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機動戦士ガンダムOO(ダブルオー) 2ndシーズン 第25話 「再生」 感想

2009-04-01 01:07:44 | ガンダム00(ダブルオー)2ndシーズン
1年半をかけて語られてきた物語も最終話となった第25話「再生」。
刹那とリボンズの最終対決にしびれました。
そして意図的に消化不良にしたと思われる部分はなんと劇場版へ。

いやー、まじで面白かったです、ガンダムダブルオー。
これまでのガンダムシリーズに無いオリジナリティーがありながら、どこかでファーストガンダムへ真っ向から挑戦している、という姿勢が非常に好きでした。

そして難解に仕組まれた仕掛けが徐々に徐々に、そして2ndシーズンからは一気に開花し始め、ラストへ向かうに従って「対話」というキーワードが本当に登場人物同士の「対話」として直接の台詞回しに投影されていくという、ガンダムシリーズで究極の明示的相互理解ストーリーだったんじゃないかと思います。

ガンダムダブルオーでは、作品のテーマ的な部分を暗喩的にせず(マクロ描写するところは当然暗喩表現となるんだけれども)、個人ベースの登場人物が語る部分というのは直接的な「対話」として分かりやすく表現していた、というのが特に印象的でした。

ラスト部分では沙慈とルイスという、これまたダブルオーの裏主人公たち二人によってエピローグが語られていき、その中で「分かり合う努力をしないといけない、世界についてもっと関心を持たないといけない」という強いメッセージを、沙慈とルイスという放送当初最も視聴者の目線に近い二人にして、最終的には凄く大きな悲劇の渦の中に巻き込まれていった最も視聴者的に感情移入対象となった二人に「対話」として語らせる、というのが本当に象徴的だったんじゃないでしょうか。

先週がテーマ的には最終回か?とも思わせる内容でしたが、それどころか、さすが最終回。
テーマ部分に絞っていけば、更に上の表現・演出をしてくれたと思います。

最後の最後まで「対話」の重要性に拘ったガンダムダブルオー。
凄く面白かったです。

物凄くたくさん書きたいことがあるんだけれども、順を追って書いていきたいと思います。


僕の中でガンダムダブルオーは、特に2ndシーズンに入ってからなんだけれども、ダブルオーという物語はP・F・ドラッカー的な物語なんだ、というのを何度か書いてきました。

端的に言うと、ドラッカーは「真のイノベーション」についてこんな感じのことを言っているんですよね。

イノベーションというのは少数の天才がなし得るものではなく、体系化された組織・方法論によってなされるべきである、と。

要するに、現在世に出回っている「イノベーション」という言葉は誤用であって、一部の先進者のみがイノベーションを成しうると考えられているが、実はそうではなく、組織的に、ある集団の中で自然発生的に生まれてくる仕組みを作ることにある。一部の先進者のみにスポットが当たるものではない、と言っているわけです。

つまりこれがダブルオーでの「イノベイター」になっていたわけですね。

最終話でまずしびれたのが、リボンズとティエリアの「対話」だったのですが、ここをまさにドンズバで言い表わしていたところに僕は正直鳥肌が立つくらい嬉しかったですね。

そもそも「イノベイター」と「イノベイド」は別のものであって、「イノベイド」が「イノベイター」ではない。
一部の「イノベイド」が人類を導く、という発想自体が間違っている。
それこそ「イノベイター」の誤用である、みたいな。

人類の革新、進化を促していく仕掛けであって、コントロールする立場のものではない、とティエリアが明言するところ、これはしびれましたね。

ラストではティエリア自身がヴェーダの一部となり、人類を見守っていく立ち場に回っていくわけで、そういう意味では彼も「イノベイター」としての資質みたいなのがあるんじゃないかと思ったりもしますね。
人類の革新を促す仕組みの一部となっていくのだから。


さらにティエリアとリボンズの「対話」ではもう一つ重要なことを語っていて、それは上からの立場で人を見下ろして理解しようとしない、という点なんですよね。

これもこの感想で大分語ってきたことの一部なんですが、水島監督のインタビューなんかでも、常に相手の上位に立とうとする姿勢は、相手を理解するという姿勢になく、むしろ相手が何をするか分からないから、怖いから上位に、優位なポジションに立とうとする、というわけです。

こういう中で「対話」自体が成立するわけもなく、事実リボンズは「対話」すら拒み、この作品のマクロテーマであるところの対話による相互理解というところの対極に位置する、という結果になっているわけなんですよね。


更に、やはりこれも、という感じだったのは、リボンズの存在理由なんですよ。

自分でもいつごろから書いたか忘れましたけど、リボンズの行動原理は自分が廃棄されたことにあって、その有用性の証明のために、自分のプライドのために行動しているんじゃないか、という点です。

上位種である(と自分が思っている)はずの自分が廃棄されるのはおかしい、イオリア計画のために生み出された自分が廃棄されるのはおかしい、ならばその計画の遂行自体を自分がやってしまえば良いじゃないか、つまり自分の有用性を証明することがリボンズ自身の存在理由であり、それをやらないと自分の存在価値を認められない、という目的と手段が入れ替わってしまっている、という点なんですよね。

いやー、これをずばり刹那が切り込んで、リボンズがついに自分の本心を吐露する、という展開が、これまでずっとそうじゃないかと思ってみてきた僕としては非常に痺れる展開でした。


水島監督が自分のエゴを押し通そうとする人間はコミュニケーション不全に陥って自滅してしまう、というようなことを仰ってましたが、リボンズしかり、王留美しかりネーナしかり、アリーしかり、とそういった登場人物はバッドエンドに辿り着いてしまっているという点(さらに孤独)で、これもまたひとつのテーマの体現だったんだろうなぁ、としみじみ。


とはいえ、リボンズと刹那の新旧ガンダムバトルは僕個人としては最高にしびれましたね。

ガンキャノンっぽいのが変形して最新型のガンダムになって、更にツインドライヴという最終奥義まで披露したり、それが刹那のダブルオーとグリグリの大激戦を繰り広げるあたりは、見ていてこれぞバトルエンタテイメント!と痺れてしまいましたね。

いやー、最後1話のために新型ガンダムを投入してくるなんて豪気だ!!

さ・ら・に、本当に痺れたのはこの後。

やっぱりエクシアと0ガンダムの最終対決。

これは最高でした。

痺れた。

何に痺れたかって言うと、僕はこのガンダムダブルオーはこれまでのガンダム作品とアプローチの仕方は違えど、実は最もストレートにファーストガンダムに挑戦している作品なんじゃないかって、ずっと思ってきたので、その最終対決がアムロの乗るファーストガンダムと、新ガンダムで新しい形を切り開いていく最初のガンダムとして登場したエクシア(R2!!)の対決っていうのは、まさにファーストガンダムへのガチンコ勝負になってるじゃないですか。

まじで痺れました。

だってあの0ガンダムのビームサーベルの構え。

あれだけで分かる人は分かっちゃうでしょう。

それもアムロですよ。

それがガチで殴り合って、ラストはエクシアと刺し違えるじゃないですか。

燃えた。

いやー、バトルエンタメとしても非常に面白かったです。

ダブルオーという作品とファーストガンダムの真っ向勝負。

素晴らしい勝負でした。

いやー、やっぱりエクシア、かっこいいなぁー。
MG出たら買うな、間違いなく。


あと、たくさん書きたいところもあるんだけれども、テーマ的な部分で行けばあと一つだけ。

この物語の小さな物語のエンドとして、沙慈とルイスの物語があって、それは全体から見ると小さい二人だけの話なんだけれども、作品全体としては裏主人公であり、もうひとつの大きな流れだったと思うんですよね。

愛すべきバカップルだった二人が、戦争に巻き込まれてしまう、戦争をリアルに体験してしまうことで離れ離れになって、そして最後は憎しみが増幅されて、殺しあう仲までエスカレートしてしまう。

だからこの物語としては、そんな最も視聴者に近かったはずの二人が、最も遠い存在になってしまった、けれども、沙慈がルイスを取り戻す、その物語だったと言っても過言ではないと思います。

その中で沙慈が最後までルイスに語りかけ、叫び続け、理解して受け入れようとしたからこそ、いくつものバッドエンドを超えてグッドエンドに辿り着くことができた。

そのグッドエンドを演出した二人の指輪。

この指輪が並んで見える模様、それも実は「∞」を意味していたのかもなぁ、なんて思います。

つまり、あの指輪も「∞」=ダブルオー、ダブルオーという作品を象徴していたものの一つだったんじゃないかって。

その二人がラストでエピローグとして、もっと理解しあわないといけない、もっと世界について知らないといけない、と最も身近で最も簡単で、最も大きなテーマをメッセージとして残していく。

そんな終わり方に、このガンダムダブルオーという作品のメッセージの伝え方を見た気がします。

作品の当初、水島監督は群像劇にしたいと思っていたけれども、実はそれだと各キャラの台詞が少なくなって黒田脚本の良いところを消してしまっていた、ということに気がついたと言います。
黒田さんは黒田さんで監督の世界感を表現しようと歩み寄っていた。
でもその結果、非常に淡々と進んでしまって、キャラが立たなくなってしまった、というようなことをインタビューで仰っていたように思います。

ここから二人の「対話」があって、今の形に落ち着いたと言われていて、この明示的なメッセージや作風はそういった「対話」を通じて作られたんだなぁとしみじみ思います。


あと最後にマリナ姫から刹那への手紙なんだけれども、実はこれが僕にとって一番の回答だったような気がしました。

ダブルオーの描く∞の輪が地球を覆って、一瞬でも人類が分かり合える、という展開もありなのかと思っていました。
それはそれでドラマティックだな、なんて。

でもね、このダブルオーって凄くマクロの物語とミクロの物語を使い分けてるんですよね。

マクロ的にはまだまだ人類は分かり合えないんだ、とかなり現実を直視した回答を提示した、というのが最終回だったと思うんです。

けれども、ミクロ的には「対話」を重ねることで沙慈とルイスのようにグッドエンドに辿り着ける、コーラサワーとカティさんのように思いを伝えて結婚するエンドもあった。

やっぱりマリナ姫と刹那、ルイスと沙慈、というダブル主人公制を引いたのは、そういうマクロとミクロの描き分けをして、そういうエンドになるように考えていたのかもしれないなぁ、なんて。

もちろんマリナ姫と刹那はマクロ側を投影した存在になっているんだけれども、マリナ姫から刹那への手紙が届かなかった、刹那は読んでいない、というのがマクロ的に人類はまだまだ分かり合えない、という部分の回答を悲しくも提示したように思えてしまいました。なるほどなー、みたいな。

けれどもね、その中でマリナ姫の言う、優しさの連鎖みたいなのが広がっていく、それを絶えず追求していくことが自分たちには必要なんだ、というメッセージ。

ある意味このマリナ姫の独白が一番最終話で深かったんじゃないのかな、と思うし、それが沙慈が語った言葉とリンクしているんじゃないかと思うわけです。

だからダブル主人公、だからダブルオー、みたいな。



メッセージ部分以外のところについては、実は消化不良なところも感じていたりしたんですが、謎が解けました。

答えは劇場版。

なるほど。

この物語の延長線上になるかどうかはまだ分からないですけど、ラストでイノベイドたちが民衆に紛れ込んでいて、統一政府にもアニューと同じ顔をしたメンバーもいたし、リボンズタイプもいたわけなので、まだまだ何かありそうですよね。

ティエリアにしても、マリーを戦場から遠ざけるためにソレスタルビーイングから外れているけれども、その表情と、マリーが実はティエリアが抱える矛盾を見抜いているんじゃないか、という表情に、まだまだ続きがあるんだな、と思わせますよね。


不死身のコーラサワーは本当に不死身だったし(笑)。
カティさんと結婚しちゃうし!!
#おめでとう!!

ロックオンなんかは最後の相手がアニューと同タイプのリヴァイブだったりと、演出的にも憎いなぁと思いながら見てました。

そういう中でミスター・ブシドー改め、グラハム(いや、もともとそっちが本名だ)。

切腹をにおわせるところで終わっていたけれども、実際に切腹していたのはホーマー・カタギリでした。

おそらくグラハムをブシドーの世界に引き込んだのはホーマーだったと思うけれども、ここでも「イノベーション」の誤用ならぬ「武士道」の誤用を指摘したんじゃないかとも思うんですよね。

武士道とは死ぬこととみつけたり、というのは死んで忠義を果たせということではなく、(主君の横暴があるならば)死を覚悟して正しいことを追及せよ、というのが本来の趣旨であるわけで、あのとき、刹那との対話を経て、あえて生き残ったのがグラハムであるなら、引責として切腹したのがホーマーという、そういう構図もあったのかな、なんて思います。
#あのあとビリーが開発していたマスラオ後継機?みたいなのも劇場版の伏線なのか?


いやー、もっと書きたいことはあるけれども取りとめがなくなりそうなんで、この辺で。

ガンダムダブルオー、2ndシーズンからは特に好きでした。
僕の中で傑作化したのも2ndシーズンでした。

素晴らしい作品を素晴らしい情熱で届けてくれた水島監督ならびに制作スタッフの皆様に心から拍手を!!

ダブルオーのガンプラはかっこいいので、たぶんまだしばらく買って遊ぶことになりそうです。

そして、劇場版。

楽しみにしております。

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機動戦士ガンダムOO(ダブルオー) 2ndシーズン 第24話 「BEYOND」 感想

2009-03-25 01:35:24 | ガンダム00(ダブルオー)2ndシーズン
映画のようにCMを挟まず一気に見せた第24話「BEYOND」。
かなり見応えがありました。
凄く面白かったです。ぐっと見入るように30分釘付けでした。


どこから感想を書いていこうか迷うほど書きたいことはたくさんあるのですがまずはイオリア計画から。

今回ヴェーダとリンクしたティエリアから語られたイオリア計画の真意。
これは実質1年半かけて謎になっていたところがここでようやくオープンになったわけですが、テーマ的な部分からいくとこの世界はもっと相互理解をする必要があって、お互いのことを語り合ったり、思いを伝えていくことがとても大事なのに、それができていない、だから争いというか、他人が少しずつ優しい世界に辿り着けない、というところを問題提起として置いていたんじゃないかと今改めて思います。

じゃあ相互理解していくにはどうしたらいいの?
というときに、もうこうなったら心をダイレクトにつなげていくしかないんじゃないの?
それでお互いに感じていること、思っていることを伝えていくしかないんじゃないの?

じゃあダイレクト接続という壮大なる仕掛けをこのダブルオーの世界ではGN粒子を介して行おうよ、そのためには駆動装置が必要だよね、それが真のイノベイターの出現であり、GNドライブ、ツインドライヴ、トランザムというイオリアが残したツールは、真のイノベイターを介して真の力を発揮する、つまり人類の心をダイレクトにつなげていく、お互いの理解を促進していく、みんなが少しずつ理解できる仕組み・仕掛けを作りあげていく、これこそが真のイノベーションである、という感じでしょうか。
#僕個人としては刹那が真のイノベイターになるということだけじゃなくて、真のイノベイターを介して人類の心がダイレクトにつながっていく、お互いの気持ちを理解しようとする仕組み・仕掛けができあがっていく、それこそがポイントで、P・F・ドラッカーの提唱する真のイノベーションの意味に近いのではないかと思ったりもしています。

イオリア的にはソレスタルビーイング自体は世界をまとめるための一種の必要悪であって、武力による紛争根絶というのは矛盾しているのは承知で悪役を作る必要があったと考えていたのかもしれないですね。
で、GNドライブを託したガンダムマイスターの中から、自分たちは変わらなくちゃいけない、という自覚を持った者が現れて、ツインドライブ、トランザムを使いこなすことによって、人類をつなげていく存在まで昇華して欲しいと願ったのかもしれない。


刹那は今、みんなの命を守りたいという想いから母船ソレスタルビーイングの周囲に対してGN粒子を拡散してその宙域の人たちの心をつなげたけれども、最終回の最大クライマックスでは地球の周囲を覆うオービタルリング全体にGN粒子を展開させて、地球全土の人々の心を一瞬でも良いからダイレクト接続させて、人々が相互理解をより進めていける可能性と希望を示す、というラストだと僕個人としては非常にしびれる展開だと思うんだけどな。

また、今回刹那がみんなのことを名前で呼んでいたのも印象的だったんだよね。
今まで刹那は必ず他人のことはフルネームで呼んで、ちょっと他人行儀だったからね。
それが名前で呼び合う中まで刹那の中で進展した、というのは真のイノベイターとして覚醒した事実よりも、僕としてはぐっと来たところなんだよね。

最終回ではリボンズのガンキャノン?と対決になると思いますが、リボンズのどの辺がイノベイターを超えたイノベイターなのかは分かりませんが、ファーストガンダムの象徴たるアムロ=リボンズと、そこを真っ向勝負で迎え撃つ新世代ガンダム=刹那の対決というのは、色んな意味で非常に感慨深いものになるかもしれませんね。
#だからあえてファーストチックなデザインなのかもしれないね。


さて今回、というかダブルオーの特に2ndシーズンですが、群像劇というよりは各キャラにスポットが当たり、台詞回しによってしっかりとテーマを浮き彫りにしていくスタイルが確立されたんじゃないかと僕は思ってるんですが、それを象徴するようなラスト2の各キャラの「対話」のオンパレード。
非常にしびれました。


まずはマリーとアンドレイ。

まさかここでマリーとアンドレイの対話になるとは思いませんでしたが、これがまた非常に良かった。
これって完全にこのガンダムダブルオーのテーマ部分であり、何故セルゲイさんがバッドエンドで終わってしまったかということに対する回答編にすらなっていました。

思っていることを伝えなければ理解することもできない。
理解して欲しいならばちゃんと相手に伝えないといけない。

お互い分からないと思って心を閉ざした結果、愛情が憎しみに転化してしまって心が暴走してしまう。

それをソーマ・ピーリスではなく、マリーとしてアンドレイに告げる、というのもまた痺れるところでした。

アレルヤ・ハレルヤにしても、マリーを助けるという点でお互いの気持ちが合致するという、マリーとアレルヤ、二重人格者たちの対話はこういう形で決着したのか、となるほどと感心してました。


次にビリーとスメラギさん。

ビリーの「どうして分かってくれないんだ」という問いかけは、世界の統一がどうとか、ソレスタルビーイングが邪魔してるとか、そういう御託ではなくて、本当のところは、「どうして僕は君のことがずっと好きなのに分かってくれないんだ」という言葉への変換なんだ、と。

それが刹那のGN粒子によってお互いの心がつながって、スメラギさんも、そしてビリーもようやく素直になってビリーとしてはずっと言えなかった言葉「君が好きだった」という言葉につながってくる。

ビリーとしては分かって欲しい、けれども勇気が無くて言い出せずにそのままズルズルと、いつか気づいてくれると信じて、それが気がついたら銃を向け合う仲になってしまったいた。

結局気持ちを伝えられなかったからこんなにすれ違ってしまった。

そんなビリーだけれども、最後の最後、極限状態でGN粒子の中でスメラギさんに自分の気持ちを伝えることができた。

これもすごくシンプルだけど、シンプルゆえにテーマを浮かび上がらせるには十分な要素だったと思うんですよね。


ロックオンに関しては、アニューを通じてすでに彼の中で答えが出ていて、上位種だなんだと言っても、人が人を好きになる気持ちや、お互いを分かりあいたいと思う気持に変わりはない、ということで一つ完結していたんですよね。

アリーという因縁に対して、私怨で撃つというよりは、人を理解しようとする世の中を作るのに、アリーのような快楽主義の人間とは戦っていかないといけない、そういう決意の銃弾だったんだな、と感じましたね。


ティエリアに関しては、リボンズに頭まで撃たれたとき、まじでびっくりしちゃいましたよ。
うおー、ティエリア、見せ場なしかよ!!って。

ところが、ところが。

ヴェーダを奪還してのトライアルシステム発動。

これはしびれました。

セラフィムが意味深に無傷で残っていた理由、それはセラフィムにもう一度スポットが当たる見せ場が来る、ということに違いないと思っていたので、あそこでのトライアルシステム発動は熱かったですね。

つか、ティエリアが自分たちはイノベイターではない、イノベイドだ、と告げるシーンや、その後に来るイノベイドで良かった、というシーンはしびれっぱなし。

もう主人公ティエリアでも良いよ!!くらいに。

リボンズに対してイノベイターという言葉を誤用している、と宣言するのは、またまたP・F・ドラッカーなんだけどイノベーションの本当の意味を誤用している、と提言していたことにも通じて、僕としては非常に痺れるところでしたね。

「イノベイター」と自分たちが人類を導くものとして自称していたものは、実はそうではないという事実は、上位種として人類を見下していた彼らの存在意義にも関わるというか、いつからかその存在意義が変わってしまっていたのだろうね。

これは水島監督のインタビューにもあったんだけれども、人は高い位置から人を見下ろしたり、見下したりするのは、相手より優位に立ちたい、相手が何を考えているか分からず怖いので、上のポジションを取りたがるからだ、と言っていたと思います。

これではいつまでたっても相互理解なんてできやしない、とも。

これはイノベイドだったり、王留美だったり、見下ろす構図にいた人たちをそうやって当てはめていたんだろうな、と思います。

そういう背景の中で、最初はツンツンしていたティエリアがロックオンと出会い、自分は人間だと宣言し、ラストはイノベイターではそもそもなく、イノベイドなんだ、だけれども僕はそれでよかったと思っている、みんなの命を救うことができたのだから、という言葉はこの1年半を通じてのティエリアを見てきた僕らとしては、こんなに嬉しいことはない、という感じですよ。

いやー、素晴らしい見せ場でした。


そして最後は沙慈とルイス。

リボンズによって弄ばれた心は、沙慈の命を奪おうとその首に手をかけるのだけれども、そこに輝くのは約束の指輪。

それを見てルイスは目を金色に光らせながらも(心を奪われながらも)涙を流す。

その指輪の意味を知っているから。

2ndシーズンの最初のOP曲「儚くも永遠のカナシ」ではOP版じゃなくCD版で聞くと「恐れず信じることで 憎しみに変わる前の本当の愛を知るのだろう」という歌詞があって、やはりこの曲は沙慈とルイスのための曲だったんだと実感することができます。

沙慈を振り払って見えた、失ったはずの左手、そこに光るのはもうひとつの約束の指輪。

。・゜・(ノД`)・゜・。

。・゜・(ノД`)・゜・。

。・゜・(ノД`)・゜・。

写真は全て破棄してしまったけれども、沙慈との思い出も全て捨てようとしたけれども、この指輪だけは捨てられなかった。

それが沙慈の命をつなぎとめた。

・・・けれども、自我を取り戻そうとしたルイスは命絶えてしまう・・・。

これって無いよ!!

と思ったところに刹那のGN粒子がルイスたちを包む。

息を吹き返すルイス、この意味はやはりルイスは一度死んでしまった、けれどもこの死の意味はリボンズに操られたルイスの死という意味なのかもしれないですね。

そして息を吹き返したルイスに、沙慈がかけた言葉。

それは何も言わなくて良いよ。

対話をテーマにしてきて、ラストに来て多くの対話があったけれども、ここまで苦しい対話を諦めずに続けてきた沙慈は、全てを分かって、全てを受け入れるという、対話の先にあるテーマを体現してしまったわけです。

やっぱり沙慈がルイスを取り戻す戦い、それは対話をテーマに進み、ラストは言葉は要らない、という状態まで到達するという、これまでこの二人を見てきた僕としてもぐっとくるクライマックスでした。

他にもまだまだ書きたいことはあるけれども、とりあえずこの辺で。

次回、最終回。

まだ終わって欲しくないなぁー。

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機動戦士ガンダムOO(ダブルオー) 2ndシーズン 第23話 「命の華」 感想

2009-03-17 23:47:11 | ガンダム00(ダブルオー)2ndシーズン
盤上に残っている駒も少なくなってもうすぐチェックメイト間近なのかと思っていたら、実はもう一枚チェス盤がありましたと言われたような新たな事実を告げられた第23話「命の華」。

イオリアの計画が人類を外宇宙に出そうとしていたのは1stシーズンからの振りで何となく分かっていた部分だけれども、その理由が未知の生命体との遭遇を予見してのことだった!というのはずっと見てきた一視聴者としてもかなりの衝撃でした。

純粋に「えーっ!!」みたいな。

紛争の根絶、というのは紛争とかやってる場合じゃなくて早く人類が一つにまとまらないと、外からの脅威に対抗できない。
また、一つにまとまるための憎まれ役がソレスタルビーイングであり、その後の世界をまとめていくためのヴェーダやそれらの仕組みだった、ということなのね。

ホーマー・カタギリさんなんかはそういう事実を知っていたのかどうかは分からないけど、アロウズも統一を推進するための必要悪として作用させていた、ということなんだろうね。

この辺の真偽(未知の生命体がいるかどうか含めて)は、もう残り2話を見ていくしかないわけだけれども、未知の生命体がいるかどうかその辺の答えは出さないで終わっていく、という感じはしますね。

そこを描き切って終わりか?と言われるとやはり違うような気がするので、最後はヴェーダやイノベイターの力を借りずとも、(平和な世の中を切望して)人類が緩やかに同じ方向性を指向する、緩やかに結集するという可能性を見せて世界の変革の予兆を見せて終わっていく、という感じじゃないかと思うのだけれども・・・。


後は、やはり4人+1人の主人公を登場させているのだから、彼らのそれぞれのクライマックスも描かれていくんだろうね。


今回でいけば、ラスト付近でセラヴィーを捨ててヴェーダの元へ駆けつけたティエリアとリボンズの対決。
これも一つのクライマックスでしょう。

ただリボンズとの対決というよりは、ティエリアがヴェーダを奪還できるか?という点にフォーカスが当たっても面白いと思うんだよね。
#リボンズ自身は体のスペアはたくさん有りそうだし。

ヴェーダ依存症だったティエリアがロックオンとの邂逅を経て変わった、その集大成として再びヴェーダとどう対峙するのか、というのもひとつのティエリアのクライマックスの一つだと思うんだよね。

で、セラフィム自体は無傷なように見えたので、最終出撃はセラフィムに戻って、セラフィムの特性?(隠された能力?)を発揮する、というところかな?


ライル=ロックオンについては、兄の宿敵であり、この兄弟の宿敵であるアリー・アル・サーシェスとの対峙で、兄は復讐に走ってバッドエンドを迎えたけれども、なら弟は?というところが最大の見所でしょうね。

兄は刹那を撃とうとしたけれども撃たず、弟はアニューの件で刹那を撃とうとしたが撃たず、ここまではイーブンの状態。
アリーという戦争屋に対して、ライルがどう乗り越えていくのか?
兄を超えられるのか?
という意味を含めても、ライル・ロックオンのクライマックスなんだろうね。


アレルヤはマリー=ソーマ・ピーリスとの折り合い、ならびにハレルヤとの折り合いをどうつけるのか?というのが、やはりクライマックスの一つなんでしょうね。

二重人格者同士、ここには2×2の戦いが待っているとも見えます。


そして刹那。

おそらくリボンズとの人工革新種vs自然革新種という対決になるとは思うのですが、その前に、

沙慈。

沙慈がルイスを取り戻せるかどうか?というところがやはりずっと前から書いてきたように僕の中でのガンダムダブルオー的真のクライマックスだと思ってるんですよね。

マクロ的にはイノベイターの支配からの脱却を描きつつ、ミクロ的にはイノベイターに支配されたルイスという個人の奪還という、マクロとミクロが並行して進むという展開。

そういったところを背負って、最後に刹那のクライマックスへとつながっていくとかなり熱いかも。

当然、そこにはマリナ姫登場、ということになると思うけれども、まだイマイチ絡み方が想像できていません。

ということで、ここは最後まで楽しみにしたいところ。


群像劇的に描きたいところだけれども、これだけ主人公クラスがいて、それぞれにスポットを当てるつくりになっているので、どうしてもキャラを厚めに描いてしまうと、全体のストーリーの尺が短くなってしまうところ。
これはもう仕方ないのかもしれないなぁ。


つか、コーラサワーの退場はにわかに信じがたい!!

個人的には生きていて欲しいし、スメラギさんとカティさんが過去なし得なかった(失敗した)共同戦線、戦術予報をこんどはダブルオーの光の中で意思疎通しながらやり遂げるとか、そんな演出があっても面白いと思うんだよね・・・。

あと、何気に小さい物語としてアンドレイの話であるとか(個人的にはルイスを救うのに一役買って欲しい)、ビリー・カタギリとスメラギさんの決着とか、ミスター・ブシドーの人とか、まだまだ決着をつけないといけない部分もあるので、残り2話はてんこ盛りになるに違いないですね。

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機動戦士ガンダムOO(ダブルオー) 2ndシーズン 第22話 「未来のために」 感想

2009-03-10 11:42:53 | ガンダム00(ダブルオー)2ndシーズン
イノベイターとの最終決戦へ向けて物語の方向性も終局へと舵が切られてきた第22話「未来のために」。


リボンズ的にはアロウズも手駒のひとつに過ぎず、またイノベイターさえも(ブリングの量産を見ても分かるけれども)駒にすぎない、という感じがあり、ひょっとしたら自分の体自体もどうでもよくて(量産していて)、上位種として自分が選ばれるか、それともイオリアの遺志を継いだ刹那(人類の革新の可能性)が選ばれるか、というラストは一騎打ちみたいな感じになっていくのかもしれないですね。

ただ物語的には、人工的な上位種と人類からの革新種との対決、というミクロ対決も世界を左右するかもしれないけれど、アロウズ的なやりかた(世間的にはイノベイターの存在は公表されていないと思うから)に対しておかしいと思う人たち、平和を求める人たちが結集してきてラストはそれが最終的な世界のあり方を方向付ける、というマクロ的な形になっていって欲しいとも思いますね。

ファーストガンダムが、ニュータイプ同士の戦いになって、人類は変わっていくべきだ!と一部のエスカレートしたイデオロギー対決になるのだけれども、戦争の大勢は数に勝る地球連邦軍に軍配が上がった、というマクロ対決で終わったように。

ファーストガンダムは数の理論で地球連邦が勝利するという形で終わったけれども、ダブルオーでは数の理論というか、普通の人たちの平和を求める気持ちが徐々に結集して大きな輪を作っていく、というそういう意味での数の理論の勝利というか可能性を期待したいところ。

今回マネキン大佐やコーラサワーが参加してきたように、ミスター・ブシドーが自分の武士道を見つけて参集したり、ソーマ・ピーリスも怨恨で戦うという感じではなくなってきているわけで、後はアンドレイあたりがどう動くか、というのもひとつの楽しみではあるんですけど、刹那が語ったように、明日を掴む戦いをするんだ、というメンバーが続々参集するという展開を期待したいですね。

あとはヴェーダが直径15kmという非常に大きな物体であり、かつ月に近い位置にあるということは、コロニー落としならぬ、ヴェーダ落としみたいなのも可能性として考えられて、そこが表のサイドでの最大クライマックスになるんじゃないかと予想。

アフリカタワーの崩壊時にソレスタルビーイング、カタロン、反乱軍、アロウズが手に手を取ったように、最大のクライマックスとして明日を望む気持ちの結集というのが見られると燃えるなぁ。

第1段階では1stシーズンの第5話で低軌道ステーションの落下を食い止め、第2段階では2ndシーズンの第17話でアフリカタワー崩壊時のピラー落下を食い止め、第3段階としてヴェーダ落としを食い止める、というのはスケールアップの順序を考えても、物語の積み重ね的にも燃えるものがあると思うんですよね。


裏サイドでの最大クライマックスは、やはりルイスの奪還だと思うわけで、行き着くところまで行ってしまいそうなルイス、ほぼ奪還不可能?と思うような状況に陥ってなお、刹那の言葉に自分の気持ちで応えた沙慈が、その気持ちをルイスに届けて彼女(の心)を取り戻すことができるか?というのが、裏面での最大のクライマックスだと思っています。

刹那とリボンズ(たぶん今回死んでないでしょう)との次代を担うのは誰か?という対決と並行して、沙慈がリボンズの支配下に置かれているルイスを解放できるか、というある意味精神対決というのがダブル主人公である刹那と沙慈のダブルクライマックスだと思うんですよね。


あとガンダムシリーズは伝統的にラスト出撃時にはヒロインから主人公へと何らかの見せ場シーンがあるはずで、今回のフェルトが刹那を見送るのは一つの戦いの前の見せ場であり、まだ不完全燃焼感があるところだから、フェルトには申し訳ないけど、もう1回マリナ姫絡みで最終出撃クライマックス演出が待ってるような気がしますね。


何気に感動したのが、スサノオのサングラスが吹っ飛んで素顔が見えた瞬間、ああフラッグだ!と素直に驚いた&喜んでしまいました。
うーむ、これでオーバーフラッグのガンプラが欲しくなってしまいましたよ。

フラッグ魂がここに生きていたかと思うと何気に嬉しくなってしまいました。

あと次回予告のオーガンダム登場も実は結構楽しみだったりして。


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機動戦士ガンダムOO(ダブルオー) 2ndシーズン 第21話 「革新の扉」 感想

2009-03-03 01:38:28 | ガンダム00(ダブルオー)2ndシーズン
物語も終盤に差し掛かり、一気に終わりへと加速していく第21話「革新の扉」。

今回、凄かったです。
まさかあの人まで、というような勢いでどんどん退場していきます。

しかしながら、個人的には今回、物語のすごく大事な部分、メッセージ性の強いところのバッドエンド部分を凄く強調していると感じました。
だからこそ残り話数が少ないところから、ラストへ向けてどういうところにスポットが当たっていくのか、というのも逆説的に見えてきた気がしました。

普段は最低2回くらい見返してから感想書くのですが、今回は内容も(退場キャラが多くて)辛かった(見ごたえは十分にあった)のと、個人的に立て込んでいるので一度しか見れてないので、多少浅いかもしれないけれども、それでもこの退場劇の中でどうするとバッドエンドへ向かってしまうのか、というのは見えてきた気がしました。

今回、特に衝撃的だったのは王留美とネーナ・トリニティ。

王留美に関しては2つあって、

1つ目は、他人の目からは何でも持っているように見える(そして事実物質的には持っている)王留美だったけれども、その実、本人が本当に欲していたものは、普通の女の子としての生活だった、という点。

僕は恋愛感情まで含めて妄想していたのだけれども(笑)、大分初期の頃に感じた、王留美は意外と普通の女の子っぽい望みを持っているんじゃないか、というところの直感はそれなりに、だった気がするし、そういう意味で彼女は王家という存在によって歪んじゃった、という悲しい存在の一人でもあった、ということなのか。

だから、王家という存在も無くなってしまうような新世界を欲した、新世界で何者にも縛られず、普通の女の子として生きたかった、というところなんだろうなぁ。
切ないねぇ。

2つ目は、もう少しマクロ視点でテーマ的に考えると、水島監督のインタビューあたりからもあぶりだされるところなんだけれども、自分のエゴを通そうとする、自分の利益を最優先しようとする先にあるのは衝突と、結果として誰も利益を生まない結果になる、というバッドエンドを体現してしまった、というところにあったようにも思えます。

この辺はいみじくもネーナ・トリニティが王留美に指摘している部分で、何でも持っているのに欲しがって、更に求めようとする、という点にもかかっていて、王留美の場合、それが個人としての自由を欲して、その引き換えに世界の破壊?を促そうとした=束縛するもの自体を無かったものにしたかった、という究極論まで行ってしまったところなんだよね。

そこまで追い詰められなくても、他にもやりようがあったのに・・・、彼女が欲したものは普通の女の子が欲するものだったのに、というのが切ないところ。


もう一人はネーナ・トリニティ。

彼女が欲したのも実は普通の女子としての幸せだったのかもしれないんだけれども、彼女の場合、それが幸せな人や、持っている人への妬みへとつながって、それをぶつけてしまうところに彼女の本質があった。

そして、自分の仇を討つ、ということには考えが及んでも、自分が誰かの仇になっている、ということには思いもよらない、そういう子でもあった。

この辺もダブルオーの物語の本質をあぶりだすのに一役も二役も買っている、そういう役回りになっているんだなと改めて思うわけです。


ダブルオーの物語の本質、というか水島監督がインタビュー等で本気で言っている部分は、どうやったらみんなで幸せになれるか、地球という限られた場所でいろんな人が一緒に生活しなくちゃいけない、そういう中で、どうやって少しずつ分け合って、どうやって少しずつ優しくなれる、というのを実は本気で考えようとしている、と思うんです。

これがね、僕はこのダブルオーの物語の本質だと思うんです。


だから逆に王留美、そしてネーナ・トリニティの散り様というのは、その本質のテーマを浮き上がらせるためのひとつのバッドエンドになっていると思うんです。

みんなが少しずつ幸せになるには、少しずつ優しくなるには、優しさの連鎖を生み出すには?

という問いに対して、自分の利益の追求だけしても分け合えなければ破滅するし、人を恨んでも妬んでも幸せの連鎖は生まれず、逆に憎しみの連鎖が増すばかり。


畳み掛けるようにもうひとつのある意味バッドエンドがルイス・ハレヴィ。


今回のラストで精神崩壊寸前まで行ってしまうルイス。

これはもう視聴者的にもひとつのバッドエンドの形そのもの(そして物凄く辛くて切ないわけです)。

どこかで彼女には敵討ちをしないで欲しい、と思っている部分もあったけれども、仇を討ってもその先に何も無かった、という強烈なメッセージにもなっている。


こうしたバッドエンドを集めて、どうやったらグッドエンド、トゥルーエンドになっていくことができるのか?

これを伝えたい、というのが本質じゃないかと思ってるんですね。


で、そのヒントが示されたのがマリナ・イスマイール。


彼女だけが銃を取らず、みんなが少しずつ幸せになるにはどうしたらいいか?優しさの連鎖を作るにはどうしたら良いか?というのをずっと考え続けていた。

さすが正ヒロインです。

1年間以上落とされてきただけあります。

彼女の歌を媒介にして、平和を望む人が少しずつ気がついて、少しずつ優しさが集まっていく。


僕はこの物語のクライマックスに、マリナ姫が率いる民衆が「宇宙へのエクソダス」を敢行すると思っているんだけれども、それを成功させるために、少しずつ優しさが集まって、みんながそれを成功させようと力を結集させる、なんていう展開があったら泣いてしまいそうだな、と今から思ってるんですけどね。


敵も味方も無くって、アフリカタワーが崩壊したときに、ピラーの破片を全員で打ち抜いたときのように、そのエクソダスには敵も味方も関係なく、ただ平和を願う優しい気持ちが少しずつ連鎖していく、という展開を個人的には希望しちゃうなぁ。


クラウスが宇宙にあがるしかない、と言ったところから、そんなことを妄想していたんだけど、そうだったらいいなぁ。


僕はこのダブルオーはドラッカーだ、ということを言っているのだけれども、経済学者であり社会幸福論者であるP・F・ドラッカーの言葉を要約すると、イノベーションというのは少数の天才がなし得るものではなく、体系化された組織・方法論によってなされるべきである、それがイノベイターである、と言っているんですね。

つまり、ダブルオーの世界でいけば、少数の天才が導く世界ではなく、イオリア的に人類が革新へと導かれなければならない、というところだと思うんです。

じゃあ、全員が今のイノベイターみたいになることを志向するのか?というとそれも違うと思っていて、あくまで僕ら普通の人が、普通に他者の幸せを考えたり、少しだけ隣の人に優しくなれたり、と言った幸せの連鎖みたいなことをみんなで考えるようになる、というところが僕はこの物語の答えだと思っているんですよね。


ドラッカーの関心は、(彼の戦時中の体験などから)若いころから一貫して、社会的な存在としての人間の幸福に焦点があたっていて、社会が正しく機能し、かつそこに生活する個々の人間がそれぞれかけがえのない役割を持ち、充実した人生を生きるためには何が必要か、という探求こそが彼のライフワークとなっているんですよね。


これに水島監督の言う「優しさの連鎖」という考え方は凄く近いんじゃないかと感じるんです。
#この際、ドラッカー云々は抜きにして考えても、優しさの連鎖って凄く大事だと思うしね。


刹那はどんどんニュータイプ化しているけれども、じゃあ、みんなが刹那のように革新していければよいのか?とか、このまま刹那が革新を進めて英雄になればよいのか?というと、それはまた違うと思うわけです。


だけれども、じゃあガンダムマイスターたちがやってきたことに意味は無かったのか?と問われたときに、そこを考える楽しみというのが、残りの4回くらいの放送にあたるのかな、と。

それぞれにまだまだクライマックスが残っていそうな気配は十分にしているので、あと少しで終わってしまうのが本当に残念だけれども、凄く楽しみにしています。


メカ的にはスサノオ、これはかっこよかった!!

マスラオはサングラスがガイナックスっぽくて、ガイナ立ちとかしてそうでそれはそれで好きだったけれども、白・黒のデザインはスタイリッシュでかっこいい。

そして相変わらず、ミスター・ブシドーの言葉にぽかんとしてついていけない刹那がすこぶる可愛い感じでした。

やっぱり覚醒し始めた人類さえも凌駕する、それがミスター・ブシドー。
そこに痺れる、憧れる。


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機動戦士ガンダムOO(ダブルオー) 2ndシーズン 第20話 「アニュー・リターン」 感想

2009-02-23 00:20:21 | ガンダム00(ダブルオー)2ndシーズン
エンディング曲「trust you」が非情に切なく胸に響いた第20話「アニュー・リターン」。
アニューは最期の瞬間、イノベイターとか上位種とかそういうのを関係なく、ただ愛するライルのもとへ戻った、そういう意味でのアニュー・リターンだったと思いたい。・゜・(ノД`)・゜・。


非情に切ない。・゜・(ノД`)・゜・。

ライルとアニューは可能であれば最後まで生き残って欲しいカップリングだっただけに、今回非情に切ないです。
分かり合えていたけれども、それでもこの戦いの中では結ばれなかった二人。

だからこそ、アニューの最期の瞬間に響く「I love you, I trsut you」のエンディング曲にぐっと来てしまう。
いやー、これほんと切ないわ。・゜・(ノД`)・゜・。

最期のライルとアニューの「対話」はダブルオーが見せたささやかな贈り物。
自由意志を奪うというリボンズの支配から、刹那とダブルオーが一瞬だけアニューを解き放って本当の「対話」を届けたというのが憎い演出です。


今回非情に切ない結果に終わってしまったのだけれども、アニューの最期から、残り話数も少ないながら何となく直感的に分かってきたようなところもありました。

リボンズの「対話」がどこにあるのかはまだ分からないけれども、可能性の話だけであれば、今回のアニューの自由意志を奪う(そういう意味ではルイスの自由意志も実は奪われたまま)という行動は、以前ティエリアが使用したトライアルシステムと同じで、ヴェーダにリンクするシステムを利用するものの自由を剥奪することができる行為に似ている、とも思えます。

自由意志の剥奪、というのはこの物語におけるテーマの対極。

本来ならば、苦労に苦労を重ねて相手を理解していく、そうして得ていくもの、相互理解を成し遂げていくところに価値を見出していく、というのがひとつのテーマであるのに対し、この自由意志の剥奪、というのはコミュニケーションすらいらない、くらいの対極にあるわけです。

リボンズは他のイノベイターですら真のイノベイターではなく、自分こそが真のイノベイターであり「神」であると言う訳です。

それは他のイノベイターの自由意志を剥奪することができるほどに「神」だ、と。
#リジェネがおびえているのは自由意志を剥奪されることなのかも。
#そういう意味でリボンズは他のイノベイターよりも上から目線なんだよね。
#個人的には今回の表現から、(アニューの分身たる)リヴァイブあたりもリボンズに異を唱えてくれると面白いけど。

アニューだけじゃなく、ルイスも(第1話からそういう描写があったけれども)自由意志を剥奪されていて、彼女は人間でありながら、イノベイターになる第1号であるとリボンズは言うわけじゃないですか。

ひょっとしたら、赤いGN粒子を浴びて、その段階から薬なり外科手術なり何なりをすると、(刹那もそうなんだけど)脳量子波が使えるようになる、とかそういうことがあるのかもしれないけれども、イノベイターとして生まれなくても、後天的に脳量子波を使えるようにはなる、ということなんだよね。

ここから妄想がかなり飛躍するんだけれども、赤いGN粒子を全人類規模で被爆させて選別して、選ばれた人間をイノベイターとして、一度イノベイターになったなら、今回のアニューやルイスのようにトライアルシステムみたいに、自由意志を剥奪することができる。

そうなれば文字通りリボンズは「神」にも等しい存在になりうるわけで、全人類がリボンズの支配下にあるならば、紛争も起きない。

イノベイターは脳量子波を使って「対話」をするけれども、リボンズのいのままに動くとしたらもう「対話」ですらなくなるよね。
#かなり飛躍した妄想だけど、全人類にトライアル「審判」を下す、というのも「神」ならありうるかなぁ・・・、なんて。


そんな「神」にも等しい存在であるイノベイターが、人間と同等になるのが我慢できない。

それがリボンズの本音なんだろうね。

だからアニューがライルを選んだことが許せなくて、彼女の意識を剥奪してしまった・・・。
#逆にアニューは最期の瞬間はイノベイターでもなく、女性としてライルを選んだというのがかっこいいところなんだよな。

自分より下だと思っているものが、自分の理解を超えることをすることを許さない。

何故なら怖いから。
理解できないから。

だからトランザムやツインドライヴが許せない。
何故なら理解できないから。
自分より下だと思っている人間がそれを託されたから。
それが理解できなくて、認めたくなくて、怖いから。

これがリボンズの本質のような気がするなぁ。


でも、そんな自由意志すら剥奪するリボンズの支配を打ち消したのは、他でもないそのトランザムであり、ツインドライヴが描く無限大=∞の輪の光だったわけで、そこが実は一番かっこよく、ダブルオーこそが最後の切り札たるゆえんなんだ、というのは今回はっきりと認識できたような気がするなぁ。

刹那はアニューの場所を特定できたように、徐々にイノベイター化?が進んできて、新たな段階に入っているのかもしれない。

そんな刹那とダブルオーが、そしてその刹那が想いを向けるマリナ姫あたりがやはりこの物語的にも最後の切り札になるんじゃないのか、と思うんだけどね。


あと、アニューとライルは分かり合えていたけれども、それでも自由意志を剥奪されて結果的に結ばれなかった。
#逆に結果的には結ばれたのかもしれないけれども、good endを迎えることは出来なかった。

じゃあ、ルイスと沙慈はいったいどうなるのよ?

というのが視聴者的にも、物語的にも気になるところで、そこがクライマックスを迎えるに相応しいシーンになってくるんじゃないか、と思うわけです。

セルゲイとアンドレイは、「対話」を避けてしまったところに物語の分岐点があって、結果その溝を埋めることができずbad endとなってしまった。

アニューとライルは、「対話」も成立して分かり合えていたけれども、good endを迎えることができなかった。
#アニューが生来のイノベイターで、ヴェーダとのリンクも関係したかもしれないけれども、そこを断ち切ることができなかったということはあるかもしれない。
#でもヒントはあって、ダブルオーの光がリボンズの支配を打ち消した、というのはクライマックスへ向けて、もっと大きな展開でリボンズの支配を打ち消すシーンがあるかもしれず、そこがあるとするなら相当しびれる展開になりそう。

こうしたIFというか、分岐点を考えるに、まだいくつかのIFがあるかもしれないけれども、そうしてルイスと沙慈の小さいな物語のクライマックスへ突入していくんじゃないかと思うんですよね。

もう、この二人が幸せになってくれないと、やってられないよ。・゜・(ノД`)・゜・。


残り話数も少ないけれども、一つずつ個人にスポットが当たっていくというのはかなり盛り上がりそう。

僕は最後までルイスと沙慈、そしてマリナ姫と刹那というダブル主役を軸に、このダブルオーを観て行きたいと思います。

それにしても今回、ほんとに切なかった。・゜・(ノД`)・゜・。


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機動戦士ガンダムOO(ダブルオー) 2ndシーズン 第19話 「イノベイターの影」 感想

2009-02-19 01:11:27 | ガンダム00(ダブルオー)2ndシーズン
ダブルオーが描き出した「対話」の空間における沙慈とルイスの「対話」のシーンは、このダブルオーにおけるどんな戦闘シーンよりも見ごたえがあったんじゃないかと思った第19話「イノベイターの影」。

凄く面白かった、というか凄く良かった。
超・ありきたりの言葉ですが、これは本当に面白い。
僕の中でガンダムダブルオーは傑作化が確定した気がします。

すれ違いや不幸な偶然を乗り越えて、沙慈が叫び続けた声はダブルオーのGN粒子の輪=∞=00(ダブルオー)の輪を通じてルイスの心に届いた。
これだけでもかなりぐっと来ていたんですが、本番はここからというか、ここからがこの回の、このダブルオーのテーマの真骨頂だったわけですよね。

あの頃には戻れない、それでもルイス自体が変わってしまったのか?そうじゃないだろう?
沙慈がルイスを思う気持ち、それを伝えることで、ルイスの心に声が届く。

最後は時間切れになってしまったけれども、それでもこれだけの時間をかけて二人の「対話」を描いて、またそれはどんな戦闘シーンよりも見ごたえがあったように感じました。

叫び続けることしかできない、語りかけることしかできない。
それはまさに沙慈=些事=瑣末なことなのかもしれないけれども、それが結局は人を動かしていく。
その思いが交差するクロスロード。
沙慈・クロスロードとは良く言ったものだと思います。

沙慈の純粋な思いは、この戦いの中で刹那を始めソレスタル・ビーイングのメンバーにも(ソーマにも)何かしら伝わったんじゃないかな、と思います。
叫び続けることしかできないと言った沙慈が皆を変えていくかもしれない、そういう予感を十分にさせて気がします。

そしてそれがリボンズ曰く「変革を始めた」刹那にも影響しあっていく。

それってあまりにもかっこよくないか?と思ってしまいましたよ。

ダブルオーとツインドライヴ、そしてオーライザー。

ダブルオーライザーに刹那と沙慈が乗る意味。
これが作品の持つテーマ的にしびれてしまうところ。

刹那=その名の通り一瞬を生きるかのように自分を省みないかのように戦場で生きてきた少年と、沙慈=些事=瑣末なことではあるけれどもそれが日常の象徴で、それが平和の象徴だった少年。

本来交わることのない二人が、東京で壁一枚を隔ててわずかな時間を共有し、決して交わらないと思っていた二人が今、ダブルオーライザーで背中越しに座っている。

決して交わることのないと思っていた二人の考え方、思い。

生まれも育ちも全然違う二人が、今同じものを見て、同じ方向へ進もうとしている。

これを1stシーズンからやってきたわけだから、今回、刹那が変わろうとしていたり、沙慈が最後に自分もルイスを取り戻すために戦うと宣言したりした今回、何かこれまで積み重ねてきたものがじわーとにじむようにぐっとしびれてしまいました。

ダブル主人公。

あまりに離れたところから始まった関係が、ここで交わる。

いやー、しびれました。

刹那も何となく沙慈に賭けてるところがあるのかな、なんて。

ルイスを取り戻す、という沙慈の思いを成就させることに自分の何かを重ねて、それを成し遂げることがガンダムを持つ意味だ、くらいの感じで。

刹那と沙慈はクライマックスまでにもう一段二段くらい関係性を発展させそうな気がするなぁ。

これも楽しみ。
#刹那も脳量子波が使えるようになってきているみたいだし。
#これが細胞障害に拮抗しているのか?


後はやっぱりアニュー。

リヴァイブが捕虜になったのは、あの表情からして彼らの計算通りだったのかもしれないですね。
ダブルオーを欲しがるリボンズの一手は、ダブルオーを鹵獲するんじゃなく、トロイの木馬のように中に仕掛けてあった装置=アニューを動かすところにあったのかもね。
#直接コントロール(もしくは封印解除?)できる距離までリヴァイブを送った、とかね。

次の「アニュー・リターン」というタイトルも上手くて、リターナーだから、どこからか戻ってきた、という意味かと思っていたのですが、もっと直訳的に戻る人、というニュアンスになると思うけど、イノベイターとして戻るのか、それともソレスタルビーイングとして戻るのか、はたまたただのアニューとして戻るのか、ライルを介して、来週の見所は間違いなくここだよね。

ここにももうひとつの「対話」が見れるんじゃないかと密かに期待。
ありのままのアニューを受け入れようとしているライル。
でもそのアニューは(多分リヴァイブとの相関性にもいち早く気がついて)イノベイターじゃないかと思っていたりもするんだけれども、それでもありのままを受け入れる姿勢を貫くんじゃないかと期待しちゃうなぁ。
#それによって悲劇になるかどうか、というのもポイントなんだけど。

ライルがニールのIFとして登場しているならば、復讐のために死んでいった兄を、優秀だと言われ比較され続けてきた兄をいろんな意味で超えていけるか、というのも一つのポイントで、そこにアニューの存在が介在してくる、「対話」を絡めてくる、となるとこれまたしびれそう。


そして王留美。

ネーナ大爆発、みたいな感じだったけれども、紅龍が「留美!」と呼んだのもポイント高いよね。
兄と妹なんだけれども、これまでは執事のように振舞っていたわけで、咄嗟の危機には執事魂も忘れて本名を呼んでしまうあたり、やっぱり兄なんだろうね。
でもちょっといびつな兄妹関係。
きっと王家の事情によるものなんだろうけれども、来週あたりその辺も明らかになるんだろうか。

僕は個人的には王留美は兄紅龍のことが好きなんじゃないか、とか、王家のしきたりとかしがらみとかで本来兄である紅龍が継ぐべき家を継いでいないことや、その他もろもろ含めて、今の世界なんか壊れてしまえば良いのに、とか思ってると面白いのにな、くらいに思ってるんですけどね。

王留美と紅龍の「対話」なんかもあるんだろうか。
これも密かに期待してるんだけどな。


リジェネもなんかピンチっぽいし。

リジェネがあんなにリボンズを恐れるのは、トライアルシステムみたいにリボンズはヴェーダを介して他のイノベイターの自由を奪えたりするんだろうか・・・。

ダブルオーを欲しがるリボンズは非情に人間臭いというか、不満で不安なんだろうな。
自分に理解できないものがあって、想像を超えることが起きてしまっていて、上位種であるはずなのに、彼らからしたら下位種の人類がダブルオーを使ってしまっている。
それが理解のできない不安とか、自身の存在理由への否定につながるような気がしているんだろうなぁ。

物事を広い視野で考えている、と言っているけれども、その実、凄く人間っぽくて、その辺がヴェーダというコンピュータとイノベイターというヒューマンインタフェースの違い、なのかもしれないなぁ。

なんにせよ、だんだん分かってきたのは、イノベイターがイノベーションという言葉を誤用していることと、それに重ねるように「対話」の使い方も誤用している感じがすることかな。

今回沙慈とルイスが果たしたのが「対話」の走りであり、たぶんイノベイターが言う「対話」とは、これとは別のことなんだろうな。
この決定的な違いを描く、というのがクライマックスの面白さのひとつじゃないか、と個人的に思っています。


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機動戦士ガンダムOO(ダブルオー) 2ndシーズン 第18話 「交錯する思い」 感想

2009-02-10 02:21:28 | ガンダム00(ダブルオー)2ndシーズン
ガンダムダブルオーは(特に2ndシーズンは)戦闘シーンが少ないほうが実は物語的にはかなり面白いんじゃないか、というのを本気で思ってしまったくらい、今回は登場人物たちの気持ちがまさしく「交錯する思い」だった第18話。

いやー、まじで僕の中でどんどんガンダムダブルオーは傑作化している気がします。
めちゃめちゃ面白いです。


特に今回は本作の重要テーマであるところの「対話」について、ある意味の答えが提示されたという感じがしました。
イノベイターの、いや、リボンズの言うところの「対話」というのが依然明確にならないので、それが果たしてどんな意味を持つのか分かりませんが、逆に本来的な「対話」の重要性が高まったというのがここ最近のお話の中で浮かび上がったんじゃないかなぁ。

僕はこの物語自体は、裏主人公として沙慈とルイスの物語になっていて、平和で幸せなカップルだった二人が、戦争に否応なく巻き込まれて離れ離れになり、そして意図せず銃を向け合う間柄になってしまった、そんなすれ違っていく二人が、再び寄り添っていくことに希望を託したというか、視聴者的にもそこに否応なく関心が集まる、そうであってほしいと願う物語になってきていると思うんですよね。

そのためには超えなくちゃいけない壁がたくさんあって、しかもそれは戦争の真っ只中で、愛が憎しみに変わっちゃって、という非情な状況の中で、それでも沙慈はルイスに対して何ができるのだろうと苦悩しながらも、彼女に叫び続けるしかない、という答えを導いていく=それが沙慈の戦いになっていて、どんなに辛い状況でも、困難でも、気持ちを伝えなければ伝わらないんだよ、というそういうテーマを堂々と体現しているんだと。

日経ビジネスオンラインの水島監督のインタビューでも、「人と人のつながり」が監督のテーマであって、面倒を避けて人を知ることは出来ない的なコメントがあって、やはりそれはガンダムダブルオーの中でもまさにこれから描かれようとしているところなんじゃないかと思うんですよね。

沙慈とルイス。

この二人の物語がやはりこのダブルオーでの真のクライマックスだと思うな。

そう思うと、前回、セルゲイ大佐が散っていくというのも非情に大きな意味があって、前回の感想で書いたけれども、心を閉ざした息子のアンドレイにどう接して良いか分からず、心を開くための努力を怠っていたと本人が(アンドレイと、そしておそらくホリーに)懺悔するのですが、これはやはり対話を諦めてしまった結果が招いた、沙慈とルイスのIFの関係になっているかもしれず、そういったところを示唆したんじゃないかと思えるんですよ。

だから今回、沙慈がルイスに対して叫び続けることしかできないけれども、自分の意思で、自分の本心で、自分のためにオーライザーに搭乗していく、というところにぐっと来てしまうんですよね。

きっとマリーとアレルヤについても、もう一度本当の対話や、相手を理解したいと思うイベントが来るはず。
大佐の死は無駄じゃない、たぶん、きっと。

そのほか、ものすごく語りたいこともたくさんあるんだけれども(ライルとアニューとか、マネキンさんとか)、あとひとつだけ。


ラッセさんは1stシーズンラストで瀕死の重傷をやっぱり負ってて、きっとそれが擬似GNドライブによるもので、それが彼の寿命を縮めている(そういう意味ではブシドーの人もそうなのかも)だけれども、刹那の場合は何か違う要因が働いていて進行速度が遅いらしい。

これってやっぱりツインドライヴによるGN粒子の∞の輪による影響なんだろうか。

残り話数も少なくなってきたけれども、ダブルオー自身が最終兵器というか、最後の希望のような形になってきたという雰囲気が非情にかっこいいかも。

イノベイターであるリボンズも、自身が理解できていないことに対する畏怖や、上位種である自分が人間に劣るかもしれないという恐怖、そうしたものを抱えているかもしれず、それこそが上位に立ちたいと思う根源、見下ろす構図になる根源なんじゃないか、とも思うわけで、実は非情に人間臭いと思うんですよね。

こういった構図を全部キャンセルするのが「対話」であって、今回は登場人物たちが様々な問題を抱えながらも、心情を吐露しつつ、徐々にお互いをさらけ出すモードに入ってきたような気がします。
つまりイノベイターが目指す「対話」とは異なる、本当の、単純な、理解しあうための「対話」みたいな。

これがダブルオーのツインドライヴが描く∞の輪の中で、気持ちをダイレクトに伝えていくことが出来たなら、それこそ破壊兵器としてのダブルオーではなく、創り出すことができるツールとしてのダブルオー=∞の可能性、というかっこよさにつながって欲しい、なんて個人的期待度満載にしながら思ってしまうところ。

うはー、ダブルオーマジで面白いっす。

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機動戦士ガンダムOO(ダブルオー) 2ndシーズン 第17話 「散りゆく光の中で」 感想

2009-02-03 00:33:18 | ガンダム00(ダブルオー)2ndシーズン
誰もそんなことは望んでいないと、大災害を回避しようという想いが結集する感動も覚めやらぬうちに、ダブルオーという作品における最後の良心のようなスミルノフ大佐の退場という衝撃的な第17話「散りゆく光の中で」。

軌道エレベーターの崩壊という惨劇の中で、それを少しでも回避しようと、ソレスタルビーイング、カタロン、クーデター組、正規軍、そしてアロウズまでもが一つの目的に向かって結集していくシーンはやはりぐっと来ました。

命を救うんだ、そのために自分たちは軍人になったんだ、今は敵とか味方とか関係なく、自分たちの下にいる守るべき命の盾になる、そういう軍人の矜持がこの一致団結を生み出したかと思うと泣ける。

反目し合っていても、共通の目的とその矜持に照らし合わせればおのずと肩を並べられる、という可能性の一つを見た感じ。

しかしながら、そんな感動も覚めやらぬうちに、訪れる悲劇。

スミルノフ大佐。・゜・(ノД`)・゜・。


スミルノフ大佐がキム指令から密使として派遣された裏には、おそらくこのドサクサにまぎれて、アロウズ創設に反対していたであろうスミルノフ大佐を葬ってしまう、という筋書きがアロウズ内にあったと思われるけれども、それでも、そのとどめを刺したのが、息子のアンドレイだったというのは、悲劇というか運命の悪戯としか言いようのない出来事。

運命が巡ったのか、それとも心を閉ざしてしまった息子とのコミュニケーションを自分からも諦めてしまったツケが周ってきてしまったのか、それは結局巡った因果だったのかもしれない。

ソーマ・ピーリスに対するセルゲイさんの態度というのは、戦うことしか知らない、頑なに自分の心を戦闘にだけ、自分が生まれてきた証明をしようとするソーマに、自分の息子が心を閉ざしてしまったこと、そしてその息子に対してコミュニケーションを取れなくなってしまったことへの贖罪だったのかもしれないなぁ・・・。

いやー切ない。・゜・(ノД`)・゜・。

「ホリー、すまない」

という一言は、アンドレイを頼むね、と言われたのに、自分の気持ちの整理やホリーを喪失したことへの傷心もあいまって、心を閉ざした息子を結果的に放置するような形になってしまったこと、息子と最期まで意思疎通できなかったことに対する懺悔なんだろうなぁ・・・。

切ない。・゜・(ノД`)・゜・。

セルゲイさんはソーマ・ピーリスを通じて贖罪を果たしてきたけれども、アンドレイにはルイスを通じて、いつか父親が見たものを見てくれると良いなぁ。

今のアンドレイは、ホリーを見捨てざるを得なかったセルゲイの決断と同じで、恒久的な平和を望むためにはアロウズが必要である、と思っていて、自分は命を見捨てない、と言っているけれども、セルゲイだって命を見捨てたわけではなく、軌道エレベーター建造に携わる人たちの命を救っていたわけで、それが理解できるときが来ると本当に良いな、と。

セルゲイさんのご冥福をお祈りいたします。・゜・(ノД`)・゜・。



後は、ようやく本心を明かしたリボンズ。

やはり彼はイノベイターという集団すら信じておらず、創造主=神=リボンズ・アルマークである、と断言しました。

ドラッカー的に言えば、イノベーションとは一部の天才の所業にあらず、革新を導くことができる組織であり、体系化されたものであるべきで、逆に一部の人が革新的な行いをしようとするのはイノベーションという言葉の誤用なんじゃないのか、とも取れるわけで、やっぱり作中ではこのリボンズの考え方は否定されるべきものなんだろうな、と。

イオリアがどういう判断をしたのか分からないけれども、やはりソレスタルビーイング創設にあたり、イノベイターが廃棄されたという事実だけを考えると、やはり一部の人間だけが変えていくのではなく、人間が、より多くの人間が紛争根絶という方向性に向かって進んで欲しい、そうするためにはどうすべきなのかを考えないといけない、というのが本筋だと理解したんじゃないかなぁ。

トランザム、ツインドライヴというイオリアからの贈り物は、単に戦局を乗り越えるためのツールという意味だけではなく、(今回できなかったセルゲイ→アンドレイ間の意思疎通を例にしても)人間の意志疎通の重要性、面倒であっても時間をかけて意思疎通をしていかないといけない、伝えたいことがある相手にはダイレクトに想いをぶつけていく、つまりそれが「対話」なんだよ、というような願いが託されていたんじゃないかなぁ、なんて。

それはイノベイターとかソレスタルビーイングとかいうカテゴリじゃなくて、一般の普通の人レベルで重要なんだ、みたいな。

実は今回のセルゲイとアンドレイのエピソードというのはその「対話」の重要性の話でもあるんじゃないか、という気がしますね。
#アンドレイのIFとしてソーマ・ピーリスとの「対話」があったのかもしれない。

次回は4ヵ月後。
残り話数で本当に終わるのか、つか、終わって欲しくないかも、と思いつつ次回を待ちたいと思います。

切ねー。・゜・(ノД`)・゜・。

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機動戦士ガンダム00 セカンドシーズン 1


機動戦士ガンダムOO(ダブルオー) 2ndシーズン 第16話 「悲劇への序章」 感想

2009-01-26 01:03:12 | ガンダム00(ダブルオー)2ndシーズン
軌道エレベーターを破壊することがあるとすれば、それはアロウズ主導(イノベイターの目論見)で成されるんじゃないかと思いながら観ていた第16話「悲劇への序章」。
まさかメメントモリがもう1基あったとは。
#たしかにグッドマンがカタギリさんに準備ができたので宇宙(うえ)にあがると言っていたけど、そのことだったんだね・・・。

先週からの流れだと、僕はオートマトンを使って内部からの大虐殺も有り得るかな、と思っていたのですが、その斜め上を行く展開に。
あれは6万人の人質=目撃者もろとも消滅させてしまって、無かったことにする&統一政府にあだなすものを一掃する作戦、ということになりますよね。

軍隊は抑止力、という言葉とは対極にあるメメントモリ=大量破壊兵器の使用。
もう戦争にルールもへったくれも無い状況なのか・・・。

これを撃たせるかどうか、というのが次回の最大のポイントになるのか?

いずれにしてもセルゲイさん、かなり死地に赴いている感じです。危ないです。
#多分アロウズに楯突く古参の存在として危険因子排除という感じで売られたんだろうな・・・。

そういう意味で今回、一番印象に残ったのがアンドレイで、今の彼と母親であるホリーを失ったときのセルゲイさんは考え方、立場が実は非常に近かったんじゃないか、つまり、アンドレイは父親と同じ轍を踏む可能性がある、というところでした。

世界の平和を望むなら生半可な覚悟ではできない、そのためにアロウズの力が必要である、というアンドレイの考え方。
それは何となく、ホリーを失うときのセルゲイの信念に近いのかもしれない、とも思ったんですよね。

父親のようにはなりたくない、と断言して軍人を志した息子。
しかし、現在の彼の信念は、同じようになりたくないと誓った父親の当時の姿と同じだった・・・、という展開はドラマとしては面白いと思うんですよね。

ホリーを失ったことがきっかけでセルゲイさんは自分の行いや信念を悔いることになり、現在では頑なにアロウズに入隊することを拒否している、というバックグラウンドだと面白いな。

似た者親子のすれ違い。
愛憎劇。

いずれにせよ、セルゲイさん、死地の際にいることには変わりありません。

セルゲイさん→ソーマ
アンドレイ→ルイス

と、戦いに身を投じることに疑念を挟まない(環境にいる)少女たちを救う立場にいるかもしれないスミルノフ家の男たち。

ダブルオーライザーのツインドライヴ&トランザムによって発生する無限大の輪が描く現象が指向性(思考性?)を持つのなら、現在は宇宙と地上とで離れている親子に、セルゲイの気持ちがアンドレイに届くと良いな、と思います。
#何その死亡フラグ!?
#でもね、作中の大人の役割って非常に大事だと思うのよ。
#現状では変化を諦めているようにも取れるセルゲイさんだけれども、若者を導くのはやはり大人の仕事の一つだと思うので、アンドレイを導いてやって欲しいと思うんだよね。

後はミスターブシドーの人。

この人もやっぱり仮面が外れるかどうか、というのもひとつポイントなのかもしれないな、と。
この人がミスターブシドーになる前、だけれどもその兆候を見せたのは、僕は彼がGNドライブ搭載型のフラッグを選んだときだと思うんですよね。
あのときに歪んじゃった。力に魅せられちゃった。
戦いの中にしか身の置き所がない。
現時点では刹那の反面教師、という形に。
#ガンダムという純粋な力の前に影響を受けてしまった、という点では刹那に似ているかも・・・。

カティさん含め、ミスターブシドーの人とか1stシーズンキャラが動いていくのはまだもう少し先なのかもしれないなぁ。
そのときはミスターブシドーの人は是非仮面をはずして登場して頂きたい。
#あの仮面は傷を隠す&プライドの問題というところと、ガンダムへの固執の表れ=象徴じゃないかと思っているので。

そういう中での刹那の言葉。
戦うことしかできない、と思っていたけれども、今の自分はそれだけではないと思っている、という言葉。
これはマリナ姫の歌が届いてからの心境の変化ですよね。
歌をもう一度聞かせてくれ、というのは今までの刹那には無かった表現ですから。

今回ハーキュリーさんが「民衆が変わらなければならない」と言って決起したのとは真逆的に、刹那が自ら変わらないといけないだ、とうわごとのように呟いた対比というのは非常に興味深かったです。


今回のクーデターではアロウズのヴェーダによる情報統制もあって、完全にコントロールされてしまっているけれども、これを表現したということは、逆にダブルオーライザーへの期待が高まるというか、それしかないような気がしてきました。

人の気持ちを伝えていく。
マリナ姫が歌に想いを込めて皆に伝えようとしたように。

情報統制されている中で、唯一、その影響を受けない手段があるとすれば・・・、

それはダブルオーライザーが描き出すツインドライヴとトランザムによる無限大=∞(ダブルオー)の輪によって導かれるGN粒子の海が、全人類へ平和とそれこそ革新(イノベーション)をもたらす鍵になるのではないか、という感じです。
#それこそ、人類の革新をもたらすのはイノベイター(リボンズたち)ではない!!真のイノベイターとは、というドラッカー的展開になるんじゃないかなぁ。

人と人の気持ちがダイレクトにつながっていく、そういうのが本当の「対話」なんじゃないかな、この作品を通じての主メッセージの一つなんじゃないかな、と思ったり。


また、そういうイノベイターたちも、実は結構人間っぽいところが多々ある気がしますね。
今回のディバインにしても、前回はあんなこと言ってましたが、内心ではブリングのことを気にかけていたり、他のメンバーだって嫉妬とかなんとかしてたりして、実は非常に人間くさい一面を持ってるんですよね。
同じイノベイターでもリボンズの考えは他のメンバーも共有していないみたいだし。

こういう表現を所々入れてくるところもヒントになるかもしれないですね。


さて次週、軌道エレベーターを巡る戦いはどうなるのか?
見ごたえありそうです。

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