西都モノクローム

西都大好きな市議会議員が、徒然なるままに街のこと、写真のこと、空手のこと語ります。

エンジョイフォト倶楽部 ラスト写真展

2020-07-07 20:34:14 | 日記

約5年にわたって行ってきた写真教室のラスト写真展を今週行っています

ばしょは西都市の文化の拠点「夢たまご」です

写真展の紹介とともに、写友は県外に多いので私の写真をブログに載せます

県内の写友の皆さんはぜひ見に来てください

まずあいさつ文です

写真を楽しむ

写真を楽しもうと始めた、写真教室エンジョイフォトクラブも第4回写真展をもって、一区切りを迎えることになりました。
普通の教室のように撮り方を教えるのでなく、毎回古今東西の写真集を見ることからはじまる変わった教室でした。
生徒さんは戸惑っておられたかもしれませんが、とにかく写真を好きになってもらいたい、その一心でした。
心から感動するには、作品の背景や歴史、作者のひととなりを学ぶことは必須要件とまではいわないまでも、知っておれば間違いなく感動は倍増します。
絵画を見て目を奪われ立ちすくみ、音楽を聴いて陶酔し、映画を観て背骨に電気が走り席から立てなくなるのと同じように。
一枚の写真を見て「感じ入り」「記憶を想起する」そんな芸術作品に感動できる豊かな感受性は人生を楽しく豊かにしてくれます。
教室での学びは終わりますが、生徒さんがそれぞれの生活の中で写真を楽しんでいただければ、講師冥利に尽きます。
そしてクラブ最後の写真展です、どうぞ楽しんでください。
                  橋口 登志郎 

今回の写真展は6人の生徒さんの気合のこもった写真が見どころですが、私のブログなので私の展示した写真を紹介します

私の写真群の前の挨拶です

橋口登志郎のコーナー

1996年 ローライ・コードの世界
        -¬不便を楽しむー
ある時、写真関係の本を買った
日沖宗弘という方が書いた「写真術」という単行本である
あの頃は写真機が好きで、写真機に関する本を買いあさっていた
その本では独断で写真機やレンズのことを評論していた
日沖氏が「・・金に糸目をつけなかったら、コンタックスかライカに止めを刺す。レンズがよいからである・・・」というところはニッコールレンズが合わずツアイスを愛していた私にとって、至極うなずけるものだった
また彼の好みの自動車の考え方(古いルノーのドーフィンとかルノー5のエンジンを褒めていた)や、機械は人の心に感応するとあるのは「うんうん」とうなずいた(つまり信じちゃったわけ)
その本に「・・・ドイツのローライはプラナー・クセノター・テッサー・クセナーなど名玉がついており、レンズ性能では他の追随を許さない、その中でもクセナー付きのローライコードは安価で軽量かつ丈夫なので最もお勧めする」
でっ・・1995年に
買っちゃった、クセナー付きローラーコードⅣ(1950年代製)を・・
東京の中古カメラ屋さんに電話して、値段は三万ちょっとぐらいだった
現物が届いてびっくり、中版カメラとは思えないほどちいさくて(中版フイルムは普通のフイルムの3.5倍の面積を持つ)軽く、構造はすこぶる単純で、そして操作はプリンシプルそのものなのだ
便利な機構は何ひとつなく、フイルムを入れるのさえ難儀した、露出もマニュアルなので、フイルムのISO感度を覚えておく
上蓋をぱかっと開けて、上からファインダーをのぞくととても暗い、特に周辺部は何が映っているか容易に判明つかない、挙句左右が逆像なので写したいものにレンズを向けるのさえ苦労する
露出計をだし、ISO感度を合わせて光量を測り、絞り値とシャッタースピードをカメラにセットする
その暗いファインダーでピントを合わせ、シャッターをチャージして、シャッターレバーを左に動かすと
「チャッ」という極めて小さな音とともにフイルムに光が届く
速写・連写とか願うべくもないし、またしようとも思わない
そのうえフイルムは12枚撮りでレンズは75mm(標準レンズ)がついていてレンズ交換なんかもちろんできない
なんでも撮ってやろう、たくさん撮ろうなどという欲は無くなる
デジタルカメラやスマホで簡単に写真が撮れる今の人たちにとっては「うあっ~超ムズ、面倒くさい」でしかなく、そこまでして写真撮りたくはないだろう
私も最初はそうだった、今までの撮り方と全く違うから戸惑った
でも、しばらくするとローライでの撮影所作と出来上がる描写にはまってしまった
それから数年ローライのみで写真を撮った
被写体とじっくり対峙し、一枚一枚を丁寧に、まっすぐ撮った
面倒くささ、不便さが、写真を撮ることの楽しさを教えてくれた
そして私の写真は大きく変わっていった
不便さが写真の大切なところを私に気づかさせてくれたのだ

 第4回エンジョイフォトクラブラスト写真展には、私の写真がかわった1996年の写真を展示するのがふさわしいと思った

 

日向市の海岸
彼女と彼女の友人と私、3人で美々津、馬ケ背で撮影した
彼女の細かく分離した髪の描写にレンズの良さを認識した

 

宮崎市若草通り
歩いていると、休憩しているブテイック店員さんがいた
声をかけ撮った、通りにはアート系の落書きがあった

 

西都市自宅の階段
いつもの日常、手編みをしている妻
なんてことのない、普通の日々を撮るのは好きだ

 

宮崎市一ッ葉海岸
有料道路にあるレストランには砂浜があった
子供たちとよく遊んだ場所だった

 

宮崎市中央通り
あの頃、ストリップ劇場があった
最近街が妙にきれいになりすぎた気がする

 

 


西都市妻町
1995年に末っ子が生まれ
1996年 妻は彼にかかりっきりだった

 

宮崎市日豊線
今でもこういった被写体にカメラを向ける
逃げないから良い

 

西都市自宅
年賀状として撮った家族写真
迷い犬を飼い犬にした

 

 


高鍋町蚊口浜
子どもが小さいときはよく海に行った
潮風の中、妻を撮った

 

西都市自宅居間
ローライを買った、何か撮りたかった
中学生だった娘を撮る

 


宮崎市末広町
犬がじっと私を見ていた
吠えられた記憶は無い

 

宮崎市宮交シティー
木村伊兵衛さんの最後の写真は病院の時計だった
写真は時間と密接な関係にある

 

 


宮崎市若草通り
煙草の女の子に写真を渡したら
その子の友人が私も撮ってと頼んできた

 

佐土原町石崎浜
よく飲みに行っていたお店のママさん
お願いしたら、撮らせてくれた

 

 


西都市公民館
市民劇団の練習、写真の女子高生の子供は
この頃の彼女と同じ年になっている

 

西都市自宅
私の父とすぐ服を脱ぐ息子
ずっと記憶に残る写真かもしれない

 

是非会場で見てください

 

コメント (1)
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