5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

敵もさるもの

2020-10-14 21:46:12 |  ニュース

愛知県発表のコロナ感染、14日は15人が確認されている。名古屋市7人、半田市3人、知多市2人、岡崎、小牧、江南市各1人。このうちの5人は、これまでに感染が確認された会社の同僚だという。社内クラスターである。身内ともなれば予防対策にいささか油断があったのかもしれない。

我が町と隣町では、十日から十三日にかけて、猿の目撃情報が相次いでいるというニュースには関心を寄せざるを得ない。我が町では十日の午前八時と正午前、翌十一日も午前7時過ぎ、十二日の午後八時前と、都合4回の目撃情報が寄せられているという。四か所はそれぞれに相当離れた地区だ。複数の猿が別々に活動をしているのか、それとも一匹が転々と動き回っているのか、そもどこから来た猿なのか。野性か飼われているのか。疑問はいろいろと浮かんでくる。なにせ、犬猫以外の動物の出現などほとんどなかった土地柄だ。獣であることには違いないのだから、人間が攻撃されるということも無きにしも非ずだ。なんとも、おかしな世の中になってきた。

ウイキによると、猿は秋から冬にかけて繁殖期を迎えるとあるから、採食や相手探しに忙しくなる頃なのだろうか。食糧は主に果実だが、種子や茸、昆虫なども好物らしい。農園には林檎や柿や梨などの甘くて旨い果実がたわわに実っているはずだし、種子や茸も見つかる。広葉樹林の樹上で暮らす生活なのだから、農園の果樹を渡って果実を狙うことなぞ朝飯前というわけか。地上を駆ける速度も相当なもの、里家の屋根を飛び、梁下に一瞬で隠れる迅速な動作はどこか「隠密」のイメージもある。猿の句ではないが、大岡信の「第三折々のうた」で与謝蕪村のこの句をみつけた。

「甲賀衆のしのびの賭や夜半の秋」

この句は「蕪村句集」に所収されている。蕪村は江戸中期の俳人で画家だ。

甲賀者ともいう「甲賀衆」とは江戸幕府に同心として仕えた滋賀県甲賀の郷士のこと。伊賀者と同様に忍術をつかう忍者集団である。「夜半の秋」は「秋の夜」に同じだ。

秋の夜長のつれづれに忍者たちが密かに賭けごとをしている。「しのび」は「ひそかに」の意に忍者(しのび)の影像をも掛けあわせているのだろう。もちろん想像の情景だが、蕪村にはこの種の印象鮮やかな空想伝奇趣味の句があるからたのしいと、大岡は評している。

「おくのほそ道」の旅が隠密の目的ではなかったのかなどといわれる芭蕉とは違って、蕪村には甲賀衆との実際のつきあいはなかったのだろうから、大岡のいうように、この句も蕪村の空想のたまものということになる。

甲賀忍者の格好をしているのが人間ではなく猿たちの軍団だったら面白かろう。空想を膨らましてみる。鳥羽僧正の鳥獣戯画、北斎や若冲の浮世絵がイメージできそうだ。

黒衣をまとった猿の忍者たち。さてどうやって奴らの忍法に対抗すべきか。

 


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