何事にも言えることだが、物事には5年から10年かけてゆっくりと変わっていく大きな流れがある。
それは高校サッカー界にとっても同じこと。
高校サッカー界の最近の20年間は、大きく激しく流れが変わった20年間だった。
元々、日本のサッカー界はJリーグが出来るまではマイナースポーツ。
Jリーグの発足、ドーハの悲劇、マイアミの奇跡、ジョホールバルの歓喜、ワールドカップ初出場、日韓ワールドカップの開催と、およそ10年間で日本サッカーは野球と肩を並べる人気スポーツに恐ろしいまでの勢いで成長した。
それに伴い高校サッカー界も大きな変化を受けた。
一番大きかったのはクラブユースチームの発足。
それまでの、一番うまい子は全国常連の強豪サッカー部に進学するという流れがガラッと変わり、一番うまい子がJクラブユースチームに進むようになった。
この20年間の流れを大きくまとめると以下のようになる。
●Jクラブユース創成期(1993年~1997年)
Jクラブユースは存在したが、本当に強いチームはG大阪Y、清水Y、東京VYなどわずかに数えるほど。
強豪校に良い選手が集まる状況に大きな変化はなく、その一部良い選手が数少ない強いJクラブユースに進路を取るようになった。
●Jクラブユース隆盛期(1998年~2004年)
高校の強豪校に有望選手が入る流れは終わり、良い選手は皆クラブユースに流れ、ユースに上がれずにこぼれた選手が高校サッカーに進むという流れが出来上がる。84年生まれの世代(今野、矢野など)あたりを境に、それ以降はクラブユース世代になったという印象が強い。
●Jクラブユース全盛期 高校サッカー界はおこぼれが散乱して戦国時代(2005年~2013年)
全国のJクラブがユースチームの育成に力を入れ、中学時代に最もうまい選手は皆当然のように高校サッカーではなくユースチームに進むようになる。いわゆる調子乗り世代(柏木、槙野など)からその流れになったという印象が強い。
高校サッカーは、そのユースチームに上がれなかったおこぼれを集めてチームを作らざるをえなくなる。
それまでの強豪校は有望選手が集まらなくなり、サッカー界のすそ野が広がり全国レベルが上がったことで、全国でレベルの均衡化が進み、高校サッカー界は戦国時代へ突入する。
●戦国時代の終焉(2014年~)
プレミアリーグの発足などにより、それまでは散乱していたクラブユースのおこぼれやあえて高校サッカーで勝負する有望選手が、高いレベルで戦えるチームに選手が集まる傾向が強まる。全国から選手が集まる環境を整えたチームに安定して選手が集まるようになる。東福岡や星稜、市船などが抜け出し戦国時代終焉の流れが出来る。
以上が最近20年間の高校サッカー界の流れ。
要点をまとめると
・サッカーの国内メジャースポーツ化で、全国レベルがり全国に強いチームが増えた。
・クラブユースの出現で高校サッカー界はだいぶ荒らされたけれど、最近ようやく落ち着いてきた。
・有力選手の越境進学は強豪チームでは当たり前。それが出来る体制を戦国時代の内に整えたチームが強豪校として生き残る流れとなった。
つまり何が言いたいのかというと
・静岡県は元々サッカーが盛んだった土地柄ということもあり、県外のサッカー選手に対して排他的な気質があり、それは今も生き残っている。
・県外から選手を集めることに対して違和感がある高校サッカーファンが多い。それは正常な感覚だと思う。
・ただし県内選手だけで全国大会を勝とうと思っても、清水Yと磐田Yにトップレベルの選手が集まる状況で、さらに県内強豪校に分散している現状では、全国レベルの上がった今、県内選手だけで全国大会を勝ち進むのは非常に困難と言わざるを得ない。
最後に一番言いたいこと
静岡県内の中学生は、県内の高校サッカー又はユースチームに進むのが当然という感覚がある。県内に強い高校がたくさんあるのだから当然の感覚かもしれない。
しかし、県内の有力選手が率先して県外の強豪校に進学するような流れを作っていかなければ、今後の静岡県のサッカーのレベルの維持は難しい。
要するに
全国はグローバル化しているのに対して、静岡県はガラパゴス化しているという事。
これが静岡県サッカー界の一番の問題!
後記
今から20年先の潮流を読むことは出来ないが、これまでの潮流を読んで最善の解決策を探ることは出来るはず。
それは高校サッカー界にとっても同じこと。
高校サッカー界の最近の20年間は、大きく激しく流れが変わった20年間だった。
元々、日本のサッカー界はJリーグが出来るまではマイナースポーツ。
Jリーグの発足、ドーハの悲劇、マイアミの奇跡、ジョホールバルの歓喜、ワールドカップ初出場、日韓ワールドカップの開催と、およそ10年間で日本サッカーは野球と肩を並べる人気スポーツに恐ろしいまでの勢いで成長した。
それに伴い高校サッカー界も大きな変化を受けた。
一番大きかったのはクラブユースチームの発足。
それまでの、一番うまい子は全国常連の強豪サッカー部に進学するという流れがガラッと変わり、一番うまい子がJクラブユースチームに進むようになった。
この20年間の流れを大きくまとめると以下のようになる。
●Jクラブユース創成期(1993年~1997年)
Jクラブユースは存在したが、本当に強いチームはG大阪Y、清水Y、東京VYなどわずかに数えるほど。
強豪校に良い選手が集まる状況に大きな変化はなく、その一部良い選手が数少ない強いJクラブユースに進路を取るようになった。
●Jクラブユース隆盛期(1998年~2004年)
高校の強豪校に有望選手が入る流れは終わり、良い選手は皆クラブユースに流れ、ユースに上がれずにこぼれた選手が高校サッカーに進むという流れが出来上がる。84年生まれの世代(今野、矢野など)あたりを境に、それ以降はクラブユース世代になったという印象が強い。
●Jクラブユース全盛期 高校サッカー界はおこぼれが散乱して戦国時代(2005年~2013年)
全国のJクラブがユースチームの育成に力を入れ、中学時代に最もうまい選手は皆当然のように高校サッカーではなくユースチームに進むようになる。いわゆる調子乗り世代(柏木、槙野など)からその流れになったという印象が強い。
高校サッカーは、そのユースチームに上がれなかったおこぼれを集めてチームを作らざるをえなくなる。
それまでの強豪校は有望選手が集まらなくなり、サッカー界のすそ野が広がり全国レベルが上がったことで、全国でレベルの均衡化が進み、高校サッカー界は戦国時代へ突入する。
●戦国時代の終焉(2014年~)
プレミアリーグの発足などにより、それまでは散乱していたクラブユースのおこぼれやあえて高校サッカーで勝負する有望選手が、高いレベルで戦えるチームに選手が集まる傾向が強まる。全国から選手が集まる環境を整えたチームに安定して選手が集まるようになる。東福岡や星稜、市船などが抜け出し戦国時代終焉の流れが出来る。
以上が最近20年間の高校サッカー界の流れ。
要点をまとめると
・サッカーの国内メジャースポーツ化で、全国レベルがり全国に強いチームが増えた。
・クラブユースの出現で高校サッカー界はだいぶ荒らされたけれど、最近ようやく落ち着いてきた。
・有力選手の越境進学は強豪チームでは当たり前。それが出来る体制を戦国時代の内に整えたチームが強豪校として生き残る流れとなった。
つまり何が言いたいのかというと
・静岡県は元々サッカーが盛んだった土地柄ということもあり、県外のサッカー選手に対して排他的な気質があり、それは今も生き残っている。
・県外から選手を集めることに対して違和感がある高校サッカーファンが多い。それは正常な感覚だと思う。
・ただし県内選手だけで全国大会を勝とうと思っても、清水Yと磐田Yにトップレベルの選手が集まる状況で、さらに県内強豪校に分散している現状では、全国レベルの上がった今、県内選手だけで全国大会を勝ち進むのは非常に困難と言わざるを得ない。
最後に一番言いたいこと
静岡県内の中学生は、県内の高校サッカー又はユースチームに進むのが当然という感覚がある。県内に強い高校がたくさんあるのだから当然の感覚かもしれない。
しかし、県内の有力選手が率先して県外の強豪校に進学するような流れを作っていかなければ、今後の静岡県のサッカーのレベルの維持は難しい。
要するに
全国はグローバル化しているのに対して、静岡県はガラパゴス化しているという事。
これが静岡県サッカー界の一番の問題!
後記
今から20年先の潮流を読むことは出来ないが、これまでの潮流を読んで最善の解決策を探ることは出来るはず。