島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

91-2後宇多天皇皇后姈子内親王

2021-06-20 | 天皇陵巡り
 
 第89代後深草天皇(1243~1304)(在位1246~1260)と中宮西園寺公子(サイオンジキミコ)(1232~1304)との間に産まれたのが、第3皇女姈子内親王(レイシナイシンノウ)(1270~1307)です。
  嵯峨清凉寺から大覚寺へ向かう住宅街の中に、1928年皇陵巡拝会が建てた今林陵参拝道の道標を見つけました
 
 父後深草上皇秘蔵の愛娘であった姈子内親王ですが、あろうことか大覚寺統・持明院統と争っていた相手方大覚寺統の後宇多上皇(1267~1324)(在位1274~1287)によって、姈子内親王は盗み出されてしまったそうで、まあ争いには成らなかったので相思相愛の駆け落ちに近かったようです(皇室版ロミオとジュリエット)。
  住宅街の中に、豪邸程度の敷地面積を持つ陵がありました
 
 後宇多と姈子は相思相愛だったですが、子には恵まれていません。
しかし後宇多は姈子以外にもたくさんの妃にたくさんの皇子女をもうけています。
それでも一応、姈子を一番大切にしたようで、姈子内親王が死んだ葬送の日に出家したそうです。
  今林陵から写真の夫後宇多の蓮華峯寺陵まで、歩いて20分ぐらいですが、ここは姈子内親王の分骨所でもあります
 
 子は産んでませんが、義理の息子第94代後二条天皇の准母として、姈子内親王はこのちゃんとした今林陵(イマバヤシノミササギ)(右京区嵯峨大覚寺門前六道町)に祀られています。

 今週は3月に買った新車のリコールに行ったぐらいで、何もせずに暮らしましたが、競馬は何も入らず、阪神は巨人に負け越し、梅雨の気分です。
 人流・人流の抑制と言いながら、オリンピックは無理矢理でもやるようなので、こちらも自粛は止めて、祇園祭も山鉾建てだけでなく巡行やっても、誰も文句は言わないと思いますが。

コメント (1)
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