① まだ木々は冬枯れの4月30日。 石狩川沿いのサイクリングロードから急斜面の七曲がり細道をアイヌチャシコッへ歩きで登った。
嵐山と近文山の間の、石狩川へ面した山岬地形の小山である。
② 登り切った崖上(突端)に狭い広場、「たて穴跡」とあり、チャシの跡だ。 その昔、十勝アイヌの攻略をここで防いだとか・・?
③ 三方が急峻斜面、眼下に石狩川。 対岸岡上に、今は東海大旭川校。 この時期だったから見晴らしが利く。
④ 石狩川下流。 今は神居と江丹別を結ぶ江神(こうじん)橋が架かっている。 ここは何という砦向きの地形であることか!
⑤ 谷を挟んで東側には、今の名前で嵐山が見え、同じく谷を挟んで西側には近文山がこのように見える。 次記事は近文山だ。
大地の先住民の砦 勉強になります。
虎は 小勝利でした。
地の利を得た砦ですね。
1ヶ月前なのにまだ木々は芽吹いてない
のですね。近文山楽しみに待ってま~す。
大きな砦ですね。アイヌ語の勉強とかする人も多いのでしょうか。
何時も何時も 自然のすごさに圧倒されております。
虎、勝利、
ハムは大敗でした~。
見通しの利く内に、と思って行って見ました。
その当時は、私が登った道もなかったことでしょうし・・。
両側の谷川にはきれいな水もあって・・。
ここでコタンコロカムイ(村の守護神=シマフクロウ)を飼っていたそうです。
よく眺望の利くところでした・・。
解説板に「・・・という伝説もある」とありました。
ここはチャシ(砦)だったということですが、市内の石狩川もっと下流の神居古譚の山にはサマイクル城址があるということです。
アイヌ人はは話し言葉はあるが文字がなく、文献が残っていないのですね。
口承という形でいろいろなことが伝承されてきているんですね。
アイヌ語講座などがあって学習している方も多いようです。
野生動物からしたら、
「野山が無くなって困ったものだ・・・」
というところでしょうが・・。(笑)
八戸でもそうです。
三方が見渡せる丘に砦跡の遺跡が有って、そこに道が出来る事に成り、発掘調査が行なわれ。。
遺跡が有る事を知りながら何故にそこに道を作るか!
発掘調査が済んでからそこ事を知り、道が完成して文献だけが残って。。。
悲しい事です。
失われた遺跡はもう無い。
資料に寄ると戦いが有ったらしく、後手に縛られた遺骨が出たとか。
かなり体格がよく身長が2メートル位だったと。。。
昔の人でそんなに大きな人が!
側には朝廷から送られたらしい煌びやかな装飾の太刀が発見され。。
位の高い人物と思われ・・・でも、全て近代的な道の下に成ってしまい。
何処の誰でどういう理由で砦が有って、何故に殺されなくてはならなかったのか・等も解明されて無い。
三内丸山もそういう運命に有ったのですが当時の知事に一声で保存が決まり今では有名な観光地となってます。
保存が大事か便利が大事か!
考えさせられます。
そしてそんなたいへんな遺物が出てきたのにおし進めちゃったのですか~!
その事実が尾を引かなきゃいいですが・・・。