洞院(藤原)佶子(トウインキツシ)(1245~1272)は亀山天皇(1249~1305)(在位1259~1274)の皇后で、異母妹に後深草皇妃洞院愔子(インシ)(1246~1329)(伏見天皇母)や伏見天皇妃の洞院季子(スエコ・キシ)(1265~1336)(花園天皇母)がいます。
大沢池と広沢池の間の山すその陵を目指して大覚寺から歩きます
容姿端麗な佶子は15歳で4歳年下の亀山天皇に入内、女御となりました。
2男1女をもうけ、その第2皇子が後に第91代後宇多天皇(1267~1324)となりましたが、第1皇子・第1皇女は夭折しており、自身も28歳で亡くなっています。
参道両脇に小さな池の有る蓮華峰寺陵(レンゲブジノミササギ)(右京区北嵯峨朝原山町)、ここは息子後宇多天皇の陵でもありますし、夫の亀山や息子の嫁後宇多天皇皇后姈子内親王や孫の後二条天皇の分骨所でもあります。
返事
Toitenlabeeさん:Toiさんは日本語教師ですやん、
私はゴロ合わせの年号しか覚えていませんよ。