5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

御巣鷹から35年

2020-08-12 21:52:16 |  ニュース

12日の愛知県内のコロナ発生確認数は86人で昨日今日と2日連続の100人切れだ。名古屋市で39人、豊橋市で3人、豊田市で6人、岡崎市で5人、他の市町村で33人(我が町での発生は無し)、これで県内感染者数は延べ3396人。日進市の80代男性感染者が死去し、県内の死亡感染者は38人となった。

「35年前の1985年8月12日。日航機123便が群馬県御巣鷹山に墜落、520人が亡くなった。生存者は4人。私は大学生の夏休み、オーストラリアで翌日くらいに知りました。当時はニュースをオンタイムでは知り得ない状況でした。黙祷」これはお仲間SKさんの今日のツイートだ。

日航機の大事故から35年も経ったわけだ。あの日はお盆休みを前にした月曜日。東京-大阪便が満席になる帰省のタイミングだった。今日のように暑い夕方だった記憶があるのだが、地方気象台の記録では、名古屋の最高気温が30.2度、曇りから夜の雨になったとある。

日航機が行方不明になったという第一報を発するテレビを見て、体感温度が急上昇したからだろう。西日の強い自室で小型TVを見続けていた。ショックで身体が震えた。

すでにジャンボ機には幾度も乗っていたが「圧力隔壁の損傷」などという専門用語を覚えたのもこの大事故のおかげだった。横山秀夫が新聞記者時代に遭遇した未曽有の航空機事故を素材に小説化した「クライマーズハイ」も幾度も読み返した。

35回忌を迎えて遺族たちは今年も山に登って慰霊をしたという新聞記事だ。ここでもコロナの所為で、入山制限をしマスクを着けての登山、去年の台風がのこした崩落現場を避けての登山だったとある。

終戦から75年、御巣鷹から35年。戦争の記憶も飛行機事故の記憶も少しづつ薄くなって、やがて記録でしか読み返せなくなる日が来るのだろうが、それまでは、故人に近しい人々が、古い記憶を毎年こうして紡ぎかえしながら生きていくのだろう。

安定した名機といわれた「ボーイング747」もそろそろ完全リタイアの時期に来ている。先日は英国航空とカンタス航空がすべての廃機を発表したばかりだ。個人的には唯一度だけ、747のファーストクラスにそっくり返って乗っていったアメリカの旅のことが思い起こせる。その間「メイディ、メイディ」の悲劇には逢うこともなく、今も生きながらえている。

 


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