昨日西都青年会議所の現役とシニア会の会議に参加してきました
時代の流れか、会員減少に困っている現役と色々な話をさせていただきました
シニア会もしっかり応援するから、現役にはさらにがんばってほしいです
そこで、ちょっと私の青年会議所の昔話を・・
地元の小学校を出た私は、私立の中・高一貫校に進学し、そのまま名古屋の大学に進学しました
卒業して宮崎の薬品会社に就職しましたが、一年半後に名古屋で開設するという不動産会社に転職しました
結婚して子供も生まれ、俗にいうバブル時代で不動産業界は大変良い時代でした
ですが、長男でもあり、父も会社を興していたので、西都に戻ることにしました(その後名古屋時代の給料を得ることはかなわない状態です・・とほほ)
その時はもう30代の半ば過ぎです
さて西都に戻ってきたのはいいけど、ほとんど知り合いはいません
小学生時代の友達はいたけど、やはり思春期の友人関係が濃ゆいです
どうしよう・・、西都に知り合いを作らなきゃ、にっちもさっちもいかない・・
ある時商工会議所にある建築業協会に行くと、隣の部屋に「西都青年会議所(JC)」と書いてあるのに気付きました
きっと青年団見たいなもので、ここにはいると知り合いを作れるかな・・と思い入会の希望を出しました
あの時代は入会審査があり、まず会員拡大委員長の面接、理事長の面接があり
理事会に諮られて、入会を許可されました
入会費と年会費を払い
さて初めての例会です(月に一回、定例会があります)
ネクタイをはめ正装での参加です
初めて参加してびっくりしました
会の初めに「君が代」を歌うのです
勿論学校やその他の武道館系で歌うことには慣れていますが(なんせ空手道部ですから)
このような会議で歌っていることに、「あれ?右翼団体?」と瞬間思ってしまいました
でもその後、JC宣言やjciクリードなど斉唱します
JCは国際交流も盛んで(というか外国で生まれた団体です)、その母体となる考えが自国を誇りに思う(その考えで他国にも敬意を払う)ことで、だからこそ国歌を歌うのだと知りました
初めて入った委員会が社会開発委員会、ちなみにその時の理事長は薬局をやっている大平さんでした
その日が短くて(6年間)でも充実した私のJCライフの始まりでした
あの6年は私のとってかけがえのない時間でした
6年間で携わった事業は20周年事業での映画と劇(これがのちの市民劇団ベストヨダキッズにつながる)、西都原に関して韓国視察、東九州自動車道早期開通を目指した事業、西都夏祭り事務局、古墳祭り参加、観歩会、阪神淡路大震災救援etc・・
色々なことをやらせていただきました、やりながら人を知り、物事を成就するコツみたなものを知ることができました
JCにはいり、PTAの関係がつながり(JCメンバーがPTAを熱心にやっていたから)小中高のPTA会長をさせていただき
そのPTAの縁で大学時代からやっていた空手の縁がつながり(妻南小の柘植教頭先生と知り合うことにより)、今の南空会が誕生しました
そしてそれらの縁で地方政治家の道を歩むことになりました
振り返ると
すべては青年会議所に入会したことに端を発しています
入会する機会に恵まれ、活動することができたことがすべての(特に30代後半からの人生の)スタートでした
あの時青年会議所という存在を知らなかったら、その後はどうゆう人生だったんだろう・と思うことがあります
それは妻にとっては平穏な人生だったでしょうが・・(男のロマン、女のフマン(不満))、なんせ30代はほぼ毎日午前様でしたから・・
思い出では県ブロックで「スーパー交通システム委員会」の委員長をさせていただいたときです
県庁でも建設省でも道路公団でも平気で伺い、お会いし貴重なお話を聞かせていただき、活動ができたことです
30代の若造がこんなことができるのはJCメンバーだからだと強く思いましたし、その後の結果にもつながりました(延岡の柳田さんという強いリーダーがいました)
いろいろとjcの思い出を書きましたが、もしこのブログを見ている君が20代30代なら、確信をもって言うことができます
何かをなそうとしたいんなら、青年会議所に入って学び行動しなさい
きっと君の人生を変えることができるから
さて今日の稽古です、今日は帯研
つまり茶帯以上が自主的な稽古をする日です
私も関谷指導員もこの日ばかりは自分の稽古に時間をさけます
私は準備体操をした後、三戦、鉄騎、平安、指定形1と2、得意形を一通りやった後いくつかの形をやりこみました