための手法であって、実はその衝動というのは普通に生活している我々の中にも多々あると思うんです。逃げたい、という衝動まで含めて。

それでも人は生きていかないといけない、この場所で。

というのがこれまでに何度か示された作中の答えになっているわけですが、恐らくそれにもう一つプラスされるのが、人への愛であったり、人への優しさであったりする、ここにいてもいいんだ、もしくは、ここにいて欲しい、という答えに落ち着くんじゃないかな、と今回のこの二人の会話を見て思ったんですよね。


引き止める人がいて、その人は相手にここにいて欲しいと思っている、思われている。
そのとき自分もそうなら……。

という展開のとき、これまでネガティブにもここで生きていかないといけないんだ、それでも生きていかないといけないんだ、という答えから、それでもここで生きたいんだ、それでもここで頑張りたいんだ、というポジティブな表現になっていく、そんな気がするんですね。

何となくこの長い物語の最後に、アトルがここではないどこかに行きたい、という気持ちから、ここで生きてみたい、ここで生きていきたい、と思えるようになったとき、それがこの物語の最終回なんじゃないだろうか、と思ったりしました。

やっぱりそこには優しさであったり、愛であったり、そういう温かさが欲しいところです。


それに対して今回は、皮肉にも愛憎劇の様相を呈している部分もあり、アンチテーゼか?とも思わせます。

さあ、これがお得意のミスリードと出るか、それともさらに捻りをきかせてくるか、今から続きを見たいと思います。

つか、さいぞう、君にもロマンスがあることを心からお祈りしております(笑)。

天保異聞 妖奇士 一 (完全限定生産)


天保異聞 妖奇士 説十三 「地獄極楽風聞書(じごくごくらくふうぶんがき)」

2007-01-09 01:02:25 | 天保異聞 妖奇士
新キャラと第2クールの方向性を少し感じさせつつ、上手いこと織り込んだ実質総集編。
こういう形での総集編なら丁度良い感じです。

冒頭に登場する年配の絵師。
それが発した言葉は「竜を見たことがある」だった。

そして、その後映る少年絵師。
彼が日光でみたもの。
それは往壓が漢神を合体させた駁竜(はくりゅう)だった…。


そう、つまりこの冒頭に登場した年配絵師=河鍋暁斎と、この後登場する少年絵師=河鍋狂斎(後にこう名乗りたいと言った)は同一人物。
第13話はこの時代の40年後からスタートした、ということになります。
#ちなみに河鍋暁斎は実在の人物だそうです。
#つか、この物語に出てくる人は結構実在の人物が多いですからね。


多分同一人物で、冒頭のは過去を顧みる、妖士たちと一緒だった頃、もしくはアトルのことを思い出しているんだろうなと思っていたのですが、公式HP見ても(同一人物で)間違いないですね。

第1クールの最後の方では、もっとアトルや宰蔵をメインに出した方が面白いだろうなぁなんて思っていたので、この展開は少し楽しみです。
#特にEDを見ても、アトルが第2クールのメインになっていくのは間違いないでしょうし。
#EDはエウレカセブンで見た人たちがたくさん参加されてましたね(笑)。

往壓をアトルと宰蔵が取り合っても面白いと思っていたのですが、アトルに少年絵師ですか。これも面白いですね。
宰蔵、頑張れ、宰蔵(笑)。

OP・EDも心機一転、新しくなりましたね。
個人的にはEDがとても好きです(アトルがいっぱいだかr(略))。

ということで第2クールはどんな展開をしてくれるのか。
楽しみにしております。

天保異聞 妖奇士 一 (完全限定生産)


天保異聞 妖奇士 説十二 「駁竜(はくりゅう)、月に吠える」

2006-12-24 13:09:50 | 天保異聞 妖奇士
異界も異国も、遠くてここではないどこかを求める気持ちという観点からは違いはない。

この言葉が出てくるところは上手かったですねぇ。
異国に憧れていてそれを果たせず、しかし未だに渇望する男と、異界に魅入られ、逃げたいのに、心のどこかでそこを渇望する男が、今回小笠原放三郎というこれまた自分の所在、心の置き所に苦慮する男を中心に一瞬だけの邂逅、そして永遠の離別。

物理的ステージは違っても心情的ステージは同じ、みたいな。

また、そこに本庄という、これまた自論を持つ男がいて、異界だろうが異国だろうが、ここではないどこかを渇望している奴なんか嫌いだ、そうじゃなくて「ここ」で生きてくんだろう?というのもこれまた一つ筋が通っている(そのやり方はまた別として)。

ここではないどこかを求める気持ち(加納)と、ここでしか生きていけない(本庄)的な極論の対決が今回のシリーズではあって、じゃあその極論同士が対決するのかと思えばそうではなく、そのどちらも正しく、またそのどちらにも答えが出せず、迷い続ける男、小笠原放三郎が苦悩の末、二人の間に立った形で、結局加納を討つ、この辺の仕掛けが非常に渋くて、そして光ってました。

小笠原放三郎も生きていかないといけない、納得できないことも多々あるけれども、自分も生きていかないといけない。
まだ答えも信条も出せない小笠原放三郎だけれども、一つ選択したことがあるとすれば、それは自分が生きることだった。

というのが第1クールとして描かれたんじゃないかな、なんて思いますね。
表の主人公は往壓さんですが、裏の主人公というか、苦悩していくポジションが実は小笠原放三郎、という構成なのかもしれませんね。
#今回小笠原さんから漢神を取り出さなかったのもそういうところにあるんでしょうね。これが今回のミスリードかな?
#逆に言うと小笠原さんの漢神を取り出すときは、それなりにクライマックス感のあるシーンを期待しちゃいますね。

会社に入って、現在は色々と政治的な配慮が必要なポジションにいるものだから、今回の土肥さんの言い方や、それから決断した小笠原さんの考え、そして加納さんを討たなかったら本庄さんがあれこれ策を弄するであろうこと、今回の件は「さもありなん」という感じがします。
そういう意味で上手く小笠原さんの悩みを描いたなぁと思いましたよ。
#でも社会人じゃないと分かりづらいかもね(笑)。

実質2回で終わったエピソードですが、加納さんや日光出立までの経緯を考えるとちょうど3話分、これで第1クール終了という感じですかね。
今後は小笠原放三郎の成長過程もあわせて観て行きたいと思います。

■組み合わせ
今回エンタメ要素として非常に面白いな、と思ったのが漢神の組み合わせ方ですね。
これまで往壓さんは「自分の中から取り出す」というのと「仲間から取り出す」というバリエーションを披露してきましたが、アトルの回のときに漢字を組み合わせたのが実は既にヒントになっていて、色んなものを「組み合わせ」て変形・変身させてしまう、というのが今後のバリエーションになりそうですね。

また今回は「西の者」の顔見せ的エピソードの意味合いも強いと思いますが、なんと主人公以外にも漢神を使える人・組織がいる!!という前振りですよね。
ここでもまた意図的に「組み合わせ」をやってるわけで、まさに東洋の錬金術!!みたいな感じです。
#きっと會川昇さんは『鋼の錬金術師』をやっている時に東洋版をやりたいと思ったに違いない(笑)。

相手が組み合わせしてきたら、更にこっちも組み合わせ、じゃあ、相手も組み合わせて、こっちもまたやってって、本体が何か分からなくなりそうですね(笑)。


でもこれってエンタメ要素としては非常に大事ですよね。
僕は最近殆どゲームしないですけど、このゲーム的要素って凄く大事だと思うんですよね。

古くて申し訳ないけど、すっごく面白い!!と思ったゲームの発想で『女神転生』の魔物を融合させて新しい仲間を創りだすってコンセプトがあるじゃないですか。
あれが当時ものすごく僕には衝撃的で、これすげー!!と思ったんですよ。
ケルベロスとか、クーフーリンとか出来たとき、めっちゃ嬉しかったですもん。
つか、『女神転生』大好きで原作も読んでましたしね。中島と弓子のお話ですよ。

これと似たようなことが、この作品でも出来るわけで、往壓さんはさながら召還士なわけですよ。
召還のみならず、融合までやっちゃう。
こういったエンタメ要素は育てると面白いなと思いました。
#雪輪だけじゃなくて、他の妖異も手なずけちゃうとか、それと仲間の漢神を組み合わせてパワーアップしたり、とか。


■いじられキャラ
何気に、というかあからさまに宰蔵がいじられキャラになってる(笑)。
個人的には宰蔵はツンデレキャラの方が面白いと思うんですが。
普段は往壓さんにツンツンなんだけど、実は……みたいな。
どっちかって言うと今はドジっ娘属性ですね(この作品で属性とかあるんだろうか?)。
で、アトルが無口キャラなんだけど、ボソっと気になること言っちゃって、宰蔵がアタフタする、みたいな。
ツンデレと無口キャラか……。
最強設定ですね(違っ)。

次回からはアトルっぽいので期待してます(何を)。

天保異聞 妖奇士 一 (完全限定生産)


天保異聞 妖奇士 説十一 「日光怪道」

2006-12-20 01:23:05 | 天保異聞 妖奇士
また新シリーズが始まったわけですが、何となく今回のシリーズはこれまでそれとなく伏線を張られていた小笠原さんの過去になるんでしょうか?
それともそれすらミスリード?
という感じの11話でしたが、やっぱり最終的には勢揃いしちゃったりするんですかね奇士の皆さんは。

今回ほんとに個人的にツボだったのは、アトルと宰蔵の位置付けでしたね。
というのも、前回の感想でこんなことを書いていて、


引用その1
そういう意味で今回の宰蔵なんかは分かりやすい例だったので、アトルとあわせて視聴者視点でいて欲しいなぁ。
で、宰蔵とアトルが往壓さんを取り合うという展開になるのd(殴)。

引用その2
そういう意味でアトルとか宰蔵とかをもちっといじってキャラ立たせまくればある種のファン層を獲得できるんじゃないかt(略)。


という感じで、見事に作り手に読まれていた、というかそれすら狙いだったのか、と思わせるような作りでした(笑)。

どうかこのまま、アトルと宰蔵で往壓さんを取り合ってもらえますように…。
そしてもっとアトルと宰蔵が絡んで、弄られて、新たな境地を切り開いてくれますように。
つか、アトルと宰蔵が嫉妬するような女性キャラとか出てきますように…。

とか、なんか本編と全然関係無いことばっかり考えてますね…。

まあ今回は起承転結で言えば起であり承の部分であるので、次からが真骨頂でしょう。

小笠原さんの漢神が何なのか?というのも気になりますし。
小笠原さんの本音なんかも聞きたいですね。

でも、道中にあんなに妖異がいたら嫌過ぎる(笑)。

天保異聞 妖奇士 一 (完全限定生産)

天保異聞 妖奇士 説十 「弥生花匂女神楽」

2006-12-12 01:15:56 | 天保異聞 妖奇士
なんか出張やら何やらで大分お休みしてしまった『妖奇士』の感想ですが、ここから復活です。

今回のシリーズ(基本的に3話構成がベースだと思う)は、宰蔵にまつわるエピソードだったわけですが、3回シリーズが回って基本的なお話の構成が分かってきました。

この物語(各エピソード)の導入部分は、大体何らかのタブーとそれに関連したミステリアス部分のミスリードから始まるんだと思います。
それぞれのエピソードで何らかのタブーに触れて物語が始まって、ちょっと読んで見るとああ、こういうこと?みたいな感じで進むけれど、それ自体はミスリードを誘っていて、本当のオチは実は…みたいな感じ。

例えば第1エピソード(1~3話)では、飢饉におけるミスリードとして人身御供と言う名の口減らし、かと思えばこれがミスリードで、実は食人というタブーを犯したお話でした。

例えば第2エピソード(4~7話)では、妖異は雪輪と思わせておいて、実は別の妖異が存在してて、さらにアトルという江戸時代においてはその存在自体がタブーであることと、さらにさらにそれすら覆す主人公往壓の殺人というタブーを犯したという話でした。

例えば今回の第3エピソード(8~10話)では、狐が人を化かして芝居をしている=狐が妖異の正体かと思わせておいて、実は仮面そのものが妖異であり、宰蔵の名前の解釈であったり、ここにおけるタブーとは宰蔵そのものが、江戸時代における芝居という存在で既にタブーである、というお話でした。


で、それらのエピソードにおいて共通しているのは2つ。


1つは、妖異とは必ず人の想いに呼応する形で呼び出されていること。
アトルのケツアルコアトルしかり、往壓の雲七しかり、それぞれ人の想い、(それとなく後ろめたさを伴った)願望により呼び出されていること。

1つは、その呼び出された想い=妖異を退治することによって、それまでの罪やタブー、また届かないモノ・世界への憧れ、禁じていた想いなどを否定するわけでもなく、そして肯定するわけでもなく、ただ受け入れていく、受け入れることを学ぶ、という点にあること。


善・悪の二元論で語るのは簡単だけれども、実際人が世の中を生きていくにあたり、善・悪で割り切れることなど数えるほどしかなく、その基準も曖昧であれば、むしろ割り切れない気持ちのほうがたくさんある。


それでも人は生きていかないといけない。
白・黒つけて生きていくのではなく、そういうの全部背負って生きていかないといけない。
綺麗事だけで片付かないことの方が、人生多いよね、みたいな。


生きていくには食べていかないといけない。
だから食べる。
綺麗事なんかも全部飲み込んで、とにかく食べる。
食べないと生きていけないから。


そういう意味で、この『天保異聞 妖奇士』はとにかく食べるという表現が結構出てくる、そんな気がしますね。

……と、いうのが僕がこれまで観てきた『天保異聞 妖奇士』のベースとなるお話の作り方なんじゃないだろうか、と思うわけです。
#全然違うかもしれんけどねー。


こういう形で小笠原さん含めた全メンバーの過去と、それに対峙するエピソードが2クールくらいまで引っ張られるんじゃないかなぁ。
特に、ちょっと頭でっかちで、まだまだ周囲が見えてなくて、そのくせ自分のやりたいことは無理に我慢して今を生きている小笠原さんが往壓の背中なんかを見て、成長していくって感じがあっても良いかも。


と、こんな感じに書いてきたのですが、まあ個人的にも思うところはあるわけで、ここまで観てきてこういうのがあったらよいな、と思うところを少し。

■1.感情移入できるキャラが欲しい
往壓さんはやっぱり共感を得ていくタイプの主人公ではなくて、失った過去を回復していく過程(背中)を仲間が見て育つ、みたいな感じだから、それを後ろから眺めるキャラが欲しい。そしてそれは視聴者視点であってほしい。
というのが一番の思うところですかね。

そういう意味で今回の宰蔵なんかは分かりやすい例だったので、アトルとあわせて視聴者視点でいて欲しいなぁ。
で、宰蔵とアトルが往壓さんを取り合うという展開になるのd(殴)。


……そういうのがあっても良いですか?

■2.もちっと前向きな方が良いな
割り切れないこともあるよね、というのは共感できる部分も多々ありますが、やはり時間的には土曜日6時だし、視聴者の年齢を考えると僕なんかは圧倒的少数派だと思いますよ。
受け入れていかないと、それが大人の対応だ、みたいな部分って、僕らなんかの年代以降だとそういうことも多々あるよね、だけど、視聴者の大多数の年齢層を考えると分かりづらいんじゃないかな、なんて思ったり。

だからもうちょっと前向きなお話というか、オチをもう少し前向きにすると観終わった後に、何となく頑張ろうかな、と思える、そういう感じになるんじゃないかな、なんて思いますよ。

そういう意味でアトルとか宰蔵とかをもちっといじってキャラ立たせまくればある種のファン層を獲得できるんじゃないかt(略)。


……そういうのがあっても良いですか?


今回は宰蔵が前向きになれたのが良かったなと思いますね。
ということでやっぱり宰蔵を主人公にしないといけないとおもいm(蹴)。


と、色々と好き勝手書いてきましたが、何となく前半クールはこんな感じで進むんじゃないかなぁと思ったりしてますが、どうなりますかね。
後半(3・4)クールからはガラッと変わったりして(笑)。
#それはそれで楽しみなんですけどね。

来週からはまたちゃんとタイムリーに感想が書けますように。

天保異聞 妖奇士 説六 「竜気奔る」

2006-11-13 00:38:20 | 天保異聞 妖奇士
前回の驚愕(引いたとも言う)の展開から、どういう風に帰結させていくかに非常に興味があった第6話。
結論から行くと多分第7話まで見ないとなんとも言えない気がします(何それー)。


結構シニカルに行くのかな?と思っていたのですが、今回のラスト部分を見るに意外とメッセージはストレートに!なのかもしれません。
ただ、やはり主人公の過去のインパクト大きいですから、今回だけでどこまで腑に落ちるかというと個人的には難しく、やはりこのアトル登場編(とでも名づけましょうか)はアトルの話と雲七の話が上手くリンクして落ちるというところまで見ないとなんとも言いづらいところではあります。

何だかんだカッコいいことを言っても、雲七を殺したという事実は何ら変わりないわけで、やはりそれを罪として背負うぜ、という気概を見せて欲しいわけで、次回のタイトルが「竜は雲に」となっている部分でこの辺を上手く落とし込んで欲しいなぁ。

何となくテーマ部分としては、現実逃避したいことがたくさんあって、それでもみんな必死で生きている、そんな姿を泥臭くてもいいから見せていく、そんな感じがしてきましたね。
妖夷の肉を食べる、ということをわざわざやってるのも食べなくちゃ生きていけないよね、食べるためってのも立派にモチベーションだよね、みたいな。

ということで主人公登場編も第1話~第3話までを通しで見ると意味が見えてくるというつくりだったので、この第4話~第7話?も通しで見て判断したいと思います。
#構成としては起承転結を作った場合に、承はストーリーの谷(過去や暗い部分)を持ってくることが多いわけで、このアトル登場編はまさに第1クールの承=谷ですね。
#第1クール=13話構成だからそうなりますよね?
#そのもっと小さい構成単位では第4話が起で、第5話のひとごろしのはなしが承=谷ということで、何となくそんな感じになってますね。
#今回の第6話が転だったので、次回の第7話で結を楽しみにしたいです。


にしても今回一番引っかかったのは宰蔵です。

何で踊りがフィギュアスケートなんだよ(笑)。


耀蔵の方は予想としてほぼ合ってたと思うんですけど、やっぱり妖夷をコントロールしたいと思ってるんですね。
たぶん黒船来航にあわせて八百万の神の力まで借りたいというところじゃないっすかね。
ゆえに漢神の力を使える竜導往壓に目をつけていて、妖夷と戦わせることでその能力を解明させる、みたいな感じでしょうね。

というわけで第7話を楽しみにしております。