第90代亀山天皇には20人以上の皇子がいましたが、第2皇子世仁親王(ヨヒト)は後の第91代後宇多天皇(1267~1324)ですのでもちろん宮内庁治定陵がありますし、前回の第4皇子良助親王(リョウジョ)(1268~1318)の写真の冬野墓は、それなりに行った甲斐が有りました。
宮内庁治定墓としては、第11?皇子慈道親王(ジドウ)(1282~1341)は善峯寺の青蓮院宮墓地に有りました(写真)。
亀山天皇皇孫で父は第7皇子恒明親王(ツネアキ)(1303~1351)の尊観法親王の墓は、孫でもあり亡くなった下関市にあるそうなので、治定墓ですがパスしました。
今回の亀山天皇皇子寛尊親王墓(カンソンシンノウ)(?~1382)は、9人の大覚寺門跡を務めた親王墓が並んでる大覚寺宮墓地(右京区北嵯峨名古曽町)の中に有ります。
大覚寺宮墓地は大覚寺裏の住宅地に、住所からわかるように大沢池の名古曽の滝跡の近くですし、ちょっと苦労して登った嵯峨天皇陵の直下でもあります。
ここは寛尊親王以下9人とも知らない名の親王ばかりなので、治定陵ですがこの1回だけで以後の親王はパス予定です。
返事
Toitenlabeeさん:宮内庁にどれくらいの税金が投入されてるのですかね。
まあ緑が守られるので、
整備は続けても良いように思います。
山奥の治定陵墓は、
こんな世でも地元の有志が聡怩オてくれてると思いますが。