島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

奈留島百人一首54

2013-10-18 | 奈留島百人一首
 
 54. 忘れじの ゆく末までは かたければ
            今日を限りの 命ともがな

                          儀同三司母(ギドウサンシノハハ)(?~996)
 作者高階貴子(タカシナタカコ)は中関白藤原道隆(ナカノカンパクフジワラノミチタカ)と結婚し、その長男藤原伊周(フジワラノコレチカ)が儀同三司という位に就いたのでこう呼ばれています。
62番作者清少納言が仕えた第66代一条天皇の后定子の母親でもあります。
 「いつまでも忘れないよと言ってくれましたが、それは難しいことだから、言ってくれたこの幸せな今日を限りに死んでしまいたいと思います」
 永遠の愛は難しいから、愛された絶頂で死にたいと思うか、愛し愛されたらこそこのまま永遠に愛し愛され続けて生きたい、と思うか、男と女や人それぞれなんですかね!
  
 54. 忘れじの 思ひ出の島 かずらしま(葛島)
            今日は無人に なりしことかな

                              忘れじの・か・今日・かな  10字 同じ
 奈留島の北方1.5㎞ぐらいにある小さな島、葛島。
昭和30年代には250人ほどの人口と、小学校・教会もあり、奈留町営定期船も奈留島から通っていたそうですが、昭和48年3月26日過疎集落再編事業により、120人ほど全員が奈留島の樫木山地区に集団移転し、葛島は無人島になりました。
 
 島の東側にだけ少し浜が有って、無人島になって50年、一度上陸したことがありますが、残された牛が野生化しているとのことで、牛の骨や糞は散乱していましたが、住居らしき跡は風が強いせいかもう完全に朽ち果てていました。
 葛島(カズラシマ)出身者は、ほぼ全員葛島(クズシマ)姓を名乗っておられるので、今も奈留島には多い名字です。
  こんな葛島の歴史を31文字で詠いあげた秀作です。

      返事
和さん:老人用にもう1m下げて欲しいですが、
    喜珍さんによると、下がってるとのこと、明日の体育祭で確認しておきます。
大雪男さん:自分のメールやブログ名を貼り付けたいんですが、
     やり方を読んで憶えようとする気力?(知力)がありません。
花水木さん:まだまだ煩悩と妄想の世界に生きている私です。
喜珍さん:こちらへ跳んで来るリンクが欲しいのですが・・・。
喜珍さん2:日本国民が皆ふくよかになってから、まだ百年経ってないでしょうね。
コメント (2)
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