森林ジャーナリストの裏ブログ

表ブログに書けない、書く必要もないドーデモ話をつらつらと。

木材は情報素材

2006-03-09 15:20:08 | 森林資源

また吉野に行った時の話。

すでに触れたように、木材にICタグを付けてトレーサビリティを確立しようという実験に対して、森林組合の人が冗談まじり(でも、本音?)で口にしたのは、「産地を追求されたら困る人もいるけどな」。

そうである。吉野材というのはブランド化しているから、産地よりも品質(年輪の感覚や節の数など)が優秀な木材を意味している面がある。だから仕入れ先も、吉野に限らず全国各地からという場合も少なくない。私も地方で、「このよい木は吉野に送ります」と言われたことがある。これは厳密には産地詐称なのだが、木材の品質に重きをおけば、それでもよいことになる。そして吉野産でも品質が劣るものは、吉野を冠しない。

しかし、今の消費者が求めるのはイメージだ。たとえば吉野の木を使っているというステータス。どこの山の木か、誰の山の木か。それに「環境に優しく育てた」というお墨付きとか、木材は人の健康にもよいというイメージがほしい。品質で求めるのは、年輪幅よりも強度など実利的な面のみである。

木材が使われる場所の多くは、代替品がある。木でなくてもよい。
それでも木を使いたい、吉野材でつくりたい、と思うのは、実は多分に感情的な情報を買っていることになる。

その場合、産地はたとえば「吉野」でなくては困るのである。同じ品質だと言われても、吉野産でない木材では価値が半減する。だからトレーサビリティが要求される。
極端なことを言えば、悪い情報(たとえば森林破壊をして取得した木材など)を持った木材は、どんなに品質がよくても価格が安くても買い控える。

木材は情報素材となったのである。