島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

青森旅行1日目その2

2018-09-23 | 
   
 青森県立美術館からは歩いても5分ぐらいの(レンタカーで移動しましたが)特別史跡三内丸山遺跡にも寄りました。
佐賀県の弥生時代の吉野ヶ里遺跡と違って、ここは無料です。
   
 たまたまボランティアガイドの案内人に声をかけたのと、案内時間も丁度良かったので、1時間ぐらい案内してもらい、詳しく説明を聞けて有意義でした。
 青森県にはプロ野球試合が出来るような野球場がなかったので、この場所に作ろうと観客席も少し出来た時点で、この遺跡がすごいことが判って、今に至ってるようです。
   
 ここから出土した大型板状土偶のレプリカですが、薄い板状にもかかわらず、口から肛門と思われる方向に、内部に穴が開いてるのが多いそうです。
 この三内丸山は縄文時代前期中期末(約5500年前~4000年前)の大集落跡で、100棟ぐらいの住居に500人ほどが暮らしていたようです。
    
 一番有名な大型掘立柱建物(オオガタホッタテバシラタテモノ)、これが出土したからここが残されたようです。
でも、見つかったのは6個の穴と土中の栗の木の柱わずかだけです。
それを元に、穴のわずかな傾斜や、底の土の固さ具合から、底にかかった加重を計算して作られた建物です。
見た人の想像力を刺激するように、わざと屋根は作ってないようです。
   
 掘立柱建物と思われる建物群も見つかってます。
地面が踏みつけられて固くなっていないので、竪穴式の建物ではなく、高床式の建物であったろうと考えたわけです。
 どの柱の間も35㎝の倍数できちっと出来ているので、尺と同じような長さの感覚を、縄文人はもう持っていたようです。
     
 大型竪穴建物(オオガタタテアナタテモノ)も、ほんまかいなと思うぐらい立派です。
たてあな式はなんとなく立穴式と書くと思ってましたが、竪穴式と書くんですね。
竪と言う字は縦と同じ意味でした。
しかも私は竪を堅いと思ってましたが、下は土でなく立でした。
本当におバカさんですね!
    
 これで三内丸山見学は終わりますが、ここはコインロッカーも無料で、さすが雪国、長靴の無料貸し出しまでありました。
    
 続いて西の方に車で小一時間、太宰治の父津島源右衛門が建てた「斜陽館」にも寄りました。
私の若いころは、旅館「斜陽館」でしたが、今は地元金木町が買い取って、太宰治記念館として一般公開されています。(斜陽館はてっきり弘前にあると思っていましたが)
   
 太宰治の生家は大金持ちです。
源右衛門の11人の子のうち10番目として生まれた太宰治は、薬中毒やたくさんの女性と浮名を流し、最後は玉川上水で愛人と心中した人ですが、才能があったんですかね、若い女性に人気ありますね。
私はわずか1ヶ月弱の違いで、太宰と同じ空気を吸えずに産まれていたことを知りました。
   
 立派な仏壇や、洋風な部分もある斜陽館、入館料は500円です。
    
 青森県のシンボル岩木山を北の方向から眺めながら、今夜の宿鯵ヶ沢を目指します。
岩木山は北から見ると、かなり尖った山頂を持つ山でした。
 道路沿いには、吹雪除けかいろんな型の折り畳み式柵が建っていましたが、全て道の片側だけです。
冬の吹雪の方向は一定してるんか、まさか他の施設?
 道路沿いの家も直角形が多く、瓦屋根の家はほとんどありませんでした。

   返事
花水木さん:ピンクなら出るものも出ないかもしれませんが、
    白は大丈夫でした
     ナラミチさんと、ついつい読んでしまいますね。
    読みやすい名前の人だけ、
    偉人になってほしいですね。
     沼津は小学校修学旅行日帰りですか!
    新幹線もまだなかったと思いますが、
    行って帰るだけですね。

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