マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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矢部彼岸の観音講

2011年04月25日 08時40分22秒 | 田原本町へ
田原本町矢部の杵都岐神社境内地の北側にあるのは明治7年に廃寺となった観音寺を継承する観音堂。

江戸時代には「大和国三十三ケ所霊場9番札所」だった。

そこで毎月お勤めをされている観音講の婦人たち。

以前は12人も居たが今は9人。

それが始まる前に当番の人が花を飾る。

本尊の十一面観世音菩薩立像や弘法大師、隣棟の毘沙門天にも花を添えている。

自宅などで綺麗なお花をは当番の人だけでなく講の人も持ち寄ることがある。

観音講の営みといえば19日だが老人といっても忙しい身。

集まりやすい第三土曜に決めている。

毎月のお勤めには地区内の安楽寺の住職が法要をされる。

狭いお堂に上がられた。

講の人たちは70歳から80歳。

参加したのは5年前、10年前とさまざま。

80歳で定年したいけど若い人が入ってこないのでそれはと・・・みんなから声がでる。

それよりも60歳になったら入るという規約がいいんではという意見もでる。

今後のことを心配そうに話される。

いつの時代か判らないがそうとう古い写真が残っている。

そこには18人もの顔ぶれ。

お堂の姿は変わらないが講の顔ぶれは時代とともに減っていった。

当時は大勢の人がお堂に入っていたのだろう、そんな話しを笑顔で語る観音講の人たちは座椅子に座って導師が唱えるお念仏に合わせてお勤めをしだした。

鉦や磬(キン)、それに木魚を叩く音が堂内に広がった。

それを済ませると導師は位置を変えた。

今度は弘法大師の前に座った。

同じようにお念仏を唱える。

矢部はほとんどのお家(70軒)が融通念仏宗徒だ。

お寺も大念仏寺。

10月12日には地区を如来さんが駆けめぐる。

それはともかく三度のお念仏。

さらに奥まった棟の毘沙門堂に座席を移した。

さすがに狭いから3人ぐらいしか入れない。

外からの日差しは明るい。

線香の煙が光線になって斜光する。

「身体堅固 ゆーずーねんぶつ なむあみだー なむあいだぶっー」。

およそ一時間のお勤めを終えた。

当番の人が差し出すお茶。

この光景は毎月変わらないが、春と秋のお彼岸にはご詠歌が加わる。

住職が帰られたあとはご婦人たちだけになった。



本尊前の祭壇にはお彼岸につきものの「彼岸だんご」を供えた。

だんごと呼ばれるが中身は店屋で注文したおはぎだ。

昔は家でおはぎを作って食べていたという婦人も居る。

「では始めましょうか」と当番の人が挨拶されて導師の席に着いた。

一番、二番と唱えるのが西国三十三ヵ所のご詠歌。

観音講の主題曲だ。

長丁場なので二十三番辺りで小休止。

お茶をすすって一息つく。

それからまもなく後半のご詠歌。

番外の曲も含めて一時間ぐらい。

「ただ たのめ ほのほが きえて たちまちに いけとなるちは ふかくちかよる」。

最後は矢部のご詠歌で締めくくられた。

一人の婦人が言った。

剪定していたとき梯子から落ちた。

怪我は少々だったが命はあった。

もう一人の婦人も言った。

介護宅配をしているバイクが盗まれた。

警察官の努力もあって翌日には戻ってきた。

これは毎月観音さんに拝んでいるご利益だと話す。

なお、本尊前に置かれていた大きな丸い石は村のジンクロウさんが信心して祀っていたものをここに移したそうだ。

昭和40年代のことらしい。

意味はまったく判らないと講の人が話す。

(H23. 3.19 EOS40D撮影)


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