マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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米谷町白山比咩神社の麦秋農休みの麦初穂

2017年01月09日 07時59分41秒 | 奈良市(旧五ケ谷村)へ
平成27年の5月6日に訪れた奈良市米谷(まいたに)町。

同村で行われていると知ったオコナイ行事。

祈祷法要されるのは上ノ坊寿福寺の住職。

祈祷の場はムネの薬師と呼ばれる薬師堂。

建て替えるまではお堂の廻りの回廊でダ(ラ)ンジョー叩きをしていたそうだ。

そのことは本日の聞き取りで判ったことだが・・・。

住職にオコナイ行事の取材をお願いしたときに聞いた7月1日の麦初穂。

場は白山比咩神社であるが、住職も参列されると聞いていた。

「麦初穂」の行事名から想定するに二毛作の名残ではないだろうかと思っていた。

私が育った小中学校時代は二毛作が当たり前。

学校の授業でも二毛作を学習していた。

いつしか大人になるにつれて二毛作が消えていった。

麦を作る地域が極端になくなっていた。

もしかとして米谷町では麦を栽培している・・・ことはなかった。

耕地に麦作が見られない。

それはともかくオコナイ行事にも参集されると聞いている村の人に長老がおられる。

神社行事に参集される十一人衆である。

その人たちとは直接お会いしたことがない。

顔を合わせることによって村の行事は滞りなく取材することができるであろう。

そう思って出かけるが、麦初穂が行われる時間は聞いていない。

行事は直会とする会食を挟む場合が多々ある。

米谷町もそうであるかもと思って家を出た。

米谷町に到着した時間は10時半過ぎ。

神社参道から村の道に出てこられた人が数人。

風呂敷に包んだ四角いモノを手にしていた。

もしかとすればお下がりのお重では・・・。

頭を下げてお声をかけさせてもらった長老は十一人衆のうちのお一人。

八老のTさんだ。

上は90歳にもなる十一人衆のうちの一人が村の神主となって一年間の年中行事を務める。

祭式斎主は丹生町に住む新谷宮司。

村の神主は祭式の祭式の補助をすると云う。

任期は2月8日から翌年の2月7日迄。

一年間のお勤めのなかには「デンガクメシ」や「タケノコメシ」もあると云う。

具体的な行事は聞き取れなかったが「デンガクメシ」は豆腐である。

豆腐を串に挿して焼く。

甘味噌を付けて食べるようだから、まさに「田楽」を肴にメシ「飯」を喰う。

それが「デンガクメシ」であろうか。

「デンガクメシ」を喰う行事は大和郡山市の外川八幡神社の祭祀を務める宮座にもあった。

5月のある日曜日に宮座八人衆は衆家に集まってそこで食べていたという行事である。

同じような田楽豆腐である。

県内行事の中にごくごく一部であるが、接待的に行われる豆腐喰い行事がある。

それはともかく神主になれば年中行事だけでなく神社の掃除もある。

毎月1日は参道も含めて掃き掃除。

落ち葉もあれば雑草刈りもある。

ちなみに神主役は終身制の宮座十一人衆に欠員が生じたときに次の年代になる人が新しく加わる。

常に11人で構成される座中ということである。

新しく加わった翌年に神主役になるそうだ。

ちなみに服忌があれば49日明けの日より復帰する。

81歳のTさんが手にしていた風呂敷の中身は御供下げされた茶碗一杯に盛った「セキハン」と2個のキナコモチ。

かつての御供は麦一升。

今では米一升。

二毛作が消えてからは米に替わったようだ。

この日の行事は麦初穂。

初穂に収穫した麦を供えていたが、行事名はそのまま継承されているものの御供は米に移ったのである。

何にかの人は神社に残っておられると思って参道を歩く。

神社手前の鳥居下で作業をされていた若い男性がおられたので声をかけた。

男性は神主を下支えする手伝いさん。

役目の名は「サタニン」。

充てる漢字は「助侈人」のようだ。

サタニンの男性は63歳。

かつて父親が一老を務めていたころに年中行事や地域の文化財などを教わったから実に詳しい。

その場におられた九老兼神主役の男性曰く、「わたしより詳しく知っている」と云う。

その場で聞いた村行事にイノコがある。

12月22日のイノコ行事に供えられる御供は「イノコノクルミモチ」。

かつては石臼ですり潰していた青豆。

それを餅にくるんでできあがる。

県内事例のなかに「イノコノクルミモチ」は数あれど、神社に供える地は存じていない。

むしろ家で作って家の人がイノコの日に食べる郷土食である。

ここではモチに限らずドロイモにもくるむらしい。

吉野町や東吉野村辺りではイノコの日に作って食べる亥の日の「イモボタ」がある。

平成25年12月7日に訪れた東吉野村の鷲家。

八幡神社傍に建つ川向垣内の山の神行事に参拝された一人の男性が話してくれた「イモモチ」。

わざわざ家に戻って私にくれた「イモモチ」の美味しさは食べてみなけりゃ判らない。

東北でみられるズンダモチとは格段の差があると思っている。

ちなみにヨイミヤやマツリに登場するトウヤ制度がある。

昨年のヨイミヤに出合った婦人の話しによればトウヤは2組ある。

オオトウヤやとコトウヤ。

もう一組は/アニドウヤとオトウトドウヤ。

ヨイミヤに大量エダマメ御供する関係でマメドウヤとも呼ばれるアニドウヤとオトウトドウヤ。

マツリに3個のサトイモの子イモを楊枝で継いだ三角繋ぎ御供するイモドウヤ。

それがオオトウヤやとコトウヤ。

逆であるかもしれないが複雑なトウヤ制度にトウニンゴが就くオワタリがある。

かつてはトウヤの家から出発していたが、今ではかつて「郷倉」と呼ばれていた公民館から出発する。

トウヤを充てる漢字は「唐屋」である。

お稚児にあたるトウニンゴを充てる漢字は「唐人御」。

前述したサタニンを充てる漢字は「助侈人」。

それぞれが村特有の当て字だと云う。

(H28. 7. 1 EOS40D撮影)


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